心身呪縛の魔術書
広いテントの中は日中でも薄暗く、雑多な物が溢れている。
薬瓶や民芸品、家具に見たこともない植物、どう音を出すのか不明な楽器のようなものもある。
手近にあった木彫りの人形を手に取ってみた。
牙を剥いた顔面が禍々しい。
「あっ、それはセマ運河に住んでる“ウポポ族”が作った“ヒヒ”の像っスよ!」
「ヒヒ?」
「ウポポ族が信仰してるヤバい奴っス。なんでも手にした者に災いをもたらすとか――」
「それは呪物だろうが! 早く言え!」
元あった場所に放り投げ、なんとなく手をローブでごしごし拭う。
本当に呪術が施してあった場合、洒落にならん場合もある。
呪いとは恐ろしいものなのだ。
「ああ~……大事に扱ってくださいよー」
「もういい、魔術書なんかは置いてないのか?」
「魔術書? 旦那は魔術師さんっスか!? 言われてみればすごく魔術師っぽいス!」
まあ、魔術師なんて誰も似たような格好だしな。
訳わからん布を体に巻いたあの痴女は論外だが。
ニィナはテント奥のでかい袋をごそごそ漁り、一冊の本を取り出してみせた。
「へっへー。これ、ニィナがダンジョンで見つけたお宝っス! たぶん旦那がお探しの魔術書だと思うんスけどー」
「ちょっと見せてくれ」
ニィナから受け取った本を開く。
もわっと舞う埃も気にせず読み進めていく。
「これは……ふむ、紋章術……」
本には初めて見る術式が描かれている。
心身呪縛。
どうも対象の体に直接術式を施し、命令に従わせるという代物らしい。
これも分類では呪術の派生にあたるのでは?
興味深い。
「……面白いな。これをくれ」
「お買い上げっスか!? さすが旦那、即決で格好いいっス!」
「で、いくらだ?」
「え? えー……と。……白金貨10枚っス!」
「はっ、きん……!?」
自信満々に両手の指を掲げるニィナに対し、思わず絶句してしまう。
「ふざけるな! 高すぎるだろうが!」
白金貨10枚あれば簡素な家くらいは建つ。
というかこいつ、あきらかにオレが魔術師と知って値段を釣り上げただろ!
「いや旦那! これは貴重~な一品なんス! ここで逃したらもう手に入らないかもっスよー?」
「くっ」
確かに魔術書は貴重ではある。
だが、読めば誰でもその魔術を扱えるようになるわけではない。
じっくりと術式を解き明かし、発動に四大精霊をどの割合で取り込めばいいのかしかと理解して、初めて己がものに出来るのだ。
見慣れない紋章術などオレでも扱えるかわからんものに、白金貨はさすがに出せない。
「さあどうするっスか? 今なら白金貨9枚と金貨5枚にまけてあげてもいいっスよー?」
ニィナは片側で結んだ茶髪を揺らして、商人っ気丸出しのニヤけ顔でぴょこぴょこ飛び跳ねる。
当然のように弾むでかい乳を眺めながら、オレは下唇を噛みしめた。
「少し考えさせろ」
「え~!? 旦那ぁ~っ!」
安い買い物ではない。
一応払えなくもないが、買ってしまえば御者に支払う金も怪しくなる。
「そうだ、スクロールはあるか? あるならここで補充しておきたい」
「スクロールっスか? あるっスけどー……旦那は魔術師さんなんスよね?」
スクロールは魔術の術式を羊皮紙へ描いた物。
これは魔術の心得がないものでも扱える。
ただ無詠唱魔術と同じく、普通に詠唱した魔術よりは効果も落ちる。
中位魔術より上は術式の規模もでかくなるため、スクロールは主に低位魔術を簡易的に扱うための物だ。
だからスクロールを購入するのは魔術を扱えない者がほとんどで、魔術師が買うことはまずないだろうな。
オレは
「えーと、基本魔術のスクロールが……四属性ごとに、こんくらいあるっスけどー」
「全部くれ」
ニィナが抱えたスクロールの束を見るに、ざっと30はありそうだ。
これさえあったなら、火山でもあんな失態は犯さなかっただろうに。
悔やまれる。
「えへへー、毎度っス! 適正より安いでしょ? 得したっスね旦那!」
「スクロールに関してはな」
魔術書の値段も下げろ。
紋章術の魔術書を睨みつけ、かれこれ30分は経過した。
買うべきか買わざるべきか悩んでいると、ニィナからそっと袖を引かれる。
「ねぇ旦那。なにか聞こえないっスか?」
「なにかって、なんだ」
「いや、声というか、地鳴りというか」
耳をすましてみれば、確かに怒号のようなものが聞こえた気がした。
しかも段々と大きくなっているような……
ニィナと共にテントを出る。
「……ほう。これはこれは」
テントの右手側、平原の奥に見える丘の上。
ずらりと魔物の群れが足を踏み鳴らしていた。
「あ、あれ――ゴブリンっスよ旦那!?」
「ああ、見ればわかる」
人間の子供くらいの大きさしかないゴブリンどもが、ギイギイと喚きながらじっとこちらを見下ろしている。
テントが狙いかと思えば、そうではない。
左に目を向けると、青い鱗に泥を纏わせたリザードマンどもが、槍を手に丘のゴブリンをシャーシャー威嚇している。
「リザードマンまで!? なんスか!? ねえこれなんスか旦那っ!?」
「さあな。縄張り争いじゃないか?」
「に、逃げないと! ここ、奴らの中心っスよ!?」
涙目のニィナにぐいぐいローブを引っ張られた。
やめろ、破れたらどうしてくれる。
「奴らはもう臨戦態勢だ、逃げるには遅い」
「そんなぁ~っ!!?」
言ってるそばから、リザードマンの投げた短槍がズドズドとテント近くの地面に突き刺さる。
それを合図にしてゴブリンどもが突撃を開始。
土埃を舞わせながら両軍が迫ってくる。
「ひいっ!? ど、どうなっちゃうんスかっ!?」
「ゴブリンは人間の女も容赦なく犯すからな。それとリザードマンは人の肉が大好物だと聞くぞ」
「いやっ!! ニィナ、初めてがゴブリンとか絶対いやっスっ!!」
怯えたニィナは、オレの背にべったり張りついて離れようとしない。
背中に当たる柔らかい弾力を意識しながら、オレは一つ提案する。
「なあニィナ、取引をしないか」
「と、取引?」
「オレがもしあいつらをどうにかしたら、さっきの魔術書を譲ってくれるってのはどうだ?」
「どうにかって、どうするんスか!?」
ゴブリンどもは人間の武器も使う。
リザードマンの短槍に加えて、ゴブリンが放つ矢までも次々に地面へ突き立つ。
「おっと危ない。どうするニィナ? そろそろ決断しないと不味いんじゃないか?」
「い、いいっスよ! この状況を本当になんとかできるなら、ニィナの店のもの全部持っていってもいいっス!!」
「交渉成立だな」
胴にがっちり巻きついたニィナの腕をほどき、オレはローブから手の平に収まるほど小型の
あまりやりたくはないが魔術書のためだ。
仕方ない。
「な、なんスかそれ? どうするんスか?」
まだ不安げなニィナへ、オレは舌をベッと出して答える。
「特別に見せてやる。【二枚舌】をな」
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