至宝の魔術師
完全に気を失ったシエラの腹を、ユニコーンの角で裂いた。
体内に手を入れ、つまみ出した虫のような物体が指の間でうねうね身をよじらせている。
「……クハハ。それはな、体内に寄生して宿主の魔力を食らい尽くす魔吸虫だ。それに寄生された人間が目覚めることはない。いま貴様がやったように、開腹して取り出さぬ限りはな」
なるほど。
甘味屋の娘が受けた魔障もこれなのだろう。
よほど腕のある医者と、本人の体力、さらに運もなければ生存は見込めまい。
「それにしても……弟子を自ら殺しておいて、冷徹な男だ。あの雷撃、そこらの魔術師にしてはなかなか強烈だったぞ」
男の声が背後に近づいてきていた。
虫をぷちんと指の腹で潰すと、詠唱を開始する。
「――“冥府より来たれり、黒の断罪」
「馬鹿め。悠長に詠唱を待ってやると思うか」
「“数多の光、喰らい尽くせ、暴食こそ汝が使命」
文言を呟きながら振り向いた瞬間、男が銀閃を振るう。
「“無数の命の果て、緑花を咲かせ、大いなる進化――かは……っ!」
喉を斬り裂かれ、魔術の文言が意味を成さないただの吐息と化して漏れ出ていく。
「死ね。一介の魔術師ごときが、対魔断罪人と事を構える愚かさを知るがいい」
勝利を確信して背を向ける男。
オレは血が吹き出る喉もとにユニコーンの角をあてがい、傷口に沿うよう再び深く斬りつける。
幾重にもぼやけて見えていた男の背中が、やがて視界に再びはっきりと像を結んだ。
「……――“その頂きへ立て」
「っ、なに!?」
「“汝の名は、ボーイド・ロブス・マルムルース、緑花の地へ、我を導く者なり――」
振り向いた男へ向けた手の先に、五重からなる術式が出現する。
「なぜだ!? 傷を癒す魔術など――……まさか、その角……ッ」
砂浜に寝そべるシエラへ男が目を落とす。
シエラの裂けた腹は、角の効果でとっくに癒着していた。
シエラに刺された、オレの腹の傷もしかりだ。
「……なあ? 一介の対魔断罪人ごときが、伝説に喧嘩を売るには早すぎたな」
「で、伝説……それでは、貴様も、九楼――」
「“
枯れ枝が折れるようなパキパキとした音が、大地の奥底から響いてくる。
男の足もとが流砂のごとく渦を巻き、砂浜に深い亀裂が走る。
大量の砂を巻き上げながら、山さながらの巨大な岩壁が地表に出現した。
正確には岩壁ではなく、頭。
それは――竜の巨顔だった。
「――ひ……」
岩竜の大顎は、男を一息にバクンと飲み込んだ。
苔むし、ひび割れた顔面をもごもごと動かして、ゆっくり咀嚼したのち。
岩竜の頭頂部に、巨躯に似合わない小さな花が一つ咲いた。
男を呑み込んだ岩竜は、頭に増やした三十三輪の花を揺らして、大地へ溶けるように消えていく。
あとにはもう何も残らない。
男の痕跡も、魔術の痕跡も、何も。
オレはひとり潮風に吹かれて、まだ目を覚ます様子のないシエラを見下ろした。
「落とし前はつけてやったぞ。……一応な」
治癒の力を使ったせいか、ずいぶんと短くなったユニコーンの角をシエラの胸もとへ置く。
こいつは放っておいてもいずれ起きるだろう。
オレには、もう一つやらなければならないことがある。
海岸を離れ、舗装された道へ出る。
すでに日は沈み、辺りに人の気配はない。
しばらく散歩でもするように、ゆっくり歩みを進めていたところ、突如として夜道を照らす太陽のごとき火球が前方に浮かんだ。
中位魔術による奇襲。
だがすでに“
「……ふぅむ。さすがに抜け目がない」
辺りに白煙が立ち込める中、しわがれた声が響いた。
「姿をみせろ。一般人に対していきなり魔術を行使するとは……“対魔断罪人”の名が泣くぞ」
「ホッホ」と聞き覚えのある笑い声を発して、小柄な爺が立ち塞がる。
全身を覆う真っ黒なローブの胸もとには、太陽を模したアラキナ王国のシンボルが刺繍されている。
「いかにも。ワシが正真正銘――“アラキナ王国”の対魔断罪人じゃ、エイザーク」
予見はしていた。
あの程度の男が対魔断罪人を務めるには荷が重すぎる。
せいぜいが見習いという実力だった。
そもそも魔術師の数も質も他国に見劣りするアラキナで、オレが一目置く魔術師など一人しかいない。
「忠告はしたはずだな。……ゲペルト」
アラキナ王宮お抱えの【至宝】。
魔術師ゲペルトは、自慢の白い髭を伸ばすように撫でつけると、低く詠唱を開始した。
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