第6章 蓬莱さん、花嫁衣裳で始業式に現れる

第17話

 中学三年の三学期の始業式。

 三年生の教室がある二階は、張り詰めた雰囲気に満ちている。

 一般入試の受験まで、あと一ヵ月半。

 最後の追い込みが、生徒たちを待ち受けるのだ。


 和樹と上野も、生徒たちに混じって教室に向かう。

 すると、背後から一戸いちのへが声を掛けてきた。

「ナシロに上野、おはよう」

「ああ、おはよ…」

 挨拶を返しつつ、振り返った和樹は、ひっくり返るほど驚いた。

 一戸が、羽織に袴を着用しているのである。

 正確には、黒い羽織に黒い着物に、灰色の袴だ。

 小学校の卒業式で、彼が同じような服装だったのを思い出す。

 しかし、始業式では有り得ない服装だ。

 が、周りで驚いたり戸惑っている生徒は居ない。

 上野も、普通に挨拶している。


「どうした、ナシロ。変な顔をして」

 一戸は、軽く笑う。

「あの御守り、アテにしてるからな」


 そう聞いて、和樹はに落ちた。

 一戸に売りつけた『三途の川エキス入り醤油さし』の影響に違いない。

「ああ……がんばろうな」

 和樹は適当に返答し、上野を置き去って、足早に教室に向かう。

 蓬莱ほうらいさんにも、異変が起きていると確信したのだ。

 教室に飛び込むと、女子生徒たちが五人ほど、窓際後方につどっていた。

 その中には、久住くすみさんと小沢さんも居る。

 彼女たちに囲まれて椅子に座っているのは……花嫁姿の蓬莱さんだ。


「うげえっ!」

 和樹は変な声と汗を出す。

 いわゆる『白無垢』と言う着物で、髪には白い花飾りを付けている。

 何とも愛らしい姿ではあるが、手放しで喜べるはずが無い。

 『悪霊』が、着物に変化して二人の体にくっついているのだろうか。

 まるで、ゲームの『呪いの防具』だ。

 だが、他の生徒の誰もが、蓬莱さんの花嫁衣装は視えていないようだ。


「わざわさ、ここの制服を買ったんだ。あと二ヶ月ちょっとなのに」

「ええ。祖母が『みんなと同じ制服がいいだろう』と言ってくれて。リサイクル品ですけど」

「お祖母さんも、一緒に住んでるの?」

「祖母と、二人で暮らしてるんです」

「……一緒の高校に行けると良いね。ほら、桜南校の新制服、新聞に載ったよね」

 久住さんが、話題を変えた。蓬莱さんの家庭が訳アリだと察したのだろう。

 他の子たちも気を遣い、久住さんの話題に乘る。


 和樹はホッと胸を撫で下ろしたが、問題は蓬莱さんと一戸だ。

 和樹は、教室に入りかけていた上野の手を引っ張り、トイレに駆け込む。

 視たまんまを耳打ちすると、上野も仰天して言った。

「マジかよ。オレも視たい!」

「アホ。学校でのっぺらぼうになる気かよ!」

「くそ、スケキヨマスクを持ってくるんだった!」

「教室で、スケキヨをかぶるは無理だって。とにかく、今夜も『魔窟』に行かないと!」

「一戸まで、婿さんの衣装を着てるってのは何なんだよ?」

「……醤油さしのせいだろ?」

「オレが売りつけるようなこと言ったから?」

「いや、上野のせいじゃない……」


 和樹は、首をひねってみせる。

 何となくだが……今回のコスプレ攻撃は、自分への嫌がらせのような気がする。

 父が言うには、蓬莱さんは自分の『運命の恋人』だ。

 男前の一戸を引っ張り出して、二人の婚礼姿を見せつけ、自分に嫉妬させようとしているのではないか、と推測する。

 だが……『悪霊』の期待を裏切って悪いが、蓬莱さんに『恋心』は感じない。

 綺麗な人だとは思うが、それ以上の感情は持てない。

 それに今は、自分の恋よりも、母の沙々子と笙慶さんが気に掛かる。



 だが、人が出入りするトイレではそれ以上の対策を練ることは叶わない。二人は放課後に上野の家で相談することを決め、教室に戻った。

 やがて野田先生と狩谷先生が来て、いつも通りの朝礼の後、体育館に移動して、校長先生の長話を聞く。

 一戸とはクラスが違うが、彼は一列飛ばしたクラスの列の先頭に立っている。

 振り向けば、自分より八人ほど後ろに、美しい花嫁姿の蓬莱さんが居る。

 後ろに立つ女生徒が、打ち掛けの裾を踏んでいるが、当然気付いてはいない。

 

