第1話 地下迷宮都市で探検者たちはかく戦う(後編)

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 翌日――リッカさんの店にて。

「ふん、くだらない話だな。なにが〈淫紋〉だ」

 久々に顔を合わせた狼獣人のイギス・マンティコワが、持っていたグラスを一気にあおった。

 イギスは身長七タウ(約二メートル)に達する巨漢で、全身毛むくじゃら、大きな耳に鋭い牙を持つ。口の周りが白くなっているのは、今飲んだのがミルクだからだ。

 イギスは酒が苦手なので、いつも決まってミルクを飲む。すると、口の周りにも密生している毛にミルクが付着するのだ。

 ふふ、かわいい。

「おい、今撫でようとしたな? 撫でたら殺すぞ、人間」

 イギスがすごんでくるので、おれはあわてて手を引っ込めた。

「それよりも、探索の話だ。おれに声をかけずに未探索領域に出張ったらしいな。いったいどういうつもりだ?」

 いちおう、おれはこのイギスと、もう一人とで、パーティを組んでいる。パーティというからには、探索に行く時には一緒に行くのが当たり前だ。

「そうですよ、先輩、水くさいなあ」

 おれの脇腹を横からつつきながら言ってくるのが、もう一人の方だ。

 金髪・碧眼の美少年――といっていいだろう。オルカ・オーガスタ、魔術師だ。おれよりもたくさんコードが使える、まあ、魔法のプロといっていい。

 おれとは探索者養成学校で一緒に学んだ仲だ。同期なのだが、おれの方が年上に見えるということで、「先輩」と呼んでくる、変わったやつだ。

「でも、おまえ、実家に戻ってたろ? むしろ、いつ戻ってきたんだ?」

 オルカの実家は第二層にある屋敷街でもひときわ大きな家だ。オルカの父親はアリノスの魔術師協会の偉いさんなのだ。

「ええと、今朝ですが何か? 昨日まであちこちのパーティに連れ回されていたんで」

 オルカは繊細な光のような金髪を軽く撫でた。

 しれっとしてやがる。こういう奴なのだ。

 おれは獣人に向き直る、

「イギスだって、誘った時、ウタタちゃんの具合が悪いからって断ってきたろ」

 イギスは一瞬首をかしげ、それからうなずいた。

「ウタタ、今朝、熱も下がって、もう問題ない。だから、ここに来た。冒険行こうぜ」

 やっぱり、昨日だったらダメだったんじゃないか。

 ちなみにウタタちゃんというのは、イギスの妹で、人間の年齢に直せば十二歳くらい。粗暴な兄とまったく違って、とても良い子だ。だが、病弱でよく床にふせってしまう。そうなると、妹思いのイギスは看病にかかりきりになるのだ。

 むしろそんな時にイギスを冒険に連れだそうとしたら、本気で殺されかねない。

 第五層の未探索領域出現の情報はリッカさんから得たとっておきの速報だったから、仲間たちに声をかけ、都合の良い日を決めて出発するというような余裕がなかったのだ。まあ、リッカさんに指摘されたように、あわよくば聖遺物を独り占めしたい気持ちがなかったといえば嘘になるが。

「ウタタの薬のためにも、カネが要る。探索に行こう、レリク」

 せっかちなイギスが言いつのる。ウタタちゃんの病気の治療には特殊な薬が必要だ。その薬はこのアリノスで発見される聖遺物からしか作れない。だから、アリノスではその薬が比較的手に入れやすいのだ。イギスが森を出てアリノスにやってきたのは、ひとえにウタタちゃんの病気を治すためだ。

 だが、イギスはアリノスにやってきた当座は、人間との距離感が掴めず、どのパーティからもすぐに追い出された。ちょっとしたことで激高し、仲間に喰ってかかっていた――比喩じゃなく――のだから、パーティに受け入れてもらえなくてもしかたない。

 それで、しばらくソロで活動していたようだが――同じくソロだったおれと、ひょんなことから組むようになったのだ。

「いいですねえ、ぼくも実家で食事会だの舞踏会だのに付き合わされてうんざりしてたんです。いっちょ、行きましょう」

 オルカが入ってくる。彼がおれと同じパーティにいるのは、常識的に考えるならありえない。さっきも言ったように彼の父親は魔術師協会の偉いさんで、本人も探索者養成学校では頭抜けていた。正直、どんな大手のパーティでも――なんなら最深部探索をおこなう超エリートチームにだって参加できるかもしれない。

 先輩としておれのことを慕ってくれているのかもしれないが、かといって、おれの言うことにハイハイと従うわけではなく、どことなく見下されているような気もするし――掴みにくい奴だ。

「その新たに出現したという、未踏破領域に行ってみますか? 先輩が、ほとんどいちばん乗りだったんでしょ? お宝の在処とか、知ってるんじゃないですか?」

 オルカがそう重ねてくるが、おれは首を横に振った。

「おれはその領域の入口付近で大蜘蛛に出くわしたから……奥は全然見てないんだ。でも、もうとっくに有力なパーティに探索しつくされてるだろうな……」

 探索は早い者勝ちだ。未探索領域は強力な魔物が出るリスクもあるが、その分、実入りも大きい。本当に手つかずの領域ならば、高価で売れるA級聖遺物が発見されてもおかしくない。B級聖遺物であってさえ、おれの借金返済のペースは早まったはずだ。

