安くない貞操

 じっくりと煮立てたスープが、コトコト鍋の蓋を揺らしています。


「あちっ……ちち」


 肉と野菜たっぷりのスープ。


 灰汁は丁寧に取ってます。

 フーフーして一口飲んでみれば、野菜の甘味に肉の油が溶け合って、全身が温かく満たされました。


 ヤバい。今日のは完璧すぎますね。


 朝食の出来に気分を良くしたアタシは、ルンルンと家主を起こしに行きます。


「師匠ー、朝ご飯できましたけど」


 寝室のドアをノックするんですが、エイザークは出てきません。


 ホントにいいご身分ですね。

 とりあえず舌打ちしときます。


 ドアを開けて中へ入ると、大きな天蓋つきベッドでエイザークが寝ていました。


 麻のシャツに短いズボンとラフな格好です。

 このズボンも水着なんでしたっけ?


 アタシは自分の姿を見下ろしました。


 この前買った白い水着の上下。

 家の中でも水着の着用は義務づけられてるので、つまるところ毎日これを着ています。


 ド変態の魔術師に仕えるとたまりませんね。

 きっといつもアタシのエッチな姿に興奮してるんでしょうね。


 ……興奮、してるんですかね?


 思えば一つ屋根の下、こんなに綺麗でかわいい女の子と暮らしているのに、コイツは一度も手を出してきません。


 先日の海ではアタシの……その、胸を全部見られてしまいました。

 普通の男なら欲情を剥き出しに襲ってくるはず。


 当然、言い寄られたからといって、応じるつもりはまったくないですが。

 でもアタシには逆らえない紋様もあるし……

 襲うそぶりくらい、見せてもおかしくはないですよね。


 男としての機能を有してないんでしょうか?


 それとも、アタシの胸……どっか変だったんですか。


 魔術学校で一度だけビッチの生乳を見ましたが、胸のでかさに比べて先端は小さかった。


 アタシのは、少し――ビッチのよりは太いかもしれないですが、いや、でもそれが理由で手を出さないわけじゃないと……思うん、ですけど。


 大きめなの、男はイヤなんですかね?

 だけどその分感度は――


「うーん……」


 いけない。

 エイザークの寝返りにビックリして声を出すところでした。


 アタシは何を考えて……


 エイザークの寝顔を覗き込みます。

 気持ち良さそうに寝てやがりますね。


 このベッドの寝心地はアタシもよく知るところ。

 人をソファに寝かせといて王様気分ですね。


 紋様さえ無ければ、今なら簡単に制圧できそうですが……アタシの師を名乗るなら、もっと隙を見せない振る舞いをして欲しいもんです。


「……九楼門」


 砂浜で、エイザークとあのロズウェルという男との会話に出てきた言葉。


 魔神や神聖獣のような伝説と、人の身でありながら肩を並べる存在。


 もしやロズウェルという魔術師は九楼門の一人なのでしょうか?

 そんな想像が頭をよぎりますが、首を振ります。


 九楼門なんて、おとぎ話です。

 大衆の興味を掻き立てる噂は、いつの世にだってありました。


 でも、もしホントに黒衣の男が九楼門だとするなら、あのマリーとかいう女が羨ましい。


 伝説の魔術師に師事を仰ぐことができるなんて、すべての魔術師の憧れです。


 アタシの師匠なんてコレですよコレ。

 弟子に水着なんか着せて喜んでる変態ですよ。


 そしてその変態エイザークは、まだ起きる気配がありません。


「…………」


 なんだかアタシまで眠くなってきました。

 ソファじゃやっぱり、疲れが取れないのかも。


 ちょっとくらい、いいですよね?

