第3話

「うあああああああああああああっっ!」

 和樹は絶叫して立ち上がった。クラス中の視線が集中し、狩谷先生が怒鳴った。

「何だ!?神無代か、何事だ???」

「すいません、うたた寝して怖い夢を見ましたっ!」


 和樹の言葉が終わらぬうちに、爆笑の渦が湧く。

 野田先生はチラッと蓬莱さんを見た後に、腕組みして言った。

「神無代くん。受験勉強は大変だろうけど、寝不足は身体に悪いから注意してね」

「はい、気を付けます!」


 やんわりと注意され、和樹は顔を真っ赤にして着席した。

 理由はともかく、大失態である。しかし、後悔と反省にひたる状況ではない。

 転校生の肩に、得体の知れない手首が引っ付いているのだ。


「みなさん、これから先生は、蓬莱さんのご家族と相談があるので、席を外します。後は、狩谷先生の指示に従ってください」

 そして、野田先生と蓬莱さんは教室から出て行った。蓬莱さんの肩にしがみいて いる青白い手首も、一緒である。

 季節外れのハロウィングッズをぶら下げているなら良かったのだが、そうではないらしい。


 とにかく、一大事である。彼女が『運命の恋人』か否かはさておき、あの状態を見過ごしていいわけがない。だが、微妙な霊感しかない自分が、あれと闘うのだろうか。

 マンガのそれっぽいシーンを思い返してみたが、どう考えても無謀だ。

 


「進路相談かな」

「たぶんね」

「残念だね。三学期にならないと、お話できないのかな」

 久住さんたちの話し声が聞こえる。彼女たちには、あの手首は視えていないのだろう。


 「おーい。私語は後にしてくれ。まず、出席を取るからな。終わったら、体育館に移動するぞ。校長先生の話がある」

 狩谷先生は、テキパキと指示を出す。一見、体育会系だが、音楽教師だ。

 和樹も、今はどうにもならないと嘆息する。今夜も、風呂場に父は現れるだろう。父の指示を待つしか方法はない。

 それまで、蓬莱さんに災いが及ばないことを願うしかない。



 体育館での校長先生の長話が終わり、教室で通知表が配られ、生徒たちは帰途につく。

 難関高校を目指す生徒は塾の冬期講習に通い、最後の追い込みが始まる。久住さんも、冬期講習に通うと言う。合格は確実らしいが、生活のリズムを維持するためだそうだ。


「ナシロくんも、桜南に来ればいいのに。じゃね」

 久住さんは今日もお誘いをかけつつ、玄関ドアを閉めた。

 和樹も我が家に入り……驚く。

 風呂場から、母の歌声が聴こえてきたからだ。

 和樹はダッフルコートのままで、脱衣所に飛び込む。


「母さん、何やってんの!?」

「あら、お帰り。見ての通り、お風呂掃除よ。ケーキ買って来てるから、お隣にあげて。千佳ちゃんと食べてね」

「いや、今日は仕事でしょ?帰りは夕方じゃ…」

「やっぱり、テレビはダメね」

 沙々子は、掃除モップを浴槽の縁に立てて嘆く。

「冷やかしの客ばっかり並んじゃって。下痢ってるから帰るって、社長に言って早退した」


 沙々子は、街の中心部にある『導きの館』に勤める雇われの占い師だ。クリスマスを控えた今は、かき入れ時である。しかし昨日のテレビ出演がたたり、ひとめで冷やかしと分かる客ばかりが、行列を作る結果となった。


「それより、和樹。入浴剤変えた?昨日のお湯から、花の匂いがしたんだけど」

 沙々子は、的確に突っ込んで来る。

「あんた、子供の頃にアトピーだったんだから、無添加無香料のにしなさいよ」

「分かってる。一戸いちのへから貰ったのを試したんだ。大丈夫、蕁麻疹は出てない」

「なら、いいけど」

「うん、大丈夫だよ」


 そう答えたが、別の意味で『大丈夫』ではない。霊感の強い母のことだ。いつまで、ごまかせるだろうか。

(いつまで…か)

 和樹は脱衣所を出て、自室に向かう。

 ごまかすも何も、まだ『悪霊』一体を視だけだ。闘う準備も心構えも、何もできていないのだ。そもそも、敵は何体いるのだろうか?


 ここで、玄関チャイムが鳴った。

 和樹は引き返し、インターホンに出る。

「はい。どちら様ですか?」

「ナシロくん、あたしだよ」

「ああ、久住さん。ちょうど良かった。母さんが、ケーキを買って来てくれたんだ。ちょっと待ってて」

「うん。じゃあ、あたしの家に来て。実はね、蓬莱さんが来たんだよ」

「……は?」

「家の窓からね、蓬莱さんが歩いてるのが見えたの。だから、大急ぎで降りてって声をかけたの」


 和樹は唖然とする。蓬莱さんは野田先生と教室を出たきり、戻っては来なかった。最後の挨拶も狩谷先生が締めた。

 進路指導が長引いたので、戻って来なかったと思ってはいた。それが突然、隣の久住さんの家に居るとは、驚愕の急展開である。

 和樹は「すぐに行くから」と答え、ダッフルコートを脱いで、スクールバッグをベッド下に放り出し、冷蔵庫からケーキの箱を取り出して、隣に向かう。



 久住さんの両親は共働きで、今日も不在だった。

 久住家は603号室、神無代家は604号室だ。踊り場を挟んで、玄関ドアが向き合って付いている。


「いらっしゃい。ナシロくん」

 久住さんは、制服のブラウスの上に、ひまわり柄のエプロンを付けている。

「ケーキありがとう。お母さまにお礼を言っておいてね。リビングに、蓬莱さんがいるから」

「うん。お邪魔します」


 そして和樹がリビングに入ると……ソファーに蓬莱さんが座っていた。ソファーには、花柄のカバーがかかっている。久住家は三毛猫を飼っているので、来客用にカバーを用意しているのだ。