 無理にでもこいつらを引っ張り込んで、パーティで出かけるべきだった。今さらながら、自分のセコさが恨めしい。

「そういえば、先輩、脚は大丈夫なんすか?」

 オルカが訊いてくる。ああ、そういえば、まだ話してなかったっけ。

 おれはズボンの右脚の裾をめくった。

 そこには、一本棒の間に合わせの義足がある。リッカさんが(借金に上乗せする形で)新たな義足を取り寄せてくれることになったが、届くまであと数日かかるそうだ。どうせ魔法付与する工房も〈アリノス〉の第二層あたりにあるはずなんだから、ちゃっちゃと届けてくれればいいのに……。

「これだと歩いたり走ったりは、まあ、できるけど、前のみたいに跳んだりはねたりできないな」

「えっ、じゃあ先輩、足手まといじゃないですか。ちょこまか跳びまわって魔物の注意を引くのだけが取り柄だったのに」

 オルカがずけずけと言う。こいつ、やっぱり、おれのことを莫迦にしてるな。

「どうでもいい。もとより、レリクなどあてにはしていない」

 イギスが吐き捨てる。言いつつも耳が少し折れて見えるのは、彼も少しがっかりしているのだろう。三人しかいないパーティだ。一人でも戦力が落ちると大きなダメージとなる。

「まあ、今日のところはなんとかなるさ。魔物が出たら速やかに撤退の方向で」

 ともあれ、だ。

 けっきょく、おれたち三人は、第五階層の未踏破領域に行ってみることにした。おそらくは多くの探索者たちが探索を始めているはずだが、それでも聖遺物が残っている可能性はあったからだ。それに、足が本調子ではないおれは、第五層より深いところに行くのはまだちょっと気が進まなかったというのもある。


      5

 おれたちが住んでいる第四層と第五層では、たった一層しか変わらないが、実際のところは大違いだ。第四層まではアリノス市街の一部だが、第五層からは迷宮ダンジョンがはじまるのだ。

 そこには、探索者のための安全地帯はあるが、そこから一歩出れば、魔物がいつ襲ってくるかわからない。ただ、すべての領域が探索済みであること、出てくる魔物もたかが知れていて、さほど危険はない。

 だが、そんな既知の階層にも、突如、新しい領域が現れることがある。迷宮は生きているのだ。少しずつ、変化し、成長を続けている。

 とはいえ、第五層のような浅い階層でそれが起こることは希だ。だからこそ、かき入れ時ということになる。比較的小さなリスクで、大きな収益をあげる好機なのだ。

 というわけで、第五層の端のほう、おれが大蜘蛛と死闘を繰り広げた、元・未踏破領域のあたりまでやってきた。

 第五層は曲がりくねった通路で構成された、いかにもダンジョンらしいダンジョンだ。未踏破領域は、そんな通路のひとつから、さらに枝分かれしていた。

 最初は人一人が通り抜けられるかどうかという入口だったが、今では、広く拡張されている。

 人の手が入った証として、魔法付与エンチャントされた松明が壁に設置され、それが奥まで続いている。

 内部には、おれたち以外にも、探索者のパーティが幾組もいて、あたりを探索していた。みんな考えることは同じなのだ。

 だが、彼らの成果は芳しくないようだ。

 顔見知りの探索者がいたので話しかけてみたが、彼は肩をすくめて嘆いた。

「このあたりはもう何も残ってない、さっぱりだ。奥の方は、エキスパートクラスのパーティが探索していて、おれたちのような弱小パーティを閉め出しやがったからな」

 探索者にもヒエラルキーがある。

 当然、経験、実力が高い者ほど位が高い。探索レベルというものが目安として設定されていて、だいたい以下の様な分類になっている。


 マスター:最深部を探索している、いわばダンジョンの達人たち

 エキスパート:二十階層~三十階層で希少な聖遺物を持ち帰る熟練者たち

 プロフェッショナル:十階層~二十階層で安定的に稼げる人々

 ノービス:ヒトケタ階層をうろうろしている初心者に毛の生えた連中


 別に公的にそういう定義があるわけではない。いつしか自然にそう分類されるようになっただけで、マスタークラスが浅い階層にいたら悪いわけではないし、逆もまた然りだ。ただ実力がない者が分不相応に深部に踏み込めば死ぬ、ただそれだけのことだ。

 ちなみに、おれ、イギス、オルカは当然のことながらノービスだ。もっとも、オルカなら、もっと高いクラスのパーティにも入れるかもしれないが……


 それはともかく、新たに生まれたダンジョンの奥――聖遺物が残っているかもしれない――を独占するなんて、ルール違反ではないのか。早い者勝ちのルールはあるが、他のパーティを閉め出す権限なんて、いくら高位のパーティにもないはずだ。

「それが、アースガルズ騎士団のやつらなんだ」

「えっ? あの……アースガルズ……?」

 おれは驚いた。

 アースガルズ騎士団といえば、三〇階層を超える最深部の探索を専門とする、さっきの分類でいえば、ガチガチのマスター軍団だ。おれを深部で助けてくれたパーティではないが、その勇名はつとに知られている。

 しかしながら、アースガルズ騎士団は謎の集団でもある。団長以下、数十名の団員たちは厳しい戒律を義務づけられ、外部との接触も許されない。しかも、彼らの目的は営利、すなわち聖遺物を掘り出して金に換えることではないらしい。