「では、次に生徒代表の挨拶があります。三年C組の一戸くん」

 放送部員のアナウンスが流れ、和樹はうろたえる。

 その不安など知るべくもない一戸は堂々と壇上に上がり、原稿を読み始めた。

 

(助けてくれよ……)

 和樹は、「生徒や先生たちが、米粒ほどの霊感も持っていませんように。一戸と蓬莱さんが、結婚衣装を着ているのが視えませんように」と祈る。



 ダラダラと時間は過ぎ、ようやく下校となった。

 和樹は上野と今夜の打ち合わせをすべく、上野家に直行する。

 モディリアーニの『黒い帽子の少女』は、玄関奥の壁から外され、上野の部屋にセットされたイーゼルに置かれていた。

 机の上のチロの写真に手を合わせてから、今夜の闘いに備えて、相談をする。


「問題は、敵の能力が今ひとつ不明なことだ。方丈ほうじょうさまのアドバイスを、アテにしすぎは駄目だ。闘うのは僕たちだし」

「オレの能力は『塗りつぶし』だぞ。昨日のような棒立ちしている敵なら、塗りこめて捕まえられるけど」

「水中とか、空中の敵とかだと無理?」

「分からん。ゴメン。たいした能力じゃなくて」

「いや、助かるよ。むしろ、巻き込んで悪いことした」


 茶菓子を摘みながら作戦を練ろうとしたが、やはり能力不明の『悪霊』に対策を練るのは早計そうけいだった。

 和樹は、入浴前に電話を二回鳴らすと伝え、二時間ほど国語と数学の復習に励んでから、上野家を出た。

 今日、母は休日だから、帰宅したら「おかえり」と言ってくれるだろう。

 夕食は、炊き込みご飯とタラのホイル焼きにすると言っていた。

 曇りかけている空を見上げ、帰途を急ぐ。





 そうして夜の10時を回った頃、和樹は『魔窟』に降り立った。

 父は「今夜も帰って来るんだそ」と手を握り、送り出してくれた。

 今夜も、方丈老人は山門の前で座っている。

 上野とチロも、すぐ近くに着地したらしく、合流した三人と一匹は巨大な山門をくぐる。

 

「チロ、おとなしくしてろよ」

 上野はチロを抱き、辺りを見回した。

 和樹も『白鳥しろとりの太刀』の柄に手を掛け、夜の町並を見渡した。

 そう、ここは『町』だった。


 ノスタルジックな雰囲気で、観光地のパンフレットに載っていそうだ。

 広い道路の両脇に、三角屋根の二階建て木造の家々が並んでいる。

 軒先に吊るされている提灯には火が灯り、どこからかお囃子はやしの笛の音が聞こえてくる。

 しかし、見上げた空に浮かぶ月は、巨大だ。

 それに、人の姿も無い。動物も見当たらない。


「中将、あっちに蕎麦そば屋があるぞい」

 老人は、家々の間にあった屋台に駆け寄った。

 主人の姿は無いが、大鍋からは湯気が上がり、蕎麦と醤油の香ばしい匂いが立ち込めている。

「ほれ、丼が三つ並んでいるぞよ」

 老人が指した先には木製の長椅子があり、湯気の立つかけ蕎麦の丼が三つ並ぶ。その横には、小さな椀にタレのかかったご飯が入っている。


「僕は食べませんよ」

 和樹は念を押す。

「罠の臭いがブンブンします。僕や上野は、毒で悶絶もんぜつしたくありません」

「だよな~」

 上野は、椀の匂いを嗅ぐチロを押さえ付けるように抱く。


「ワシは食べるぞ。蕎麦なんぞ、久しゅう食うておらん」

 老人は箸と丼を取り、勢いよく食べ始めた。

(まあ、この人はここの住人だし)と思って見ていると、何者かの声が響いた。


「もったいない。食えよ」

 見ると、道の向こうから歩いて来る人影がある。

 あちゃー、と上野が顔をしかめた。

 和樹も、眉を八の字にして近寄る人影を見つめる。


 近付いて来るのは、羽織袴姿の一戸だった。

 鬼気迫る表情でこちらを見据え、その右手には抜き身の刀を持っている。


「やべ、剣の達人さまの登場だぜ。しかも、何か浮いてるんだけど」

 上野は三歩下がる。

 大股で近付いて来る一戸は、30センチほど宙に浮いていた。

 早くも、『如月きさらぎモディリアーニ』の塗りつぶし対抗策を取られている。


「食べ物を粗末にするな、と教わらなかったのか。不届き者どもが」

 一戸の目は、殺気をはらんでいる。

 話せば分かり合える状況では無い。

 和樹は、やむなく太刀を抜いた。

 これが『一戸の霊体』なのか、『悪霊』が化けているのか、まだ断定できない。

 正体を見切るまで、傷付けることは不可能だ。

 和樹は、心を定められぬまま、太刀を構えた。

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