焦燥

誘拐されてから、あっと言う間に数日が過ぎた。シャノンの体感では5日ほどが経過しているが、閉じ込められている室内は窓もなく常に薄暗いので、本当のところはどうかわからない。

食事も日に一度、パンと果物を与えられるが、食べ盛りの健康男児としては正直辛い。本当は無我夢中でがっついて食べたいところを、慎ましく一口一口かじり取るようにして食べなければいけないのも大変だ。食事中も手の拘束は外してもらえないので、仕方なく犬のように直接食べ物にかぶりついている。


次に大変なのがトイレで、流石にこれは拘束を解いてもらわなければ無理だと駄々をこねて、なんとかドアの前で待機してもらうだけに留めた。


そして、なんと言っても一番辛いのは、入浴が出来ない事。シャノンは特別潔癖なわけではなかったし、狩で野宿をした経験もあったが、泥だらけのまま拐われてきてそのまま日がな1日ベッドで動かずにいると、体が錆びてしまうようでとても嫌だった。

だから、この際拘束は外さなくてもいいから、軽い水浴びだけでもさせてくれないかと粘ったが、これに関してだけは許可が下りなかった。

男は、基本的にシャノンをこの部屋から出したくないらしい。


と言うのも、どうやらこの場所はあの女が働く娼館らしく、その上ここの女主人の目を盗んで二人を匿っているので、見つかると非常に気まずいらしい。

何が悲しくて、娼館に身売りされるような状況下に追い詰められなければいけないのかと情けなくなる反面、四六時中近隣の部屋から漏れ聞こえてくる悩ましい声にシャノンの精神は限界だった。



「おい、まだ何も思い出さないのか?」


(来た……)


ここ数日、痺れを切らし始めた男は、こうして日に何度もシャノンの元を訪れる。その態度は、最初の威圧的なものから徐々に不穏なものへと変わり始めている。



「そろそろ、こっちも我慢の限界なんだよ。いい加減、何か思い出さねぇか?」


そう言いつつ、男の指先がシャノンの輪郭を辿る。背筋を這い回る悪寒に耐えながら、シャノンは必死にその場しのぎの嘘を考える。


「お、思い出しました……え、と……身長が低いのがコンプレックスみたいで、靴のかかとを底上げしてました……」


これは嘘ではなく本当の事だったが、このくらいならば仮に国王の秘密として世間に露見したとしても、何とか笑い話で済ませられる範囲である。

それくらい、もう適当なごまかしも思いつかない程、シャノンも相当疲弊しきっていた。


「へぇ……で、他には?」


間髪入れずに問い返され、シャノンは悄然と項垂れた。


(やっぱり、こんなので納得してくれるわけないか……)

もう出せる手は打ち尽くしたと半ば絶望的な気持ちで肩を落としていたところ、扉に体当たりする勢いで部屋に駆け込んで来た女にギョッとする。


「オイ!静かにしろ!部屋に入る時はあれはほど用心しろって……」

「軍が来てる!!」

「は?」


一瞬、言葉の意味が飲み込めず、呆けた顔をした男だったが、すぐにその緊急性を察して表情を引き締めた。


「軍?見回りしてる警吏隊じゃなくてか?」

「知らないよそんな事!とにかくママもビックリしてる!今まで抜き打ち監査に入られた事は何度かあるけど、こんなに大勢で物々しかった事なんかないよ!ご大層に国旗まで翻してるんだ!!」

「国旗……?」


その言葉に何か思うところがあったらしい男は、些か乱暴にシャノンの襟首を掴みあげるとドスの効いた声で問いかけた。


「……オイ、まさかお前の婚約者ってのは軍か政府のお偉いさんじゃねぇだろうな?」

「…さぁ…どうでしょう……」


当たらずも遠からず、と言った所だったので即答は控えて曖昧に濁してみせたものの、それが逆に男の神経を逆撫でしたらしく、泣く子も黙る悪鬼の表情で静かに冷気をまとい始めた。