 他の探索者たちとは一線を画す、禁欲的な集団として知られていた。

 そのアースガルズ騎士団が、なぜ、こんな浅い階層を……? いくら未踏破領域であるとしても、彼らが食指を動かすような場所ではないはずだ。

「お、やつら、戻ってきたようだぞ」

 その探索者が、奥の気配を感じて、少し慌てたように言う。

「おまえたちもやつらにはみつからないようにしろよ、じゃあな」

 その探索者は、仲間とともに、雀の涙ほどの戦利品を持って引き上げていった。

 アースガルズ騎士団と出くわすのがよほど嫌らしい。

「どうします、先輩? ぼくらも引き返しますか?」

 オルカがやる気なさげに訊いてくる。こいつは一切判断というものをしない。いつもおれに判断を委ねるが、だからといって言うことをきくとは限らない。

「そんな必要があるか! やつらが引き上げてきたんなら、今度は俺たちが潜ればいい! お宝を手に入れるぞ!」

 イギスがわめき立てる。正論だが、アースガルズが乗り出すほどのダンジョンとなると、おれたち三人ではどうしようもないのではないか?

 その時だ。

「ここには入るなと言ったはずだぞ」

 厳しい声で叱責された。

 見れば、きらびやかで手の込んだ防具に身を固め、手に手に得物を持った探索者たちの集団が近づいてくる。

 これがアースガルズ騎士団か。

「さっきの連中とは違うようだが、貴様らも所詮はノービスか、それに毛が生えた程度の駆け出しだろう。ここはやめておけ、命が惜しかったらな」

 先頭に立つ長身の鎧武者が緋色のマントをひるがえしながら、傲然と言い放つ。声からすると女性だ、それも若い。

「あれが、アースガルズ騎士団の団長、アシュタルテですよ。アースガルズの団長は、代々アシュタルテと名乗っているんで……何代目かしりませんけどね」

 こそこそっとオルカが耳打ちする。こいつは出が出なので、探索者界隈の状況には詳しい。

 それにしてもこれがかの有名なアシュタルテとアースガルズ騎士団か。

 魔族との講和を実現したアシュタルテの約条――その立役者となったのが、当時、アリノス最深部――当時は二〇階層くらいだったそうだが――まで魔族を後退させたアースガルズ騎士団とその団長アシュタルテだった。

 当時の魔族の首脳は、これ以上人間と敵対し続けることは、自分たちの世界――ダークデプス――への人間たちの侵攻を招きかねないと考えたのかもしれない。

 意外にもあっさりと、魔族は人間世界への干渉をやめることに同意した。それだけではなく、アリノスの支配権も放棄した。

 それ以来、人間たちは、アリノスの最奥部を目指して探査を続けている。その最先鋒がアースガルズ騎士団だ。

 約条の名前になっているわりに、当時の団長・アシュタルテは講和に反対していたと言われている。いったん講和がなっても、魔族たちはいつでも好きな時に人間界に侵攻できる。だが、人間たちはいまだ魔族の本拠地を知らない。それでは、完全に対等な関係とは言えない――というのがアシュタルテの考えだったらしい。

 その考えを受け継ぎ、アリノスを完全踏破し、ダークデプスへの入口を見つけることこそがアースガルズ騎士団の代々の団長アシュタルテに課せられた使命なのだ。

「まったく――次からはこの入口にトラップを仕掛けておくべきかもしれんな。おまえたちのような死肉あさりが入ってこないように。それに、この奥にお前たちが欲するような聖遺物はもともと残ってはいないぞ。われらがとうに探査済みの場所なのだから」

 アシュタルテが上から目線で言ってくる。その言葉におれは違和感を覚えた。

 ――もともと聖遺物は残っていない?

 ――とうに探査済み?

 昨日、発見されたばかりの未探索領域ではないのか――?

 その疑問をどうアシュタルテにぶつけようか思案していたところ――

「あーーーーーーー! ひひひ、ひとでなしいいいいい!」

 奥から走ってきた小柄な女の人に指を突きつけられ、いきなり罵倒された。

 女クレリックだ。前回会ったときとは装束が少し違う――新品になっている――が、間違いない。

「あなたはまたっ! わたしにへへへへへんなことをしようと……っ!」

 なんと驚きだ。あの女クレリックはアースガルズの一員エリートだったのか。てっきりポンコツキャラかと。

「だっ! だれがポンコツですかぁ!」

 こいつ時たまおれの心を読むよな……。

 まあ、小声で呟いたのがばれたのかな。

「待て、アーセナ、こいつなのか?」

 アシュタルテがギロリとおれをにらみつける。

「この未探査領域で、おまえをがんじがらめに縛りあげ、硬く尖ったおぞましいモノでおまえの大切な部分を貫こうとしたばかりか、それが果たせぬとみるや、怪しげな店に連れ込んで、服を脱がして素肌を弄び、一生消えぬ屈従の証を刻みつけたという極悪人とは――」

