第2章 主人公、幽体離脱して『魔窟』に潜行する

第4話

 クリスマスの前後から年末年始にかけて、テレビは特番が多い。

 歌番組も例外ではなく、この日も、夕方から五時間ぶっとおしの歌番組がある。

 イケメンアイドルグループが好きな沙々子は、当然テレビ前で待機する。

 番組サイトでは、出演者のタイムテーブルを掲載しており、興味のないアーティストの出演時間中に、沙々子は入浴をすませる。

 今夜は、午後八時からに沙々子は入浴し、和樹はその後だ。



 そして、午後九時。

 和樹の期待通りに、今夜も裕樹は浴槽の底から現れた。

 急いで体を洗い、洗髪をすませ、和樹はと全裸で向き合う。

「よく決心してくれたな、和樹」

 裕樹は、湯の中で和樹の手を握る。

「昼間の声は、ちゃんと聞こえてたよ。蓬莱さんと千佳ちゃんは、友達になったんだな」

「うん。喜んでいいのか、分からないけど」

「蓬莱さんは、どういう人だと思った?」

「良い人だと思う。だから……僕が闘うしかない。怖いけどさ……」

「無茶を言ってすまない。だが……」

「止めないでよ、父さん。僕自身で決めたことだから」

 

 父をなだめるように、ギュッと父の手を力強く握り返す。

「でもさ……海パンとか履いちゃダメかな?」

 入浴中とは言え、さすがに全裸で闘うのは勘弁して欲しいところだ。

「せめて、タオルを当てたいんだけど」

「慣れないうちは、何も身に付けない方が良い。泳ぐ時には、着衣は邪魔になるだろう。お前は、『三途の川』を超えた場所に行くんだぞ」

「……うん」


 和樹は、渋々うなずく。

 今は、父の指示に従った方が良い。

「でもさ、蓬莱さんに憑いてる『悪霊』って、そんなに大勢いるわけ?」

 考えると、不安は尽きない。

 あの『目玉』と『右手』の後ろに、他の『悪霊』たちが行列を作っているのだろうか。悪霊集団にボコられては、ひとたまりもない。


「数は分からないが、かなりの数がうごめいている。だが、奴らもこの世に姿を現すには、限界がある。魚が、陸上を歩けないのと同じだ」

 裕樹は、腕組みをして諭す。

「父さんも、昼間に蓬莱さんの気配を少しだけ読み取ったが……彼女は『魔道』を作りやすい体質なんじゃないかな。父さんがこの浴槽に『霊道』を作ったように、彼女は無意識に『魔道』を開き、『悪霊』どもが、そこから出て来るのかも知れない」


「ちょっと待ってよ。それじゃ、蓬莱さんがゲームのラスボスみたいじゃん」

 さすがに和樹も反論する。

「蓬莱さんは、普通の女の子だよ。そんなヒドイこと言わないで…」

 とは言ったものの、ミゾレが部屋から出て来なかったことを思い出した。

 しかし、すぐに悪い考えを振り払う。ミゾレは、『悪霊』を察知しただけだ。たとえ、父の推測が当たっていたとしても、悪意の無い蓬莱さんを責めることは出来ない。

 それに、彼女が『運命の恋人』だと言ったのは、父自身だ。


「父さん。父さんは、蓬莱さんと僕が仲良くなるのを、止めたいと思ってる?」

「父さんが悪かった。父さんも、ちょっとビックリして……軽率なことを言ってしまったな」

 裕樹は、ペコリと頭を下げる。

「たが、和樹。蓬莱さんに憑いているモノは、死者の霊じゃない。『霊界』の底にある『魔窟』に居座る『悪霊』たちだ」

「……そうなの?」

 肌触りの良い湯に浸かっているのに、思わず背筋が震える。

「つまりは、『悪魔』みたいな奴らと闘うわけ?」

「そういうことだ」


 父の厳しい顔付きに、和樹は喉を鳴らして唾を呑み込む。

 自分が闘う相手は、『悪魔』みたいな存在だとは予想外だ。敵は、死者の霊が『怨念化』したモノだと思い込んでいたのである。

 さすがに、相手が悪すぎる。

 やはり、母の伯父を呼ぶべきではないか、と考えたが……補聴器が必要な高齢の伯父を呼んで、解決するとも思えない。

 母にも、相談したくない。母に心配をかけたくないからだ。

 


「父さん……ホントに、僕が闘うしかないんだよね?正直、怖い……」

「すまない、和樹。父さんに出来ることは、お前が『離脱』している間、お前の体を守ることだけだ」

「それって、『幽体離脱』のこと?」

「そうだ。『霊体』の状態なら、奴らを倒せる」

「待ってよ。伯父さんは『幽体離脱』出来たとか聞いてるけど、僕には、いきなりは無理!」


 双子芸人の『幽体離脱』ネタを思い出し、首を勢いよく振って拒否した。

 肉体から霊体を分離する『幽体離脱』をしろと言われても、素人には無茶振りとと言うものだ。

 

