孤独な王

クランベリー邸の庭園は、生い茂る木々が自由に入り乱れ、まるで樹海の中にでもいるようだった。

太陽は中天にあると言うのに薄暗く、辺りはひんやりとした空気に包まれていた。


「この庭園は卿の趣味か?それともただ単に手入れを怠っているだけか?」


目の前に突き出ていた枝を乱雑に手折り、スタンリーは藪の中へ投げ捨てる。枝の行方を目で追いながら、メリルは慎重に口を開いた。


「卿の趣味です。卿は、こう言った人を惑わせる仕組みが大好きですから」


嘘ではなかったが、クランベリー邸は国境沿いに建てられているため、国境を侵した不法入国者たちに度々忍び込まれる事があった。そんな不届き者たちを迷わせる防犯面でも、この庭園は一役買っているのだが、その"不届き者たちのトップ"が自ら足を踏み入れているのだから、わざわざ言う事でもあるまい。


それから、わずかに人が歩ける程度に雑草が踏みしめられた小道を、二人は黙々と歩いた。散歩と言う割には会話はなく、彼も特に打ち解けるつもりはないようだった。


だったら何故、自分なんかを散歩に誘ったのかメリルはますます疑問に思う。先行く彼が落としていく花々を見下ろし、踏み付けてしまわないように気を付けた。


「何故、そんな事をするのですか?」


また、目に付いた一輪の赤い花を握りつぶそうとしていたスタンリーは、メリルの言葉に一瞬動きを止める。が、直後、何のためらいもなくそれを握り潰した。彼の身に着けている白い手袋に花の赤が染み込んだ。


「花が可哀想です」

「………悲鳴でも聞こえたか?」


彼の手のひらからハラハラと零れ落ちる花びらは、その最期の力を振り絞り自分の存在をアピールしているかのようだった。


メリルの中に言いようのない憤りが生まれた。


「わざわざ摘み取る必要がどこに」

「俺の目の前にあって、邪魔だった。それだけだ」


彼は、何事もこんな風に切り捨ててしまうのか。自分も、この国も、目障りだから、あの花のように摘み取ってしまおうとしているのか。


それを悟らせないまま、彼は踵を返し再び迷宮の奥へと足を向ける。慣れないドレスとヒールで必死に追いかけてくるメリルに構う事なく、どんどんと自分の歩幅で進んで行く。


しばらくすると、木々が途切れ、小さな噴水を円にして陽の光が差し込んでいた。

たくさんの蔦が巻きついていたが、手入れはされているようで水は濁っていない。敷き詰められた石の間から覗く下生えもきれいに刈り取られていて、どうやら休憩場所として作られた所のようだった。


慣れないヒールで足がもう限界だったメリルは、噴水の縁に座り込む。スタンリーも無言のまま隣に腰掛けた。



「痛むのか?」

「………ええ……でも、大した事ありません」


靴を脱いで確かめると、かかとに少し血が滲んでいたが、幼い時から護身術として武芸を叩きこまれてきたメリルにとって、それは怪我の内にも入らなかった。

唾でもつけておけば治るだろうと考え、再び履こうとした靴が見当たらず驚く。


犯人は探すまでもなくスタンリーだったのだが、先の尖ったモスグリーンのヒールを心底不思議そうに眺めていた。


「わざわざ、こんな歩きにくい靴を履く意味がわからんな」


思わず同意しそうになり、慌てて頭を振る。


「お、女は、そう言うのが好きなんですよ。きっと」


他人事のような言い方が気になったのか、スタンリーは伸ばされた手をかわすように、靴を頭上に掲げた。


「ちょっと、返してください」

「本当に必要か?」

「靴がなかったら歩けません」

「靴があっても歩けなさそうに見えるが」

「………」

「もし猫をかぶってるなら、その必要はないと伝えておこう。慎ましいだけの女は俺の好みじゃないんだ」

「あっ……」


放り投げられた靴が木々の間に吸い込まれると、そこから「うっ」と言う呻き声が聞こえた。慌てて咳払いで誤魔化そうとしたメリルは、咄嗟にもう片方の靴も自らの手で反対側に投げ捨てていた。


