処女が手にしたもの

 それぞれがまるで貴族と従者のように、白く品のある馬体へ二頭のケルピーが付き従う。


 ケルピーの一頭がさっそくこちらへ向け尾を振り上げたところ、ユニコーンは後ろ足で思い切りケルピーを蹴り飛ばした。


「な、なんですか、仲間割れ? もしかしてアイツ良いユニコーンなんじゃ!? 聖獣とか呼ばれるくらいですし!」


「いや、あれは……」


 ユニコーンは闘争心を剥き出しに、鼻から呼気を勢いよく吐き出して、シエラを睨みつけているようにも見える。


 そうか、あくまで邪魔が入るのは許せないと。

 獣のくせに気高い心意気だ。


「いいだろう。オレも手は出さん。一対一で存分にやり合うがいい」


「なに獣とわかり合ってんですか!? いつもいつもアタシにばっか泥をかぶせて……!」


 歯をギリギリ噛み鳴らしつつも、一応シエラもやる気になったようだ。

 片手をユニコーンへ向け、詠唱の構えを取る。


「詠唱についてはさっきの通りだが、もう水魔術の縛りはやめていいぞ。オレの見立てだと敵は――」


「もういいです! 自分の魔術詠唱は掴みましたんで!」


 オレから魔術の教授を受けるのがよほど癪なのだろう。


 シエラは覚えたての独自魔術を声高々に詠唱する。


「――“ウオオ! 大精霊カワイイシエラチャンに告げる! あの白い畜生をシュバッと一撃でやっつけてみせたまえ!」


 心から戦慄する。

 あまりに酷い文言のセンスに。

 よく恥ずかしげもなくあれを詠唱できるものだ。


 そして。


「――“水流一点衝ウォー・スライバー”!!」


 シエラの手からピュルっと飛び出た水は、山なりに目の前で落ちた。


「ウソつき!! 精霊の名前なんでもいいって言ったじゃないですか! あっ!? やぁ――~~ッ♡」


「その精霊の名が気に入らなかったのだろうな。無理もない。オレでも不快感しか覚えん名だ」


 オレを嘘つき呼ばわりしたことで紋様が光り、悶絶して足をガクガクさせるシエラ。


 そもそも先ほどと文言もまるで違う。

 やはりシエラに独自魔術は早かったかもしれんな。


「もう普通に魔術を使ったらどうだ?」


「言われなくてもっ!」


 あらためて詠唱を開始するシエラだが、ユニコーンは微動だにせず洞窟中央で優雅に足踏みなどしてみせる。


 もしかすると獣にすら呆れられているのだろうか。


「“荒れろ、突風、我が敵を退けろ――“風弾シリク”!!」


 シエラが放ったのは、水魔術と共に得意だと豪語していた風の低位魔術。

 集った風がひと塊に、鉄と見紛う硬度をもって敵を叩く。


 余裕綽々にその場で蹄を踏み鳴らすユニコーン。

 その土手っ腹に命中する魔術をオレも、おそらくシエラも確信したそのとき――


 白い馬体が消えた。


「えっ――!?」


 ユニコーンの姿は洞窟奥の壁際にあり、再び蹄が鳴ると同時、わずかな像を残しておよそ考えられないほどの距離を瞬時に移動する。


「ちょ――まっ――“風弾シリク”!」


 苦し紛れの無詠唱も、ユニコーンを捉えることは叶わず洞窟壁面を打っただけだ。


 ただの脚力であんな芸当はできまい。

 風魔術の転用か?