「なるほど……どうやら、俺は一杯食わされたらしい」

「……どう言う事?」

「こいつの婚約者もてっきり田舎貴族だとばかり思い込んでいたが、どうもそうじゃねぇみたいだな」

「……もっとすごい人ってこと?」

「ああ、それも国の政治や中枢に関わるとびっきりの上級国民だ」


こと悪巧みに関しては、頭の回転が早いらしい二人は、とっさに示し合せたように頷きあった。


「じゃあ、逆にラッキーかもしれないよ。こいつを人質に取っていれば、向こうだって無理やり武力に訴えるような真似はしないだろ」

「ああ、身代金だってもしかしたら今の依頼主より何倍も多くふんだくれるかもしれないしな」


興奮した口調でそこまで一息に言い募った男は、ふと何かを閃いたように動きを止めた。


「どうしたの?」

「……待てよ、こりゃあ……!なぁ、もしこの嬢ちゃんが持ってる情報が国を揺るがしかねないほどの貴重なものだったら、どうするよ?」

「うーん……他国に売るとか?」

「もちろん、それもありだな。だが、その前に、この国のお偉いさん方から口止め料を貰う」

「なるほど……!両方から金をせしめようって魂胆だね!?天才じゃん!!」

「そしたら、どうなると思う?」

「一生遊んで暮らせる!!」

「そうさ!俺たちは億万長者だ!!」


取らぬ狸の皮算用で、すっかりその気になった二人は、抑え切れない喜びに小躍りしながらも、現実的な打算だけ忘れなかった。


「じゃあ、お前は軍人の奴らがすぐに来れないように足止めしといてくれ。その間に、俺は肝心のネタをこいつの身体から聞き出しとく」

「了解」

「え……」


聞き捨てならない言葉に身の危険を感じ、慌てて壁際に身を寄せたシャノンを有無を言わさず押し倒し、男はそのまま馬乗りになる。

そこから無駄な時間をかける気はないようで、すぐさまシャノンの着ているワンピースの裾に手をかけると、力任せに引き破った。上質なサテン生地が引き裂かれる音がして、シャノンの白い脚が惜しげもなく露わになる。

辛うじて悲鳴を飲み込んだシャノンだったが、両手首は拘束され、何日も満足に食べ物を与えられていないせいでろくに力も出ない状況を疎ましく思いながらも、それでも最後まで真実を口にしないのは、偏に自分の秘密がメリルの秘密に繋がるのを恐れたためだった。

とは言え、このまま下履きをずり下ろされたらもう自分が男である事実は隠しきれない。その上で、真実を知った男が逆上してくる可能性も十分に考えられたが、ここまで来ると逆にもうシャノンの精神は嘘のように静まり返っていた。開き直ったと言ってもいい。恐れをなくした人間は強く、無敵だ。



「そんなお粗末な計画で、本当にあの人を相手取れると思ってるの?」

「何?」


まさかここでそんな反抗をされるとは思っていなかったのだろう、思わずシャノンの衣服をかき乱していた手を止め、男は訝しげに顔を覗き込んできた。


「今、何つった?」

「そんな頭の悪さで、よく今まで生きて来られたねって言ったの」


次の瞬間、脳髄を揺さぶる鈍い衝撃がして、口の中に鉄の味が広がった。男に殴られたのだ。ジンジンと伝わってくる頬の痛みに口端を歪めながらも、シャノンは更に挑発的な視線を向けた。



「そうやって思い通りにならないと、すぐ暴力に頼るんだ。情けない。お前の肝っ玉が小さい証だね」


再び強烈な拳をお見舞いされ、目の前に星がちらついたが、それ以上に身の内でくすぶる怒りの炎がシャノンの全身を焦がしていた。

この男は、自分のことを女だと思っているのに、躊躇せずに殴った。それがどういう事だか、考えなくてもわかる。こいつは、相手が“メリルでも同じことをした”。その事実が、更にシャノンを怒りに染めた。

秘密を共有する者同士、シャノンとメリルは運命共同体と言ってもいい。厳重に警護される国王という立場から、その心配は不要だが、もし仮に逆の立場でメリルが拐われていたらと思うと、到底目の前の男を許す気にはなれなかった。


