アリノス戦記

琴鳴

第1話 地下迷宮都市で探索者たちはかく戦う(前編)

        0


 アリノスは地下に広がる巨大な迷宮都市である。


 かつて、その場所は〈昏きダーク深淵デプス〉と呼ばれていた。

 今より数百年昔、深淵デプスからあふれ出した無数の魔物たちが大地に満ち、数多の国々が滅ぼされた。一節によれば、世界の半分が魔軍の手に墜ちたという。

 魔物たちを使役するのは魔族と呼ばれる、人に似た、人ならざる者たち。彼らは、深淵の底から現われ、魔法という超常の力を操った。

 人間たちは絶滅の危機に陥った。だが同時に、相互に争い合っていた国々が団結するきっかけにもなった。連合を組んでの反攻が始まったのだ。

 そして、魔族も一枚岩ではなかったのか、人間たちと結ぶ者も現れた。それにより人間たちは魔法の奥義を知ることとなった。

 魔族から得た魔法の奥義を用いて、人間たちは魔力付与エンチャントの技術を編み出した。武具や防具などに魔法の力を与えることで、魔族ならぬ人の身であっても魔法を扱えるようになったのだ。

 こうして、魔軍に対抗する力を得た人間たちは、徐々にだが奪われた領土を回復していった。

 そして、ついに、魔軍が生み出されてくる根源、〈昏き深淵〉にまで攻め込んだのだ。

〈昏き深淵〉は広大な地下迷宮だった。

 その攻略には数十年もの時間を要したとされる。

 しかし、ついに、魔族は折れ、人間との間に休戦協定〈アシュタルテの約定〉を結ぶことに同意した。

 この協定に従い、魔族は自らの世界へと引きあげ、放棄された迷宮は人間側に委ねられた。

〈深淵〉は結界に閉ざされ、魔族も去っていったが、迷宮にはなお多くの魔物が跳梁跋扈していた。だが、同時に、無尽蔵といっていい、魔法に関する遺物が残されていたのだ。それらは聖遺物ホーリィレリックと呼ばれ、高値で取引された。

 人々は迷宮に潜り、聖遺物を探すことに狂奔した。

 迷宮の周囲には街ができ、さらに街は迷宮の内部にも拡大していった。

 探索し尽くされた迷宮の浅い階層は、人間が暮らす領域に変わっていったのだ。

 そしていつしかその地下迷宮都市は〈アリノス〉と呼ばれるようになった。

 休戦からおよそ一〇〇年、いまやアリノスでは、世界中から聖遺物を買い求める商人が集まり、迷宮から掘り出された聖遺物に関するありとあらゆる商いが営まれている。

 聖遺物の値打ちを見きわめる鑑定屋、聖遺物から魔法の力を取り出し武具や防具などに加工する記銘屋、魔法売りと呼ばれる魔術使いや占い師、そして、ダンジョンに潜って聖遺物を探す探索者たちと彼らに寝床と食事を提供する宿屋、酒場、食堂――

 万にも届こうかという数の人間が地下都市にこもり、ダンジョンから遺物を採掘すること、および関連の仕事で生計をたてる、そんな場所になったのだ。

 しかし、迷宮は依然として変化を続けている。現在のところ三十数階層まで探索の先鋒は到達しているが、深部からは、今なお、前例のない貴重な聖遺物が持ち帰られることが珍しくない。それどころか、既知の階層にあってさえ、日々新たなルート、新たな領域が発見される。迷宮は今もなお、成長と変化を続けているのだ。

 そういった聖遺物は、各国の商人が我先にと買い取っていく。これまで知られていなかった新たな魔術を生み出す可能性のある希少な聖遺物であれば、目の玉が飛び出るほどの額で買い取ってくれる。発見者は一夜にして大金持ちだ。

 同時に、帰ってこられない探険者たちも毎年、数十人を数える。

 危険と隣り合わせだが、一攫千金が狙える世界がそこにはあるのだ。

 だから、次々と新たな探険者たちがアリノスにやってくる。まるで――虫が食虫植物の放つ芳香に惹きつけられるかのように。


          1

 遭遇してしまった。

 赤い目だ。それが八つもある。

 人間の背丈を超える巨大な蜘蛛。

 ウォースパイダーだ。

 その大蜘蛛は――実際の種属として蜘蛛であるのかはわからないが――しゅうしゅう音を立てながら糸を吐いていた。尻からではなく口から糸を吐いているというのは、やっぱり、魔物であって、本来の蜘蛛とは別種の生き物なのだろう。

 だが、糸を吐く目的は同じようだ。

 食餌のためだ。

 一人の小柄な探索者が床に引き倒され、腰のあたりまで糸に巻かれている。こうやって獲物の自由を奪ってから、体液を吸うというのがウォースパイダーのやり方なのだ。

 なんてこった。こんな浅い階層で、大蜘蛛のダイニングキッチンの新装開店にぶち当たってしまうとは――。新しいルートが生成されたという情報にホイホイ乗った報いかもしれない。リッカさんめ、恨むぞ。

 ともあれ、ここは逃げの一手だ。他に仲間がいればまだしも、今日は単独行だし、もともとあんなでかい魔物と戦って無事で済むとは思えない。

 このクラスの魔物に出くわすのは、だいたい第十階層から下で、この第五階層ではまずないことだ。おそらくは、新しく生まれたルートで、まだ、他の探索者が浚っていないからだろう。逆にいえば、手つかずの聖遺物を掘り出せる機会とも言えるのだが、死んでしまってはしかたがない。