 気づけば、ユニコーンはシエラのすぐ隣で後ろ足を深く溜めている。


「シエラ!!」


「ッ……!? “風弾シリク”――ぃぎっ!?」


 ユニコーンの蹴りを腹へともろに浴びて、天高く舞い上がるシエラの体。


 落下地点に走り、両手でシエラを受け止めた。


「うっ……ゲホッ!! あんの、獣……ッ!!」


 腕の中で咳き込むも、シエラは衰えない闘志をみせる。


 こいつは蹴られる直前、風魔術を足下に向け放っていた。

 多少の浮力が働き派手に飛ばされたが、深刻なダメージは受けてないはずだ。


 咄嗟の機転にしてはなかなかだった。


 オレの腕から降り立ったシエラは、ぜえぜえと荒い息を吐きつつユニコーンに手を向ける。

 ゆっくりと洞窟内を闊歩するユニコーンは、シエラの動向を見守っている様子だ。


「……ひとつ忠告しといてやる。並大抵の魔術の速度では、奴には余裕で回避されるぞ」


 つまり撃つべきは発動後、即着弾を可能とする魔術。

 おまえがいつも自慢気に話している二つ名の属性――“雷”。


 ユニコーンを捉えるにはこれしかない。


「――“ウォーナ・ウォーラ・溢れる天秤、滴るは血肉の代償」


 だがシエラが詠唱しているのは、水の中位魔術“流水衝ウォースラ”だった。


 ヒントは十分与えてやっただろうに、意固地になっているのかこいつ。


 シエラをじっと見据えるユニコーンは、足踏みを止め、これまでとは違った雰囲気を纏う。

 額から伸びる一角に、パリパリと極小さな雷が走り始めた。


 まさか、ユニコーンは複合魔術まで扱うのか?

 水魔術の詠唱中に雷なんぞ喰らえば――


「おいシエラっ! 詠唱を中断――」


「と見せかけてえ!! ――“雷烈ルェ・ルェッド”ッ!!」


 振りかざしたシエラの左手が眩く光った。


 ユニコーンの一本角に幾重もの光の帯が巻きつき、ガリガリと角を削っていく。

 間もなくパキンと乾いた音を立てて、鋭利な角は根本から断ち折れる。


 前足を振り上げ、ユニコーンの甲高い絶叫が洞窟に響き渡った。


「……水魔術を詠唱しながら、本命は無詠唱の雷魔術というわけか」


「ビビりました!? すごくないですか!? 師匠“シエラー!!”ってめっちゃ迫真でしたもんね!? アタシのこと心配した!?」


 なんという鬱陶しさ。

 とんでもなく腹立たしい顔でシエラはニマニマとオレを覗き込んでくる。


「あは。さあ~て、これでトドメ」


 腕をぐるんと回して、シエラは地べたに伏せたユニコーンへ手を向ける。

 ユニコーンに反撃の意思はもうないようだ。


 しばらく静止したあと、シエラは笑みを引っ込めると息を吐いた。


「どうした? 止めを刺さんのか?」


「まあ、所詮は獣ですし。アタシに逆らう気が失せたんなら別にいっかなって」


「ほう……意外だな」


 自分より弱い立場にいるとわかれば、徹底的に痛めつけるような奴だと思っていたが。


 いや、事実出会った頃のシエラはそのような人間だったはずだ。

 頬の痛みが覚えている。


 シエラに敵意がないことを察したのか、ユニコーンは静かに近づいてくると、身を低く屈めて鼻を鳴らした。


「乗れ……と言ってるんじゃないのか」


「え、マジですか!? 乗ったとたんに振り落とされたりしません!?」


「知らんよ。乗ってみればいいだろう」


 おそるおそるユニコーンに跨がるシエラ。


 シエラを背に乗せたユニコーンは、四肢を伸ばすと緩やかな歩調で歩み始める。


 そういえばユニコーンは処女を前にすると大人しくなるとも言われるが……

 相手がシエラでは信憑性も疑わしいものだ。


 何かに役立つかもしれないと思い、ユニコーンの折れた角を拾い上げた。


「師匠、置いてっちゃいますよー」


 ケルピーどもはいつの間にかどこかへ去ったらしい。


 前を進むユニコーンに追いつき、得意気な表情で馬を駆るシエラを見上げる。


「ところでおまえ、乗馬ができたのだな」


「は? これでも由緒正しい家の子なんですけど!」


 湿気の多い暗所を抜け、ようやく届いた日の光に目を細めた。

 結局はグールのことも、このユニコーンのこともよくわからなかったな。


 まあいい。

 今日はオレも少々疲れた。


「……半端ねぇ。神々しいぜ、シエラたん」


 岩礁洞窟の入り口付近で、不気味な声が聞こえた気がして辺りを見回すが、特に誰の姿も見つけられなかった。




 ――後日。

 ブレナの冒険者ギルドに、無名の画家から寄贈されたという絵画が人々の話題になっていた。


 白い馬に跨がり、勇壮に掲げた手から閃光のごとき雷を発する少女の絵。


 絵のタイトルはずばり【シエラ】だ。


 グール退治の依頼完遂の功績と、どこかで見たタッチのその絵画。

 二つの相乗効果によって、地に落ちたはずのシエラの評判は元値以上に跳ね上がった。


 絵の隅っこには申し分程度にオレも描かれていたのだが……


 まあ、オレは評判なんぞに興味はない。

 興味はないが、またあの宿に立ち寄ることがあれば、馬鹿息子に一言くらい物申してやろう。

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