ここまで来ると、男の方も何かおかしいと感じたのか。脱力してベッドに沈むシャノンの体を無理やり引き起こすと、探るような視線を向けてきた。


「何だ、お前?」


答えようにも口の中が血だらけだったので、苦労してそれを唾と一緒に吐き出してから、ようやく真正面に男の顔を捉えた。


「…何だと思う?」


取り繕うことをやめて、地声で答えたシャノンの顔を穴が空くほど見つめたあと、男は唸るように呟いた。


「お前、男か」


その声には、もはや問いかける響きは含まれていなかった。敢えて即答を避けたシャノンは、男に乱暴に胸倉を掴まれ、射殺さんばかりに睨みつけられた。


「てめぇ…っ、ずっと人をおちょくってたのか!?」


額に青筋を立てた男の剣幕に思わず三度殴られる覚悟をしたシャノンだったが、その拳が振り下ろされる直前に、またしても部屋に転がり込んできた女に命拾いをする。その相変わらずの騒々しさに、男は苛立ちも露わに舌打ちをした。


「うるせぇな!さっきも言ったろうが!入って来る時は、怪しまれねぇようにしろって!!」

「おう、さま…!王様、がいる……!!」

「あ?」


すっかり頭に血が上っていた男は、すぐにはその言葉の意味を解しかねた。反対に、シャノンは即座にその意味を理解すると、驚きと興奮に全身を震わせた。


メリルが、メリルがここにいる。助けに来てくれたのだ。だが、その後すぐに襲ってきたのは、どちらかと言うと情けなさや恥ずかしさと言った類の感情だった。

一国の主である国王を自分一人のためにこんな場所まで駆り出してしまった。その申し訳なさと居たたまれなさに消え入りたくなる。

このお詫びは、全身全霊を尽くして妃職を全うしようと固く心に誓った。


逆上していた男も、徐々に冷静さを取り戻すと、その言葉の真偽を問う形になった。


「……どう言う事だ?国王自らが乗り込んで来たってのか?」

「マ、ママも半信半疑みたいなんだけど……向こうの言い分によると、どうやらそうみたいなんだ。お忍びの気晴らしとかって……」

「…………こんな場末の娼館にか?」

「……自分で言うのもなんだけど、あたしもそう思うよ……」


思わず絶句し黙り込んだ二人だったが、先に気を取り直したのはやはり男の方だった。殴られた痛みに顔をしかめるシャノンの腕を取り、ベッドから転げ落ちるのも構わずに引きずった。これには堪らず、シャノンが不満を漏らした。


