好きってことでしょ
ハーブティの注がれた小さなカップが、なんだか重く感じてしまう。
家でも、働いてる甘味屋でもなく、初めて入った店でハァと息を吐きます。
お茶の味なんてわからない。
でもアタシを知る誰かがいる場所には行きたくなかった。
それにしても……エイザーク。
このアタシが、せっかく良い思いをさせてやろうと誘惑したってのに。
「お客様、おかわりは?」
「いただきます」
空のカップに再度なみなみとハーブティを注いでもらい、いっきに飲み干します。
「――ぷはっ」
本当は欲望まみれのくせに。
アタシを抱きたくてたまらないくせに!
あのときだってギンギンにおっ立てて――いやこんな品のない言葉はダメですダメ。
「おかわり!」
「は、はい」
おかしい。
なんでこんなにイライラするのか。
エイザークと二人で暮らすようになってから、どうも自分が情緒不安定に思えてなりません。
ちがう。
昔のアタシはもっと合理的で、クレバーで。
どうしてこうなってしまったのか――
「ハァ……」
そろそろ時間だし……いきましょう。
椅子から立ち上がり、まっすぐ前を見て足を進めました。
アタシは誰のものでもない。
男なんかに搾取されない。
今日、すべて終わらせます。
そしてアタシは、ホントのアタシを取り戻す。
勢いよくローブをひるがえして。
「祝え! ニューシエラの誕生を!」
「は、はぁ、お誕生日おめでとうございます……? それとお会計よろしいですか?」
「…………」
ハーブティ三杯分の銅貨を支払って、目的の場所へ向かいました。
◇◇◇
対魔断罪人。
あの男は自分がそうなのだと明かしました。
アタシに近づいてきた理由は単純明快。
“エイザークを殺せ”と。
そうすればお前の罪は不問にする、とそう話を持ちかけられました。
そもそもアタシに罪があるのかは置いといて。
男が言った通り、これはチャンスでもあります。
エイザークの魔の手から自由になれるチャンス。
下腹に刻まれた紋様により、叶わない願いだとあきらめてましたが、男に紋様の効果を抑制する薬をもらいました。
それもさっき飲み下した。
アタシは誰にも縛られない。
そんな生き方に憧れていたはずです。
自由な魔術師の姿に。
そこでなぜか浮かんだエイザークの幻影を、頭をぶんぶん振って追い払います。
「――そこにいたか。おまえと違ってオレは忙しいのだが、いったいなんの用件で呼び出した?」
街外れにある、岩礁だらけの海岸にエイザークが姿をあらわしました。
日が傾き、さらに泳ぐのにも適さないこの辺りで他の人影はありません。
海に沈む夕日を浴びながら、砂をザクザク踏んでエイザークの元まで歩いていきます。
後ろ手に、ユニコーンの角を握りしめて。
「その、師匠に魔術のことで質問があって」
「ほう……ここで修練していたのか。おまえにしてはいい心がけだな」
なんの警戒もなく、アタシを懐まで受け入れるエイザーク。
「どの属性だ? 苦手分野を克服するか、得意を伸ばすか。おまえにはやはり後者の方が教えやすそうだが……そうだな、ひとつ高位魔術を披露してやろうか」
魔術の事となると饒舌に、エイザークは扱えもしない高位魔術を放つと言って水平線へ手を向けました。
「よく見ていろ、シエラ」
無邪気というか、なんというか。
こんな姿を見ていると、やっぱりやめようか――なんて思いを抱きそうになります。
でも、浅はかな慈愛は二秒で霧散しました。
エイザークの後方、岩影から黒いローブの男がアタシを監視してます。
この距離でもわかる、あの目。
見下した目。
男は言ってました。
“魔術師など、魔術を撃たせなければ子供でも殺せる”
“弱い”と。
アタシも含めた魔術師という存在そのものをバカにしていた。
当然、腹が立ちました。
それはもうぶち殺してやりたくなるほどに。
だけど男は対魔断罪人。
おそらくアタシでは手に負えない。
あの底冷えするような目に見据えられると……ほら、こうして体が固まって――
「……おまえ、まだ何かに縛られているな」
エイザークの顔は見上げずに、後ろ手の凶器を強く握りました。
「言ったはずだ。オレの弟子なら、何者にも屈するなと。顔を上げろ」