 今や大蜘蛛の滋養になりかけている探索者も、一攫千金を夢みて、おれよりも一足早く、未探査ルートに踏み込んだのだろう。

 ことによっては、今、糸に巻かれているのはおれだったかもしれない。そういう意味では、おれに先んじてくれてありがとう、と礼を言うべきなのかも。

 成仏してくれ、名もなき探索者よ。

 おれは心の中で合掌し、きびすを返した。とっとと逃げるためだ。,

 そこに、 

「た……たすけてくださぁい」

 声が聞こえたような気がするが、まあ気のせいだろう。

「たすけてくださいよぉ……」

 うーん、寝不足かな。幻聴が聞こえる。ここのところ、リッカさんの店で夜更かししているからな。酒も少し控えたほうがいいかもしれない。

「みすてないで……くださあい……ひいいいい」

 長く尾を引く悲鳴。しかたなく振り返る。

 なんということだ。大蜘蛛の餌――いや、大蜘蛛に襲われた探索者はまだ生きていたのだ。ふつう、一撃食らって即死するか、よくて半死半生になっているはずだが――

 だが、この探索者がタフなのか、大蜘蛛の詰めが甘かったのか、はたまた単なる僥倖か、生きたまま糸に巻かれる羽目に陥ったようだ。

「もう、にげませ……がばばばばば……」

 途中で声がくぐもったのは、糸が口元まで覆い始めているからだ。ほとんど白い繭のようになっている。

 このままいけば窒息する。

 探索者の身体が起き上がる。自分の意志でそうしたのではない。糸に引っぱられてそうなったのだ。いよいよとどめとばかり、糸を巻き付けていく。まるで糸車のようにだ。

 で、目が合ってしまった。

 鼻からは激しく出血し、大きな瞳から涙があふれている。そうしながら、懇願するような目をしている。助けを乞う、必死すぎる視線。

 その探索者からすれば、きっとおれは手練れの探索者で、この危機を大刀の一閃でなんとかしてくれる、という幻想を抱いているのだろうが――

 申し訳ないが、おれにそんな力はない。いつも四層五層の安全地帯の周辺で、ガラクタのような異物を拾って糊口をしのいでいる小物なのだ。大型の魔物と戦って勝てるような強者ではない。腰の剣は、わりとマジで飾りなのだ。

 糸に巻かれていく。鼻が覆い尽くされ、血の染みがみるみる広がる。さらに露出している顔の面積は減り続け、目元まで隠されていく。それでも必死でおれのことを見つめている。

 死にたくないんだろうな。

 わかる。おれだって死にたくはない。

 見るんじゃなかった。ほんと、さっさと逃げるべきだった。

 おれは剣をぬいた。おれの稼ぎで揃えることができた安物だ。魔法エンチャントなんてもちろんかかっていない。太めの大根を切るのにも苦労しそうな、筋金入りのなまくらだ。

 可能性があるとすれば、大蜘蛛が餌の支度に夢中になっているところを奇襲することだ。

 一撃でも喰らわせることができればいい。

 もしかして、こちらに注意を引きつけることができれば、大蜘蛛を探索者から引き離すことができるかもしれない。

 そして、おれのとりえといえば逃げ足の速さだ。大蜘蛛よりも速く走って、この新たに出現した未探索領域から脱出すれば、そこから第五階層の安全地帯まではすぐだ。

 安全地帯というのは、ダンジョン内に設けられた、探索者のための施設だ。魔物の侵入を阻む防壁がしつらえられ、内部には商店や休憩所、医療所などもある。一桁台の階層には大小の違いはあるが、必ず備わっているものだ。

 そこまでいけば、おれよりも強い探索者もいるだろうし――

 だが、そんな皮算用はまったく役に立たなかった。

 大蜘蛛への距離を詰めようとそろりそろりと歩を進めたかと思ったとたん、大蜘蛛は頭をくるりと回転させて、おれのことを睨みつけたのだ。

 八つの目のをギラギラさせて。

 糸を吐いた。いや、糸というよりは粘弾か。

 アレに当たると鳥もちのようにくっついて、身動きができなくなってしまう。

 おれはかろうじて身をかわす。

 だが、持っていた剣に当たって、あっさりともぎ取られる。

 丸腰だ。

 逃げたい。

 今なら、まだ。

 だが、床に転がった探索者の姿が目に入ってしまう。おれの接近に気づけた蜘蛛は、いったん食材への加工を中断したようだ。だが、ぐるぐる巻きにされた探索者は身動きもままならないようで、芋虫ほどの動きもできないようだ。それどころか呼吸が苦しいらしく、弱々しくのたうち、くぐもった声を上げるばかりだ。

 ぼえ、ぼええええ、とかそんな感じの。

 おれが見捨てたら、数分後には探索者は確実に死んでしまう。助けを呼びにいってもぜったい間に合わない。

 ちくしょう――やるしかないじゃないか。

 おれは丸腰のまま、声を上げながら、巨大な大蜘蛛に突進した。

 勇ましい声だったらいいのだが、客観的には「ひょああああああおええぁ~!」みたいな感じだったろう。

 とにかく当たれ、とばかりに蹴りを放つ。

 だが、腰が引けていて、距離も届かず、おれの右脚の蹴りは空を切った。

 そこに、粘弾が襲いかかる。

 粘弾――といっても蜘蛛の糸だ。衝撃は軽いだろう――とはまったくの計算違いだった。

 おそらくはものすごい速度で撃ち出されている。それも先端部分はかなり大きな塊――ちょっとしたスイカくらいありそうだ。それが、おれの右脚のすねに激突したのだ。

「がああああああああッ!」

 激痛が走り、ベキッという音がしたかと思うと――

 おれの右脚がもげていた。

 いやというほど床に叩きつけられる。

 粘弾――蜘蛛の糸に持って行かれたおれの右脚――膝から下部分――が蜘蛛の糸にたちまち絡め取られる。戦利品とも言いたげに、高く掲げる。あの蜘蛛の糸は吐き出す一方ではなく、触手のような使い方もできるようだ。

