第22話 第2次朝鮮戦争小史(1/2)

 ━━2035年11月4日午後6時00分(アメリカ合衆国・東部標準時)

 ━━2035年11月5日午前8時00分(平壌・統一朝鮮標準時)


「一体これはどういうことだ!? 誰か説明できるものはいるか!」


 突如としてアメリカ合衆国からもたられた最後通牒から、およそ数時間後のこと。

 統一朝鮮首都・平壌ピョンヤン首相・・官邸は、ほとんどパニック状態に陥っていた。


『偉大なる我らが首相に申し上げます。平壌市内では官公庁に対して、説明を求める住民が殺到しております。

 またソウル市街では、政府を非難する違法デモの準備が進んでいるようであり━━』

「国民情緒部長官、そんなことはどうでもよい!

 まずはアメリカから突きつけられた、この最後通牒を何とかすることだ!」


 他人事のように報告する国民情緒部長官に対して、厳しく声を張り上げたのは統一朝鮮政府首相・崔建龍チェ・ゴンリョンであった。


(まったく……一体、何が起こっているのだ!)


 分断時代の北朝鮮人民軍次帥を叔父に仰ぐエリート家系の彼ではあったが、48歳の若さで首相に抜擢されたその経緯は、神でも予想しえない民族運命のいたずらによるものだった。


(誰が進んでこんな国の首相などするものか!!)


 第二次世界大戦後、最後まで残存した分断国家である大韓民国と北朝鮮。

 両国の間には実に100倍近い経済格差があった。かつての東西ドイツが10倍にも満たない差であったことを考えれば、大が小を━━否、巨が微を吸収して、大韓民国主導で統一することが自然な流れに思える。


(だが、運命は━━我々『北』に栄光を与えた)


 しかし、意外なことに朝鮮半島の統一は北朝鮮主導で達成されたのである。


 その決定的要因となったのは、2024年に韓国軍が仕掛けた金一族『斬首作戦』。

 つまり、首脳部奇襲暗殺作戦の失敗だった。


(奴らは……『南』の奴らは最悪だった。勝手に我々『北』に憧れ……そして、勝手に我々『北』へ失望した。

 それだけなら許しもしよう!

 だが、奴らは我々『北』を逆恨みし、タチの悪いストーカーのように、鉈を持って突然襲いかかってきたのだ!)


 従北勢力。金シンパ。

 かつてそんな名前で呼ばれた大韓民国の進歩系政治層は2017年から連続して政権を担ったが、その過程で表面化したのは『北』への好感が一方的な片思いに過ぎないという事実であった。


 失恋にも似た落胆が韓国の世界を覆ったのは、新型コロナウイルスによるパンデミックが一段落した頃のことである。

『血盟』とまで呼ばれた韓米同盟は米国内の分断と混乱━━何より韓国自身のコウモリじみた態度によって将来の失効が確定し、日本との関係は最悪のさらに最悪へと落ち込んだ。

 しかも、中国はかつての大清国属扱いを思い出したかのように遠慮呵責のない強圧を加え、北国の雄たるロシアは油断も隙もなく利権をうかがっていた。


(四面楚歌、見渡す限りすべて敵……だが、それは奴ら『南』の自業自得ではないか!)


 当時『北』の内部で核強国の達成に突き進んでいた朝鮮人民軍のエリートからすれば、周囲にまったく味方のいない大韓民国のていたらくは自ら招き寄せた災厄としか言いようがなかった。

 それに比べて、貧しくとも他国が手出しできない核開発を成就した『北』はなんとも誇らしい国に思えたものだ。


(……無論、民たちすべてがそう思っていたかは分からないが)


 とはいえ、北朝鮮人民が圧倒的な貧困にあえいでいたことは事実である。

 新型コロナウイルスの流行も「我が朝鮮に感染者なし」と嘘をつき通すことで何とか切り抜けたのはいいが、経済の疲弊ぶりはかつての金正日体制下における『苦難の行軍』に匹敵するものだった。


 あるいは━━あの苦境が10年も永続していたなら、さしもの誇り高き『北』も『南』に対して融和を求めたかもしれない。

 統一朝鮮政府首相・崔建龍チェ・ゴンリョンは今ならそう思える。


(だが、現実は違った……)


 2024年3月。

 北朝鮮の領土内でも南端といえる開城ケソンにおいて、偉大なる首領・金正恩をはじめとした政府高官たちが工場視察を行った。


 だがその際、突如として韓国軍の精鋭部隊である特戦司ブラックベレーが奇襲攻撃を仕掛けたのである。

 あらかじめ設置されていた爆発物が炸裂し、クラスター弾搭載のロケットが撃ち込まれた。特殊部隊員が押し寄せ、誰彼かまわずに自動小銃で撃ち殺した。


 まさに完全なる違法・侵略行為そのものであった。

 だが、天は『北』を守った。高官数名と随行員十数名が死亡したものの、金正恩をはじめ首脳の大半は難を逃れたのである。


(重要なのはそこからだ)


