絶望のベッドルーム

 シエラの部屋に踏み込むも姿はない。


 ディオネがベッド上に残してあった書き置きに気づき、拾って読み上げる。


「え……えぇ!? シエラが、そんな!」


「なんだ? シエラがどうした」


「け、結婚するって!」


「なに、結婚。どれ見せてみろ。……なになに……ユディール帝国の貴族、クリムド伯爵か。聞いたこともないな」


 書き置きによると、そのクリムド伯爵とやらは【帝魔】と呼ばれる凄腕の魔術師らしい。


 他にはシエラが本日呼び出された場所が記してあり、再三に渡ってしつこいくらい自身の貞操の危機を綴っている。


“ああ~誰かさんがアタシの処女を守ってくれたらな~? アタシのすべて捧げて献身的なエッチしてあげちゃってもいいんですけどね~?”。


 などとこちらの様子をチラチラ窺う様が、文章にも滲み出ていて非常に腹立たしい。


 こいつ、オレが来ているのを知っていたな。


「どぉするのお兄さん!? シエラが寝取られちゃってもいいの!?」


「別に寝取られるわけでも無いが、取り返すに決まってる。借金がある以上シエラはオレの物だ」


 書き置きを握り潰して、ディオネとウィンスダム家を後にした。




 ともかくまずは御者を呼びつけ、預けていたバックパックを受け取る。

 早駆け用の馬も用意してもらう。


 シエラが向かったユディール帝国の帝都は、バモアの北門を越えればすぐだ。

 御者にはバモア北門付近に馬車を待機させておくよう伝えた。


「お、お兄さん! ユディールの兵士がめっちゃ警戒してる! どうやって北門通るつもり!?」


 ウィンスダム家を半分吹き飛ばしてしまったからな。

 すでに街中は豪壮な鎧を着込んだ兵士で溢れ、目的の北門にも厳戒態勢が敷かれている。


「これはもう、強行突破しかあるまい。ディオネ、鞄から面を出してくれ」


「え、面って……これ!? 怖っ!」


 ボッカの店で買ったものだが、白塗りでなんの飾り気もない面は確かに不気味だ。

 まあ素性が割れなければいい。


 一般人はとっくに家へ引きこもったようで、怒声をあげて駆け回る兵士を除けば、今やバモアをうろついているのはオレとディオネくらいかもしれん。


 特に兵が殺気立っているのが北門である。


 分厚い門を守護する50を超えるアーマーナイト。

 門の両脇にある物見塔にも弓兵や魔術師の姿がちらほら見えている。


 さすがにユディール側には抜けさせまいといった気概を感じる。


「でもでも、お兄さんのレジストは魔術しか無効化できないんでしょ!? へ、兵士はどうするの? あんな数いくらお兄さんでも無理だよぅ!」


「物理的な攻撃を無効化する魔術が無いと思ってるのか? あるよもちろん。ただ魔術と物理、どちらも遮断しようとすると互いに干渉しあってうまく発動できないだけだ」


「それ、結局はだめってことじゃないの!?」


同時に詠唱すれば・・・・・・・・可能だよ」


 小型の鋏を取り出して舌を挟んだ。


 ぎゃーぎゃー悲鳴をあげるディオネを無視して、バツン! と舌を裂く。


 相変わらず痛い。

 だがこれで神聖獣などが自然と纏う、正真正銘の物魔両用“レジスト”となる。


氷位神域シルウォ・ダンド”とでも名づけようか。

 長い詠唱を終え神のごとき結界に包まれたオレは、面を被ると馬に跨がり、馬上でディオネを抱きかかえた。


「しっかり首に掴まっていろ。オレから離れなければ傷一つ付くことはない」


「わ、わかった!! でもお兄さんの舌から垂れた血が、ぽたぽた胸に落ちてくるんだけど!」


「その血が付着した乳を顔に押しつけるな!」


「だってぇ!!」


 ディオネの柔らかい乳にむぎゅうと頬を押されながら、オレは北門へ正面から馬で駆けていく。



◇◇◇



