本の著者

「負けてしまったのかい? マリー」


 人垣を割って現れた、一人の男。


 ローブもブーツも、頭に被ったつばの広いハットも真っ黒な気取った格好をしている。

 胸には牙? をあしらった銀のペンダント。


 睫毛の長い、甘く整った顔の男だ。


 砂浜に座り込むマリーの元へ、男はゆっくりと歩みを進めていく。


「ああ……も、申し訳ありませんロズウェル様! どうか、どうか見捨てないでくださいませ」


「いやだな、僕がマリーを捨てるわけないだろう」


 足にしがみついて懇願しているマリーの背を、ロズウェルと呼ばれた男は優しく撫でた。


「さ……立つんだマリー」


「は、はい」


 座り込むマリーは全身を震わせている。


 恐怖か? いや……というよりも、あれは。


「どうした? マリー、立て」


「うッく……う、うぅ……!」


 マリーは定まらない足を踏ん張り、ぶるぶると立ち上がった。

 砂に触れていた長い金髪を払いもせず、そのままロズウェルの胸にしがみつく。


「ああ、ロズウェル様! ロズウェル様ぁ!」


「うんうん、いい子だね」


 ロズウェルはマリーの髪に顔を埋め、何度も頭を撫でている。


 さっきまであれほど熱狂していた観衆は、誰一人言葉も発さずに呆然と二人の抱擁を眺めていた。


「……なんですか、あの男」


「さあな。おまえ好みの色男じゃないか?」


「男を顔で判断するのはビッチです。アタシはもう師匠の件で懲りました」


「ほう?」


「な、なんですか!? 別に文句じゃないですよね!?」


 文句ではないが、遠巻きにオレの見てくれを褒めてることに気づいてないのかこいつ。


 オレとシエラの存在に今気づいたかのように、ロズウェルはマリーを引き離し、こちらへ近づいてくる。


「やあ、マリーが世話になったみたいだね。ええと【二枚舌】くん」


 ロズウェルは鼻先が触れるほどに顔を寄せてきたかと思えば、オレの耳もとに囁きを残す。


「――それとも【蛇】くんと呼んだ方がいい?」


 蛇。

 その名でオレを呼ぶ奴らは一握りしかいない。


 思っていたより接触が早かったな。

 なるほど……ここ最近感じられた魔力の残滓も、周囲を嗅ぎ回られていたからか。


 ロズウェルは嫌みの無い顔で微笑み、オレからシエラへと視線を移した。


「え……? な、なんですか」


 奴の手がシエラの腹へと伸びていく。

 シエラは金縛りにあったように硬直している。


 オレは――気がつくとロズウェルの手首を強く握りしめていた。


「弟子に、勝手に手を出すのはやめてもらおうか」


「ああ、ごめん。自分の所有物・・・に触られるのは嫌だよね。わかるわかる」


 すまなそうに笑って手を引っ込めるロズウェル。


 こいつは何がしたい。

 どうにも神経を逆なでにしてくる奴だ。


「ところで、その子のお腹にある紋様は君が?」


「だったらどうした」


「へえ。ということは、僕の著書の愛読者かな」


 著書だと?

 何かの魔術書でも書いているのか。


 まどろっこしいのは性に合わんな。


「おまえは何者だ?」


「ごめんね。忙しくてあまり長話は出来ないんだ」


 踵を返したロズウェルの背を呼び止める。


「勝ったら何でも言うことを聞く。そういう約束だったんだがな」


 ロズウェルがどんな顔をしたのかわからんが、向こうに立ってるマリーが「ひ」と小さな悲鳴をあげた。


「ならしょうがないね。僕は九楼門の【羊飼い】――紋章術師だよ」


 やはり九楼門か。


 紋章術師。

 ニィナから購入した魔術書が、こいつが書いた物だったとはな。


「何をしにここへ来た」


「ただの観光さ。まあ【蛇】くんの顔くらい見たいとは思ってたけどね。目的も果たせたし、もう帰るよ」


 黒衣の男は、手を振ってマリーの元へ。


 行ったかと思えば、ロズウェルはぴたと足を止めて振り返る。


「ときに【蛇】くん」


「どうした【羊飼い】」


「君の弟子のそれ……その子が着てる服? それ、どこで売ってるのかな」


「これは水着というものだ。海沿いに進めば古い骨董屋がある。そこで色々な種類が売ってるぞ」


「ありがとう、いいことを聞いたよ」


「どんなのが似合うかなぁ」などぶつぶつと呟きながら、今度こそロズウェルはマリーを連れて帰っていった。


 話すだけで精神を擦り減らされる男だ。

 大きく息を吐く。


「オレ達も帰るぞシエラ」


「し、師匠ッ!」


 拳を握りしめ、歯を剥いてオレを睨みつけてくるシエラ。


 凄まじい怒りが伝わってくる。


「なんで勝手に戦利品使っちゃうんですか!? アタシが勝ったのにッ! あの女に何でも言うこと聞かせるって――アタシの白金貨50枚はッ!?」


 そういえばそうだったな。

 すっかり忘れていた。


「帰りに好きなもの買ってやろう」


「足りない足りない足りないッ!!」


 目に涙まで浮かべて、子供みたいに地団駄を踏むシエラに辟易し、仕方なく借金を白金貨40枚に減額してやった。


 それからようやく帰途につく。


 浜辺にいた観衆はほとんどいなくなっていたが、幾人かがシエラに握手を求めてやってくる。

 意外なことに女も数人いた。


「あは。やっぱりアタシは天才ですね!」


 今しがたの不機嫌はどこへやら。

【雷光】の名が広まったとシエラは大層喜んだ。

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