マリッジブルー

 窓から差し込む朝日、ふかふかのベッド。


「――あ」


 ガバッと跳ね起きました。


 ヤバい朝食作らないと! というかなんでアタシはベッドに!?

 エイザークにエッチなことされたんじゃ――!?


 隣を見て、シーツに誰も寝ていないことを不思議に思いました。

 回らない頭で考えて数秒間。


 ああ、ここは自分の寝室だったと理解します。


 アタシは帰ってきたんでした。

 このウィンスダム家に。


「……お嬢様、朝食の準備が出来ております」


「は、はい。すぐに行きます」


 寝室の外から執事であるタモンに呼びかけられ、衣服を身につけながら返事しました。


 肌触りのいいワンピースに袖を通し、裾を下ろす前にくびれたお腹のハートマークを撫でます。


 忌々しい紋様。

 エイザークの所有物である証。


 でも、アイツはもう側にいません。

 念願叶ってようやく離れることができました。


 これでもう朝食を作らされることも、水着なんて変態チックな格好させられることもない。


 悪い魔術師から解放された、お姫様の気分です。

 最高に晴れやか。


 ……なのに、どうして。


「……ド変態エイザー――あっ!? はぅんッ……!? んん――……~~~~ッ!!」


 下腹の疼きが止まりません。

 衣擦れだけでも跳ねてしまう敏感な身体を、またベッドに投げてしまいます。


「……お嬢様?」


「ハァー……ハァー……すぐ……行きます」


 自室の窓から見える空は、どんより薄暗く見えました。




 朝食は広いダイニングでパパと二人きり。


 ナイフとフォークを動かしつつパパの顔をチラ見しますが、少し疲れているような印象を受けます。


 頭髪にも髭にも、以前は見られなかった白い毛が混じっています。


「シエラ、おまえの腹の紋様だが……それもグスターヴ様が診て下さるそうだ。さっそく今夜お会いすることになった。お礼を忘れるなよ」


「こ、今夜ですか? その……婚姻するまで、お会いにはならないんじゃ……」


「通常であればこんなお話は頂けないところだぞ。年頃の娘が男と二人きりで生活していたなど……おまえがいくら純潔を主張しようとも、信用されなくて当然だ。だがグスターヴ様は“それでも良い”と言って下さったのだ。温情を無駄にするな」


「……は……はい」


 クリムド伯グスターヴ。

 領地は持ちませんが、ユディール帝国の宮中伯として皇帝からも信頼が厚いと聞きます。


【帝魔】の異名もあり、魔術師としても優れた方らしいです。


 アタシの……夫になる方だそうです。


 こればっかりは仕方ありませんね。

 わかりきってたことです。


 ウィンスダム家にとって、魔力に秀でた者を次代に残すことは最優先事項。


 自由な冒険者生活だって、結婚相手が決まるまでを前提としたアタシのワガママでしたから。


 ただ……


 ただ、少し急かな、と。

 もしアタシがエイザークにあのまま抱かれていたら、なにか違ったんでしょうか。


 なにも変わらないとしても、それならなおのこと貞操くらいあげちゃってもよかったような――


 アタシはナイフとフォークを置きました。


「パパ。少し散歩してきても……?」


「……構わないが、昼過ぎには戻りなさい」




 変わらないバモアの街並み。


 街を歩くのは好きに出来ますが、出入門ではウィンスダム家の者が常に目を光らせてます。

 街から逃げるのは不可能です。


 ……逃げる?

 逃げてどこへ行こうというんでしょうか。


 あれほど嫌ってたエイザークの家に転がり込むつもりなんですかね。

 アイツの家も場所が割れちゃってますし、またパパお抱えの魔術師に吹き飛ばされるのがオチです。


 アタシが家を出るときには、まだかろうじて息はあったようですが……エイザークも生きてるか定かじゃありません。


 何気なく小物屋に入り、カップや皿を眺めます。

 料理の腕もあがってきたから、食器を揃えようとしていたのを思い出しました。


「これ、軽くていいですね」


 もう必要もないのに、木のカップと皿を購入して店を出ます。


 アタシは、なぜ逃げたいなんて思ったのか。


 お相手はユディールの有力貴族です。

 うだつの上がらない魔術師とは違います。


 なのにどうして、こんなに気分が落ち込む理由がわかりません。


 虚ろに街を彷徨っていたアタシは、ふと顔を上げました。

 遠目に見慣れたローブ姿が映った気がして――


「え……?」


 呆然と目で追いかけます。


 いや、そんな、まさか――


 あっ横顔が見えました。


「ウソ――」


 間違いないです。

 あの長い黒髪を束ねた姿。

 あのムスッとした顔。


 エイザークです。

 なぜかバモアの街をエイザークが歩いてます。


「…………っっ!!」


 心音がバクバクと高鳴り始め、思わず叫びそうになる口を手で押さえました。


 なんでっなんでここに!?


