ありえないスクロール
ルベンス始め、周囲の兵士どもまでザワザワと動揺が広がっていく。
「くろうもん……?」「なんだよそれ」「俺聞いたことあるぜ!」「世界を裏で操る組織だよな!?」「ガキかよおまえら」「でもあの仮面野郎の魔術って……」「あ、あんなのこれまで見たことないよ」
目を見開いたルベンスが、まるで無意識であるかのように一歩足を踏み出した。
「九楼門……本当に貴公が、あの」
「ああ。嘘は言わん」
ルベンス・ウィンスダム。
こいつはある意味オレと同種の人間だ。
魔術の探求に情熱を捧げ、真理を追い求め、そのためならば己の命すら軽く考えてしまう人種。
オレには家族がいないのでわからないが、おそらくルベンスにとっては娘であるシエラでさえ魔術に捧げる供物なのではないか。
そんな思いを抱かせる。
魔術師でなければ理解できないであろう、狂人の目だ。
オレが毎朝、鏡で見る目と同じだった。
「旦那様! 戯言に惑わされてはなりません! 仮面など被ろうと、わたくしにはわかります。こやつはお嬢様を拐かしていたチンケな魔術師ですぞ!」
オレとルベンスの間に割って入る執事。
やはりこいつにはバレるか。
だが、そんな言葉ではもうルベンスに届かない。
「タモン……安い魔術などではない。私はこの目で見たのだ。あれは、あのレジストは、才能ある魔術師が命を削る努力を重ねても、決して到達できない領域だ。伝説の存在でなければ……なんだと言うのだ」
羨望と、そして嫉妬の入り交じった複雑な表情をルベンスは向けてくる。
ふむ。
この男になら、
「ディオネ、バックパックに繋ぎ合わせた羊皮紙が入っている。引っ張り出せ」
「え? う、うん。わかったぁ」
膨れ上がったバックパックに手を突っ込み、百数十枚も縫い合わせた羊皮紙をディオネが引きずり出していく。
これが、馬車での移動中や宿で何日もかけて作成した渾身のスクロールだ。
「おい、正面に立つな。死ぬぞ」
シッシと手を振れば、察したルベンスがタモンを押して城門から離れた。
バックパックの中で丸まっている羊皮紙を引き続けるディオネだが、まだ端は見えない。
「なに……これぇ……! なんでぇ……こんなっ、長いのぉ……っ!」
やがてズルンと端が出たスクロールは、眩いばかりの光を放つ。
「ひぃ――!?」
ディオネの悲鳴を掻き消して暴風が渦を巻き、発生した巨大な竜巻は真っ直ぐ城門へと進んでいく。
「た――退避ーッ!! 退避ーッ!!」
兵士の怒号が飛び交う中。
鋼鉄の門も、城門を形造る石材も、全てを破壊して天高く巻き上げる竜巻。
唸る風と瓦礫がぶつかる破壊音は、容赦なくその場にいる人間の鼓膜を打ちつけた。
スクロールに描いた術式は“
遥か高空から落ちてきた瓦礫がドカドカと地面をえぐった後、役目を終えた竜巻もただの風へと戻っていく。
固く閉ざされていた城門は、もう見る影もない。
辺りは静まり返っている。
オレはへたり込むルベンスに歩み寄った。
この状況でも主の前に立とうとする執事――
タモンと言ったか?
大したものだ。
だが執事は無視してルベンスの傍らに屈む。
「い……今のは……」
「高位魔術のスクロールだよ。オレが作った」
「そ、そんな……馬鹿な……」
一般的なスクロールに比べて大きさも百数十倍。
かけた値段も労力も、とても魔術の一発と釣り合うものではない。
なぜ中位以上の魔術スクロールが存在しないか。
もちろん値段や労力の問題もある。
だがそれ以上に、そもそも複雑な術式を正確に解き明かし、また正確に描けなければスクロールは完成しないのだ。
ルベンスのお抱えは、中位魔術の無詠唱化を実現させていた。
中位魔術の術式の規模を考えると、全身に術式を彫り込んだのだろう。
理論はスクロールと同様だ。
高位魔術の術式は、中位とは規模の桁が違う。
これを読み解いている魔術師など、オレは自分以外で会ったことがない。
高位魔術の術式を分解し、新たに組み直し、高位を超える超高位魔術を実用化したオレだからこそ作成し得るスクロール。
魔術狂いのルベンスなら理解できるはずだ。
「【帝魔】だとかいう魔術師と、オレと比べてどっちが優れていると思う?」
「それ、は……」
「魔術に優れた子を欲しているのだろう? ならばシエラにはオレの子を産ませてやる。子はウィンスダム家の人間として育てるがいい」
「…………」
押し黙るルベンス。
その瞳は、魅入られたようにじっとオレから離れない。
「もちろん当主としての立場もあるだろう。帝国の貴族相手に、結婚の反故など出来るはずはない」
「…………」
「だから、
何も返答をしないルベンスに代わって、タモンが激昂する。
「ふざけるな! そんな話を認めるものか! 貴様などにお嬢様を任せられん! お嬢様の幸せを願ってわたくしは――」
「帝国貴族との結婚はシエラの願いだったのか?」
「……っ! 少なくとも貴様と一緒になるより……不自由ない生活は約束されている!」
「そうか。だが父親は納得しているようだな」
地べたに座り込んだルベンスは、呆然とオレを見上げたままでゆっくりと口を開く。
「……貴公の言葉、信じてよいのか?」
「旦那様っ!?」
「嘘は言わん」
話もまとまったようなので、ディオネを促して無惨な城門の跡地へ向かって進んでいく。
歩みをさえぎる者は誰もいない。
城門を過ぎれば、帝都の中心にそびえ立つ塔が正面に確認できた。
すると、頬を染めたディオネが腰をくねらせる。
「すごいすごぉい! わたし初めて見た!」
「何をだ」
「“娘さんを僕に下さい”ってやつぅ! あれってそういうことでしょ!?」
「…………」
なるほど、こいつは相当にズレている。
オレはうんざりと息を吐いた。
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