第12話
「……あれ?」
着地した和樹は、周囲を見渡した。
明らかに『
いつも通りに浴槽から潜行したのだが、着地までの時間も短かい。
「何か、暑いし…」
和樹は呟き、
周囲は暗いが、『
どこからか、温かい風も吹いてくる。
何よりの違いは、人のざわめきが聞こえてくる点だ。
「大沢さん、ベビーカステラ買って分けようよ」
不意に聞こえたのは、間違いなく
振り向くと、周辺の光景が一変する。
和樹は、道の真ん中に立っていた。
左右には屋台が並んでおり、浴衣姿の人々が押し合うように歩いている。
どこからどう見ても、夏祭りの風景だ。
屋台の
見上げると、小さな月は遥か上空にある。
『
ここがどこかは不明だが、久住さんが居るのは確かだ。
それに『大沢さん』は、クラスメイトの大沢
と……ここで気付く。
去年の夏の神社祭に、上野と
(そうだよ。僕たちがクジ引きをやってる間に、久住さんたちは隣の屋台でベビーカステラを買ってた……)
左側の歩道に、くじ引き屋とカステラ屋の看板を見つけ、道を横切る。
二軒の店には、和樹自身と友人四人の姿があった。
五人とも浴衣を着て、楽しそうに喋っていた。
和樹はワタアメの袋を下げ、上野は犬のビニール風船を引いている。
和樹は、自分自身の横に立ち、肩を
浴衣姿の和樹は、無反応だ。
袖を引っ張ってみると……袖はつかめる。
が、引っ張って袖を動かすことが出来ない。
銅像の袖をつかんだような感じだ。
(上野の……顔はある)
和樹は、しげしげと上野の顔を見る。
話をしている上野たちの間を通っても、誰も反応しない。
周辺の人々も、平安時代風の衣装の自分をジロジロ見ない。
彼らには、自分は見えていないのだ。
ここが現実の世界では無いのは、間違いない。
(まさか、この群衆の中に、上野の顔をつかんだ『悪霊』が居るとか?)
和樹は、不安に駆られる。
周辺の人々には姿は見えなくとも、幽霊のように、彼らをすり抜けることは出来ないからだ。
この雑踏の中で『悪霊』と鉢合わせしたら?
考え込んでいると、斜め後ろから女の子の声が聞こえた。
「え~。そのお面、どうしてそんなに高いの?」
和樹は振り向き、声の主を探す。
その声は、明らかに、何かが違っている。
まるで、自分の耳の奥から発せられているように感じる。
和樹は『
「おにいちゃん、あの白いネコのお面が欲しいよ。赤いリボンの」
「あたしは、となりにある花かざりを付けたのがいい」
別の女の子の声も、響く。
『おにいちゃん』なる者もいるなら、相手は三人だろうか。
和樹は慎重に人の間を
屋台の手前に、三人は佇んでいる。
和樹と変わらない
少年は坊主頭で、ランニングシャツにハーフパンツ。
女の子たちの髪型は短いショートボブで、白いブラウスにスカート姿だ。
三人とも下駄を履いている。
けれど、着古した服らしく、あまり清潔そうに見えない。
「ごめんな。シズちゃん、サッちゃん。おにいちゃんのお金じゃ、足りないんだ。お家まで送ってあげるから、帰ろうな」
少年は屈み、女の子たちの肩を撫でてやる。
和樹は、屋台に並ぶキャラクターのお面を見た。
そして、腰を抜かすほど驚いた。
(げっ……上野!)