 おれは全身を走る激痛に身もだえした。

 だが、じっとしていたら第二撃を喰らってしまう。

 必死で床を這って――立ちあがることはもうできない――粘弾の射程外に逃れる。

 右脚の断面からは、わずかな出血があった。接続部の皮膚と肉の一部を持っていかれたらしい。

 ――そう、おれの右脚は義足なのだ。

 これがおれの奥の手――というか脚だけど。

 この義足はおれの唯一の財産と言えた。おれの命も含めた全所有物のなかで、最も高価なものだ。

 魔法付与エンチャントされた義足で、装着していると、魔法の力で生身の脚とまったく変わらない働きをする。むしろ、生身の脚より性能がいいくらいだ。

 戦闘力をほとんど持たないおれが、浅い階とはいえ、ソロでダンジョンを徘徊できるのも、この義足による「逃げ足」のおかげだ。

 義足には外部から魔法が植えつけられているのだが、その力は任意に解放することもできる。そして、解放した魔法の力に一定の働きを与えることができれば、それは武器にもなるのだ。

 おれの脚をもぎ取った大蜘蛛は、味見でもしようというのか、義足をからめとった触手を口元に引き寄せる。

 吹き飛ばされ地面を転がりながら、おれはひとさし指をたて、印字を描く。

 熱と光をイメージ、できるかぎり、細く、強く、鋭い――槍を思い描く。

「光の槍(スピア)!」

 たぶん三回に一回くらいしか成功しない、おれの呪文コードが通った。

 義足の形が瞬時に変化、尖った光の槍になる。

 残存する魔力の蓄積量からして、作用時間は十秒もない。それ以上は槍の形を維持することはできない。

 頼む!

 赤く伸びた光がウォースパイダーの口元に突き刺さる――と思った瞬間、大蜘蛛は頭を振りたくり、光の槍をかわした。

 すると、なんという不幸か、その光の槍の伸びた先が、大蜘蛛の足元に転がっていた繭を直撃した。

 告白すると、おれが使える攻撃魔術はこの〈光の槍〉ひとつきりで、成功率は低く、持続時間も残念の一語だ。実はまともに標的に当てたことはないのだ。そういう意味では、初めての戦果だ。ビンゴ!

「ひゅいたぁっっっっ!」

 繭が悲鳴をあげた。あ、いや探索者だ。

 光の槍が薄れていく。時間切れだ。義足の形に戻っていく。もはや魔力がなくなり、元の形にもどっていくのだが、よかった、探索者の土手っ腹を貫く前に効力が消えて。あれなら、先っちょがちょっと入っただけだろう、たぶん。

 だが、万策は尽き果てた。おれの物理攻撃能力で大蜘蛛を仕留められるはずもなし、逃げようにも片足では敵を振り切ることは不可能だ。おそらく数分後には繭が二つになって、大蜘蛛はリッチな昼食を楽しむことになるだろう。

 そのときだ。魔力を失い、元の形に戻りかけた義足がいきなり光り輝いた。

 真っ白な輝きだ。さっきまでの赤い光よりもさらにまばゆく、強く、伸びていく。光の長槍の切っ先はその形を様々に変形させながら、大蜘蛛に伸びていく。

 ザシュウウウウウ!

 外骨格を貫き、頭部から尻までを一気に串刺しにする。

 光が青みを帯びたかと思うと、瞬時に大蜘蛛の体内を焼き尽くす。

 組織、体液を蒸発させる。

 光が消え失せたかと思うと、中身を失った外骨格だけがガラガラと崩れ落ちる。

「な……なんだ、いまのは……」

 おれは片足でへたりこんだまま、気の抜けた声をだした。

 おれの光のスピアは確かに魔力が切れて、効果がなくなっていた。

 それが突然再起動したように見えた。それも、おれが発動させたコードで定義された威力よりも遙かに高いレベルの力だった。

 一撃で大蜘蛛を屠ってしまうほどの――

「うぎぃい……くるしゅい……おなかいらい……」

 繭の中から悲鳴が漏れ出てくる。

 どうやら息はできているようだ。

 はたして、繭の中の探索者は自力で歩けるだろうか? 歩けたらいいな……

 なぜなら、おれは自力ではもはや一歩も歩けないのだから。

 

        2

 アリノスの第四層といえば、まあ、田舎というか、僻地というか、危険地帯と隣り合わせというか、要するにあまり住環境ガラがいいとはいえない。

 安全地帯から一歩踏み出せば、雑魚とはいえ魔物がうろちょろしているし、たまに群れをなした魔物が市街の中にまで攻め込んでくることさえある。

 家を一歩出たら武装は欠かせないくらい、物騒な場所だ。しゃれじゃないぞ。

 銀行や市場、劇場やら大浴場まである第一層とはえらい違いだ。もちろん、中級以上の小金持ちたちの住宅が建ち並ぶ第二層や、だだっ広い空間を利用して農場や牧畜が営まれている、のどかな第三階層とも違う。

 第四階層は、迷宮に、もう入り込んでいる。

 とりえといえば、家賃が安いことくらいだ。

 おれのような貧乏な探索者は、まず例外なくこの第四階層で暮らしている。


 おれの名前はレリク・ストレイシープ。

 年齢は、自分ではよくわからないが、周りの人間の言うことには、たぶん一〇代後半から二十歳くらいまでだろうということだ。若く見えるタチであればもう大人だし、老けて見えるタチならまだ子供、つまり微妙なお年頃というわけだ。