 いやいやまてーい! なんだよ、それは。全然違うだろ。

「き、聞いていた話とちがいますね、先輩」

 オルカですら引いている。

 イギスに至っては

「き、貴様のようなやつが、幾度もウタタに触れたり抱っこしたりしていたとは――殺す! 今すぐ殺す!」

 牙を剥いてうなり声をあげる。

「ちょっと待てよ! なんだよ、そのデタラメな話は! おまえも否定しろ!」 

 おれは、こくこく頷いている女クレリックに向かって声をあげた。

 すると女クレリックも言い返す。

「否定も何もその通りじゃないですか! (ウォースパイダーに襲われて)がんじがらめに縛り付けられたわたしを(助けに来てくれたのはいいのだけれど)、硬く尖ったおぞましいもの《光の槍》でわたしの大切な部分おなかを貫こうとしたばかりか、(一見)怪しげ(には見えるけれど実際は素敵なダークエルフのお姉様が経営している)お店に連れ込んで(傷を治療してもらったのは感謝していますけど)、服を脱がして素肌を弄んだ挙げ句、一生消えない屈従の証を刻みつけた極悪人じゃないですか!」

 おい! いろいろ大事な説明が抜けてるぞ!? 助けに来てくれた、とか、傷を治療してもらって感謝、とか、そういうことをすっ飛ばしたら誤解されるだろ?

 最後については、まあ、あながち間違ってはいないのが辛いところだが。でも、一生消えないというのは正しくない。消す方法はある……あるにはあるのだが……。

 おれはたどたどしくも、実際にあったことをアースガルズ騎士団長に説明した。

「なあんだ、そうだったんですか、ぼくは先輩のことだからてっきり」

 オルカが納得する。いや、おまえやイギスには一応説明してたけどな。まったく信じていなかったんだな。

 騎士団長は半信半疑の様子だった。女クレリックに向かって確かめるように訊く。

「ウォースパイダーに襲われたところを、この男に救われたというのは本当なのか?」

「それは……まあ、本当ですけど……」

 唇を尖らせて身体をくねくねさせる女クレリック。僧服の奥に曲線を感じて、ついつい施術の時のことを思いだしてしまう。

 白くて張りのある肌、意外に豊かな胸のふくらみ、おへその窪みと、その下のツルツルな――ああ、いや、見てない、見てないぞ! あれはあくまで施術、魔法跡を安全なものにするための、治療――そう治療だったのだ。

 ああ、でも――

「ふぁ?」

 女クレリックの顔色が変わった。

 いきなり上気している。

 下腹部を手で押さえる。

「なななな何ですか、コレぇ」

 声がうわずる。

 ひどく汗ばみ、僧服が身体に貼りつく。身体のラインがくっきりと浮かび上がる。

「ももも!? もしかして、あなた、エッチなこと、考えてるんじゃあ?」

 いかん。淫紋が起動したらしいぞ。

 おれが女クレリックに刻みつけてしまった《エンチャントしちゃった》魔法は、女性に快感をもたらし淫靡な状態にしてしまうもの――その起動条件は、施術者であるおれがエッチな気分になったしまったときなのだ。

 これは、昨日、施術が終わった後に、リッカさんから聞かされた。

『ようするに、この魔法はレリクの気分次第なのさ。奴隷娼婦は主人がしたい時にその欲求に応えなければならないしねえ。嫌々応えられるよりは、ノリノリのほうがいいだろ?』

 だから、おれと女クレリックは「もう二度と会わない」「街ですれ違っても他人のふり」という約束を交わしたのであるが、一日もたなかったな。

 アリノスの迷宮は果てしなく深く広いが、人間が自由に出入りできる領域は限られているものなあ。まだまだ迷宮は謎だらけなのだ。

「な、なに、したり顔でうんうん頷いてるんです? わたしと顔を合わせたとたん、いやらしい気分になっるとか……この変態! んあ……はひ」

 という悪罵をついてくる女クレリックだが、甘い声を漏らしながら、自分で胸を揉みしだき始めたぞ。どっちが変態だ。

「ど、どうした、アーセナ!? こ、こんな公衆の面前で、おまえのように清楚で可憐な娘が……ばかな、これは、いったい?」

「ああああ……団長……たすけてえ……!」

 身もだえしながら女クレリックは騎士団長に保護を求める。騎士団長は女クレリックを抱きとめ、その痴態をマントの中に包んで隠す。

「これが……同期魔法だと? こんな破廉恥な……女性をいったいなんだと思ってる? まったくもって、許しがたい」

 ある程度は事情を知っているのか、騎士団長がおれをにらみ、吐き捨てるように言う。

「まったくですよ、先輩は女性をないがしろにしすぎです」

 なぜかオルカが横からおれを罵倒する。

 おまえ、味方しろよ! 仲間だろ!?

 イギスはといえば、さっきから黙ったきりだ。しきりに鼻をひくつかせ、耳を動かしている。おれの弁護をするつもりはないらしい。

「わざとじゃないんです! 光のスピアのコードと、その催淫魔法のコードが偶然似ていてですね……!」

 それに、おれは初めてだったんだ。女の子の素肌に触ることも……あ、あんな場所を見てしまったのも……動揺するに決まってるだろ? 手だってすべるっての!

