ページを捲った時の印刷紙の匂いとインクの匂い。

何より、その紙の束に書かれている筆者が必死で書いたであろう言葉の数々。

ずっとその本という存在に触れられるだけで幸せだった。私が、この本屋でバイトを始めたのは二十歳の頃だったから、今年で六年目になる。

「いらっしゃいませ」

 お客さんが本を置くと、本にバーコードを近づけながら何の本か何気に見る。

「カバーしますか?」

 雑誌でないといつもこのセリフを言うのがセオリーだ。そのセリフを言いながらお客さんの顔をチラッと見る。

 この小説はこの人に読まれるのか。きっと気に入ってくれそうだ。読み終えたときどういう感想を持つのだろう。ちなみに私はこの小説は最後のどんでん返しが予想できなくて面白かったんだよな。

 素早くカバーをしながら、そんなことを妄想している。

 会計を済ませてカバーをした本を袋に入れて渡しながら、大切に読まれてねと本に心の中で手を振る。

 完全に変態だ。

 いや、それだけ本が好きなのだ。本を愛しているのだ。

「あの、この作者のこの作品なんですけどありますか?」

 次のお客さんは学生服を来た男子学生だった。私にスマホを取り出して、マンガの表紙が掲載されているショッピングサイトの画面を見せる。

「少々お待ちください」

 私はレジに『レジ休止中。お待ちください』の札を置いてレジを離れるとマンガコーナーへ速足で足を運ぶ。足を運びながら見せられた漫画が少しマニアックでこの本屋には確かなかった気がすると反芻していた。ちなみに、そんな作品も私は読んだことがある。

 本棚に着いて探してもやはりなかった。

「申し訳ありません。今在庫がない様なのでお取り寄せになりますがよろしいですか?」

 お取り寄せ。これは寂しい言葉だ。せっかく、その本に興味を持って来てくれたのにないのはどんな本であれ寂しい。

「そうですか。じゃあいいです」

 レジに戻って伝えるとお客さんの学生は淡々とそう言って、さっさと帰ってしまった。

 本と人を出会わせられなかった。

 あのマンガ、ずっと前に刊行されたもので今はあまり本屋に置いていないけど、所々で人間描写が凄い感動できるいいマンガなのに悔しい。店長に言って取り寄せてもらおうか。できるかどうかわからないけれども。

 私が勤める本屋は大型でも小型の本屋でもなく、中ぐらいの規模の本屋だ。だから、ある程度は蔵書があるが、ある程度でないものもこうしてある。そうすると、たいていのお客さんが取り寄せはせずに帰ってしまう。それもそのはずだ。取り寄せには二週間ほどかかるから待ってられないのだ。仕方ないが、つい本のことになると感情的になってしまう。

「すみません。プレゼントでお願いします」

 次のお客さんは三十代くらいの女性だった。置かれた絵本を置いてプレゼント包装を望んでいる。

「はい。わかりました。種類はどれがいいですか?」

 プレゼント包装紙を数種類取り出して選んでもらう。

「えっと、じゃあこれで」

 女性は青い、おもちゃの車がプリントされた包装紙を選んだ。

「はい」

 男の子か。確かにこの絵本の内容からして冒険ものだから男の子向けだよな。誰に渡すのだろうか。自分の子供か、もしくは親戚の子か。はたまた友達の子供か。

 思えば、私が本好きになったのも、幼い頃、お母さんが共働きで寂しい思いをさせるからと絵本をたくさん買ってきてくれたのがきっかけだった。それからというものの、本と名の付くものはマンガであろうが参考書であろうが雑誌であろうが好きになっていった。

「こちらでよろしいでしょうか?」

 包装した絵本を見せて確認してもらう。

「はい」

「ではお会計が、、、」

 お会計を済ませて、絵本を渡す。

 この絵本を受け取った子が、どうかこの本といい出会いがありますように。

 思いを込めながら去っていく女性を見つめていた。

 変わっている。

 本屋で働くんだから、本が嫌いな人はいないだろうけれども、こんなに本を売ることへ思い入れのある本屋の店員はいないだろう。

 それでも私は構わなかった。

 こうして人と本をつなげさせられるこの仕事が好きだった。

 高校を卒業してやりたいこともなくてフリーターになって、バイトもいくつかしたけど面白くなくて数カ月で長続きせず辞めていたけど、この本屋でのバイトは長続きして六年も続いている。

 逆に言えば六年もここに居座ってしまっている。

 こちらもエンドレス、終わりが見えない。

 私も二十代の半ばを過ぎていい大人なのに、結婚も就職もせずにワンコと本だけで夢中になっている生活をしてそれで満足している。

 世間一般的に言えばそんなことは低堕落でダメで悪いらしい。

 そういえば、買ってもらった絵本で最初に読んだ本は何だろう。

 赤ずきんちゃんだったかな。親指姫だったかな。

 とにかく、その本を夢中になって絵と活字を交互に見て追っていたな。そんなことを思い出しているとまた新しいお客さんが来て慌ただしく働く日々が続いていく。 


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