 当然、『北』は猛抗議した。

 だが『南』は露骨な情報操作を行い、金正恩ら一行に襲いかかったのは反体制派の北朝鮮人民軍兵士たちだと断定したのである。


 ━━クーデター未遂を我々のせいするな。

 それが韓国側の言い分だった。


 この妄言に金一族のみならず、北朝鮮人民の怒りは沸騰した。

 その後、数ヶ月の間にいくつかの小競り合いがあった。その過程で米国をはじめとした外国軍の不介入が確定する。


 4月11日、38度線に近い臨津江へかかる京義線の鉄橋が何者かにより爆破。

 4月25日、最後まで残留していた国連軍部隊が38度線・板門店から撤退を完了。

 5月15日、仁川国際空港周辺に外国人向けの『避難聖域』設置が決定。

 5月28日、朝鮮半島上空を通過する民間航空路が全面停止。ロイズ保険組合は商船の被害に対する保険適用外を宣言。

 6月3日、米日中露の4カ国による平和的解決を求める共同声明に、軍事介入条項の不発動と集団的自衛権の非適用が盛り込まれる。


 そして、運命の2024年6月25日。

 韓国軍は一斉に38度線を突破。北朝鮮軍も全面的な反撃を開始した。


 かくして実に74年の時を経て、第2次朝鮮戦争が始まったのである。


(それから4年……4年もの間、我々は苦境に立たされた)


 朝鮮人民軍の次帥だった叔父が戦況を語るとき、いつも深刻な表情をしていたことを崔建龍チェ・ゴンリョンは覚えている。


 延々と続いた対北融和によって、韓国軍の練度は確かに落ちていた。

 しかしその装備はあらゆる意味で北朝鮮人民軍を2世代、3世代も上回っていた。


 まともにぶつかり合っては勝機はない━━そう判断した人民軍は山岳部では地形を、都市部ではビルを要害として防戦につとめた。

 攻める韓国陸軍にとっては核戦力が恐ろしいはずであったが、不思議なことに彼らはそれを警戒している様子もなく、生物・化学BC兵器に対する防護もおろそかなようだった。


(我々は不思議に思った……だが、その理由はまたしても奴らの勝手な片思いだった!)


 あるとき、孤立した韓国軍の斥候が捕虜として捕まった。

 その男は徴兵されたばかりの若い青年であった。


 防諜部の尋問に対して捕虜の青年は北の核など恐ろしくない、と平然と語った。


(その理由は2つあると、捕虜は言った……)


 1つ。北朝鮮の領土内にいる限り、核を撃たれる心配はない。自国の領土を汚染するはずがない。

 もう1つ。朝鮮半島内の『同胞』に対して核を使うはずはない。


(妄想だ! 手前勝手にも程がある!

 だが、『南』の奴らはただの一兵卒にまでそのような妄想を教え込ませ、侵略の手先としていたのだ!)


 ━━まさか、同胞に対して核を使うまい。あれはあくまで米軍向けの脅しだ。

 北朝鮮が核実験を繰り返しミサイル開発を進めるたびに、韓国ではささやかれたものだ。


 ━━よもや、奴らも自分の領土で核は使うまい。海と空だけ気をつけておけよ。

 神聖なる北朝鮮ウリの領土を侵略しておきながら、そんな醜悪な思考ができることが信じられなかった。


 まるで敵に甘えるような考え方に思えた。

 だがこれこそが攻め寄せる韓国軍にとっては、恐怖を忘れさせる最適解だったのだ。


(そして、奴らは最前線の一兵卒に恐怖を忘れさせ……長い手を伸ばして、我々を叩こうとしていた)


 核は使うまい。

 そうは言っても、大韓民国軍が核を警戒していることもまた事実であった。


 圧倒的な空軍戦力を集中して行われた『ミサイル狩り』は陸上支援を後回しにしてまで優先されるほどであり、北朝鮮人民軍の虎の子とも言えるミサイル戦力は次々と撃破されていった。


(……忌々しいほどに合理的な戦略だ)


 北朝鮮人民軍にとってジョーカーと言えるのが核ミサイルであった。

 だが逆に大韓民国軍にとってすれば、核さえ封じることができれば負ける要素はどこにもない。


(その戦略を立てたのが『南』の誰なのかもう分からないが……どうやら大した策士がいたようだ)


 かくして北朝鮮人民軍は開戦から数ヶ月でほとんどのミサイル戦力を喪失し、僅かに生き残った移動式ミサイル発射器TELを朝鮮・ロシア国境地帯まで必死の偽装を施しながら後退させた。


 ミサイルの脅威が去ると、韓国陸軍の攻勢も強くなっていった。

 もっとも『北』もやられっぱなしだったわけではない。『南』の諜報網は壊滅状態にあったが、残存したわずかな工作員は戦死者の遺族を懐柔して政府に対する反戦デモを組織することに成功した。


 このため、韓国軍は損害の増加に神経質になっていた。

 攻められる『北』から見れば、腰の引けた攻勢に見えたことも一度や二度ではない。


 守る『北』は戦死者の山を築きながら防衛戦に徹しつつ、工作員による反戦活動を頼みとする。

 攻める『南』は『ミサイル狩り』に注力し、戦死者の増加を気にしながらゆっくりと進む。


(なんと奇妙な戦争だったことか……)


 もちろん、奇妙などという感想はあくまでも大局的立場にある者が言うことだ。


 最前線の人民軍兵士にとってすれば、話はシンプルであった。

 純然たる国土の防衛である。侵略者に対する聖戦である。


『北』の若者たちは勇敢に戦い、そして次々と死んでいった。


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