「あーーーーーー! やっぱり見たんだ! 見たんだ、わたしの……目をつぶってる、って言ったくせにいいいいい!」

 マントの中から女クレリックの泣き声が聞こえてきた。

「アーセナを辱め、傷つけた、この悪党め……わたしは騎士団に入るとき、魔物は斬るが人は殺めぬと誓いを立てたが――その誓いを破る時が来てしまったようだな」

 騎士団長――アシュタルテが、女クレリックをくるんだマントを外し、長剣をすらりと抜き放った。周囲の騎士たちも殺気だっている。続いて数人が剣を抜きかけたが、アシュタルテはそれを制した。

「わが魔力の源泉たるアーセナの恥は、わたしが雪ぐ」

 配下の騎士たちはおとなしくその言に従った。

 ヤバい、この人、本気だ。

 正直、女クレリックには可哀想なことをしたとは思っている。それでも、命の危険は去ったのだし、残った淫紋もおれが近くにいて変な気分にならなければ何も悪さをしない。会わなければいいだけだ。

 それでも、女クレリック側が負ったものは大きい。淫紋持ちとなると、どうしてもその手の偏見や差別にさらされる可能性がある。この先、恋人ができたりしたら、淫紋はかなりの障壁になることが予想される。

 おれも義足を失ったり、それにともなって借金が増えたりしたが、女クレリックが負ったものに比べれば安いものだ。

 そのための謝罪はもっと真摯にするべきだろう。昨日はいろいろあって、おれと女クレリックとは早く離れた方がいい、ということになって、ろくに言葉も交わさないまま別れたのだが、誠意を尽くしたとはいえない。

 そうはいうものの、ここで命を代償にせねばならないというのも違う。だいいち、殺されたら死んでしまう。

 だが、騎士団長・アシュタルテは本気だ。長剣をひらめかせると、おれとの間合いを詰めてくる。さすがはアースガルズ騎士団をまとめるだけはある、見事な足さばきだ。

 なんていってる場合じゃない。

 おれはとっさに身を翻らせようとしたが、まだなじんでいない義足が床に引っかかって無様に転んでしまう。

「アーセナを汚した悪党め、少しはできるかと思ったが、素人に毛が生えた程度の素人か。だが、容赦はしない!」

 剣の柄を腰にため、一気に突き下ろしてくる。

 よけられない。

「あっあっ、団長だめー! やああああっ!」

 マントの中から女クレリックの制止の声が飛ぶが、悶えながらだから、なんだかエッチなことをしているようにしか聞こえない。

 一応、止めてくれようとはしてるんだよな?

 だが、騎士団長の動きを止めたのは,女クレリックの声ではなかった。

 激しく吹き鳴らされる指笛――急を告げる警報音。

 それは通路の奥の方――迷宮の深みから聞こえてきた。さらに、乱雑な足音、怒号のような複数の声。

「なにか匂うぜ……やばいな、こりゃ」

 イギスが鼻をひくつかせてつぶやく。獣人族のイギスの嗅覚は鋭い。

 奥からアースガルズの騎士たちが、うろたえた様子で駆けてくる。

 おれを串刺しにする作業の手を止めて、騎士団長が不快そうに振り返る。

「いったいどうしたのだ!? アースガルズ騎士団ともあろうものが! 勝手に持ち場を離れるな!」

 叱責するも、騎士たちの慌てふためいた様子に声の調子を下げる。

「――どうしたというのだ。なにがあった」

 すると、騎士たちが堰を切ったように喚きだす。

「奥が、あふれました! 深層から、直接、魔物の大群が押し寄せてきています!」

「ウォースパイダーが大半ですが、変異種もいるようです! とんでもない数で、奥に残った者たちが防壁を作って阻もうとしていますが、とてものこと――」

「な……んだと? 深層から魔物の大群が一気に、この第五層に――?」

 アシュタルテの整った顔が歪む。マントにくるまった女クレリックの顔も蒼白だ。

「ただちに第四層――いや、全階層に連絡しろ!」

 アシュタルテが配下の騎士たちに指示を飛ばす。

「地獄の釜が開いた! アシュタルテの約定――休戦協定は破られた――と!」



 後から知ったことだが、今回、第五層に現れた未探査領域――新たに生まれた迷宮――は、実に三〇層を越える深み《デプス》につながっていたのだ。

 いつものように深層を探索していたアースガルズ騎士団は、既知の領域から未探査の領域に踏み入った。昏き深淵ダークデプスの底を見きわめ、魔族たちの世界への道筋を探るためである。

 探索行には、女クレリックも加わっていたらしい。

 その女クレリックの姿が突如消えた。アシュタルテ以下、騎士団の面々は女クレリックを探したがみつけることができなかった。

 どうやら、この時、女クレリックは第五層につながる跳躍ワープ通路に、偶然、踏み入ってしまったようだ。

 離れた階層と階層をつなぐ通路は跳躍ワープ通路と呼ばれ、これまでも知られてはいたが、せいぜいが数階層を隔てた場所をつなぐもので、三十層を超える深層と、第五層といった浅い階層を一気につなぐものは見つかっていなかった。

 探査中に騎士団からはぐれた女クレリックはその通路に迷い込み、おそらくはウォースパイダーも女クレリックを獲物として追ってきたのだ。

 深層では典型的な雑魚敵である大蜘蛛も、一人で対するとなればかなりの難敵だ。ましてや攻撃魔法を使えない女クレリックはなすすべもなく、糸に絡めとられ、餌になる神前までいった。