 なぜ自分の年齢を知らないかというと、おれには一年前から先の記憶がないのだ。

 気がついたら、アリノスのダンジョンの深部、それも三〇層を超える、いわゆる最深部デプスにいた。

 防具も武器も持たず半死半生で倒れているところを、最深部を見きわめるべく潜っていた凄腕の探索者たちのパーティに発見されたのだ。

 生きてるのが不思議なくらいにやせ衰え、右脚はすでに腐っていたそうだ。

 街に連れ帰ってもらい、治療を受けたおれは一命はとりとめたものの、腐っていた右足はもちろん、記憶を取り戻すこともできなかった。

 最初のうちは、おれは「最深部探検隊の生き残り?」として、ちょっとした英雄扱いをされ、質問攻めに遭った。

 なにしろ、最深部についての知見は乏しい。よほどの手練れ揃いのパーティでないとあっという間に魔物に殺されるか、未知のトラップ機構ギミックにしてやられる。

 おれを助けてくれたパーティも、おれがいた階層から先にはどうしても進めなかったそうだ。というわけで、おれは「最深部の情報を持つ重要人物」と目されたのだ。

 三〇階層から先の地形やルート、どんな魔物がいるか、罠や機構について、そして何より重要な、「どんな聖遺物があるか」、そういったことを根掘り葉掘り聞かれたが、おれには答える術がなかった。だって、なにひとつ覚えていなかったのだから。

 そしていつしかおれの価値は下がっていき、つまるところは、記憶もなければ身寄りもない、ついでにいえば体力も魔術を扱う才覚もない、ただのガキという評価に落ち着いたのだ。

 おれの名前も、そんな中で周囲からつけられたものだ。レリクとは遺物とか化石といった意味、ストレイシープは迷子、だ。ようするに、ダンジョンの深部で見つかった、役立たず、といったような意味合いだろう。

 まあ、記憶のないおれとしては、なんと呼ばれようがかまわないので、定着したその名前を使い続けている。

 おれのような身寄りのない人間がアリノスで生きていくための選択肢はそう多くはない。持っている知識や技術を使って金を稼ぐか、探索者になるか、だ。記憶を持たないおれは後者を選んだ。探索者になるための養成学校に入り、半年ほど基礎を学んだ上で、ダンジョンに潜るようになった。

 第四層に部屋を借りたのもその頃だ。道具や学費、当初の家賃はすべて知り合いからの借金でやりくりした。助けられた経緯からそれなりに人脈はでき、金を貸してくれるような知り合いもできたのだ。とはいえ、いまだに借金完済には至っていないのだが……


「まあ、変わった凱旋よねえ。助けた女の子に担がれて戻ってくるとはね」

 リッカさんがカウンターの向こう側でグラスを傾けながら言った。

 黒い長髪、長い耳、浅黒い肌、双眸は切れ長で透き通るようなブルー。さらに、すらりとした肢体に、思わず視線を吸い取られる双丘をそなえた、完璧なスタイル。

 リッカさんはダークエルフと呼ばれる種族で、アリノス第四層のはずれ、イミナ街で酒場を営んでいる。

 営んでいるというか、自分が酒を飲むついでに接客しているというか、常連以外は相手にしないスタイルの店だ。

 おれはこの店の下の階――倉庫ともいうが――の一角を借りて住んでいる。いわばリッカさんはおれの大家さんでもある。

「だって、まあ、おれ片足だったし……コードを使ってヘトヘトだったし」

 おれはカウンターに突っ伏しながら、息もたえだえに言う。

 命からがら、ようやくここまでたどり着いた店子に、ねぎらいの言葉もないのだろうか。

「なに言ってんの。怪我の具合は女の子の方が重かったんだよ? 全身、大小の傷まみれで、緊縛された跡が残っていて、小さいけれどおへその下に刺し傷まで。あんたいったいあの子にどんなプレイを強要したんだい?」

「プレイって……ウォースパイダーに襲われているところを助けたんですよ……ていうか、リッカさん、ひどいじゃないですか! 第五層に新しい、手つかずのルートができて、今ならお宝取り放題だって……」

「実際その通りだったろ? 生まれたてのルートには危険はつきものさ。だって、どことつながっているかもわかりゃしないんだから。それにあたしは一人で行けとは言ってないけど? なんで、仲間を誘わなかったんだい?」

「う……それは……」

 おれは返答に詰まった。

「おおかた、お宝を独り占めしようって魂胆だったんだろ? そんな性根だから魔物に出くわすんだよ」

 図星だが……その通りなのだが……

「だって、そうでもしなきゃ、家賃も払えないし……リッカさんに借りたお金をいつまで経っても返せないから……」

 そうなのだ。おれが救出されてからの治療費や、探索者としての支度を調えるための費用、養成学校の学費に至るまで、このリッカさんにまるまる借りてしまっているのだ。

 その額は、まあまあ呆然とするくらいのもので、おれは日々拾い集めた遺物をほぼまるまるリッカさんに取り上げられている。それでも借金は減るどころが増えていっている始末だ。

「まあ、あたしは気が長いからね、あと百年くらいなら待ってあげるよ」

「老衰で死んでしまいます!」

「死んだ後でも取り立てるよ、ネクロマンサー雇ってでも」

「安らかに眠らせて!」

 長命なエルフに借金してしまうと、死ぬまで――いや、死んだ後でも取り立てにあうことになってしまうということか……。

 とはいえ、リッカさんの厚意に甘えているってことは、おれにだってわかっている。身寄りがなく、とりたてて能力もないおれを助けて、リッカさんに得があるはずもないのだから。

