アンデッドと積み荷強盗
「旦那ー! こっち来て見てくださいっス!」
幌の隙間に頭を突っ込み、短いスカートを履いた尻はオレの方へ向け、ニィナは子供のごとく足をパタパタさせていた。
こいつが何を見せたいのかなど、わざわざ外を見なくともわかる。
すでに懐かしい匂いを風が運んできていた。
潮風だ。
「ちゃんと見てるっスかー!?」
「ああ、おまえの尻に食い込んだパンツならずっと見えてる」
「ニィナが言ってるのは海のことっス!!」
ようやくアラキナへ帰ってきたのだ。
アラキナの領土内に入ったとはいえ、王都であるブレナの街まではしばらくかかる。
広大な海を臨みつつ、馬車は延々と街道を走っていた。
と、ニィナが閉じた股にもじもじ手を差し入れ、控えめな声と上目遣いで言う。
「だ、旦那ぁ……」
「なんだ?」
「…………おしっこ」
御者に馬車を停めてもらうと、ニィナは弾けるように外へ出ていった。
オレは優雅に足を組んで魔術書を開く。
馬車の中は蒸し暑いが、さざ波の音が多少は暑さを緩和してくれる。
しかし、こうして波音に包まれて読書をしていると家を思い出すな。
住んでるときは何も考えないが、やはり長期間離れていると恋しいものだ。
帰ったら日雇いの家政婦でも呼んで、掃除してもらおうか。
などと予定を立てながらページをめくる。
もうすぐしたらうるさいのが戻ってくる。
せめてそれまでは、とオレは久しぶりに静かな読書を満喫した。
読み終えた魔術書をパタンと閉じて置く。
「……遅い」
いくらなんでも遅すぎる。
小便だと言ってた気がするが実は違ったのか?
それにしたって時間かかりすぎだ。
オレは馬車を降りるとゆっくり伸びをし、海辺の空気を肺いっぱいに取り込んだ。
「どこまで行ったんだ、あいつは」
目の届く範囲にニィナの姿はない。
仕方なく、坂を下って海岸線の砂浜へ向かう。
熱そうな砂をざくざくブーツで踏みつけ、小柄な褐色肌を探していると、遠くでしゃがみ込むニィナを発見した。
「いるじゃないか。――おい、ニィナ!」
名を呼びつつ歩み寄っていけば、ニィナは慌てた様子で立ち上がる。
「だ、旦那!?」
「なんだ、まだ用足しの最中だったか?」
「い、いやその」
しどろもどろのニィナを不思議に思い、何気なく目線を下げた。
ニィナの小麦色の生足はびっしょり濡れている。
「……おまえ」
「いや違う! 違うんスよ旦那! この人が、三人組から海に捨てられそうになってて――」
「この人? 三人組?」
よく見ると、ニィナがしゃがんでいた場所には男が一人倒れていた。
殴られたのか、顔は赤く腫れ上がっている。
「ニィナ、助けようと思って戦ったんスけど、その三人組が意外と強くって……」
取り逃がしてしまったらしい。
だが三人とはいえ、ニィナを退けるとは何者だ?
ただの賊ではあり得なそうだが。
「う、うぅ……か、彼女を」
倒れている男が苦しげに呻いた。
「大丈夫っスか!?」
「彼女を、助けてくれ……ま、まだ、付き合ったばかりなんだ」
「旦那! 三人組で一番体の大きな奴が、肩に女の子担いでたっス!」
それはもう誘拐ではないか。
オレは男の側に屈み、尋ねる。
「その三人組はどこに行った?」
「ぶ……ブレナ。お願いだ、彼女とは、酒場で知り合って、歌が上手で」
歌……?
まあいい、ブレナにはちょうど帰るところだ。
「ニィナ、この男を馬車まで運ぶぞ」
「はいっス!」
オレの街はいつからこんな治安が悪くなった。
犯罪の少ない、のんびりした海辺の街だったはずなんだがな。
男の上半身を起こすニィナを眺めて、そんなことを考えていた。
すると、男が突然胸を押さえて苦しみ始める。
「ぐっ!? あ、ぐ……ッ!」
「え? ちょ、どうしたんスか!?」
男の顔面は蒼白になりガタガタと震え、全身に太い血管を浮かばせる。
この、すえた臭いは。
「ごあ! グ、る、るルぐッ……ぐるルあ」
「あ、あの……ちょ……」
自ら掻きむしった顔は皮膚が剥がれ、ボトボト腐り落ちていく肉と一緒に、
「離れろニィナ!」
「ぐルるああアアアアアアアッッ!!」
「ぎゃああああああああああッッ!?」
両手を拘束され、砂浜に組み敷かれるニィナ。
魔術を詠唱する時間はない。
オレは忍ばせているスクロールをローブから取り出し、男へ向け発動する。
「“
スクロールは瞬時に燃え尽き、盛る火の玉がニィナへのしかかる男に直撃。
「グオおオオオおオオオオ!?」
火だるまになった男を蹴り飛ばした。
砂浜でのたうち回る男の絶叫は徐々に小さくなって、やがてただの黒焦げた塊となる。
「だ、旦那、こ、この人は」
「グールだな。だが……わからん」
一般にグールと言えば、放置された死体から変化してしまうものだ。
しかしこの男は間違いなく生きていた。
生者から唐突に、死者の魔物へ成り果てたのだ。
おまけに王都に近いこんな場所で、グールが発生した事案など一例もなかったはず。
微かに感じる魔力の残滓が気になるが……
ともかく、ブレナで衛兵と冒険者ギルドに忠告でもしとこうか。
「ほら、立て」
砂の上でへたり込むニィナに手を差し伸べる。
掴んだ手は汗をかいて、震えがオレにまで伝わってくる。
「あ、あの……」
立ち上がったニィナは、具合が悪そうにもぞもぞ太ももを擦り合わせた。
見れば、スカートの中から垂れた滴が足を伝い、砂浜に濡れた跡を残している。
「……おまえ」
「え、えへへ……違うんスよ旦那ぁ~……」
海でジャブジャブとパンツを洗うニィナを待ち、馬車まで戻ってくる。
すぐに二人の御者が駆けてきた。
「お、お客さん、すみません! 積み荷を賊に奪われました!」
「なに!?」
街道だと思って油断した。
聞けば、賊は三人組の男だったとのこと。
状況から、砂浜でニィナが遭遇した三人組と同じ奴らだと推察する。
「ああーッ!? ニィナの積み荷、金目のものばかり無くなってるっス!!」
馬車の中を覗けば、オレの魔術書も無かった。
内容は全部読み終えてはいるが、そんなことはどうでもいい。
「ニィナ、早く馬車に乗れ」
自分の物を奪われるのは我慢ならん。
ニィナはもはやオレの支配下にあり、つまりニィナの物はオレの物と言っても過言ではない。
「相応の目には遭ってもらわないとな」
静かな怒りを胸に、オレ達は一路ブレナへ。
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