 そこにおれが出くわしたのだ。

 アースガルズ騎士団も半日遅れで跳躍ワープ通路を発見し、深層から一気に第五層まで戻ってきたという。

 第三〇層といった深い階層から戻ってくるには、およそ三、四日はかかる。それも既知のルートを使い、戦闘を最小限に抑えたとしてもだ。

 それが昨日の今日で戻って来れたというのは、跳躍ワープ通路ならばこそだ。

 この通路はものすごい変革をアリノス攻略にもたらすものといえた。

 なぜならば、第五層という比較的安全な階層から、一気に三〇階層を超える深部デプスに到達できるのだ。これまでのように、長い行程で疲弊することなく、一気に未探査領域を踏破することができるようになる。

 そのためのルート保全を、昨夜からアースガルズ騎士団は行なっていたのだ。

 当然のことながら、深部と直接つながっている迷宮は、たとえ第五層といえど、危険度は高い。それでアースガルズ騎士団はこの通路を管理下において、ビギナー程度の技量しか持たない探索者たちを閉め出していたというわけだ。

 だが、跳躍ワープ通路は、逆にいえば、深部デプスに棲まう強力な魔物たちがやってくる道筋にもなる。

 ただし、魔物にはその魔物に合った環境というものがあり、深部デプスで繁殖している魔物は浅い領域に自ら押しかけてくるとはないはずだ。

 だが、誰かがそれを促したとしたら――魔物を操り、人間世界を蹂躙しようとしているのだとしたら――

 それができるのは魔族しかいない。

 百年ほど昔に交わされた休戦条約は、今この瞬間、魔族によって破棄された、と判断するしかないだろう。


       6

 ウォースパイダーの大群が押し寄せてくる。

 人間の大きさをはるかに超える大蜘蛛――赤い八つの目をギラギラ輝かせ、大きな顎を閉じたり開いたり――

 騎士たちが防戦しようとするが、たちまち大群に呑み込まれ、断末魔の声を上げる。

「防御陣、急げ! ここを突破されたら、安全区が飲みこまれるぞ! ましてや第四層には絶対行かせてはならん! ここで食い止めるんだ!」

 アシュタルテが配下の屈強な騎士たちを並べて、壁を作らせる。だが、総勢、ほんの十数名ほどだ。通路一杯に埋め尽くす魔物の大群にはたして対抗できるのか。

「アーセナ! 頼む! 皆に力を!」

「は……はい、団長」

 女クレリックは騎士たちの後ろに回り、呪文コードを唱え出す。なんと、ちゃんと魔法が使えるのか――まあクレリックだしな。それもアースガルズ騎士団に所属している、いわばエリートだ。

 指先が動く。光を発して、その軌跡を描く。

 盾の文様――防御力を高める魔法付与エンチャント呪文。

防壁ディシルド!」

 青い光が騎士たちを包み、鎧ごと巨大化する。目の錯覚ではなく、実際に一回り、いや二回りほど大きくなった。

 殺到する大蜘蛛たちの先陣が騎士の壁に当たり、跳ね返される。そしてその大蜘蛛は爆発四散した。騎士が魔法付与エンチャントされた剣で攻撃したのだ。

「行くぞ! 切り込む!」

 騎士団長が配下の騎士を引きつれ、防壁の隙間から前線に飛び出す。

 たちまち、ものすごい戦闘が始まった。

 さすが騎士団長、強い。目にもとまらぬ剣さばきで、大蜘蛛をけちらしていく。その配下も騎士たちも凄腕揃いで、団長ほどではないが、確実に魔物を屠っていく。

 考えてみれば、彼らの主戦場である深層では、ウォースパイダーのごときは雑魚なのだ。

 とはいえ、無数に涌き出してくる大蜘蛛の大群にさしものアースガルズ騎士団も圧され気味だ。

「アーセナ!」

 団長が叫ぶ。女クレリックは急いで団長の傍に駆け寄る。

「いつものやつを頼む!」

「は、はい!」

 女クレリックは掌を騎士団長の胸当てにつける。

「再充填(レブルト)……!」

 騎士団長の甲冑が光を放つ。魔法付与エンチャントされた甲冑に、さらに魔力を流し込んでいるらしい。

 魔力が横溢した状態になると、騎士団長は再び大蜘蛛たちの群れに飛び込む。

 そうか。騎士団長の強さの秘密はあの甲冑いあるのだ。動きを速くし、打ち込みの力強さも向上させる。防御力もより高まるのだろう。だが、全力で動け続ければ、エンチャントされた魔力もすぐに底をついてしまう。おれの「光のスピア」のコードが数秒しか持たないように――

 女クレリックは、他の騎士たちにも次々に魔力を与えていく。

 じっとりと額に汗をかいている。魔力を他人に分け与え続けるというのがどんな重労働なのか、おれには想像もつかないが、女クレリックの顔色をみると、ひどく真っ青になっている。