 だから、少しでも価値のある遺物――聖遺物を手に入れて、リッカさんに報いたいのだ。

 それなのに。

 おれは、応急処置的に嵌めた義足――一本の棒きれだ――をさすった。

 エンチャントされた義足は、光の槍になった後、きれいさっぱり消えていた。凄い魔力が作用していたから、物としての形を保ちきれず、塵に戻ったのかもしれない。

「あの義足はまあまあ値の張るもんだったからねえ、同じ物をすぐ、と言うわけにはいかないだろうね。しばらくはそれで我慢するしかないねえ」

 魔法が付与されているかどうかで、値段は桁ふたつ変わる。もともと、あの義足の費用も払い終えていないのだ。

 だが、この右脚では歩けはしても跳ねたり飛んだりは難しい。ましては迷宮での探索というのは――

「そういえば、あんたが助けた子、どうやらアースガルズ騎士団の団員らしいよ。僧服についていたメダルからするとね。深層専門のアースガルズが五層あたりでいったい何をしてたのか知らないけど」

「へえ、そんな手練れ集団の?」

 おれは意外に思って声をあげる。

 アースガルズ騎士団といえば、大戦を終わらせたアシュタルテが率いていた騎士団の流れを汲む名門だ。元々は尼僧たちが組織した騎士団で、現在も男子禁制で知られる。ちなみに、代々の団長はアシュタルテの名前を引き継ぐ習わしだ。

 おれたちのような木っ葉探索者ではなく、様々な国や宗教団体から支援を受けて、深層の探索をその使命としている。要するにガチ攻略組ってことだ。

「……なら、期待できるかも」

 助けてやったあの探索者がそんな有力な騎士団のメンバーだったとしたら、ものすごく高額な謝礼金を貰えたりするかも……

 おっと、奥から誰か出てきたぞ。

 まあまあ、そんなにお礼を言わなくってもいいさ。ぼくはできることをしただけ。謝礼金なんて、これっぽっちも期待してないさ……でも、義足代くらいなら……

「な、ななな、なんてことをしてくれたんですかあああああ!」

 いきなり怒鳴られた。

 泣きそうな声だ。いやもう泣いている。

 涙ボロボロ、鼻水もやばい。

 そういえば、顔とか初めてちゃんと見たな。初対面と言っていい。

 助けた直後は繭の完全体一歩手前だったし、歩けるようにするために苦労して脚の部分だけ繭を裂いて、「歩く繭」状態にして、それに縋って帰ってきたのだが、相手がどういう姿形をしているか、知る機会がなかったのだ。

 その探索者は若かった。たぶんおれと同じか、ちょっと下くらいじゃないか? おれは自分の年齢を知らないのだが。

 栗色の髪は肩までの長さだが、ねちょねちょの糸をはがしきれておらず、ところどころ変なふうに跳ね上がっている。

 顔立ちは、まあ、こんな泣き怒りまくった顔を見せられて、可愛いとか可愛くないとか論評するのは難しいが、すごく悲しみ、怒っていることはわかる。

 身につけているのは、これまた蜘蛛の糸まみれのワンピース状の僧服で、ははあ、こいつクレリックだったのか、と悟る。クレリック一人で迷宮に潜るとはなんて無謀な。まあ、おれも人のことは言えないが。

 それにしても、最後は肩を借りたとは言え、おれはこの探索者にとっては命の恩人のはずなのだが。はて、なぜ怒られているのであろうか。

「とっ、とっ、とっ、と、とぼけないでくださあああ……がほっ! げほっ!」

 探索者――女クレリックが勢い込んでむせる。

 傍らにいた女の子が水の入ったコップを渡し、女クレリックに水を飲ませるように促す。女クレリックが喉を鳴らして水を飲んでいる間も背中をさすってやっている。

「治療の途中だったのに、そんなに急に動いちゃだめですよ」

 そう言ったのはハーフエルフのスージーだ。リッカさんのお店で、ウエイトレスとして働いている。むろんおれとも顔なじみで愛称はスウちゃんだ。もっとも、スージーもほんとうの名前ではないらしいが。(エルフは真名を知られるのを嫌うということだ)

 スウちゃんは純血のエルフほど極端に耳は尖っておらず、人間とあまり変わりがないように見える。だが、虹彩の色が明るい黄色であることや、翠色の髪は、いかにもエルフの血を引いているっぽい。顔立ちだって並の人間よりもはるかに整っている。リッカさんのように「完璧ッ、否、超絶完璧ッ」という人をねじ伏せるような美しさではないが、ちょっと垂れ目でゆるっとした雰囲気があるのがいい塩梅だ。というわけで常連客からの人気も高い、この店の看板娘である。

 奥の部屋で女クレリックの手当をしていたのはこのスウちゃんだったわけだ。スウちゃんには回復術ヒーリングの心得があるのだ。ただ、あくまでも心得程度で、重傷患者は手に負えない。逆に言えば、スウちゃんの術で癒やせる程度のかすり傷だったってことだ。

 女クレリックは水を飲み、少し落ち着いたようだ――ということはまったくなく、たどたどしくもえらい剣幕でおれへのクレームを再開した。

「ひ、ひひひ、ひとが動けないことをいいことにぃ、あんな先の尖ったモノでグリグリとぉおおお! おと、おと、おとめの身体になんて傷をぉおおおお! 責任とってくらさい! とれぇ! 人でなしぃ!」

 また泣きはじめる。

「えぇ……マジでヤッてたのかい? 意外とド畜生だったんだねえ、認識変えるわ」

 リッカさんが呆れたような、そこはかとなく面白がっているような様子で論評する。

「ばっ! おれはなにもやましいことなんか……」

 してない。しているはずがない。そもそもが相手が女だと知ったのがたった今だ。

 しかし、スウちゃんの視線も心なしか冷たい。

 ああ、おれの好感度ガタ落ち……

 ――というか、スウちゃんは何か考え事をしていたようで、はたと気づいたように、女クレリックに向かって

「あの……あなたが言っている傷って……」

 と言いかけたときだ。

「しらばっくれンれすか!?」

 女クレリックがわめいた。。

「しょおこを見せてやるれす、もおお動かないやつを!」

 女クレリックは何を思ったのか、僧服――ワンピースだ――の裾をおもいきりまくりあげた。

「ちょっ、おちついて……ああっ!」

 止めようとしたスウちゃんだが、間に合わなかった。

 おれの視界に白い三角の布地が飛び込んでいた。

 え? なに? これは幻術?

