第33話 目に目を。人工知能には人工知能を━━ではなく(2/2)

(なぜなら、あれと同じことを日本国内ではやれない……)


 生ける者はもちろん、死者の細胞を勝手に使って生体コンピューターを作るなど、日本では━━さらには米国でも思いもよらない。

 ましてやコンピューティングを専門として学ぶ者が、死んだ両親の脳細胞を使って製作した生体コンピューターなど、過去にも類例がなかった。


(何よりも……)


 それは動作したのである。

 少なくともコウが見ていた限りでは。


「驚かないんだね、コウくん」

ユエ先輩から━━いえ、知人から聞きました。僕が研究室を去ったあと、あの生体コンピューターは……父と母の脳細胞を使った完全動作する計算機は、厳重に封印されたと。

 けれど電力は維持され、温度や湿度……そして栄養源もしっかり管理されていると聞きました。

 それはあの生体コンピューターを『生きている』とみなしているからでしょう?」

「その通りだ。

 日本国の戸籍上はシゲルさんとハルコさん━━つまり君の両親は既に死亡している。中国大陸の内戦に巻き込まれて、だ」

「ええ、そうです。

 けれど、父と母が死んだ直接の原因は内戦の核攻撃じゃない……」

兄貴あにき義姉ねえさんは核攻撃後の混乱に巻き込まれて死んだ。

 暴徒と略奪……そして、テロ攻撃が頻発する中で、上海の『聖域』にある日本総領事館までたどり着けなかった」


 その遺体を完全な状態で日本に持ち帰ったのは、他ならぬキミズである。


 もともとコウの両親は上海の空港で脱出機の手配を待っていたが、他の分離独立地域から『離着陸機は無条件で撃墜する』という声明が発せられてしまった。

 その後、空港に暴徒とゲリラが乱入し、銃撃戦に巻き込まれたのである。


 キミズは何とか遺体を回収すると、比較的安全な海路から大阪へ向けてフェリーで脱出したのだ。


「今でも思い出すぜ。キャビンは着の身着のまま逃げ出してきた在留邦人で満杯……私物は自動車の1台も積めやしなかった。

 船腹には冷凍貨物コンテナがびっちり並んでた。その中身はみんな棺桶だった」

「……でも、いくつか冷凍機の電源が入っていないコンテナがあった。そこにキノエがいたんだね」

「そういうこったな。

 ま、あれは一種の『コネ』みたいなもんだ。在留邦人の現地親族やどうしても助けたい友人や……あるいは、今際のきわに託された子供たちだった。

 キノエちゃんは兄貴あにき義姉ねえさんが俺に託した遺産・・さ。何かあったら助けてくれと言われていた……」


 コウは両親がキノエとどういう関係だったのかまったく知らないし、聞いて見ようと思ったこともない。


(……案外)


 それは避難民の列からはぐれて迷っていたとか。現地で生活しているとき、仲が良いお隣さんだったとか。

 きっとそんな程度のささやかな関係なのかもしれないし、それでいいと思っている。


 誰かの命を助けるのに、それ以上の理由などいらないと思っている。


「まあ、もっとも現地で脱出の便宜を図ってくれた共産党の一族もちゃっかりコンテナに載ってたけどな!