「こんにちは。お邪魔しています。蓬莱です」

 蓬莱さんは立ち上がり、丁重に頭を下げた。

「いえ、こちらこそ。学校では、ビックリさせてスミマセン。神無代和樹です」


 和樹は肩をすくめてあいさつし、向かいに座った。蓬莱さんも、スカートを押さえて座る。

 こうして間近で蓬莱さんを見ると、その可愛らしさが分かる。ちょっとした仕草にも上品さが感じられ、育ちの良さが垣間見えた。


「お名前……『かみなしろ』さんじゃ、ないんですね」

 蓬莱さんが聞く。クラス替えの度に、よく質問されることだ。和樹は、いつも通りの説明をする。

「変わった名字でしょ?よく言われます。『かみむしろ』です。『ナシロ』と呼んでください。昔から、そう呼ばれてるんで」

「はい。では……ナシロさん、と」

「お家は近いんですか?」

「道路を挟んだ斜め向かいのマンションの五階です。下校途中に、久住さんから声をかけられて」

「そうですか。教室では、すぐに先生と出て行ったから、みんな残念そうで」


「はい。紅茶いれたよ。三学期は、三人で登校できるね」

 タイミングよく、久住さんがトレーを持ってくる。ミルクティーがふたつとストレートティーがひとつ。続いて、ケーキ皿・フォーク・ナイフとトングも揃う。

「ケーキ、4つあるから、ひとつはシェアしようか。蓬莱さんは、どれが好き?」

「じゃあ……モンブランをいただいてもいい?」

「うん。あたしはレアチーズで、ナシロくんはチョコね。ショートケーキをシェアしようね」

 久住さんは、慣れた手つきでショートケーキを切り分ける。


「ナシロさんは、紅茶はストレートがお好きなんですか?」

「実は、牛乳とチーズとバターが苦手で」

「……北海道の人って、乳製品が大好きだと思ってました」

 蓬莱さんは、不思議そうに言う。久住さんはクスリと笑い、取り分けたケーキをそれそれの前に置いた。

 和樹はケーキの空き箱を潰し、説明する

「それがツライとこなんだよね。テレビとかのイメージで、北海道人は牛乳大好ききって思われてて……バニラアイスとか生クリームとかプリンは好きなんだけど、ミルク味とかチーズの味がダメで。クリームシチューとかもダメ」

「ピザも食べれないから、人生の半分は損してるよね~」


 久住さんは、蓬莱さんに笑いかける。蓬莱さんと並んで座っているのを見ると、子供の頃からの友人のように見える。いや、蓬莱さんの方が長身だから、年の近い姉妹と言った感じだろうか。


「猫ちゃんを飼っていらっしゃるんですよね」

 蓬莱さんは、紅茶をすすって聞いた。

「私も動物が好きだから……猫ちゃんの毛が付いても平気なのに」

「でも『ミゾレ』、部屋から出て来ないんだよね。変なの」

 久住さんは、自分の部屋を振り返る。

『ミゾレ』は飼い猫の名前だが、ここで和樹は思い出してしまった。

 穏やかな雰囲気で忘れていたが、蓬莱さんには『悪霊』が憑いていたのだ。


 すると、和樹の動揺を察したように、あの『手』が現れた。

 教室で視たのと同じ青白い筋ばった手が、蓬莱さんの右肩を背後から掴む。

 しかし、そればかりではない。

 その手の後ろに、真っ黒い『目』が視えた。

 蓬莱さんの髪の毛から浮き上がるように、白目のない『目』は浮き上がり、和樹を直視した。

 それは、確かに生きているものの『目』ではなかった……。



「ごめん。そろそろ帰る。母さんに買い物を頼まれてたんだ」

「えーっ」

 立ち上がった和樹に、久住さんは呆れ顔でたずねる。

「急にどうしたの?まだ、ケーキ残ってるよ」

「すぐ食べる」

 和樹は半分以上残っている生チョコケーキをふた口で食べきり、紅茶も飲み干した。ケーキの空き箱を手にして、急いで久住家を後にする。

 二人はビックリしただろうが、後でちゃんと謝ればいい。



 自宅に戻った和樹は。脇目も振らずに脱衣所に入った。母が、リビングでアイドルグループのDVDを視聴しているのを、確認した。大声を出さない限り、こちらを気にはしないだろう。風呂場のドアを開け、カラの浴槽を眺める。

 底に、わずかに水が溜まっている。

 

 和樹は洗い場に立ち、浴槽に向けて声を発した。

「父さん…聞こえてる?」

 浴槽に手を掛け、前屈みになって呼び掛けた。

「久住さんの家で、『悪霊』と目が合っちゃったよ……すごく怖かった……鳥肌が立った……今が夏で、半袖を着てたら、久住さんたちも鳥肌に気付いたかな……」


 返答はないが、呼びかけが父に届いていると信じ、和樹は続ける。

「猫も怖がって出て来なかった……強い『悪霊』なんだよね、きっと……」


 和樹は、浴槽の底を睨む。

「蓬莱さんが『運命の恋人』なのか、僕には分からない。でも、蓬莱さんの危険を見過ごせない!久住さんを悲しませたくない!父さん、闘う方法を教えて!今夜、僕はあの『悪霊』と闘う!」


 和樹は、声を抑えて叫ぶ。

 声はひそやかに反響し、底のわずかな水たまりが揺れた。

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