「和樹、ちょっと動かないでくれるか?」

 裕樹は湯の下で、和樹の左足のすねを押さえる。

「まずは、ちょっとやってみようか。大声を出すなよ」

「何を?」

「こうやってだな…」


 和樹のすねに当てた手をサッと引いた。

「……ひえっ!」

 異様な感覚に、和樹はしゃっくりに似た悲鳴を上げた。何かに引っ張り出された感覚だったが、今までに無い恐怖心に駆られた。

 明らかに、自分の『霊体』の一部が、足から引き出されたと分かる。

 ガムテープをすねに貼られ、引っ張られた感覚に近い。痛みが無いだけマシかも知れないが、気色の良いものではない。


「驚かせてしまったな。だが、何が起きたかは分かるな?」

「僕の……霊体をつかんで、引っ張った?」

「そうだ。足の先の方だけだが。いいか、父さんが補助する。さなぎが蝶に羽化するイメージで、頭の方から抜けて行け。それに、『三途の川』の水を引き込んでいるから、そう難しくないはずだ」

「いや、難しいとかじゃなくて……」


 とは言ったものの、久住さんと蓬莱さんの笑顔を思い出し、言葉が詰まる。 

 彼女たちの笑顔に背仲を押され、闘うことを決意したはずだ。けれど、心がグラグラ揺れているのは否めない。

『幽体離脱』は怖いし、それが出来たとしても『霊体』の自分をコントロール可能なのだろうか。

 しかし……


(思い出せ……奴の『目』を思い出せ!)

 和樹は、挑発的な『悪霊』の視線を思い起こす。

 ここで引き下がったら、負けだ。


「とりあえず……試してみる」

 和樹は頷いた。

「もし、出来なかったらゴメンナサイだけど……でも、出来たとしても、その先はどうすれば?」

「和樹。自信を持て。蓬莱さんは、お前の『運命の恋人』だ。『悪霊』が付け狙うほどの女性の恋人ならば、抗う力があるはずだ。少なくとも、霊界の上層部はそう見ている。お前なら、闘える!」


 メガネの奥の父の瞳が、確信に満ちた光を放った。

 死んだ父に再会できた上に、その父から信頼されていることを確信する。


(そうだよな。蓬莱さんは、父さんとっては『息子の恋人』なんだよな)

 目を深く閉じ、決意を固めていく。

 自分が闘わなければ、蓬莱さんが無事では済まないのだ。


「父さん。『幽体離脱』をやってみる。蝶が羽化するイメージだね」

「そうだ。父さんと手を繋ごう」

 二人は向き合った姿勢のまま、湯の中でそれぞれの手を握る。

「いいか。さなぎを破り、頭から抜けて行く姿をイメージするんだ。羽化した蝶が飛び立つ姿を思い出せ」


 和樹は、指示通りの光景を思い浮かべる。

 小学生の時に、さなぎが羽化して蝶になる映像を見た。さなぎの背が割れ、白い蝶が這い出して来て羽を広げ、青空に向けて飛び立って行く姿……


(思い出すんだ……あの蝶のように、体から抜け出せ!)


 そう念じていると、ビーンと金属音が響くのを感じた。

 体の内側が、ギターの弦が震えるように振動している。

 閉じた瞼の内側が、金色に輝き出す。

 額に何かが集まり、熱を感じる。

 握り合っていた父の手が、スーッと後退していく。

 

 上半身が、真下に引っ張られた。

 後ろから頭をつかまれて、引き倒されたような感覚である。

 


「父さん!?」

 

 和樹は呼ぶ。

 冷たい。

 湯に浸かっていたはずなのに、冷水を満たしたプールに、逆さまに落とされたようだ。

 目を開けると、泡立つ水の中に居た。

 大きな気泡が下から湧き上がり、やがてそれは消えていき、静寂に包まれる。

 後ろに引き倒されたのだから、ひょっして自分は逆さまの状態なのだろうか。

 まるで、深海を覗き込んでいるようだった。

 見降ろす先には、ただ深い青が広がっている。

 岩もなく、魚もおらず、何も無い世界……


 和樹は手を伸ばした。

 そして、初めて自分が全裸でないことに気付いた。

 和服のような物を着ているらしい。

 襟の合わせは……右前だ。

 左前は、死者の着付け方法だから、自分は生きている。

 

 その事実に安堵し、自分の状態を確認する。

 やはり、逆さまで宙づり状態のようだ。

 腰から下は、見えなかった。下半身は、まだ自分の肉体に収まっているのかも知れない。


 着衣は、白い小袖の着物に、赤紫の袴を履いているようだ。

 裾の長い羽織を、二枚重ねて着ている。

 円形の紋様が織り込まれた白銀色の羽織の下に、黄色の羽織を着ている。

 腰には、刀らしい物を下げている。

 頭に、細長い黒い帽子を被っている。時代劇で見たことがある帽子だ。

 そして、髪が長い。後ろで束ねているようだが、水中で揺れているのが分かる。


(これが戦闘用の衣装ってわけだ!)

 和樹は、刀に手を当てた。

 初めて触れるものなのに、どこか懐かしく、不思議と心が落ち着く。


 頭の中に、『文字』が浮かんだ。

 自分は、そう呼ばれていた。

 彼女は、そう呼んだ。


「僕は……『神名月かみなづきの中将』だ」


 和樹は思い出す。

 すべきことは一つだ。

 恐怖は消えた。

 残る雑念を振り払い、水を蹴って飛び出す。

 この水底に、敵が居る。

 静かに、しかし高速で泳ぐ魚のように、『魔窟』を目指した。

 

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