低位魔術が使えない理由
揺れる馬車の中。
オレは紋章術の魔術書を読んでいるのだが、ニィナはお構いなしに話しかけてくる。
「ブレナの街も久しぶりっスねー。旦那はどんなとこに住んでるんスか?」
「海の近くだ」
「いいっスねー海! ニィナも泳ぎたいっス!」
カナヅチなんだがなオレは。
幌を捲って何気なく後方を見た。
ニィナの荷を運ぶのにもう一人御者を呼び、その馬車が後ろを走っている。
特に問題はなさそうだ。
しかし長旅で少々疲れた。
しばらくは家でゆっくり休みたい。
そう思っていた矢先、前の御者が声をあげる。
「お客さん、まずいです。
オレは大きく息を吐く。
街道から外れた道を走ってるせいか、盗賊に襲われるのもこれで三度目だ。
「おい、出番だニィナ」
「ええ~!? またニィナっスか!」
「またナントカ流のナントカ術を使えばいい。それに紋様がある限り、どうせオレには逆らえんぞ」
「ヨハンナ流、無手術っス! まー旦那に逆らう気なんてないっスけど」
マントを外して軽い柔軟運動を終えれば、停車した馬車から外へ飛び出すニィナ。
しばらくすると、外から盗賊のものとおぼしき悲鳴が複数聞こえてくる。
ニィナが再び馬車に戻ってくるまで、ものの五分もかからなかった。
「いやー、いい汗かいたっス」
「ご苦労」
汗拭き用の布切れを渡してやる。
ニィナは遠慮することなく、窮屈そうな胸の谷間に布を突っ込んでいる。
オレも最初は驚いたのだが、こいつは護衛も雇わず行商人なんぞしているだけあって、少女な見た目と違いかなり腕っぷしが立つのだ。
乳を拭き終えたニィナは、最後に太ももの内側へ這わせた布を、少し恥ずかしげに差し出してくる。
返された布は湿り、ほんのり暖かかった。
「ところで、なんで旦那がやんないんスか? 旦那の魔術なら一瞬なのにー」
「こんなとこで高位魔術は使えんだろう。スクロールの無駄遣いも避けたい」
「簡単な魔術使えばいいじゃないスか、低位? 魔術ってやつ」
「……オレは中位以下の魔術を使えない。ちょっとした理由があってな」
「えーなになに!? どんな理由っスか!?」
うるさいなこいつ。
適当に流そうと思ったのだが、ニィナは瞳をキラキラさせてオレが続きを話すのを待っているようだ。
観念して魔術書を閉じる。
「昔の話だ。オレは魔神と呼ばれた者と戦ったことがある」
「魔神!? 魔神ってあの!? へーどんなのどんなの!? 見た目とかグロいっスか!?」
「……やっぱりやめた」
「ああ~! もううるさくしないから話してくださいっス~!」
無理だろう絶対。
まあいい、これも長旅の時間潰しだ。
「いいか? まず魔術というものは体内の魔力――わかりやすく言えば、体内のエネルギーを発動に際し大量に消費してしまうものだ」
「ふん。ふん」
「だが魔神と呼ばれたそいつは、無尽蔵の魔力を持っていた」
「ヤバいっスね! それでそれで!? あ――」
お喋りな口を両手で塞ぐニィナ。
オレは息を吐いて続ける。
「長い戦いの末、オレは辛くもそいつに勝利した。そして、そいつの無尽蔵の魔力を体内に取り込んだのだ」
「おお、もう無敵じゃないスか! でも無限の魔力とかちょっとずるいスね旦那」
「戦利品だ、ずるくない。……いや、実際ずるいのかもな。オレも最初は喜んだよ、この世で最強の魔術師になれたと。なにせどんな極大魔術を放とうとすぐに魔力は充填される。つまり、高位の魔術を連発できる」
「へ~! それでゴブリンやリザードマン相手にあんな凄い魔術ぶっ放してたんスね!」
「オレは浮かれていた。だけどある日、身をもって知ったのだ。最大級の魔力が必要な高位魔術はいくらでも扱えるが、それ以下の魔術が使えなくなってしまったことをな」
「なんで使えなくなったんスか?」
ニィナは首を捻って考え込んでいる。
オレは息を吐いて、ニィナに平焼きのパンを渡すよう促した。
さっきこいつがかじってた柔らかいパンだ。
それを手の平に乗せる。
「手がオレの体、パンがオレの魔力とする。で、体内の魔力を全部使って高位魔術を放つ――」
パンを真上にぽんと投げる。
落ちてきたパンは、また手の平に戻った。
「こんな風に、使った分の魔力は体に戻ってくる」
オレの体で起きる、今やこれは当然の原理。
ニィナは神妙に頷いている。
オレは床に落ちていた鋭利な鉄片を拾い、指でつまんだ小さなそれをニィナへ見せてやる。
「この鉄片が初歩的な低位魔術だ。これを放てばどうなるか――」
空中に放り投げた鉄片を、パンを持ったままの手で受け止めた。
手の平に走る僅かな痛み。
鉄片は柔らかいパンを貫通して、皮膚に刺さっている。
「こうなる」
「それって……体に穴が空いちゃうんスか?」
「知らずに初めて低位魔術を使ったときは、いきなり脇腹が裂けて腸がはみ出た」
「うげ!? グロっス、グロ!」
ああ、オレだって思い出したくもない。
魔術の深淵を覗くことなく、死にかけたんだからな。
「ちなみにおまえの腹に刻んだ紋様にも、当然ながら最大の魔力を込めてある。おそらく簡単には消すことができんぞ?」
「へえ~、よく理解したっス。つまりニィナはその鉄片になって、旦那の露払いをしてあげればいいんスね? 低位魔術の代わりに!」
「……まあ、そういうことだ」
頬を染めたニィナは、下腹の紋様を愛おしそうに撫でながら、
「じゃあ、もう旦那と離れられないっスね! もしニィナを放り投げたりしたら、旦那の体に穴空けちゃうかもしれないっス♡」
脅すつもりで言ったのだが、逆に脅されたような気がするのはなぜだろうか。
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