飾られているお面の中段の列の真ん中には、上野に似た顔のお面がある。
左目の下のほくろの位置も同じだ。
上野が、顔面を浴槽に引き込まれたことと無関係とは思えない。
「すみません、その真ん中の男の子のお面をくださいっ」
考えるより先に、声が出た。
屋台の主人は「800円だよ」と、小さなトレイを差し出す。
しかし、現金など持っていない筈だ。
和樹は、着衣を探る。
すると、腰帯に長財布が挟まっているのに気付いた。
(いつの間に財布が?)と思いつつも、中を開くと、一万円札が入っている。
とにかく、上野のお面を買うしかない。
一万円札をトレイに乗せると……横の三人が、こちらを見た。
非常に、気まずい。
「……あの、追加で、白いネコちゃんの二つと、機関車のも……ください」
「まいどっ。三千円にまけとくよ」
主人は笑顔で、四つのお面を和樹たちに手渡してくれた。
「変なお金だね。本物?」
年長の女の子が聞いてくる。
和樹は頷いた。
「うん……あ~、このお祭りでしか使えない、特別なお金なんだよ」
「そう……おにいちゃんって、神社の人?」
「え?」
「だって、
「うん、親戚なんだよ、
和樹は答え、三人と並んで歩いた。
この三人は、自分を認識できている。
祭りの見物客とは違う、特殊な存在なのだろう。
「……でも、お
年下の女の子は、漂う食べ物の匂いを嗅ぐ。
「じゃあ、ちょっとそこの座る場所で待ってて」
和樹は、イートインコーナーを指す。
ちょうど、四人分の席が
おつりは七千円ある。
どこから湧いた金か知らないが、彼らに
肉入り焼きそば、チョコバナナ、カステラ、フランクフルト、フライドポテト、
タコ焼き、クレープ、味噌おでん、ジュース、お茶のペットボトル。
テーブルの上には、和樹が買った食べ物が所せましと並ぶ。
額にお面を付けた三人は夢中でそれらを食べ、飲んだ。
「こんなお茶、初めて。変な湯呑みに入ってるけど、おいしいね」
「これ、お母さんが作るホットケーキに似てるけど、ずっと薄くて甘いよ。でも、やっぱりお母さんのホットケーキがいいな。すりおろしたニンジンが入ってるの」
「君たちのお母さんも、ホットケーキ作ってくれるんだ」
和樹も上野のお面を付け、フライドポテトをつまみつつ、少年を見た。
「まだ、名乗ってなかったよね。僕は『かずき』でいいよ。君は?」
「『かずお』だよ。平和の『
「僕たち、名前が似てるね。この子たちは……」
「姉が『シズコちゃん』。妹が『サチコちゃん』だよ」
和男の言い回しから、彼の妹では無さそうだった。
「君の妹さんたちじゃないの?」
「僕の働いている工場の、まかないをしている、おばさんの娘さんたちだよ」
「君が働いているの?」
「父さんは、もう働けないからね」
和男は、おでんの玉子を食べきってから答える。
「戦争で片足を失くしたんだ」
和樹は驚かなかった。
三人の服装は、昔の写真やアニメ映画で観た子供たちの服装に似ていたからだ。
彼らが、昔の戦時中の子供の幽霊ではないかと予測はしていたが……
「ふたりとも、ちょっと待っててな。このおにいちゃんを、送ってくからな」
和男は機関車のお面を外し、テーブルに置いて立ち上がった。
彼は屋台の外れの方に向かい、和樹は黙って付いて行く。
やがて屋台の明かりも人々の喧騒も遠ざかり、和樹はゆるい山道を登っていた。
周囲には高い木々が繁り、薄い月光以外の明かりは無い。
「僕は、ずっとここに居たんだ」
和男は足を止め、振り向く。
見降ろした平地にはショッピングモールのような建物があり、五本の煙突がそびえている。
煙突からは、もうもうと煙が立ち上っていた。
「僕の働いていた工場だよ。シズちゃんとサッちゃんのお父さんは、まだ戦地から戻って来ないんだ。戦争は、二年も前に終わったのに」
「亡くなったのかい?」
和樹が俯いて訊ねると、和男は
「分からない。でも、僕はずっとここに居た。ずっと夜だけが続いてて、どこにも行けずに、工場だけを見ていた。でも突然、光が見えたんだ。思わず手を伸ばしたら、君の友達の顔をつかんじゃって……ごめんね」
和男は、和樹の額の上のお面を見る。
「それを持って、山の上に行くんだ。そうしたら、帰れるよ。君の友達も無事だから、安心して」
「……ありがとう。和男くん。優しいんだね。会えて良かったよ」
和樹は握手を求めて、手を伸ばした。
和男は、この世の人ではない。
不意に死を迎え、それに気付かないまま、ずっとここに佇んでいたのだろう。
何らかの偶然で、彼の居る場所と浴槽とが繋がり、
(上野の夏祭りの思い出の中に、和男くんは入り込んだのか……)
和樹は目尻を拭い、右手を差し出した。
和男は笑顔で応じ、ふたりは固い握手を交わす。
「かずきくん、ありがとう。とても素敵な時間を過ごせた。この時代の夏祭りは、華やかで、美味しい食べ物が売ってるんだね。楽しかった。忘れないよ」
すると、周りに花のような香りが立ち込め、和男は淡い光に変化した。
球体になった光は、月に向かって飛んで行き、そして眼下の工場も消え失せる。
「和男くん……大好きな人たちに会えるといいね」
和樹は鼻をすすりながら、しばし月を見上げる。
『悪霊』だと思って追って来てみれば、切ない出会いがあった。
帰ったら、岸松おじさんにも話してあげよう。
街にあった工場のことも知っているかも知れない。
「それにしても……」
和樹は『
「これを持って戻れば、上野は浴槽から出られるってことかな?」
上野の顔面は水に浸かっていたが、溺れてはいないだろうと確信する。
『霊界』と『現世』の体感時間は
和男も、上野が無事だと言っていた。
しかし、ノンビリしていられない。
和樹はお面を手に、山道を駆け上がる。
しかし、何かが突然横から飛び出た。
「え!?」
それは一瞬の出来事で、飛び出た物は黒い
それが山道の木々の隙間に消えた時、持っていた上野のお面が無くなっていた。
「そんな……上野のお面が!」
和樹は、呆然と木々の隙間をのぞく。
しかし体が宙に浮き、元の現世に引っ張り上げられた。
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