穿つ水滴
「……精霊の力を借り、人の手で自然現象を引き起こすのが低位魔術。“恵みを、刃に、我が敵に穿孔を――
ゲペルトが詠唱した水魔術は、当然ながらレジストによって瞬時に凍結し、オレの目前で粉々に霧散する。
「なんの真似だ? そんな魔術でレジストを割れないことくらいわかっているはずだ」
「ホッホ。――中位魔術。さらに大きな現象を発生させるもので、人にとってはもはや局所的な天災と変わりない。“ウォーナ・ウォーラ・溢れる天秤、滴るは血肉の代償、邪なる者を浄化せしめんと、我は水塊を放つ――
先日シエラが放ったものより勢いが強力な、闇夜を裂く水の中位魔術。
たしかに“ただの人”からすると天災にも匹敵する威力の水柱だろうが、結果は覆らない。
瞬く間に氷柱へと様変わりした魔術が、バキンと砕けて冷気の霧を舞わせた。
「
レジストを突破できない威力なのはともかく、なぜ水魔術なのだ。
完全な下位互換では無いにせよ、オレが纏わせた“氷”に対して“水”は相性が悪い。
ゲペルトがそれを知らないはずがない。
「そして高位魔術は、天変地異。これは神の領域」
「さっきから何が言いたい。講義でもしてるつもりか」
ほんのひとときだけ、ゲペルトのまぶたが閉じられた。
「懐かしいのう……弟子とはよく、魔術談義をしたものじゃ」
弟子と聞いてシエラの顔なんぞ浮かんでしまったが、ゲペルトの指すところは当然、別の人物だ。
「最優、最良の弟子じゃった。おお、さっきお主が殺した男のことじゃないぞ。あんなもん弟子でもなんでもない、チンピラ風情じゃ」
「…………結構な物言いだな」
「覚えておるか、リュリュを。わしなどすぐに追い越して、旅に出て。……それからお主の師になったんじゃったのう、エイザーク」
オレが師の名前を忘れるわけがない。
だが――
「思い出にふけるとは、ゲペルト。やはり老いたな」
「ホ……では老いぼれらしく、属性や相性などという型に縛られたお主に、ひとつ魔術を教授してやろう」
足を踏み込み、ゲペルトが手をかざすと街道脇の海がさざめき始めた。
また水魔術だと?
一応は警戒しつつ、小柄な爺さんの手に集まる水塊を注視する。
会話の流れで高位魔術を予想していたが、水塊の規模から察するに中位魔術か?
「【至宝】なぞと持て囃されても、わしはついぞ高位魔術を会得することは叶わんかった。……リュリュの足元にも及ばぬ」
「……高位魔術もなしに、いったい何をオレに教える気でいるんだ?」
「わしの全てじゃ、エイザーク。“恵みを、刃に、我が敵に穿孔を――」
詠唱は、低位……!?
短い詠唱を終えたゲペルトは、水塊を持ち上げるように、手を頭上に。
「人を殺すのに高位魔術は必要ない。“
水塊が高速で回転する。
遠心力によって切り離された無数の水弾がオレに降り注ぐ。
シエラと勝負したマリーとかいう女のように、威力を削り魔術を二つに分けるといった器用な魔術師もいるが――
これは違う。
中位魔術相当の水塊を保つため、ゲペルトは絶えず魔力を送り続けている。
力技だ、魔力量を考えても長くはもたない。
「水弾の連射は凄まじいな。しかしレジストを前に意味があるとは思えん」
現に嵐の如き激しい水弾も、ことごとくレジストに弾き返され、つらら状に凍りついたそばから割れていく。
冷たく白いもやが辺りに立ち込めて、街道の気温は急速に下がっていった。
「寒い寒い、老体には堪えるわい」
肩でもすくめて見せそうな、緩い口調だった。
何をそんなに余裕ぶっている。
師の恩人だからといって、オレが加減するとでも思っているのか。
「いつまでこんな茶番を――」
氷の膜を地鳴りのように殴打していた水弾の内、ひとつだけ。
一発の水滴のみが、レジストを突き破りそのままオレの脇腹へと撃ち込まれた。
「がふッ!? ――っ……」
痛みよりも驚きが勝り、すぐに“レジストの消失”が脳裏をよぎる。
いや、目視でも感覚でも問題はない。
“
今この瞬間もゲペルトの水弾を無効化し続けている。
「ホホ、言うたじゃろ?」
ゲペルトが何かをした。
それがわかっていても、具体的にどうレジストを突破したのか糸口が掴めなかった。
幸い、脇腹の傷は致命傷には至っていない。
ならば反撃を。
「もう容赦はせん、消し飛ばす!“身籠れ大海の賜り、ウォーフォーラ・シークウォーヴァー・ウォーフォー――」
「“
片手で水塊を支えつつ、ゲペルトが左手を大きく伸ばす。
気づかなかったが、いつの間にかその左腕は全体が黒い魔具にすっぽりと覆われていた。
ゲペルトが手を向けたのは海岸の方だ。
「“引き寄せよ”」
街道の雑木林がバキバキと折れ曲がり、湾曲した木々が“道”を作り出す。
落下するような速度で海岸から飛んできた物体を、ゲペルトは魔具の腕で難なく抱き止める。
「ん……ぅ」
ゲペルトの腕の中でぐったり気を失っているのはシエラだった。
「ほれ。撃ってみい」
「……重力。土の術式の魔具か。流行っているのかそれは」
ハイマン――奴は自身の手甲を、九楼門から受け取ったと言っていたはずだ。
ゲペルトが似たような魔具を扱っているのは偶然か?
いや、こんな短期間で立て続けに同じ術式の魔具使いと遭遇するなど、あまりにも不自然だ。
「“
ゲペルトはシエラを盾のように抱きかかえている。
あれだけ密着していては、爺さん一人を狙い撃つことは難しい。
「九楼門に下ったのか? 答えろじじい……!」
「わしはともかく、お主が悠長に口を開く暇などありゃせんぞ。エイザーク」
刹那。
再びレジストを突き破った水弾が、オレの太股の肉を削り取る。
「!? ――ぎ……ッ」
折れそうになる片膝を震わせ、必死に地へと足裏をすり合わせた。
脇腹からの出血も合わさり、足もとにゆっくりと血溜まりが形成されていく。
しかし、レジストはやはり機能している。
今も多くの水弾を受け止めている。
「痛そうじゃのう。教えを乞うならば答えてやらんこともないぞ? 次にレジストが破れるのは――」
「ひゃく……はち、じゅ……」
「……あん?」
数ならずっと、数えていた。
「次、レジストが無効化されるのは、水弾を181発浴びた後だと言ったのだっ……くそじじい……ッ」
目を見開いてゲペルトは、浮かべた笑みを隠すように白髭を撫でつけた。
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