芸術はリビドー
宿屋の息子クラウドを見下ろし、シエラは拳をパキパキと鳴らす。
「アタシをタダで覗くとかマジで身のほど知らず。ボッコボコか金払うか選ばせてあげましょっか」
「は、話を聞いてくれよ! 僕は人物、とくにあんたみたいな美しい女は描かずにいられないんだ!」
「美しい? ……ふぅん。見る目はありますね」
繰り広げられる馬鹿な会話は放っておいて。
この暗室、壁に極小さな穴が空いているようだ。
その穴を通った光が、壁にオレ達の部屋の様子を映し出している。
クラウドという男は、映像が投影された壁に紙を貼り、なぞるように絵を描いているらしかった。
「この暗室を作ったのはおまえか? なかなか興味深い仕組みだな」
「そうだろ!? 作ったのは僕だけど、設計の情報は商人から買ったんだ」
「商人?」
「ああ。世界中どこでも行く旅商人なんだってさ。まだ若い女で、背が小っこくて肌は褐色の女だ。なんか語尾が特徴的だったかな……」
なんだろうな。
心当たりがありすぎる。
それにしてもあいつ、情報なども商材として売っているのか。
「な~にを話そらして誤魔化してんですかねこの男は。これ以上問答するのもメンドくさいし、ブレナの衛兵に引き渡しちゃいますかね」
「待てって! たしかに覗きに思えるかもしれないが、僕は醜い欲求を満たすために女体を描いたことは一度もない! 芸術なんだよ!」
「じゃあ、なんで正座しながら前かがみで股間隠してんです? おい。ちょっと立ってみろ」
シエラの薄めた瞳に冷たく見下され、クラウドは下唇を噛みしめた。
水着姿のシエラを睨め上げ、声高にクラウドが叫ぶ。
「リビドーだよ! 芸術はリビドーに衝き動かされて生まれるんだよ素人が! 熱くて暗くてどろどろした想いを、頭ん中で繰り広げられる壮大なファンタジーを、絵に描くそれが僕の芸術だ!!」
さっきと言っていることがまるで矛盾していた。
ようするに覗きで興奮する変態らしい。
ゴミクズを見るような視線を男に向けたまま、シエラがぽそりと呟く。
「もぎますか。師匠」
「ひい!?」
「いやだよ。やるなら勝手にもげ」
「……ここは“
狂気の沙汰を実行に移すべく、ぶつぶつと算段を練るシエラ。
すると階下からドタドタと足音が響き、宿の店主が血相を変えて暗室に飛び込んでくる。
「これは何事ですか!? ……クラウド、お前まさか、また……も、申し訳ありませんお客様!」
クラウドの隣に膝をつき、店主は息子の頭を床に叩きつけた。
身を起こそうとするクラウドの額を、力ずくで床に押しつけている。
「くそ……は、離せよ……!」
「息子は画家になるのが夢だったのですが、夢破れて今はこんなことに……っ。親として本当に恥ずかしいばかりです! どうか、どうかこの件は穏便に済ませては頂けないでしょうか?」
いかにもな綺麗事を並べて店主は頭を下げる。
しかしクラウドは、そんな父親の姿を憎々しげに睨みつけていた。
「へぇ……じゃあ白金貨ご――むぐっ!?」
隙あらば借金を楽に帳消しにしようとするシエラの口を押さえ、店主に歩み寄る。
どうにも発言で引っかかる部分があった。
「オレの聞き間違いでなければ、息子の行為を“また”……と、言っていたな? それは過去にも覗きがあったことを知っているということだな?」
「そ……それは」
「つまりこうした行為を知っていながら、この暗室を取り壊しもせず、そのまま残していた」
あきらかに店主の顔色が青ざめたのを見届けて、オレは踵を返す。
「失礼。少し店主の部屋を見せてもらっても?」
返答は聞かず部屋を出て、階段を下りていく。
「おっ、お待ちくださいお客様!? そっちは――」
後を追ってくる店主を振り切り、カウンターの奥にある扉を躊躇なく開いた。
