雪の情け

 水弾は秒間で約三回、オレのレジストを叩いている。

 181回。

 つまり、およそ一分間の衝突でレジストが破壊されるということだ。


 たかだか低位魔術の連打がレジストの耐久を上回るのは不可解だが、現実に貫かれているのだから対処する他ない。


 辺りに充満する白煙が、極寒を撒き散らしながら空へとその勢力を広げていく。


「その様子じゃと、はっきり理解してはおるまい。魔術師として解明できん謎があると死ぬに死にきれんじゃろうて」


「あんたと決着をつけたあと、ゆっくり検証してやるさ」


「負ける気などないと? ホッホ、まぁそう言うな。わしからすれば“弟子の弟子”じゃからな、情けくらいかけてやるわい」


 ゲペルトの余裕が神経を逆撫でしてくるが、奴は勝手に解説をはじめる。


「展開している間、レジストは間断なく魔術や物理を遮断するわけではない。加えられた衝撃を吸収する際、共に消失する・・・・・・。衝撃の大小に関係なく、一度打ち消し合っておる。防壁は瞬時に再生されるんでな、そうと気づかんでも仕方ないわい」


「……要は、あんたの水弾乱舞がわずかにレジストの再生速度を上回っているということか。そして181発目をもって完全に隙間を抜くと」


 強がりではなく、その程度の答えにはすぐにたどり着けた自信はある。

 だが高位以上の魔術しか扱えないオレは、たしかにその万能感に酔っていたのかもしれない。


 すぐにたどり着けたはずの欠陥を放置していた。

 盲目的に信頼し、検証もせずに。


「ほれ。そろそろじゃないかの? 181発」


 乾いた音を立てレジストが消失し、瞬時に水弾が飛来する。

 読めていても、不規則な角度で侵入してくる水弾を完璧にかわすことは難しく。


 先ほど負傷した反対側の足を射貫かれた。


「ぐう……ッ!」


「もはや立っているのもやっとのようじゃな。たとえ低位だろうと、魔術は使いようじゃエイザーク。冥土へ向かう前に勉強できてよかったのう」


 極論、足など無くてもかまわん。

 しかし今ゲペルトの前で膝をつくのは癪なので、意地だけで立ち続ける。


「舐めていたことは認めよう……! だがそれもここで終わりだ。オレは、あんたを殺す」


 舐めた結果がこのみっともない苦戦だ。

 なんの言い訳もなく、師に顔向けもできん。


「相変わらず、最後まで生意気な男よ。――ん? ……これはまた季節外れな。余裕があるなら空を見てみい」


 オレの存在など意に介さぬような素振りで、片手を広げるゲペルト。

 細かな結晶が、一面にぱらぱらと落ちてきていた。


 あれだけの冷気が舞い上がれば、雪を降らせても不思議はない。


 ゲペルトの口から白い吐息がもれる。


「……わしは、お主が心底嫌いじゃった。弟子の、リュリュの頼みじゃからこそ面倒を見ようかと思ったが、お主はそれも拒みおったの」


「はあ、はあ、人に教えを乞うのは性に合わないんでな。師だけは別だったが」


「なぜお主のような男を弟子とし、入れ込んだのか。未だに理解できんよ」


「そうか。……孫弟子に嫉妬するとはあんたも大概だな、ゲペルトッ!」


 魔術を放つための手をゲペルトに向けるも、奴は無言でシエラの顎を掴み上げる。

“人質を忘れるな”と瞳が物語っていた。


 脅しか?

【至宝】だかなんだか知らないが――


 きさま、誰の弟子に手を出そうとしている。


「――――ッ」


 片手でレジストを振り解いて、降り注ぐ水弾の中、手を伸ばす。


「なに!?」


 記憶は少しも色褪せていない。


 はじめて魔術に触れた日。

 師の口から綴られる、詠唱の文言に憧れた。


 来る日も来る日も師を真似て。

 詠唱魔術は、譲れないオレの矜持となった。


 人の気も知らず眠るシエラを一瞥し、腹立たしく舌を鳴らす。

 本当に手のかかる。


「――“風弾シリク”ッ!」


「な――無詠唱じゃとっ!?」


 詠唱する隙が無いのなら仕方ない。

 低位魔術を使った反動も、この際甘んじて受け入れてやる。


「おおおおおおッ!!」


 二の腕が大きく裂け、勢いよく血が噴出した。

 頭や臓器が損傷しなかったのは幸運だ。


 レジストの余波で凍りついた水塊が、空の彼方へ吹き飛んでいく。


「エイザーク……お主、それほどまでに、この娘を――」


「はあッ! はあッ! 魔術を教授してくれた礼だ、オレも一つ、面白いものを見せてやる」


 落ちてくる氷の結晶と、上昇する氷塊。

 二つの摩擦は、暗い夜空に黄金の稲光を幾本も走らせる。


 この世の終わりを思わせる異様な空を、ゲペルトが緩慢に見上げた。


「発生した雷は、さて、どこに落ちると思う」


 意識はなくとも、シエラの手には短くなったユニコーンの角がしっかりと握られている。

 大容量の雷の魔術を帯びた角だ。


 暗黒の雲がとぐろを巻き、空へ引っ張られるようにざわざわとゲペルトの白髪が逆立っていく。


「……ホ……なるほど……なるほど。エイザークよ……お主は、わしと、同じ――」


 激しく強烈な光が続きを遮った。

 直後に耳を打つ凄まじい轟音。


 ゲペルトが真後ろにどさりと倒れ、支えを失って崩れるシエラの元へ向かう。


 シエラはユニコーンの角を未だ離さず持っていて、もはや破片のごとく小さくなったそれが手や周辺にできた火傷を癒していた。


 ゲペルトは……顎先と頭頂部に焦げた穴が空き、即死だろうことがすぐにわかった。


 正確には落雷――ではなく、シエラが持つ角と雷雲が繋がったのだ。

 対角線上にあったゲペルトが避ける術はない。


 勝利の高揚などなにも得られないままに、オレはその場に座り込んだ。



◇◇◇



「…………ん……んん……あれ……師匠……? ……あれ、アタシは……――てか、寒っ」


「ふむ……ようやく起きたか。起きたのならさっさと立て」


 呆然と辺りを見渡すシエラの腕を引き、強引に立たせる。


「イタタ! ちょ、ちょっと待ってください! なんで雪!? ねえなんで雪降ってんですこれ!? その前に、アタシどうなって……」


「あまり時間がないんだよ。街を出るぞシエラ」


「なんでっ!?」


「説明はあとでしてやる! それよりちょっと肩をかせ」


 残ったユニコーンの角ではとてもまかないきれない怪我だったので、とりあえず手近なもので応急処置はした。

 しかし正直歩くのがつらい。


「マジで意味がわかんない……師匠、なんでそんな怪我してんです?」


 応じる気力も出なかった。

 ただシエラにもたれかかるようにして、すっかり積もった雪道をざくざく踏みしめる。


 少しだけ振り返るが、雪はオレとシエラの足跡しか残していない。


「……同じな、ものか」


「え? なんか言いました?」


 高位魔術へと至れなかった無念も。

 対魔断罪人が魔術師に敗れるという恥も。

 内に秘めていた、愛憎も。醜さも。


 すべて包み隠すように、雪は静かに魔術師ゲペルトの亡骸へ降り積もっていった。

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