詠唱魔術の真髄

 波間には沖までぎっちり、マガヤドガニの群れが頭を浮かべて漂っている。


 辺りの魚介は食べ尽くしたのか、まるで食後の居眠りを楽しんでいるようだな。


「一分の時間はオレが計測しよう。二人とも準備はいいな?」


「……はいはい」


「いつでもどうぞ~」


 シエラとマリーは海に向かって手をかざし、熱い砂に足を押し込んで姿勢を安定させる。


 よっぽどギャラリーの視線が嫌なのか、シエラは片腕で乳を押さえたままだが……


 まあいい、しばらくは動きを見てやるか。


「では始めろ」


「“火弾ファラ”!」


 開始と同時にシエラが先制を放った。

 少し角度をつけて撃ち出された火球が、放物線を描いて海に落ち、一匹のカニの甲殻を焼く。


「へえ~無詠唱くらいは使えますのね?」


「高みを目指す魔術師なら必須! 無詠唱も使えない魔術師なんかクソですクソ!」


 誰に向けての言葉かな。

 また新たな仕置きでも考えておくか。


 ギチギチギチギチギチ――ッ。


 耳障りな歯ぎしりのごときカニの雄叫び。


 触発された周囲のカニが、一斉に砂浜へと押し寄せてくる。


「うわやべえ!!」


 観衆が大わらわに浜辺から避難した。


 砂浜に到来したカニの総数は100匹ほど。

 迎え撃つシエラは次々に無詠唱で火球を繰り出し、辺りに甲羅の焼ける香ばしい匂いを漂わせる。


 カウントするのも大変だなこれは。


「口ほどにもないですね! 早いとこ白金貨50枚を準備しといてくださいっ!」


「ふ~ん? 調子に乗ってるのお可愛いですね。“火弾ファラ”――連弾スプリット


 マリーの放った無詠唱の火球は、三つに増加してそれぞれ三匹のカニを焼き焦がした。


 いや、増加したのではなく火球の威力を落として三つに分けたのだ。

 無詠唱は気に入らないが面白い使い方をする。


「チ。小細工だけは得意なんですね! やっぱり胸だけでかい女はやることがせっこい!!」


「あら、胸に劣等感ありありですのね。でも腰のくびれもお尻の豊かさもわたくしに劣ってますよ?」


 マリーは火球を撃ちつつ、服の胸もとを指で露骨に開け広げた。


 浜辺から距離を取り、遠巻きにこちらを眺めている観衆――言うまでもなく男どもがヒューッと歓喜の声をあげる。


「シエラよりマリー派」「シエラはちっぱい」などの声が聞こえ、怒りに震えるシエラ。


「……垂れ乳死ねッ!」


 もはやただの悪口である。


 無詠唱魔術を撃ち出す速度は、若干だがシエラの方が速い。

 マリーの三連火球になんとか食らいついている。


 しかし。


「あっ!? ――ぶなかった!」


 いつの間にか忍び寄っていたカニの爪撃を、シエラはギリギリ横っ飛びに回避した。


 そう、カニとて無防備にやられるだけではない。


 魔術の行使と回避が必要なシエラに対し、マリーの火球はそもそもカニを寄せつけない。


「あら、叩き潰されればよろしかったのに」


「くっ……ハア、ハア」


 カニを避ける時間のロスに加え、体力の消費速度でも差は開いていく。


 あとは……水着もだな。


 シエラは砂浜を駆け回りながら、胸もとがずれるのをかなり気にしてるようだ。

 走りに合わせて、三角布と一緒にぷるぷる小ぶりな胸が揺れていた。


「やっぱりシエラ派」「ちっぱいだから良い」など観衆の人気も盛り返している。


「残り十秒だ。マリーが47匹、シエラは43匹」


「アタシが負けるかッ!」


 シエラが一匹のカニを焼く。

 これで44匹。


 だがもう、砂浜にカニの姿はない。

 すべて倒し尽くしてしまっている。


 二人は遠目に見える沖のカニへ向けて、火球を投げていく。


「ほ~らもう時間がありませんよ?」


「ハアッ! ハアッ! あ、当たらない!?」


 無詠唱魔術の利便性に頼りきっているから、状況判断もできんのだ。


「シエラ、きちんと詠唱しろ。あと水魔術を使え。そっちの方が得意のくせになぜ使わない」


「はあっ!? なんでアタシの――」


「紋様が発動して負けてしまうぞ? 火山で見たからわかるんだよそれくらい。水魔術を詠唱しろ」


「わ、わかりましたッ! やってやりますよ!」


 詠唱した魔術は、無詠唱に比べて威力が上がるだけではない。


「――“恵みを、刃に、我が敵に穿孔を」


 シエラは海のカニへ向けた腕を、もう片方の手でしっかりと掴み、支える。


 そうだ。

 基本に忠実な魔術は本来“当たらない”などという事態に陥るはずがない。


 命中精度とて、無詠唱とは比にならん。


「――“水弾ウォル”ッ!」


 飛沫を上げて沖へ飛んだ水弾は、海水をも巻き込んで術の規模を膨らませる。


 その威力はカニの甲殻を容易く貫き、貫通してもなお波を割り、後続のカニを砕いて突き進む。


 ただの低位魔術であれきちんと詠唱すれば――


 こうして五匹ものマガヤドガニを一撃で串刺しに出来るのだ。


「そん、な……わたくしが……」


「やッッたあああ!! やったりましたよ師匠! アタシの、アタシの勝ちですよねっ!?」


 浜辺は悲喜こもごもである。


 マリーは膝をついてうなだれ、シエラは初めて見る顔で無邪気にバンザイと喜びを表す。


「ああ。おまえの勝ちだシエラ。だが見えてるぞ、ちく――」


「わああああ!?」


 ずり上がった水着を引っ張り下ろすシエラ。

 口をへの字に結んで、小刻みに震えながら俯いてしまった。


「安心しろ、オレが壁になってるから観衆には見えなかったはずだ」


「師匠に見られてるんですが!? なんっのフォローにもなってないですッ!」


 いたわってやろうとシエラの頭に乗っけた手は、すぐにパシンと払いのけられた。

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