 エイザークもこれだけ熟睡してるなら、滅多なことでは起きないと思います。


「んしょ」


 アタシはそっと四つん這いでベッドに上がり、エイザークの隣に寝転びました。

 シーツのサラサラが肌に擦れて気持ちいい。


 なんとなく顔までシーツに包まれば、エイザークの匂いがします。


「スー……ふぅ……」


 なんですかね、下腹部に刻まれた紋様の辺りが、じわじわと疼いちゃって……けれど心地いい。


 アタシにはやっぱりこのベッドが、合ってる……


 ……――。




「――おい。おい、シエラ起きろ」


 うるさいですね。

 誰ですか、人の名前を軽々しく呼ぶのは。


「起きろと言っている」


「あいたっ!?」


 パチーンとおでこに痛みが走り、目を開けます。

 エイザークの顔が目の前にありました。


 それだけじゃありません。

 ほとんど布地の無い水着姿なのに、アタシはエイザークの腕を身体に抱きかかえています。


 腕におっぱいをムギュと押しつけ、手の平は太ももにガッチリ挟んで股間へ埋めてます。


「暑い。おまえは体温が高すぎる」


「な……なななんで、こんな……」


「知るか、起きたらこの状態だったのだ。なんだおまえ、もしかして抱いて欲しいのか?」


「――えっ……え……?」


 何をいきなり気持ち悪い台詞吐いてんでしょうかこの変態は。

 アタシは安くないと言ったはずですが。


「……え……と」


 なのに。

 それなのに拒否する言葉が出てきません。


 心臓はウザいくらいに胸を叩き、全身が燃え上がるように熱くなっていきます。


「別にオレも禁欲なぞしてるわけではないからな。ほら、もっとこっちに来い」


「あっ」


 背中にエイザークの手が回り、胸もとにグッと引き寄せられました。


 動けません。

 紋様が発動しようとも突き放せばいいのに、なすがままに抱きしめられちゃってます。


「シエラ、顔を上げろ」


「……あ……」


 命令です。

 拒否できない。


 ダメ……ダメ、ダメ。

 このままコイツに抱かれてしまったら、身体だけじゃなく心まで堕ちて――


 ――ドンドンドン!


 激しく扉の叩かれる音にビクッと萎縮しました。

 エイザークの顔が離れていきます。


「ハァー……ハァー……」


 気がつけば呼吸も止めてたみたいです。


 ――ドンドンドン!


 扉はまだ鳴り響いてます。

 舌を打ったエイザークは、体を起こすとアタシにシーツをかけました。


「扉が壊れるだろうが、誰だまったく。シエラ、おまえはそこで待っていろ」


「ハァ……ハァ……は……はい」


 素直に返事しちゃうアタシ。

 寝室から出ていくエイザークを、熱っぽい視線で追いかけてしまいます。


 アタシ、どうしちゃったんでしょうか。

 まさかアイツに惹かれて……?


 イヤイヤイヤ、ないないない。

 きっとこれも紋様の影響に違いない。


 シーツを被って悶々としていたら、勢いよくドタドタと階段を上がってくる音が。


「――お嬢様っ!」


 バン! と寝室のドアを開けて中へ飛び込んできたのは、アタシのよく知る人物でした。


「はあっ、はあっ、お嬢様、なんという姿……!」


 オールバックに撫でつけた白髪混じりの髪。

 口に蓄えたカイゼル髭も変わりない。

 よほど慌てていたのか、タキシードは着崩れてしまってます。


「た、タモン、なんでここに」


 アタシが幼少の頃から家に仕えている執事です。

 タモンの側には、パパお抱えの魔術師二人が控えてます。


「おいおまえら、人の家に無断で上がり込むな!」


 遅れてづかづかと寝室にやってきたエイザーク。

 タモンはアタシを庇うように盾となり、エイザークと向き合います。


「よくもお嬢様を傷物にしおったな……下郎ッ」


「なに?」


 首を傾げるエイザークに、タモンの指示を受けた二人の魔術師が手をかざします。


 途端まばゆい閃光が寝室を照らし――


「ぬお――!?」


 続けざまに轟く爆発音で、エイザークの声が掻き消されました。

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