「リ――魔力充填リブルト……」

 騎士の最後の一人に充填し終わると、女クレリックは足元をふらつかせ、その場に倒れこんだ。

 騎士は女クレリックを一顧だにせず、すぐさま前線に飛び込んでいく。

 激闘の最中だから、致し方ないとはいえ……多少の気遣いがあってもいいんじゃないだろうか。

 おれは女クレリックに駆け寄った。崩れ落ち、息も絶え絶えな女クレリックの身体を抱き起こす。

「大丈夫か?」

「あ……あなた……まだ逃げていなかったんですか? 素人は早く安全地帯に……」

 驚いたように女クレリックが言う。そして、汚らわしいとでも言いたげにおれから身体を離し、また突っ伏す。

「おい、無理するな。もうヘロヘロじゃないか。おまえこそ、下がって休めよ」

 女クレリックの肩に手を手を掛ける。ビクンという震えが伝わるとともに、相手の身体の柔らかさと骨格の細さを同時に感じる。

「いや……触らないで……」

 だが、声は弱々しい。

「あんなに連続して魔法付与エンチャントしてたら、身体がぶっ壊れるぞ? てゆうか、あんなにどうやったら魔力を供給できるんだ? いったい何人分の――」

 おれが言いかけた時だ。前線から声が飛んだ。騎士団長だ。

「アーセナ! 持ち場を離れるな! 来い! 魔力をくれ!」

 騎士団長は大蜘蛛を数匹同時に相手にしながら叫ぶ。

 剣からほとばしる赤光は魔力そのものだ。おしげもなく魔法を使いながら、次々と大蜘蛛を屠っていく。他の騎士たちもだ。思う存分に魔力をふるっている。

「すごいですね、あれがアースガルズ騎士団の戦いぶりですか。超高価な武器や防具を揃えて、ふんだんに魔力を使った圧倒的な戦い方をするという噂でしたが」

「ふん、あんなのは戦いじゃない。ただただ魔力を垂れ流しているだけだ」

 いつの間にか、オルカとイギスも近くに来ていた。逃げていなかったのか。

「くっ……」

 女クレリックが身体を起こす。

「お、おい」

 とめようとするおれの腕を払いのけ、よろよろと立ちあがる。ぽたり、床に赤い雫が垂れる。

 見れば、女クレリックは鼻血を出していた。

「早くしろ! アーセナ! もたもたするな!」

 せっつく騎士団長。

 女クレリックはびくりと背を伸ばし、歩き出そうとする。鼻血は激しさを増すが、それを厭う余裕もない。

 おれは女クレリックの腕を掴んだ。細い、だがそれよりも、ぞっとするほどに冷たかった。

「行くな、これ以上、魔力を他人に供給したら、あんた、死ぬぞ」

「はなして……ください」

 女クレリックは一点を見つめたままでつぶやくように言う。

「いかなくちゃ……いけないんです」

魔術付与エンチャントは、大がかりなものなら数日がかりで少しずつ魔力を充填するはずだ。あんな急激に――それも大勢を相手に――無茶だ」

「そうしなきゃ、いけないんです」

「なぜだ!?」

「あなたに何がわかるんです? わたしは魔法なんて使えない。ただ、魔力をため込んでいるだけなんです。魔力を使ってもらう――それ以外に役に立てないんです。アースガルズだろうがどこだろうが――わたしには、それしか――」

 割って入るように騎士団長がわめく。

「遅い! 拾ってやった恩を忘れたのか、アーセナ! もう、逃げることは許さんぞ!」

 鞭で打たれた競走馬か、ほとんど発作のように女クレリックは走り出す。脚がもつれて転びそうになりながら、追い立てられるように。

 そして、騎士団長の傍にまでやってくると――

 胸元を大きく広げた。

「直接もらうぞ。もう後がない」

 騎士団長は、女クレリックの心臓のあるあたりを、ぐっと握り締めた。

 白い柔肉がゆがむ。

 女クレリックは声もなく、苦悶の表情を顔に刻みつける。

 同時にそのあたりがまばゆく光った。

 騎士団長の甲冑に力のようなものが流れ込んでいく。

 甲冑が輝き、武具にもみなぎっていく。まるで血流が行き渡っていくように。

 それに反して、女クレリックの身体が細くなって、そして消えていくように見えた。

 実際は消えてはいない。だが、いまこの時、女クレリックの残りわずかな生命力さえ、根こそぎ吸い取られていく――そんなふうに見えた。

「いいぞ、アーセナ、極上の魔力だ。これなら、これなら、勝てる!」

 騎士団長の肉体にも魔力は満たされていったのだろう。疲労が消え去り、気分も高揚しているようだ。

 騎士団長はきびすを返すと、迫り来るウォースパイダーに向けて剣を一閃した。刃から放たれた光が魔物を両断する。 

「行くぞ! 深淵の者どもを闇に押し戻すぞ!」

 おうと騎士たちが気合いを放つ。彼らも女クレリックから魔力を充填されている。

 力を得た騎士たちは、大蜘蛛を蹴散らし、大群を押し返していく。

「アーセナ! 戦線を離れるな! また補充がいるぞ! 魔力をよこせ!」

 騎士団長の怒号に、女クレリックがよろよろと身体を起こす。白い胸元には赤い手形が刻みつけられている。むき出しの胸をかくし余裕ももはやないようだ。

 おれは上着を脱いで、女クレリックの肩にかけた。

 ぼんやりした顔で女クレリックはおれを見上げた。その目は――たしかにあのときの目と同じだ――大蜘蛛の餌になりかけていた時の――

 だが、大蜘蛛に襲われたことだけが、あの目の理由だったのだろうか――いや、そもそも、一人で迷宮をさまよっていたのは――何からか――誰からか――逃がれようとしたためではなかったのか。