 はははははは!」

「先輩のことですからさぞかしむかついたでしょうね」

「おおよ、トージ。おおともよ。30人だぜ、30人。どこが一族だよ、一人っ子政策やってた国でそれ多すぎだろ、いくらなんでも。

 絶対、無関係の奴もまで紛れ込んでるだろ、ってなもんさ。船内に言いふらして、五島沖で沈めてやろうかと思ったね。

 ま……そうは言ってもな。あの内戦が上海の共産党員の一存で始まったわけでもねえ。彼らも巻き込まれた側なんだ。

 風の噂じゃその後、中東の方へ流れていったって話だが……元気にしてるのかねえ」

「……話を戻すけれど、コウくん。

 君のご両親の脳細胞を使った生体コンピューターは戸籍上は死者━━しかし明らかに生物として『生きて』稼働していたんだ。

 その電源を切るにせよ栄養源を絶つにせよ、それは病院で重病者のチューブを外すようなものだ。誰もそんな恐ろしい決断はできなかったんだろう。

 君が研究室を追われてから1年間……八王子大学では君がいた時と変わらず電力が供給され、脳細胞には栄養源も供給されていた。

 政府に話が来たのはそんな時でね。まあもっとも、大学側が秘密を持てあまして白状したという方が正しいかな」

「あんまりヤバすぎる話なんで、どうしようもなくてゲロったってわけだな! 秘密を守り通す根性がねえなら、最初から問題にするな、ってんだ。

 ははははは!」

「マスメディアや野党にこの話が漏れなかったのは、実に幸運だったと思っている」


 ざまあみろと言わんばかりに呵々大笑するキミズに対して、荒泉1佐の声は真剣である。

 もっとも、キミズの場合は「俺の甥を退学に追い込みやがって」という思いもあるかもしれなかった。


「何はともあれ、コウくん。

 君のご両親の脳細胞を使った生体コンピューターをこれからの我が国のために……いや、もっとはっきり言おう。

 米国の国家戦略人工知能システム『ハイ・ハヴ』と戦うために、使わせてもらいたいんだ。

 我が国には、米国に対抗できるような人工知能技術はない。もちろん、他国にもそんなものは存在しない。

 だから、我々は人工知能以外のアプローチで戦う。しかも肉体を持つヒトとは違うアプローチで対抗する。

 半導体を使った古式ゆかしき伝統的ノイマン型コンピューターではダメだ。そもそも『ハイ・ハヴ』もハードウェアのベースはノイマン型コンピューターだ。

 敵と違う土俵で対抗策を立てることから、この戦いは始まるんだ」

「……その戦略に適合したのが、僕の両親の脳細胞を使った生体コンピューターなんですね」

「その通り。

 君の製作した生体コンピューターは改良され拡張され、試作35式生体コンピュータークラスター『トウゲ』と名付けられていた。これまでは自衛隊の研究所にあったが、重防御されたデータセンターへ移設も進められているところだ」


 事態はもう後戻りできないところまで動いている。そういう意味も込めて荒泉1佐は言っているようだった。


(……無意味なことをするんだな)


 だが、コウは苦笑すら浮かべたくなる思いで首を縦に振る。


「同意します。どうぞ使ってください」


 その言葉には何の迷いもなければ、いかなる逡巡もなかった。


金土シゲルかなど・しげる金土ハルコかなど・はるこの息子として。ただ1人の遺族として同意します。

 思う存分に両親の脳細胞を使ってください。

 ……その過程で、破損や損失があったとしても構いません」

「ありがとう。君と、君のご両親に感謝する。

 ……シゲルさんもハルコさんも素晴らしい人だった。こんなことを言ってはなんだが、あの2人の想いを君が継いでくれて……そして今、こうして国家の危機に際して重要な役割を担ってくれている気がする。運命のようなものを感じるよ」

「そう思っていただけると、僕も嬉しいです」


 荒泉1佐の目には涙がいっぱいに溜まっていた。

 仕事上、演技で泣くこともあるであろう。だが、この涙は間違いなく本物だった。


 叔父が静かだなと思って隣を見ると、キミズは荒泉1佐の100倍増しの勢いで、滝のような涙を流していた。

 それでいて結跏趺坐けっかふざ不動硬直。あぐらをかいて座ったままの姿勢でぴくりとも動かない。感動が極まりすぎているのかは分からないが、なかなか異様である。


(不思議だな。それなのに、当の僕はこんなに落ち着いているなんて……)


 だが、コウの心中は不思議なほど穏やかだった。

 折り紙の1つでもすれば。あるいは小料理でも作ったなら、きっと会心の出来になるだろうと思えるほど精神が落ち着いていた。


(……そう、か)


 ああ━━肩が軽い、と自覚した時。

 コウは自らの胸中を理解した。


 自分は人知れず背負い続けていた重い荷物をようやく下ろすことができたのだ、と。


「さてと、実はもう1つ相談があるんだ。

 君がアメリカから帰ったあとに提供してくれた……スミソニアン人工知能博物館の一室で謎の女性に乱暴された証拠とおぼしき体毛と体液についてなんだが」

「ええ。それも自由に使っていただいて結構です。

 僕にとっては記憶も曖昧ですし気持ち悪い記憶といえばそうなんですけど、正直、もうどうでもいいことで━━━━━━え」


 その瞬間、一同は硬直した。

 それは発言の内容が原因ではない。


 ドスン、と。あるいはバキンと。

 天井から……すなわち2世帯住宅のもう片方の世帯たる、金土かなど家の2階から何か大きなものが倒れるような音がしたからである。


『ンンンンンァァァァァァァァァァァァァァ………………』

「え……え……先輩? もしかして俺、しくりました? ここって上にスパイとか住んでやがります?」

「いや、スパイは別にいないが……おいおい、今の声は……」

「はぁぁぁぁ……」


 しかも地獄の野獣のような汚らしいうめき声まで響いてくる。頭を抱えてコウがため息をつくと、乱暴極まりないドタバタと走る音が聞こえてきた。


 続いて野外の階段を駆け下りる音。

 さらには玄関のドアを強烈なパンチで乱打する音が響き始めた。


『コーにぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ! ちょっと開けて! 今すぐ開けて! コーにぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!

 ぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!

 阿ッッッッッッッッッッッッッッッッッッ!! 悪ッッッッッッッッッッッッッッッッッッッ!!』

「あの……先輩。これ、なんすかね?」

「……コウ。責任はお前な」

「はぁ……ほんっっっとにあいつは……」


 コウが大きく息を吐いたのは、もはやため息の類いではなかった。

 言うなれば武道の呼吸。空手の息吹。斬撃前の深呼吸。


「わかったよ、叔父さん。少し『制裁』してくる」


 その両手は激しく握り固められ、数秒後には愚妹のコメカミに超圧の拳を見舞うに違いなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る