第34話 対『ハイ・ハヴ』多国間同盟
━━2036年3月21日午後8時30分(東京・日本標準時)
「ふみばせん、ひゃいしょからきゃいわをちょーちょーしてまひた、ごべんばさい」
「……一応、確認するが『すいません、最初から会話を盗聴してました、ごめんなさい』と言っているのかな、コウくん?」
「はい。その通りです」
握りしめた拳の先でコメカミを挟み込む基本的なお仕置きコースにくわえて、炊いたばかりの米が餅になるほどの勢いでほっぺたを引っ張り回すという拡張コースの制裁も加えられたことにより、コウの義妹であるキノエは虫歯を患った子供のような声で、謝罪の言葉を口にしていた。
「おびさん、ずびばせーん」
「『おじさん、すみません』と言っています。
不出来で不道徳で、とてもじゃないですが人前に出せない最悪ド変態の妹が申し訳ございません、荒泉1佐」
お世辞にも整ったとは言えない姿勢でちょこんと頭を下げるだけのキノエに対して、コウは妙になれている様子で座を正すとふかぶかと一礼してみせた。なかなか見事なジャパニーズ・土下座である。
「これのやらかしたことは許されることではありませんが、自分が一命をかけて少しはまともな責任感を持つように躾ますのでどうか━━」
「コーにぃ、ひっどーい! このスーパー頭脳超明晰中華圏一の美少女巨乳無敵アイドル的存在のキノエちゃんをつかまえてそんなこと言うなんて!
はっ!? でもこれはあえてわたしを悪く言うことで、他の男から守ろうというコーにぃの愛情……コーにぃ、素敵! 抱いて! 結婚して!」
「本当に口を開くだけでも罪深く、ゴミクズのような倫理観しかない自分の愚妹が騒がせして申し訳ございません」
「阿ァァァァァァァァァァァァァッ!! 効くっ! 頭が痺れているときにコメカミぐりぐり2発目は果てしなく効くっ!
コーにぃ、お願いやめて! そこでストップして! 本来、Sのキノエちゃんが痛みに目覚めちゃう!
保ッッッッッッッッッッッッッッッッ!! 阿ッッッッッッッ! 濡唖ッッッッッッッッッッッッッ!!」
「なんて……ことだ……」
汚らしい悲鳴をあげながら、釣り上げられた
「……コウくん。君と妹さんは一体、どういう関係なんだね?」
「血はつながっていないですが、ただの兄妹です」
「将来を誓い合った仲です! 義妹と書いてイモウトと読み、義兄と書いてオニイチャンと発音します! 18歳になったら即結婚予定! できれば16歳から嫁になれる日本のままでいてほしかった!」
「まだ痛みが足りないようだな」
「ん━━━━━━━━━━にゅい━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ッッッッッッッッッッッ!!
ほっぺが! 世界を魅了する幼女のようにもちもちしたキノエちゃんのほっぺが伸びてちぎれっ……唖━━━━━━━━━━那━━━━━━━━━━━━━━保ッッッッッッッッッッッッッッッッッッ!! 阿ッッッッッッッッッッッッッッッッッッッ!!」
「……そうか、何も知らないのか。
先輩、一応確認しますが、彼女が上海から一緒に脱出したという━━」
「ああ、そうだ。
そして……なぜか、現地の戸籍では
名前はキノエ。
「………………なるほど」
その表情を見る限り、荒泉1佐はかなり衝撃を受けているようだった。
(どうしたんだろう?)
だが、そこに怒りや落胆の感情は見受けられない。
軍事情報を取り扱う者が、よりによって機密の相談を盗聴されていたのである。それがたとえ2世帯住宅に住む『同じ家族』であったとしても、さらには年端もいかない少女であったとしても、大失態のはずたった。
自らのキャリアや、処罰を心配して然るべきはずである。
けれど、そんな様子は微塵も見受けられない。
「そうか……」
むしろ、口元には微かな笑みすら浮かび。
やったぞ。これは面白いことになったぞ、と喜んでいるかのようであった。
「自分は統合幕僚監部付・首席情報官、航空自衛隊1佐の荒泉です。
はじめまして、金土キノエさん」
「あっ、はい。どーも。だいじょーぶです、おじさんの顔覚える趣味ないんで」
「お前な……」
「ひぇっ」
「━━それとも、こう呼んだ方が適切だろうか?」
荒泉1佐の自己紹介をキノエが恐ろしく興味なさげな回答でスルーしようとしたその時。
そして、コウが第3のお仕置きを浴びせようとしたその時。
「ダークネットで中国大陸の再統一運動を展開する『Vバー』の
そして、香港の弾圧から逃れてきたコンピューター技術者・
……そうか。先輩とコウくんの近くにいるとは聞いていたが、君だったのか。思いもよらなかったよ」
「
あとさっきリモートで呼ばれてた『大戦略』会議だけど、退屈で死にそうだったんで、もっとずどーん!ってプレゼンの文字がでかくなるとか、野次コメ飛ばせるとか投げ銭できるとか、少なくとも20年代の機能よろしく!
あー、それと米帝と戦うならもちろん協力するんで。これ、さーちん……えーっと、
「………………は?」
「やれやれ、遂にバレちまったか」
何もかも初耳だという顔で呆然とするコウに対して、キミズだけは事態をすでに悟ったような顔だった。
「先輩はご存じだったみたいですね」
「まあ、なんとなく大体は━━ってところだけどな」
「え? は? なに? どういう意味?