 なぜ、おれは女クレリックのパンツを見せられているのだ?

 女クレリックの白い肌と、きゅっとしぼれたウエスト、そしておへそに……パンツ。 やっぱりパンツ見せられてるよな……なぜ?

「あのう……そのパンツがなにか?」

「パンツ見ないでください! ヘンタイですかあなたは!」

 いきなり服の裾をめくって下半身を見せてくる女にヘンタイ呼ばわりされる筋合いはないのだが――

「そこじゃありません! おへその下です!」

 女クレリックが裾をまくりあげた姿勢のまま、偉そうに言う。いっとくが、そのポーズ、かなりかっこ悪いぞ。

 それに、へその下っていったら、やっぱりパンツなんじゃないか――って、むむ?

 確かにへその下、ローライズな下着のフチとの中間あたりに、ピンク色の模様がある。ふむ、ハートの形だな。タトゥーだろうか。

 しかし、へその下の際どい場所にハートのタトゥーとは、可愛い顔してけっこうやることやってるんだな。彼氏の趣味だろうか。

「そのタトゥーがどうかしたのか?」

「これはタトゥーじゃありません! なんですか、その『ふうん、やることやってんだな』みたいな顔!」

 女クレリックがまた涙目になる。

 というか、読心術でもできるのか、おまえは。いやまあ、誰でもそう思うだろ……?

「へえ、おもしろい、みしてみして」

 リッカさんが興味を示した。珍しいことに、自ら動いてカウンターの内側から出てきた。ふだんは一日中、カウンターの中で接客もせずに飲んでいるだけなのに。おれたち客がむしろリッカさんに「お酒のおかわり作って」とか「なんか料理作って」とか言われて、働いているというのに。

 長身のダークエルフ美女にようやく気づいたのか、女クレリックが気圧されて後退する。

「ああ、いいからいいから、そのままにしてて」

 優雅に膝をついたリッカさんは、女クレリックの服の裾を、ぐあば、とさらにめくりあげた。ええと、下乳が見えるくらいに。

「ひゃあああっ!」

「ふむふむ」

 リッカさんはほとんど肌に触れそうなくらいに顔を近づける。

「や……あの……息が」

 女クレリックがおずおずと声をあげる。

「これは珍しいね、実に興味深い――」

 言いつつ、ひょいと――ごく自然にだ――ローライズな下着の裾に指をかけてひっぱった。

「なあああああ!?」

 パンツの中を確認し、リッカさんは軽くうなずく。

「これ以外に跡はないね。うん、ツルツルだ」

 なにがツルツルなんだろう、おれはすごく知りたくなった。

 だが、ここからではリッカさんの艶やかな銀髪に隠れて、ツルツルなものの正体はわからない。

「うん、もういいよ、お疲れ」

 リッカさんは立ち上がった。女クレリックは裾をおさえ、顔を真っ赤にしながらも、どことなく思うところありげにリッカさんを見上げている。

「リッカさん、いまのは……」

 ツルツルってなにがですか?と訊きたいのをぐっとこらえて、おれは問うた。

「これはとってもレアなケースだね。これは残念だけどエロいタトゥーじゃなくて、同期魔法の痕跡だよ」

「どうき……まほう?」

「ああ、それで……」

 おれがアホみたいにオウム返しをしたのと同時に、スウちゃんがなにかに気づいたように手を、ぽむ、と打った。

「治療をしていたとき、その傷跡だけ、何かに守られているみたいに術式を跳ね返していたんです。道理で……」

 なにが、道理で、なのかちっともわからない。

「おやおや、探索者養成学校ではそんなことも教えていないのかい? 学費を貸してやったお姉さんとしては悲しいね。利息高くしようか」

 そ、それはご勘弁を……しんでしまいます。

「同期魔法というのは複数の術者が連係して使う魔法のことですよ」

 優しいスウちゃんがタダで教えてくれた。

「術者同士の力の相乗効果で、とても強い効果が得られるそうですけど、お互いの魔法を同期させるのはとても難しいんです」

「そう。だから、使えるのは親子とか兄弟姉妹のような血縁関係にある者同士か、愛し合ってる恋人同士とかだな。まあ、愛し合ってるといっても、人間たちの愛はすぐに醒めてしまうからな、他人同士で同期が成立する確率はひどく低い」

「え、じゃあ……」

 おれは目をぱちくりさせている女クレリックを見た。

「もしかして、あんた、おれの母さんだったのか?」

「んなわけないでしょ!? わたしが子持ちに見えるわけ!?」

 見えないが……あえて意外な方を突いてみたんだけど……ダメだったか。

「同期魔法なんて、ありえません。わたし、この人に初めて会ったんですよ?」

「でも、だな」

 リッカさんは言いつつ、また女クレリックの裾をまくりあげた。

「ぎゃあ!? な、なにを!?」

 さっきまで自分で見せといて、人にめくられると抵抗するのな。人間心理とは不思議なものだ。

 リッカさんは、女クレリックの白いお腹を長い指でついとなぞる。

「ひゃあ!?」

 指先をハートの痕跡に当てる。

「ここをよく見てみな、レリク」

「え? あ、はい」

 これまでは「見えた!」と思っても場所が場所だけにあまりしげしげ見ないようにしていたのだが、リッカさんの指示だ。やむを得ない。

 よく見るとその跡は少しへこんでいて、タトゥーというよりは、傷跡そのものだ。形が可愛らしいせいで、見過ごされやすいが、確かに若い女の子だったら、こんな傷跡イヤだろうな。

