第2話 尊い日常
優しい春風が吹く桜の季節。
様々な声や感情が交差する朝の雑踏。
黒髪、黒目、人目を引く特徴は特にないような少女だ。
いや、風に揺れるポニーテールだけは彼女を象徴するものだろう。
黒を基調とした制服を着こなしているあたり、女子力は高い。
「おはようございます。今日は一段と早いわね」
と、親友の声が聞こえた。
「おはよっ! 今朝はなんでか早く起きれたの! 今日はなにかいいことがあるのかも」
「そう。千花が元気だと私も嬉しい」
千花の楽しげな声を微笑ましく見守るのが、
茶髪に黒目、ストレートという、十人中十人は美しいと答えるだろう外見をしている。
千花とは違い、制服を着こなしていると言うよりは制服の方が綺麗に着させられていると表現した方がいい。
一見なんの接点もなさそうな二人だが十二年前から知り合い十七歳になる今でも、学校に登校する間柄だ。
「学校終わったら、カラオケ行こうよ!」
と、千花が誘うと呆れの中に期待が織り交ざった眼差しをしていた時雨が言葉を紡ぐ。
「ええ、いいわよ。放課後の予定は特になかったはずだし」
「も〜。素直に行きたいっていえばいいのに〜」
「あら、私は素直に答えたつもりよ」
「え〜〜? そんなことないよ。世間ではそういうのを[ツンデレ]って言うんだよ?」
「その[ツンデレ]と言う言葉は知らないのだけれど、少し悪寒が走ったわ。即刻その言葉を取り消しなさい」
「やだよーだ。可愛い時雨なのに取り消すなんてもったいないじゃん!」
「いえ、取り消すまで家までついて行くわよ」
「え…………どこの幽霊さん……?」
と、朝の通学路での会話はいつものように弾み、放課後の予定を心待ちにする女子高生の姿がそこにはあった。
朝の喧騒が消えた通学路に不気味で近寄り難い〈なにか〉があったがそれを見たものは1人もいなかった。
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学校が終わり
は通学路から少し離れた道に逸れ、カラオケ店に向かっていた。
「ん〜〜。今日はどんな曲歌おうかな?」
と、千花が悩んでいると
「いつも歌っている曲ではダメなの?」
時雨がなにか問題があるのかしらん?と言いたげな表情で聞いた。
「う〜〜〜〜。その表情は可愛いけど、いつも歌っている曲じゃあダメなんだよ〜〜〜」
何やら違う道に入っていきそうな千花の悩む答え。
「なら、オススメでいいんじゃない?」
「はっ! そういう手があったか…………。時雨ナイス! これで今日の曲は決まったも同然だね!」
「心変わりが早いわね」
少し呆れたような眼差しに千花は目をそらす。
「そんなこと言ったって……ッ!?」
千花が急に道の周りを確認し始めた。
尋常ならざる表情で何かを探している。
「…………どうかしたの?」
時雨はなぜ千花が周りを警戒している理由が分かっている。
以前にも数度千花が警戒をしているのを見ているからだ。
千花は人の感情に敏感で、よく他人が何を思っているのかが分かるのだ。
しかし、今日の焦り方は通常の数倍にも勝る。
「………………誰かいるの?」
時雨が極力声を抑えて千花に尋ねる。
「……………………分からない……。こんな感情初めてだよ…………。怒ってるような、泣いてるような、それでいて諦めてるような、そんな感じ……」
「……………………………ッ!」
時雨はこの時ことの異常性に気がついた。
まず千花が分からない、ということなどこの十二年間一度もなかったのだ。
泣いている子どもの感情ですら、千花は分かったのだ。
「行くわよ!」
その事に気がついた時雨は、恐怖のあまり硬直していた千花の手を握り脱兎のごとく逃げ出した。
時雨本人も感情が分からない〈なにか〉に怯え、今すぐにでもここを離れたいと思った故の行動だったのだろう。
しばらく走り、千花の正気が戻った頃
「時雨!!!! 止まって!!!!!! その先にもなにかいる!」
と、千花が警戒を発した。
「ッッッッッ!」
しかし、時雨が止まろうとした頃にはもう遅かった。
それは一言で表すなら〈異形〉。
言葉では形容し難いなにかだった。
「…………し……ぐれ………………」
千花の恐怖は察してあまりあるほどだった。
時雨ですら尋常ではない恐怖を感じているのだ。
感情が理解できる千花には到底耐えられないだろう。
しかし、千花は時雨を一人にしないために必死に耐えているのだ。
その事実が時雨を恐怖から目覚めるきっかけになった。
「フッッッ」
時雨は足元にあった空き缶を放り投げ、〈異形〉の意識を一瞬だけ逸らした。
たかが一瞬されど一瞬。
時雨は千花を連れて窮地を脱した。
そう思っていた。
目の前に先の〈異形〉を数十体、目にするまでは。
そこで時雨の小さな反抗精神は打ち砕かれた。
だが最後の抵抗とばかりに〈異形〉を睨み自分たちの最後を受け入れようとした。
「よもや、この状況で反抗の意志を目に宿す娘がいるとはのう」
この殺伐とした雰囲気には合わない、気の抜けた声が聞こえた。
その声の主はさらに声を発した。
「案ずるな。この程度の
間の抜けた男の声。
しかし、その声は不思議と安心感を与えてくれる声であった。
姿の見えない誰がのたった二言に安心感を抱いた千花と時雨は意識を手放した。
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