おかげでスタンリーの気はそらせたが、もう弁解の余地はない。覚悟を決めると、彼の顔を真正面から見据えた。



「では、お言葉に甘えてそうさせて頂こう」


小細工が通用しない相手であろう事は薄々わかり始めていたので、迷いはなかった。

挑むような視線でこちらを見つめてくるその顔を見返し、スタンリーは声を上げて笑った。


「なるほど、それが本性か。いいだろう、気に入った」

「どうも」

「なんで猫なんて被ってた?」

「女はそうするべきだと周りが言うからな」

「勿体ない。この方が何十倍も魅力的なのに」


膝の上で頬杖をつき、薄紅色の髪に触れてくるスタンリーを、メリルは意外なものでも見るようにじっと観察する。


「……俺の顔に何かついてるか?」

「まさか、そんなまともな口説き文句が言えると思わなくてな」

「お前の心臓を食いたい、とでも言うと思ったか?」


正直に頷いてみせると、彼はまたおかしそうに笑った。


「まあ、それはもう少し本気になってからのお楽しみだな」


ならば、その機会は永遠にやって来ないだろうと、メリルは肩をすくめる。


会話が途切れると、木の葉の擦れ合う音や鳥たちのさえずりが耳についた。入り組んだ迷宮は、まるで異世界にでも迷い込んだような錯覚を覚えさせる。

熱い恋人同士ならば、愛を語り合うのに申し分ない場所であろう。


だが、今ここにいるのは、一国の王同士。どう転んでも、色めいた睦言にはなりそうになかった。



「始まりの物語を知っているか?」


唐突に尋ねられ、メリルは首を傾げる。


「……創国記のこと?」


二国の始まりの物語。

人間不信の王が隣国の美しい王を妬み、疑心暗鬼になった末、自国の王妃もろとも全てを破壊してしまうと言う恐ろしい話だ。

子供時代の寝物語に聞かせられる昔話の定番でもある。


メリルはその話が嫌いだった。陰気で、哀しく、国の成り立ちに相応しいとは思えない。


それから、二国は犬猿の仲とされてきたが、実際はただ単に交流がなかっただけで、特に大きな諍いがあった訳でもないのだ。

そもそも、創国記は単なる作り話だと思っているメリルは、何故彼が突然そんな話を切り出したのかわからなかった。



「その話がどうした?」

「あの物語に出てくる孤独な王は、一体どちらの国の王だと思う?」

「は……?」


予想の斜め上を行く展開に、メリルは虚を突かれる。


そんなの考えた事もなかったが、確かに悪役じみている孤独な王を、自然と相手国になすりつける人が多いかもしれない。

でも、だからってそれがどうだと言うのだろう。所詮は作り話だ。



「さあ、考えたこともなかったな……」


それでも言葉を濁らせたのは、スタンリーの目が驚くほど真剣だったから。


「君は、孤独な王の気持ちを考えたことがあるか?」

「……いや」

「俺はずっと考え続けている」

「………」

「国も女も手に入れたのに、奴は満足出来なかった。信頼できる人間がおらず、心は常に孤独だった」


トップに立つ者の苦しみ。それを分かち合えるのは、同じ立場を有する人間だけ。

だから、彼は慣例を打ち破り、突然来訪を決めたのであろうか?

王と孤独を分かち合うために?


だとしたら、今ここで正体を明らかにし、彼と腹を割って話しをするべきではないだろうか。

そう考えたのだけれど、何かが引っかかった。


逡巡するように木立に目をやると、スタンリーも同じ方角に目を止めている。


「君は、信頼を得ているようだな」


姿こそ見えないけれど、そこにメリオットとシャノンが潜んでいるはずだった。さっき漏れ聞こえた声も、彼らである。

今更だが、スタンリーは最初から二人の存在に気付いていたようだ。


おもむろに立ち上がる彼をメリルは見上げる。ポケットに手を入れ佇むその姿は、貴人らしさには欠けていたが、気取らない彼の性格を表していた。


そして、ふと気付く。彼は、今、独りだ。付き人も護衛もおらず、ただ一人で異国の地に立っている。西日に照らされたその横顔が、想像上の孤独な王と被る。



「だから……全てを壊したのか?満たされないから……いっそ、全てをなくしてしまおうと考えたのか……?」


目の前にいる彼は孤独な王本人ではないはずなのに、何故だかそう尋ねていた。

答えが返ってくるまでの時間が、とても長く感じられ、返答を待つメリルが痺れを切らし始めた時、やっと彼が答えた。



「終わらせようとしたんじゃない。始めようとしたんだ。王は……始めるために、壊したんだ」


それが、彼の導き出した答えだった。



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