「逃げよう」

 おれは女クレリックの腕を強く引いた。

 女クレリックは、何を言われたのか理解していないようだった。

 ちいさく、いやいやをした。

「……いかなきゃ」

 女クレリックの双眸は濁り、鼻からの出血は止まらない。

 朦朧としながらそれでも、騎士団長たちの方へと向かおうとする女クレリックをおれは抱きしめた。

「あいつらのところには戻るな」

 耳元で囁くように、でも、しっかりと届くように、おれは言った。

「あんたのことは、おれが守る」

 ぼんやりとしていた女クレリックの目の焦点が合っていく。

「え……?」

 ようやく、おれの腕の中にいることを自覚したらしい。

 ぐったりとしていた身体に不意に力が入った。だが、今度はもう逃がさない。

「あんたを死なせたくないんだ。だから、おれと一緒に来てくれ」

 とにかく、ここから離れないと――

「ええ、え……あの……それって……」

 女クレリックの顔が真っ赤になり、目が潤んでいる。泣きそうなくらい、怖いのか? おれは女クレリックを安心させたい一心でうなずいた。

「おれを信じてくれ。おまえのことを、守ってみせる」

 とりあえず、この危険な場所から出るまでは。

「はわわわわわ……」

 女クレリックはわなわなしている。どうやら、気力も体力も戻ってきたようだ。

「あの……それ……本気で……?」

 上目遣いで訊いてくる。疑い深いな……だが、仕方ないだろう。毛嫌いしているおれのことを、そうそう信じられるわけはない。

 だが、ここでグズグズと問答をしている暇はない。

「本気だ。誓う、あんたを守り抜くことを」

「ふえええ……」

 女クレリックの身体から力が抜ける。蕩けてしまったかのようにくったりとなる。おいこれ、これだと逃げられないだろうが。しゃんとしろ。

 だが、はだけられた胸元から立ち上る女クレリックの匂いに、おれの理性もちょっと怪しくなる。

 女クレリックの身体から熱を感じる。抱き心地のよさがやばい。

 見れば女クレリックの桜色の唇が半開きになって、舌が覗いていた。ちろり、と舌先が動くのが見えて、脳髄の軸がぐらりときた。

 軽くまぶたを閉じた女クレリックの表情がやけに可愛く感じられて――

「おい! そこ! 何をやっている!」

 怒号だ。見れば、騎士団長が激怒しながら走ってくる。

「前線から離れるなと、あんなに――! しかも、何を男と乳繰りっている!?」

 だが、騎士団長自ら前線を離れてどうするよ。

 案の定、残った騎士たちはたちまち劣勢に陥り、巨大なウォースパイダーの突破を許した。それも、ものすごいデカブツだ。これは深層部――それも二十階層超えの深部にしかいない、ウォースパイダーの上位種キングスパイダーだ。

 からあきの騎士団長の背中めがけて突進してくる。

 ようやく異変に気づいた騎士団長は、あわてて振り返って剣を振るったが、間に合わず剣を弾かれ、自身も吹き飛ばされる。

 まっすぐにキングスパイダーはおれと女クレリックに向かってくる。おれたちの背後には安全区がある。そこには多くの人々――女性や子供もいる。

 おれは義足を取り外すが――これは魔法付与エンチャントされていない、ただの木の塊だ。

 女クレリックがしがみついてくる。柔らかい身体がまとわりつき、首筋に唇が当たる。

 なんだろう、この焼け付くような、むずがゆいような、切ない気持ちは――

 これまで味わったことのない――強い欲求だ。

 生きたい、いきたい、イキたい――

 この愛おしい生き物と一緒に――


 何かが流れ込んでくる。女クレリックの、ぴったり押しあてられた下腹部から――淫紋が刻まれているあたりから――奔流のように、熱い想いが――力が――おれの下腹部に――そして、全身に――

 起った、おれは猛り狂って勃ちあがった。

 女クレリックを背中にかばい、片足だけですっくと立つと、手にした義足を振りかぶった。それは滾っていた。女クレリックから受け取った魔力がおれの体内を巡り、術式によって純粋な力に変換されて、義足に付与エンチャント――いや、充填リボルト――それすらも超えて過充填オーバーブーストされた。

 片手をつき、片脚で迷宮の床を蹴って、跳ぶ――いや、飛ぶ。

 ウォースパイダーの八つの目のが並ぶ頭部の中央部――眉間と呼んでいいのか定かではないが――その一点に義足を叩きこみ、術式を発動させる。

「光の矢!」

 魔力が光と熱に変換され、矢となって、キングスパイダーの頭部を胴体を、その存在そのものを貫き、引き裂き、四散させた。



 大物を倒し、人々は歓声をあげていた。

 安全区から人々が飛び出してきた。みな熱狂している。

 力尽きて膝をついたおれのに傍には、女クレリックが駆けつけてきた。なぜか知らないが泣いているようだ。

 イギスとオルカもやってきた。口々に何か言った率ようだが、全てを放ったおれの意識はもうろうとしていて、何が何だかわからない。頭や肩を痛いほど叩かれる。

 まるで、英雄をたたえるかのように、抱え上げられた。

 おれは――やったのか? レリク・ストレイシープは、名もなき探索者とは違う、何者かになれたのだろうか――?


 そして、アリノスは救われた――なんてことはなく。


 キングスパイダー一匹を斃したくらいで状況が好転することはなく、騎士団長を負傷で欠いたアースガルズ騎士団も総崩れとなり、大蜘蛛をはじめとする魔物の大群は第五層に満ち、安全地帯は完全に包囲されたのだった。


                            第一話 おわり

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