よく分からないけど、キノエのバカがまた迷惑かけたんですか? かけたんですね?」
「コーにぃ、拳を握り固めないでっ!
あっ、でも愛する
「誠に申し訳ございません誠に申し訳ございません誠に申し訳ございません誠に申し訳ございません誠に申し訳ございません」
「阿我唖唖唖唖唖ッッッッッッッッッッッッッッッッ! 保ッッッッッッッッッッッッッッ!! 塗ッッッッッッッッッッッッッッ!
コーにぃの愛が……愛が痛すぎてもう、咯汚ッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッ!!」
「まあな……まったく、運命だよ。確かにな」
ぎりぎりとコメカミを圧迫されて汚らしい嬌声を振りまくキノエと冷たい瞳のコウ。
そんな兄妹の様子を見て明らかにドン引きした顔の荒泉1佐に対して、キミズはいつものことだと言わんばかりに湯飲みへ追加した凍頂烏龍茶をあおった。
「俺はこの通り企業活動の傍ら、バブル時代の商社マンみたいに国際情報収集をやってる。
そして
「ええ、そうです。それらの統括をしていたのが自分です。
10年以上続いていましたね」
「あの日━━2029年に北京の盧溝橋で起きた『終身総書記襲撃事件』以降、中国大陸はめちゃくちゃになっちまった」
『終身総書記襲撃事件』。
その単語を聞いて、ピタリと動きを止めたのはキノエであった。
「だが、前兆はあった。中国各地の反政府組織が大陸でインフラに対するテロを繰り返していたからな」
「ええ、そうです。
先輩やシゲルさんもハルコさんからの情報はそれらを正確に伝えてくれました。
たとえば、香港の
「手榴弾ほどの爆弾を抱えて、完全自律・完全自動制御のドローンを高鉄沿線から発進させる。
ハードウェアはDJIの何百万台でも売られているような汎用ドローン。制御ファームウェアをハックロム版に書き換えるだけで、お手軽テロ爆弾のできあがり。
たとえ高鉄の乗客に死者がでなくても、半日も動きを止められたら大損害。
それが香港の
ぞっとするほどの怒りと憎悪を込めた声でキノエが言う。
殺意に限りなく近い感情が瞳にこもり、『自由民主派』という単語を使った荒泉1佐をにらみつけていた。
「君の価値観を否定したつもりはない」
「奴らがわたしの祖国の統合を壊した。奴らのような反逆分子が偉大なる漢民族の統合を破壊した。
あいつらはっ……あいつらは全員地獄に落ちるべきだ! 中国は1つだった……ずっと1つだったのに、くだらない価値観にとらわれた奴らがっ……その何よりも尊いものをぶち壊して……それで……っ!」
「まさに運命としか言いようがねえよ、まったくな」
キノエの怒りと反論は最初から矛盾を含んでいた。
だからキミズは最後まで言わせずに、殊更、大きな声で口を挟んだ。
「なによ叔父さ━━むぐ」
「はいはい。今は黙ろうな」
「んぐぅーーーーーーっ……………………コーにぃ、すき。ずっとそばにいて。今夜は一緒に寝て。結婚して。子供いっぱい作って。山と海が見える土地におっきな家建てて、近くに孔子廟と学院でもつくって儒学の啓蒙と普及と浸透を……うぇっへっへっへ……」
「調子に乗るんじゃない」
「いたい」
何を言いかけたキノエの口をコウの手がふさぐと、物心ついた時から日本のサブカルチャーに染まりきった中国大陸再統一思想を持つ少女は、赤子のように体をすりつけ始めた。
彼の兄は愛情をこめた、そのおだんご頭を軽くチョップする。
「……まあ、こういう兄妹でな。俺も薄々感づいちゃいたが、何もかお前に話すわけにもいかなかったのさ。
トージ、許せよな」
「先輩は本当にすごいと思いますよ。僕だったらこんな兄妹をうまくまとめられません」
「おだてるんじゃねえよ……何はともあれ、この家は色んな思想と立場のごった煮さ。
日本のために働いていると思ってる俺がいる一方で、自分の生まれた大陸のために頑張ろうとしているキノエちゃんがいる。
そして……へっへっへっ、くすぶっちゃいたが大学にいた頃、とんでもねえものを作りやがった甥っ子がいる。
もちろん、それを育てた俺の兄貴とその嫁さんがいた。
最高に面白いだろ?
けど、日本ってのは元々こういう国じゃねえか。日本は地理的な位置こそ極東の島国だが、その文化は東洋のようで西洋のものがごっそり入ってる。儒学の『礼』はがっつり残ってるが、年長者と祖先を神聖視する『孝』は西洋ナイズされて廃れている。
米中対立の時代にあっては、アメリカ側に立ちつつも中国への橋渡しができる貴重なパイプだった。
この国はどこか別の立場に染まることはない。
日本は日本なのさ。ずっとこうやって……色んなもののごった煮の中でオリジナリティを保ち続けてきたんだ」
「はい、まさに運命です。
これなら我々はアメリカと━━国家戦略人工知能システム『ハイ・ハヴ』と戦えるはずです」
それは同盟と言えるような関係でもなかった。
個人個人とそれが持つ国籍の奇妙な連携にすぎなかった。
だが、まさに運命のいたずらかその『個人』が持つ影響力は絶大であった。
歴史に記されることはない。
記録に残ることもない。真実が真実のまま関係者の口から飛び出すこともないだろう。
(これこそ対『ハイ・ハヴ』多国間同盟だ!)
それでも荒泉1佐は今この瞬間に、とてつもない価値を見いだしていた。
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