第32話 日本国大戦略会議(2/4)
『先の停戦によって、朝鮮半島においてはひとまずの平和がもたらされました。
しかしこれは我が国において、安全保障上の脅威……つまり、戦争の危険が遠のいたことを意味しないのです』
荒泉1佐は少し脅かすような低い声だった。
政治家の中には小馬鹿にしたように鼻で笑っている者もいる。
『ご存じの通り、我々の世界は現在
米国は欧州への侵攻開始と同時に、世界各国を接続する海底通信ケーブルを遮断いたしました。陸上経由の通信は維持されておりますが、我が国のような島国は軍事情報収集のみならず、民間の取引や通信にも大変な制限がかけられている現状であります』
荒泉1佐は『大陸間ロックダウンの現状』というタイトルのスライドを示した。
それは世界の通信ハブたる北米への大陸間通信網が完全遮断された様子を示しているだけでなく、無関係に見えるアジア太平洋地域……さらにはインドのセイロン島やアフリカのマダガスカル島までが、海底ケーブル切断によって通信を遮断されている様子がまとめられている。
『帯域は乏しいながらも、陸上電波の中継や衛星経由の通信は可能であることから、自衛隊は世界各国の現状について調査を継続して参りました。
さらには━━民間の貨物往来については船舶・航空機ともに制限がありませんので、輸出入商社の協力も得ております。
ここに本件の特殊性があります。
つまりロックダウンといっても、閉じ込められているのは人間とコンピューター通信だけなのです。
しかも、国単位です。言うなれば、米国およびその勢力下となった欧州……さらに統一朝鮮ブロックと、それ以外の国が断絶しているのです。
かつての新型コロナウイルスパンデミック時に比べれば、多少の不便さを感じるだけで、日常生活には支障ないと言えるでしょう。
ソ連時代をご存じの方などは、何も困らないとまで言っておられました。従って我が国の国内政治情勢も、一応の安定を見ている次第です』
スライドが移り変わった。
およそ半年前に開始された
米国、そしてその軍門に降った欧州以外の各国とは、観光往来すら再開されていることが示されている。
『ですが、この状況が永続するわけではありません』
語気を強めて荒泉1佐は言う。
『そもそも海底ケーブルを切断し、国際通信を一方的に遮断したこと。それ自体が暴挙です。
さらにはきわめて限定的であったとはいえ、軍事作戦によって欧州を屈服させ、自らの勢力圏に組み入れ━━しかも、他地域からの通信や人の出入りは遮断するなど、責任ある大国の成すべき所業ではありません。
そして、米国の勢力圏は今後も広がっていくのです。現に統一朝鮮が加わる形となりました』
かつて世界地図が青と赤━━自由と不自由。あるいは民主主義と共産主義に塗り分けられていた時代のように。
スライドの示すメルカトル地図は2つのグループで分断されていた。
片方の地域は『People』。つまり、人間。
そして、米国をはじめとする欧州プラス統一朝鮮地域は『AI』。人工知能である。
『この一連の戦役は『人工知能戦争』と呼ばれております。
すなわち……米国の勢力圏もまた『人工知能勢力圏』と呼ばれるべきでしょう。
米国の奉ずるところの国家戦略人工知能主義……彼らの擁する国家戦略人工知能システム『ハイ・ハヴ』を戴くAIの勢力圏です』
その単語を荒泉1佐を発した瞬間、キミズの表情が強ばったことにコウは気づいた。
(『ハイ・ハヴ』……なんだ一体? どこかで聞いたような……)
記憶の底を探ろうとすると、ズキリとした痛みが走り抜ける。
確かにその手がかりがある。だが、なぜか届かない。強制的に忘れさせられたように。
『そう、国家戦略人工知能システム『ハイ・ハヴ』こそ現在の米国……その根本にあるシステムの名前です。
彼らが『人工知能による支援』や『最適化』といった表現を用いるとき、バックグラウンドではこのシステムが動いているのです。
恐るべきシステムです。我々の得た情報では、世界初の
汎用━━すなわち真に人間のごとく思考し、人間のごとく学習し、人間のごとく進化するシステムなのです』
会議場が明らかにざわついた。
よほどの機密情報であったらしく、政府首脳は元より自衛隊関係者にも初耳だという顔で首をひねっている者もいる。
そして、最初から了解した顔で━━つまり事の深刻さを理解した表情で受け止めているのは、僅かに首相や官房長官・防衛大臣など数名の面々だった。
それはすなわち、キミズを経由して『ハイ・ハヴ』の実態を半年も前から知らされている者たちである。
『繰り返しますが、汎用人工知能とは『人間のごとく』です。
信じがたいでしょうが、皆様、どうかご認識いただきたい。
我々が戦うことになるであろう相手は、人間のような思考を可能にした人工知能なのです。
それは現時点で我が国も利用している……特定用途特化型の人工知能とは桁違いの存在です。
たとえば自動運転。たとえば画像認識。たとえば音声認識。翻訳。統計処理。
これらのテクノロジーはいかにも人工知能の分野と考えられていますが、それはあくまでも不完全な能力しか持たない人工知能を「たまたま」得意だった処理へ特化させた過ぎません。
しかし、汎用人工知能は特化型人工知能とは根本的に異なります。
その思考は人間そのものです。人間
次に表れた反応は困惑だった。
ほとんどの者が荒泉1佐の言葉に対して「それの何が恐ろしいのか」という表情である。
『人間の思考そのものを持つ人工知能が存在する。
これがどれほどの脅威か、おわかりいただけていない方が多いようですね』
対して、荒泉1佐は落胆の表情は見せなかった。
それは何度も繰り返した定型作業を続ける時の顔である。恐らくは内々の関係者に対して、あるいは国家首脳に対して同じ説明を何度もしてきたのだろう。
(ひょっとしたら━━)
コウは思う。
それはいつか日本国民に対しても、繰り返される説明なのかもしれないと。
『人間の思考そのものを持ち、コンピューターの速度で動く人工知能が存在する。
それはつまり……我々生身の人間が10兆人存在し、そして1000兆倍のスピードで行動すると考えていただければ結構です』
ざわめき。それは疑問と否定を含むものだった。
『これをご覧いただきたい!』
だが、それもまた繰り返されてきた反応なのだろう。
荒泉1佐は間髪入れず、新しいスライドを示す。
それは1つの事務処理を人間と人工知能が行う場合の差を示したものだった。
まず人間の場合だ。基本的に4ステップである。
仕事を受け取る。仕事に実行する。仕事の結果を確認する。そして、結果内容を上司や顧客に伝達して終わる。
すなわち、
それぞれが人間ひとりひとりの手足と五感が許容する範囲で行われる。
耳は同時に10の指示を聞くことはできないし、目はディスプレイの裏側に貼られた付箋の内容を読むことはできない。
足まで使ったとしても、キーボードで同時に20のボタンを叩くことはできない。
仕事を終えたあとの報告は、アイコンタクトだけでは終わらない。言葉を発しあるいはメールを飛ばし、報告ボタンをクリックしなければならない。
しかし、汎用人工知能の場合は根本的に違う。
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