 アタシを追ってきたんですか?

 そうですよね!? そうに違いない!


 うわ~うわ~っ。

 アイツ、これアイツ、めっちゃアタシのこと好きじゃないですか!?


 どんだけ惚れ込んでんですかアタシに!

 師弟だからって追ってきませんよね普通!? あんだけボロボロにされといて!


 うわ~マジですかそうですかへ~へ~♡♡♡


 時間的にすぐブレナを発ったってことですよね?

 ちょっと気持ち悪いかな~。

 アタシへの想いが重たすぎて♡


「――あっ!」


 エイザークが移動を始めたので、こっそり後をついていきます。




 アタシが通っていた魔術学校がある辺りで、エイザークはきょろきょろと挙動不審です。


 これはあれですね、学校関係者からアタシの居場所を探ろうとしてんでしょう。


 あんなに必死な顔して、すごく本気♡

 本気でアタシをさらいに来たのがジンジンと伝わって、なんだか下腹がいつもより疼いちゃいます。


「いーい? きみたちは、わたしが命令するまで手を出しちゃだめだからねぇ?」


「はい!」


「心得てますディオネ先輩!」


 熱に浮かされたみたいにエイザークの真剣な顔を見つめてましたが、聞き覚えのある舌足らずな声に慌てて身を隠しました。


 植え込みの陰からそっと顔を覗かせます。


 あれは……ディオネ。

 魔術学校の同期であり、通称ビッチです。

 アイツまだ制服なんか着てますが、いったい何年間学生やるつもりなんでしょう。


 まあバカだから留年は仕方ないでしょうが……


 ビッチと取り巻きが、エイザークと何やら会話してるようです。

 こことは大分距離があるので、話の内容まではわかりません。


 あっ魔術!?

 取り巻きが魔術を使ったように見えたんですが、なぜかその取り巻きの方がこっちへ逃げてきます。


「チ!」


 アタシは舌打ちして更に奥へと隠れました。


 しばらくして校門前に戻ると、エイザークとビッチの姿が消えてます。


 なんかイヤな予感がして辺りを捜索したら、狭っまい路地裏に二人を見つけました。


 ……は? なんですかアイツら。

 ちょっと密着しすぎじゃないですか?


 エイザークの体に押されて、ビッチのでかいだけのおっぱいが潰れてます。


 ビッチのヤツ妙に色気なんか出して、ムカつくから魔術撃っちゃいますかね?


「な……!?」


 そうこうしてる内に、エイザークがビッチの胸もとに顔を埋めやがりました。

 アタシは咄嗟に、さっき買った木のカップを投げつけます。


「はうっ!? んあ――……~~ッ!」


 紋様の刺激に声が抑えきれなくなり、急いで木陰に隠れました。


 今のはエイザークへの明確な反抗になります。

 気をつけなきゃ……


 沸き上がる怒りに似た感情を殺して、今度こそは大丈夫と路地裏に戻ります。


「――ッ!?」


 衝撃の光景でした。


 ビッチが片足をエイザークの肩に乗せて、恥ずかしげもなくパンツを見せびらかしてます。

 エイザークはエイザークで、大喜びにビッチの太ももの匂いなんか嗅いでます。


 な、な、何をやってんですかアイツら!?

 信じられない!


 まさしくビッチの名に恥じない行為ですが、それよりもエイザーク!

 そんなに女の体臭が好きならアタシの匂いを嗅いどきゃいいんですよッ!!


 皿をぶん投げました。


「はぅあッ!? んんぅ~~……ッ!」


 襲いくる紋様の刺激。

 また逃げ隠れた木陰でゼエゼエと弾む息を整え、路地裏に戻ります。


 二人の変態的な行為は終わったようです。

 が――ビッチがメスの顔してエイザークに媚を売ってたんで、最後に木のカップをビッチの頭にぶち当ててやりました。


 ああ……少しはスッキリした。


 なんて言ってる場合じゃありません。

 気づけばパパと約束した時間が迫っています。


 家まで全力で駆けていきます。

 そして走りながら、徐々にアタシの熱は冷めていきました。


 エイザーク。

 アタシを連れ戻すなんて無理ですよ。


 アナタじゃ【帝魔】に到底敵わない。

 それどころかパパにも、タモンにも。


 ウィンスダム家にはパパのお抱え魔術師がいますし、家に来たら殺されますよ?


 でも……

 それでも、もしエイザークが来たときのために。


 行き先を一筆残すくらいは、いいかもしれないですけどね。

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