「これはね、レリク、あんたの放った光の矢が刺さった場所だ。そして、本当なら光の矢はこの子のお腹を突き破っていたはずなんだ」

「えええええ!?」

 叫んだのは女クレリックだった。いや、おれも驚いたんだが、先を越された。

「あなたって人は……このひとごろし!」

 いや、だから、おれは命の恩人だろ? でも、そうか、あの瞬間、確かに手応えはあったんだよな……やばっ、て思ったし。

「ひとでなしのひとごろしぃ! あたしはまだやりたいことがたくさんあったのにぃ!」

 また泣き出した。おまえ、生きてるだろ? 傷はちょっとついちまったが。

「まあ、それがきっかけで、逆向きに働く光の矢が形成されたんだろうね。この子がレリクの魔法に同期して、新たな光の矢を生みだしたんだ」

「でも、それって、この子が自分で放った光の矢だったのかも」

「あたしは、光のスピアなんて野蛮な魔法を使ったりしません!」

 野蛮て、きみ……まあ、クレリックは回復、防御系ではあるよな。

「最後の証明だ。レリク、この魔法の痕跡――魔法跡に触れてみな」

「え!?」

「え!?」

 何か知らんが女クレリックとハモってしまった。

「いいんですか?」

「いーやーだー! いやー!」

 今度はハモらなかった。そりゃそうだ。

「えと、彼女、いやがってますし……」

「いやよいやよもなんとらやだ。ほれ、男なら責任を持て」

 責任って……

 それって昔のおっさん理論では……今時許されない気がしますよ、リッカさん。

「言っておくが、この魔法痕にはまだ発現していない光のスピアのコードが残っている。魔法を同期させた瞬間に書き込まれたんだろうが、これを安定させないと、いったん収束した光の槍が暴発するかもしれない。この子がお腹を突き破られるのを見たいのかい?」

「えええっ!?」

「なっ、えええっ!?」

 惜しい。微妙にタイミングがずれた。だが、まじですか、リッカさん。

「まあ、ほとんど事例がないからね、この子がおばあちゃんになって老衰で死ぬまで何も起きないかも知れないし、この瞬間に起きるかもしれない。でも、術者によって封印されていない魔法痕はいつ暴発するかわかったもんじゃない……導火線が燻ってる爆弾のようなものさ」

 魔法というのは魔力に様々な仕事をさせる「手順」のことだ。おれが使った光の槍のコードもそうで、圧縮した言葉の羅列で、魔力を一定の量、一定の方向に向かって解放できる。

 魔法の発現が何らかの要素によって阻害されたとすると、魔法の効果は魔力とコードに還元されることになる。今回の場合は、魔力はおそらく大蜘蛛に向けられた新たな光のスピアに転化されたのだろう。そして、女クレリックのお腹にコードが痕跡として残されたのだと。おそらくはロウでできた記録筒に人の声や音楽を吹き込んで再生する,レコードのような感じかもしれない。

 何らかのきっかけで、そのコードが魔力を得て起動した場合、光の槍が暴発してしまうかもしれない――ということか。

「……なんてものをあなたは、あたしのお腹に仕込んだんですか、悪魔ですか」

 女クレリックは半ば放心状態になっているようで、いわゆるレイプ目になっている。その表情でそんなこと言われるとひどく心が痛む。

「その……封印って、どうすれば」

 おれはリッカさんに訊いた。まだ事情が完全に飲み込めたわけはないが、おれの放った魔法でスプラッタなことになるのは嫌だ。女クレリックもせっかく助かった命をこんなことで散らすのは本意ではないだろう。

「コードをさくっとなかったことにできればいいんだけどねえ、これはかなり変形してるし、ノイズも入ってるから無理だろうね」

 リッカさんが、とても軽い感じで希望を砕いてくる。

 女クレリックの表情が絶望に沈む。

「まあ、できるとすれば、別の無害な魔法に書き換えることだね。そうしてしまえば、光の槍の暴発に怖れることはなくなる」

 来た! 希望! さすがリッカさん、すぐさま代案を出してくれる。さすが!

「でも、おれ、光のスピアしかコードを知りませんよ……?」

 人間の肉体に刻まれた魔法のコードを書き換えるなんて芸当ももちろんできるとは思わないが。

「でもね、あんたにしかできないんだよ、レリク。あんたが書いたコードなんだから。ま、お姉さんが教えてあげるから、やってみ。誰にだって、初めてはあるもんさ。少々痛いかもしれないがね」

 リッカさんはそうやって邪悪に微笑んで見せるのだった。


         3


 リッカの店が臨時休業となった。まあ別に珍しいことではないが。

 魔術のコードの書き換えリライトのためだ。

 奥の控え室で、仮眠用のベッドに女クレリックは寝かせられていた。

 なぜかわからないが全裸だ。

 いや、もちろん肝心な箇所――胸と腰は布で覆われている。

 女クレリックは涙目でキッとおれを睨んでいる。胸元と腰を覆う布をきゅっと押さえている。

「め、めくったら殺しますからね!」

 めくらないよ、リッカさんじゃあるまいし。

「さあ、さっさとやりな。手順はさっき教えた通りだ」

 リッカさんがまたお酒を飲みながら言う。ああああ、不安だ。リッカさんはお酒を飲み出すと急速に面倒くさがりになるからなあ。やり方って言っても、口頭でざっくり教わっただけだし。

