理解できない感情

 この宮殿において、おそらく一番質素な場所であろう部屋に入室した。

 こぢんまりと狭っ苦しく、物は少ない。


 開け放しの窓辺には、白く長い顎髭を撫でながら椅子に腰かけた爺さんがいる。

 本を読んでいるが、魔術書ではない。


「久しいのぉ、エイザーク。いや【二枚舌】よ」


「わざわざ不快なあだ名で言い直すな。火山以来か? 別に久しぶりなわけでもないな」


「ははぁ、では【蛇】とでも言い直そうかの」


 本から顔も上げないゲペルトを無視して、対面の椅子へ勝手に座った。


 ゲペルトとはガンボル火山のふもとの町、そこの冒険者ギルドでこの前ばったり出くわしている。

 ブレナにおいて、いやアラキナ王国で唯一、魔術師としての本当のオレを知る人物だ。


「そういえば最近弟子なんぞ取ったらしいのぅ。人間嫌いのお主がどういう風の吹きまわしじゃ?」


「接するのが面倒なだけで、人が特別嫌いなわけじゃないぞ」


「今度、その弟子に合わせてみい」


「人に紹介できるような礼儀を持ち合わせてない。魔術もてんで未熟だしな」


「なんでそんなの弟子にしたんじゃ……」


 さあ……思えばなんでだろうな。


 部屋に吹き込んでくる潮風を浴びて、いま考えることじゃないなと思い直す。


「単刀直入に聞くが、ブレナの街で対魔断罪人をやっているのはどんな奴だ?」


 尋ねた途端、ゲペルトは本をテーブルに伏せると細めた目を真っ直ぐオレへ向ける。


「なぜ知りたい。エイザーク、人でも殺したか?」


 穏やかな空気など全て吹き飛ばして、老いた眼光が鋭さを増していた。

 さすがに笑える話ではないらしい。


「ただの興味だ」


「ホッホ。興味か。知っての通り、対魔断罪人は国家にとって切り札とも言うべき重要な存在じゃ。決して外部に漏らすわけにはいかん」


「そうだろうな。魔術は強大だ。大きな力を持てば犯罪に走る奴も少なくはない。そんなはぐれ魔術師を取り締まるのが対魔断罪人なのだろう」


「……個人の犯罪で済めばまだよい。一部の魔術師は一国の命運すら左右するほどの力を秘めておる。ちょうど先日話題になった九楼門や、お主のような魔術師に対する抑止力として。あるいは他国に魔術師を政治利用させぬための牽制として、対魔断罪人は必要不可欠な存在じゃ」


 ああ、よくわかっている。

 だがオレがゲペルトから聞き出したいのは、そんな品行方正な話じゃない。


「もう一度、はっきり聞くぞ爺さん。オレに対魔断罪人をけしかけたのはあんたか?」


 笑い話で済ませられないのは、こちらも同じだった。


 ブレナの街は気に入っている。

 できれば事を荒立てたくないという思いに変わりはない。


「存在すら不明瞭だった伝説の魔術師集団、九楼門。……そんなものが本当にいるのなら、同じく九楼門の魔術師を対魔断罪人として国に抱えればよい抑止力となる。そう思わんか?」


「話をそらすな。質問しているのはオレだ」


「じゃが目の前の男は最後まで首を縦に振らんかった。聞くところによれば、弟子に迎え入れた女に夢中でそれどころではないらしい」


 会話もろくに出来んとは、ついに耄碌もうろくしたか。

 遠回しにオレの話をしているようだ。


 この街で揉め事を起こしたくはない。

 だが。


 オレが誰に夢中だと?

 一笑に付してやろうと、そのつもりで口を開く。


「耳の穴を広げてよく聞けじじい。あいつはオレのものだ。貸しにしているものを全て返してもらうまで誰にも渡さん。もし、手駒を使って弟子に何かをしようと画策しているなら――命を失う覚悟くらいはしているんだろうな」


 オレは果たして今、笑えているのだろうか。

 言葉を失くしたゲペルトの表情を見ていると、とても自信はない。


「……ホホ。ますます会うてみたくなるのぅ。……話は終わりじゃ、エイザーク」


 同じくこれ以上語る気にはなれなかった。


 黙って席を立ったオレの背へ、ゲペルトは忠告めいた台詞を残す。


「ブレナの対魔断罪人、任命したのはわしじゃ。わしが知る中で最高の魔術師にも引けを取らぬ者。そんな人間を選んだ。意味するところがわかるかのぅ」


 無視して部屋を出る。


 顔見知りとして、こちらも最大限の警告はしたつもりだ。

 破るつもりなら……


 まあ、しょうがない。

 不本意だが、オレも多少は何かを捨てることになるのだろう。




 家に帰ると、リビングにはシエラの姿があった。


「あ、師匠。ホラホラこれ、どうです? カワイイ?」


 首もとや腰にリボンがあしらわれた、給仕のような服でくるりと回転してみせるシエラ。

 スカートはやけに短く、ふりふりしたレースの裾が捲れて、太ももに視線がいく。


「……なんだ、それは」


「聞いてくださいよ! 今日ある甘味屋に行ったんですけどなんか色々あって! そんで悪いのはアタシじゃないのに店の弁償しろって脅されて……師匠代わりにお金払ってください!」


「払わないよ。それで、その格好となんの関係がある?」


 責任の一端を感じなくもないが、日頃の行いを鑑みるに助けてやるほどじゃないと断言できる。


 とりあえずソファに腰かけ、憤慨しているシエラを見上げた。


「それで、その店で働いてお金返すってことになっちゃったんですよ! だからこれ制服! ムカつくけど服はまあまあカワイイですよね!?」


 なるほどそうか。

 普段は水着とローブしか着ていないから、これほど興奮しているのだろう。


「それより、他にオレへ報告することはないか?」


「へ? いや……別にないですけど?」


 甘味屋にユニコーンが突入する前、シエラとあの男との間でなんらかの話が交わされたはずだ。


 宮殿でのゲペルトの不審な言動もある。

 こいつがオレを頼れば、今回ばかりは力を貸すのもまんざらではない。


 そう思っていたのだが、シエラはにやにやオレを見下ろしながら、タン! と膝上までタイツに包まれた足をテーブルに乗せた。


 服の下には水着を着用してるようで、スカートの奥には見慣れたいつもの逆三角があった。


「ほーら、師匠の好きなアタシの足。見たいでしょ? ほら♡ もっと……はぁ、はぁ、もっと舐め回すように見ちゃってもいんですよ?」


 興奮して息を荒げ、恍惚と頬を上気させるシエラ変態を見て思う。


 ……オレはなぜ、こんな奴のことをむきになって庇ったりしたのだろうか。


「太ましい足をどけろ。先に飯だ、なんだか疲れた」


「チ。……はーい」


 まあいい。

 たとえこの街にいられなくなったとしても、おまえには地の果てまで付き合ってもらうぞシエラ。

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