「で、ではグスターヴ様、娘をよろしくお願い致します」


「ぐふぐふ、任せておきなさい。さ、さ、シエラ殿は遠慮せずワシの部屋へ」


 アタシの前で醜悪な豚が鼻息を荒くします。


 これはなんの冗談でしょうか。

 この豚が……クリムド伯爵……なのだそうです。


 場所は帝都タワー。

 各国のVIPも利用する超高級ホテル。

 その32階という、更に要人だけが利用できる高層階です。


 帝国の技術の粋を集めたと言われるだけあって、帯電するクリスタルを使用した昇降機には感動しました。

 高層から眺める、街並みの美しさにも息を呑んだほどです。


 が、それも豚に会った瞬間に霧散しました。


「あ、あの……この紋様はとても呪いの強いもので、おそらくクリムド伯爵のお力でも……」


「なあに、見てみなければわかりません。じっくり、じっくり観察させてもらいましょう。ぐふふ」


 豚の正装は高いものなのでしょうが、パツパツに膨らんだ生地は今にも張り裂けそうです。


 髪の毛の一本もない卵みたいな頭。

 飛び出た目玉を、アタシの下腹部から胸へと舐めるように移し、豚はニタニタと笑います。


 肌がぞわりと粟立ちました。


「さ、とにかく中へ」


 今日はクリムド伯爵の希望もあって、露出の高い黒のドレスです。

 思いきり背中が開いちゃってるやつです。


 アタシの剥き出しの背にベタベタと大きな手が触れ、半開きのドアの中へと押し込まれていきます。


「あっ、ちょ、ちょっと待って……パパ……!」


 助けを求めてパパを見ると、めずらしく息を切らせたタモンがパパに耳打ちしてました。


「……なに……屋敷が……!? それで……賊は」


「は。どうやら……この場所に……」


 断片的で聞き取れませんが、何か不足の事態が起きたようです。

 パパは豚に向かって畏まります。


「失礼。グスターヴ様、少し席を外してもよろしいでしょうか?」


「ええ、ええ、もちろんですとも。よろしければシエラ殿にはここへ泊まっていただきましょう」


 よろしいわけないですよね。

 なに言い出すんですかこの豚は。


 ですが頼みの綱のパパは、タモンと共に廊下の奥へ消えていきました。

 アタシは豚に促されるまま、暗い部屋へ。


 バタンとドアが閉じると、豚はすぐにカチャリと鍵をかけます。

 アタシの背に添えられている豚の手が、いつの間にか撫で回すような気色悪い弧を描いてます。


「ぐふ……汗をかいていますねシエラ。緊張しているんですか?」


「は、はい少し。あのクリムド伯爵、部屋がとても暗いようですが……」


「グスターヴと呼びなさい、ワシらは夫婦になるんだからな。それに明かりがあるとシエラが恥ずかしいのではないか? ほら、さっそく腹の紋様を見せてみなさい」


 段々と態度の変わる豚の圧力に押され、大きなベッドルームに追いやられてしまいました。


 豚はアタシを追い込むのを楽しむように、歩きながら服を脱いでいきます。


「あ……あの、グスターヴ……様。紋様を、見るんじゃ……」


「ああ見るとも。シエラが恥ずかしくないようワシも服を脱いだんだ。さ、服を脱ぎなさい」


 立ち塞がる全裸の豚に圧倒されてしまい、蹴つまずいてベッドにギシッと座り込みます。


 ヤバい……ヤバい。

 なんとか時間を、稼がないと。


「せ、せめて、お風呂に――」


「早く脱げ」


 豚の眼光におぞましさとは別種の恐怖を植えつけられ、逆らえないことを悟りました。


 こう見えてこの豚は【帝魔】です。

 ユディール帝国の魔術師で頂点に立つ男。


 アタシはじわりと滲む視界の中、思わず口にしてしまいます。


「……師匠……助けて……」

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