 ええい、ままよ。

 おれは覚悟を決めた。いずれにしろ、おれがなんとかしないと、この子はずっとお腹に爆弾を――光のスピアを――抱えて生きていかねばならないのだ。

 指で女クレリックのお腹に触れる。しっとりとした女の子の肌の感触が伝わってくる。

「ひっ」

 嫌そうな声。まあ、わかるよ、わかるけど……

 ゆっくりを指をずらしていく。

「ひぃいい、きも、きもいいいいい!」

 ほとんど悲鳴に近い。

「芋虫に這われている方がマシだよお! 初めて肌を触わられるのがこんな変態だなんてえええ!」

 おれだって、初めて女の子の肌に直接触れて、聞く感想がそれだと傷つくわ。

 指が痕跡に辿りついた。

「んんっ」

 女クレリックが声を漏らす。

 ぽう、と光が灯る。おれが触れている箇所がだ。

「魔力がやっぱり同期しています。不思議です……」

 スウちゃんがつぶやく。

 人間は本来魔法を使えない。使えないが、魔力自体は森羅万象、あらゆるものに宿っている。おれたち人間の身体もわずかに魔力を含んでいるのだという。だが、その量は極めて微量で、人為的に外部から魔力を付与エンチャントしなければ魔法を使うことはできない。

 ただ、人間が魔法を使う時は、コードを発動させるきっかけとして、人間に身体に宿る魔力を使っている。井戸水を汲み上げる呼び水のようなものだ。

 その、おれに宿る微量の魔力が、光のスピアのコードに反応しているというわけだ。

 同時に、その魔力の固有の波動が、女クレリックの持つ波動と一致しているのだ。

 だから――同期して痕跡が――コードが光っているのだ。

「おなか……あったかい……なぜ……?」

 女クレリックが涙目でおれを見る。

 おれは指をすりこむように、女クレリックのお腹を――痕跡を押した。

「やっ……あ……ん」

 甘い声を女クレリックが出す。

「同期した魔力に身体が包まれると、気持ちいいんだろうねえ。初々しくて好い好い」

 言いつつ酒を流し込むリッカさん。完全に酒のアテにしてやがるな。

「ん……あッ……はあ……」

 女クレリックの様子がどんどん変わっていく。

 おなかの痕跡を撫でているだけなのに――

 頬が紅潮し、汗をかき……甘い声で鳴き始める。

「やだあ……きもち……いっ……よぉ……どうしてぇ……」

 知らんがな。

 そんな目でおれを見ないでくれ。こっちまで変な感じになってくるだろお!?

「準備が整ってきたようだね。レリク、あんたはどうだい?」

 どうって、言われても……

「はあ! やっ、あっ!」

 女クレリックが身をよじり、脚をばたつかせはじめる。

 そんなにすると、布が――よじれて――ああ、見えちゃうでしょ! 胸も――ツルツルしてるらしい(伝聞情報)トコロも!

「レリク、コードを書き換えるんだ、さあ」

 いや、でも、コードを書き換えるって、いったいどうすれば……

「じっさいにヤッてみればわかるさ、オスの本能に任せればいいんだよ」

 そんなこと言われても、わからないよ! ああ、見えちゃいけないトコロがホントに見えちゃう!

「コードは今、同期状態にある。スタンバイしてるのさ」

 リッカさんがまた訳のわからないことを言いだす。

「今ならコードをリセットできる。指に念をこめるんだ。レリク、あんたはこの子をどうしたい?」

「どうしたい……って」

魔術コードは願望を顕現するものだ。魔法の根本は欲望なんだよ。敵を滅ぼしたいから力を渇望する。身を守りたいから防御する。空を飛びたい、目の前の岩を動かしたい、お金が欲しい、他人を魅了したい――なんでもいいんだ。欲しいものを念じればいいんだよ。それがレリク、おまえの、おまえだけの魔術コードなんだ」

 リッカさんがおれの耳元で囁く。ハスキーで、ちょっと酒臭いけど――ゾクゾクする。

 膝をたて、腿をすりあわせて、身もだえながら熱い息を吐いている女クレリックを見ておれは想う。

 助けてあげたい!

 この子を、この状態から救ってあげたい!

 おれは心の底からそう願い、指を痕跡に押し込む。

 おれの意志ではなく――いやきっとおれの心の奥の、無意識の仕業かもしれないが――指が動く。細かく振動してコードを書き換えていく。刻みつけていく。

 おれの想いを。

 痕跡はより鮮やかなピンク色に染まり、文様が増えていく。

 光のスピアを上書きし、まったく別のコードに変わっていく。


 そして――女クレリックの下腹部にはハートを中心に複雑な文様が完成したのだった。


 結果からいえば、施術は成功した。

 女クレリックは光のスピアの暴発で命を失う危険から解放された。

 でも、そのかわり、些細な副作用というかなんというか、下腹部に〈淫紋〉という魔法痕ができてしまった。

 奴隷娼婦たちが刻んでいるという、ああいうやつだ。

 主人の命ですごく淫乱になっちゃったり、快感が何千倍にも増幅しちゃったりする、そういう効き目があるやつだ。

 仕方ないんだ、それは。あのハートの形の痕跡を活かしつつ、女クレリックの命を奪わずに済むコードはそれくらいしかなかったんだ。

 そもそも女のことをまったく解っていないおれに、そんなものを描くテクニックがあるわけがない。リッカさんに導かれるまま施術したらああなったんだ。

 おれは悪くない――たぶん。

 でも、女クレリックは号泣していた。

 ごめんよごめんよごめん!!!!!!

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る