「…ちょっと、せめて腕の拘束を解いてくれませんか」

「………黙れ」


ずっと女装を隠していた事を根に持っているのか、ドスの効いた声で一睨みすると、男はそのままシャノンを部屋の外へ連れ出す。驚いた女も、慌てて二人の後を追いかけた。


「ちょっと!どこに行くのさ!?」

「とりあえず、こいつを絶対に見つからない場所へ隠すぞ」

「見つからない場所って……どこ?」

「知らねぇよ!ここはお前の方が詳しいだろ!」


そう言われては、返す言葉がない。女はしばらく考え込んだあと、自信なさげに言った。


「じゃ、じゃあ……地下室とか……」

「よし、そこでいい!早く案内しろ!」


せっつかれるようにして通路を進みながら、女は先程から疑問に思っていた事を口にする。


「ねぇ……その子、抱き上げた方が早いんじゃない?」


何日もロクなものを食べていないせいで足元をふらつかせるシャノンを見て、女は至極当然なことを口にしたわけだが、どうやら男には鬼門だったらしい。

物騒な表情を浮かべながら、言下に言い放った。


「男を抱きかかえる趣味はねぇ」

「……?」


これには頭をひねった女だったが、確かに抱えた方が人目につくかと納得し、今はそれどころではないと目先の問題に意識がすり替わった。


「で、その地下室は何に使われてんだ?」

「チーズとかワインとか保管しておく貯蔵庫になってる。普段は人も近寄らないから、隠しものをするのに最適だよ」

「おあつらえ向きだな。ここまで来たんだ。絶対にヘマするわけにはいかねぇ……オラ!もっと早く歩け!!」

「ぐ……っ」


とぼとぼと後をついてくるシャノンの首根っこを掴み、乱暴に先に押しやってくる男を恨めしく思いながらも、シャノンは油断なく周囲に気を配った。


国王自ら国の御旗を掲げて救出しに来てくれたのだ。面倒をかける自分が、のうのうと助けられるのを待つなんてかっこ悪い。それに、これでも一応男なのでメンツにも関わる。


そんな事を思い連ねながら、重い体を引きずり何とか男たちに付いていっていると、不意に前方を歩く二人の足がギクリと止まった。その様子からして、何か都合の悪いものを見たのだろうと察したシャノンも、急いで二人の肩越しに様子を窺う。紫の壁紙に囲まれた狭い通路の間を艶かしい格好をした男女が埋め尽くしていた。恐らく、常とは違うただならぬ気配を察し、様子を見に出て来たのだろう。実際、人々は何が起こっているかよくわかっていないようで、口々に何事かと尋ねあっていたが、その不安と混乱だけはすっかり伝染していた。


シャノンの前方を歩く男女は素早く目配せし合うと、さりげない動作で背後のシャノンを人々の目から覆い隠し、近くににあった右の通路へ入る。前方に男、後方に女、と囲まれ歩かされ続けながらも、シャノンはその間一切口をきかなかった。ここで助けを求めてもムダだとわかりきっているからである。

きっとチャンスはそんなに多くない。確実に、間違いなく、メリルの元へ届くように声を上げなければいけない。そのタイミングを逃さないように、シャノンは気を引き締めた。


こちらの通路は先程の場所よりも、人気が少なく、少し薄暗い。建物の奥へと向かっている事を感じさせる雰囲気である。そのためか、男の方も少し余裕を見せて、前方に気を配りながらも背中越しに語りかけてきた。


「残念だが、その顔じゃあ誰かわかってもらえないかもしれねぇなぁ」

「………」


二度の殴打ですっかり腫れ上がった顔を揶揄され、くつくつと喉の奥で笑われて、怒りと悔しさで、シャノンは生まれてこの方、暴力とは無縁の世界で生きてきたが、初めて人を殴りたいと思った。


「わかってくれます、絶対。あの人なら」

「へぇ、そりゃ良かった。男前になったって褒められるかもな」

「ねぇ、何であんたホントに殴っちゃったのさ。せっかくの可愛い顔が台無しじゃないか。こんな上玉なかなかいないよ」


二人の会話の端々を訝しみながらも、シャノンの器量の良さを惜しむ女が男に文句を言った。男は軽く肩を竦め、せいぜい冗談っぽく答える。


「そうだな。せっかく潰すなら、上の玉じゃなくて下の玉が良かったな」

「はぁ……?」


噛み合わない会話に女が不可解そうに首を傾げれば、灯りの届かぬ通路の前方の闇の中から話し声が聞こえ、一同はハッとして立ち止まった。耳を澄まし、向こうとの距離を推し量っていると、女が慌てた様子で囁いた。


「ママの声だ!」

「ちっ、とりあえず空いてる部屋に入れ!」


各部屋の扉には空室かどうか一目でわかるように札がかけられている。男は、近くの空室を見つけざま、そこにシャノンを押し込め自らもその身を滑り込ませた。女だけは廊下に残り、扉の前で様子を窺った。男は息を殺し、シャノンも部屋の外の話し声に耳を澄ませる。



『ママ、そっちの良い男はどなた?』

『こんにちは、お嬢さん。なんだかお騒がせしてしまっているようで、すみません。私たちはただ、陛下に気晴らしして頂こうと骨を折っているだけなんですが……』

『しかし、本当にこんな小さな店でよかったんですか?他に、もっと豪華できれいな店もありましたでしょうに……まぁ、うちとしては陛下のお墨付きなんて願ったり叶ったりですけどね』