「師匠……なんでアタシの誘いを受けなかったんですか?」
「は……? おまえなんの話をしている?」
「アタシを大事にしてるからですか? ですよね? 弟子として堂々と並び立てとか、つまりそれって、アタシが好きってことでしょ?」
エイザークが深いため息を吐きました。
知らず、ユニコーンの角を持つアタシの手は震えていた。
「いちいち言質をとらなければ顔も見れないか? その確認になんの意味がある。どうやらシエラ……おまえを弟子にしたのは、間違いだったようだ」
その一言に、全身がザワザワと逆立って。
「死ね――エイザーク」
体当たりをかましながら片手で突き刺し、もう片方の手の平で押し込むように、エイザークの腹を深々とユニコーンの角で貫きます。
エイザークは身動きもせず、黙ってアタシの凶行を受け入れた。
角をつたう真っ赤な血が、アタシの手をジワジワと濡らしていきます。
「ぅごえッ!?」
下腹の紋様が激しく輝き、
ムリヤリ内臓に手を突っ込まれて、臓器をグチャグチャに握り潰される激痛と不快感。
「か……ッ……ごあえぇッ!」
胃液を撒き散らし、ガクガク痙攣する膝が今にも崩れる。
「っ……何をしているシエラ。たとえオレを相手にしようと意地を貫き通したいなら、立て。前を見据えろ」
涙で滲んだ視界は、前を向いても岩影の対魔断罪人をぼんやりと映すだけ。
アイツ……あの男……っ! なにが紋様の効果を抑制する薬だ。
ぜんぜん効かない。
「おまえの敵は誰だ? はっきりと認識できているのなら、魔術師として、やることはたったひとつだ……ッ」
「ハアっ、ハアっ、敵……アタシの……」
対魔断罪人。
……なにが対魔断罪人だ……ッ。
クソ食らえ。
エイザークはいつか、アタシが、自分の意思で殺しますが、それは今じゃない。
誰かに強制されての復讐じゃない。
アタシはアタシ。
【雷光】シエラ・ウィンスダム――
エイザークの腹を貫通している角の先端を、遥か後方にいる対魔断罪人の男へ向けました。
「――“
体中の魔力を、一瞬にして持っていかれるような感覚。
螺旋状の角を這うように雷が走り、極大の閃光が対魔断罪人を直撃します。
野太い、獣のような絶叫が轟きました。
格好つけた漆黒のローブは引き裂け、ボロボロに破壊された装具と一緒に対魔断罪人が崩れ落ちます。
エイザークにも確実に聞こえたはずですが、ヤツなんか最初から存在しなかったかのように振り向きもしません。
「……それでいい。見ろ、その角はおまえの雷撃を飛躍的に強化したぞ。【雷光】に箔がついたな」
アタシがあの男に脅迫されていたこと、もしかして最初から知っていたんでしょうか?
あと、初めて褒められた気がします。
「詠唱さえしていれば百点だった」
余計な一言がムカつく。
だけど……自分を殺そうとした相手を、どうしてこうも受け入れられるのか。
刺されても平気なんでしょうか。
みっともないやら。
気恥ずかしいやら。
どう言葉を返そうか迷って、エイザークを見上げようとしたとき。
ふいに全身の力が抜けました。
「おい、シエラ」
夕暮れの海辺から色が抜け落ち、指先から冷たく凍えはじめます。
声が出なくなり、思考が地中へ引きずり込まれていく錯覚にぼんやりと“死”を意識しました。
下腹の紋様はもう輝いていません。
じゃあ、これはいったい。
「ち。……手間をかけさせるっ」
自らに刺さっていたユニコーンの角を引き抜いたエイザークが、アタシのお腹にすぐさまそれを突き刺します。
激しく喀血したような気もしますが、苦しくはなかった。
エイザークに殺されることも、どこか納得している自分がいました。
けれど、すぐに何も考えられなくなって。
耳も聞こえなくなって。
世界が夜になって。
閉じていく視界が、最後に映したのは必死な顔でアタシの背中を抱くエイザーク。
やっぱり、アタシのことぜったい好きでしょ。
……見てくれだけは、悔しいけど好みでした。
中身は――……本音を言えば、もうちょっと色々知りたかったです――
――……。
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