中は異様な光景が広がっていた。
部屋の壁という壁に裸体の女や、男とまぐわう女の写実的な絵が飾られている。
間違いなくクラウドの描いたものだろう。
「げ……なんですか、これ」
描かれた人物――特に男は重複して描かれているものが多い。
絵の下にはそれぞれ番号が割り振られていて、その意味を店主に問いかけた。
「それは……その、なんというか……お得意様の」
「なるほど。宿での情事を絵に残し、客に販売していたのか?」
「け。ざまあねえな親父。いつかバレることはわかってたんだ。いつもいつも僕だけ悪者にしやがって……!」
「お前は黙っていろクラウド! で、でも脅迫なんかはしてませんよ!? 誓って! 元々は、お客様のご要望で始めたことなんです!」
本当にリピーターの多い宿屋だったわけだ。
オレには理解できん趣味だが、こうした性的嗜好の奴もそれなりにいるのだろう。
「燃やしましょう。師匠。宿ごと」
「ひい!?」
「まあ待て。シエラ、あの絵の男に見覚えはないか?」
絵の一つに向けて顎をしゃくる。
丸々と肥えた男と、対面で座る女が描かれた絵だった。
他と違い、双方裸ではない。
「ぅげ!? あ、あの……おぞましいシルエット」
クリムド伯、グスターヴ。
ユディール帝国で【帝魔】と呼ばれる魔術師であり、シエラの夫となる予定だった男。
「な……な……なんであの豚が……っ」
絵から顔をそむけ、シエラは頭を抱えて身を震わせていた。
こいつがこれほど憔悴するとは、よほど嫌な体験をしたとみえる。
「お、お得意様のお一人です。その日は女性とお話だけしかなかったようで、絵も購入されませんでした」
「ふむ……穏便に済ませてもいいが、もっと情報をよこしてもらおうか。それはいつ頃の話だ?」
「つい先日です! ええと、たしか十日前くらいかと」
十日前。
ユディールの兵団が行方不明になった後か。
「一緒にいる女は?」
オレとしては【帝魔】より、この女の方がよほど気になる。
「し、詳細はわかりません。凄くお綺麗だったのは覚えておりますが……なんだか、不気味な女性で」
アラキナ王国の領土内で、ユディールの伯爵が正体不明の女と密会。
オレの正体が割れたか?
だとしたらこの女は――
いずれにしても、警戒を強めておくに越したことはないな。
「そうか。もしまた絵の男か女が訪れることがあれば、すぐに知らせろ。それが手打ちの条件だ」
「は、はいっ! それはもう! ご宿泊のお代も当然無料にさせて頂きますので!」
「は!? それちょっと甘くないですか!?」
憤慨するシエラを無視して背を向ける。
これは先行投資のようなものだ。
第一、こんな街外れの宿を潰してもオレに得は少ない。
と、背後からクラウドが声をかけてくる。
「あんた、芸術に理解がある人だったんだな。僕もあんた達の性交なら無料で描いてやるよ」
「死ねッ!!」
「ひい!?」
シエラの放った無詠唱風魔術は、クラウドの頬をかすめて部屋の壁を一部吹き飛ばした。
◇◇◇
翌朝。
朝食を取るために一階へ下りたオレ達を、宿の主人はにこやかに迎えた。
「おはようございます! はは……あれから昨夜は落ち着いて楽しまれましたかね」
こいつ。
人の良さそうな顔をして、ろくでもない下衆の勘繰りである。
やはり親子、まるで反省をしていない。
いいだろう。
この際だから正直に答えてやる。
「こいつが痛がるから最後まで出来なか――」
「ぎゃあああああ!? なに言ってんですかなに言ってんですかッ!?」
外は雨もあがって快晴だった。
あからさまに不機嫌となったシエラを連れ、当初の予定通り岩礁洞窟へと向かう。
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