『誰か気にいる人は見つかりましたか?』

『いいんだよ、お前には関係ないんだから小癪するんじゃないよ。さっさと部屋に行きな。客を待たせてるんじゃないのかい』

『そうだった!いっけない。じゃあ、男前さん。あたしは王様相手ならいつでもOKだから、気になったら声かけてね』



扉越しに女のそのくぐもったセリフが聞こえてきたのを合図に、男はシャノンを連れてゆっくりと部屋の隅へ下がった。

扉の前の気配がなくなったのを確認してから、女もゆっくりと部屋の中へ進入してくる。

そして、廊下から人の気配が完全に消えたのをきっかけに、女が興奮した口調で叫んだ。


「……何、あの美形!あんなのが王様の元で働いてるの!?」


努めて声を抑えているとは言え、その鼻息の荒さからも興奮の度合いがわかる。男はそんな女の様子を冷めた目で見つめながら、簡潔に言った。


「脱げ」


これには二人共驚いたが、女は驚きつつも狼狽えはしなかった。不思議そうに聞き返す。


「今?」

「ああ、今だ」

「何でまた?」

「このクソガキと服を交換しろ」

「服?」

「国王たちが探してるのは商売女じゃねぇ。客の方だ。お前らに警戒心を抱かせねぇように、そんな適当な嘘ついてんのさ」

「そうなの?」

「お忍びで来てんのにデカデカと国旗を掲げるバカがどこにいるってんだ。矛盾してんだろ。あの旗はアピールなんだよ。自分たちの存在を知らせるためのな」


そこまで聞いても女はピンとこなかった様子だったが、この場は男に従った方がいいと思ったのか、言う通りに服を脱ぎ始める。女の白い柔肌が薄暗い室内に浮かび上がって、シャノンは慌てて視線を逸らした。


「交換すんのはいいんだけど、その後は?」

「頃合いを見て、こいつを外に連れ出す」


これには、本当にびっくりした女だった。


「いいの?正面玄関通るんだよね?バレない?」

「あいつらが探してんのは、あくまでも‘ここに滞在しているはずの人間’だ。従業員の格好してれば、きっと警戒心は薄くなる。それにこのボコボコの顔だ。うまくやればきっと誤魔化せる」


自分自身に言い聞かせるように妙に力強く言い切った男だったが、女は半信半疑だった。


「でも……賭け、だよね……?」

「言っておくが、ここに隠れてる限り見つけ出されるのは時間の問題だぞ。あいつらはその気になれば、ねずみ穴の中まででも探し出せる」


そこまで言われてしまえば、たしかに他に方法はないように思われて、女は覚悟を決めて着ていた従業員服を差し出した。フリルが過分についたピンク色のワンピースは、襟足のタグに店のロゴが記してあって、それぞれの店の商売エリアを遵守するなど、店同士の公平な競争のためにも必要な措置として、各店で配布されるのが決まりとなっている。ちなみに、店によって従業員服もデザインが異なる。


差し出されたワンピースを性急な手つきで受け取った男は、警戒心に身を固くしているシャノンを見下ろし、平坦な声音で告げた。



「わかったか。お前に拒否権はねぇ。皮膚ごと服を剥ぎ取られたくなかったら、おとなしくこれを着るんだ」

「…………お断りします」


男の額に青筋が浮かぶのを見て、シャノンは今度こそ顔の原型をとどめていられなくなるのを覚悟した。だが、もし仮に男の企みが成功したら、自分は更に窮状に追い込まれるだけになる。それだけは何としてでも避けたい。

必死にこの場を乗り切る方法を考えるシャノンだったが、男はそんな猶予は与えてくれなかった。


「そうかい。だったら、お望み通りにしてやるよ!」

「……っ」


勢いよく足を取り払われ、強かに背中を打つ。そのまま馬乗りになられ、どこに隠し持っていたのか小型のナイフで、胸元を切り裂かれた。詰め物のおかげで肌が傷付く事は避けられたが、以前窮地には変わりない。

流石に恐怖を覚えたシャノンだったが、それを男に気取られるようなヘマはしなかった。


「いいんですか。もしそれ以上乱暴をするなら、今度こそ大声を出して叫びますよ」

「やってみろ。その前に、その喉掻っ切って二度と声が出ないようにしてやる」


どちらがハッタリでどちらが本気かなど、わからなかった。お互い、片時も相手から目を離す事なく睨み合う。

そのまま膠着状態が続き、事態の経過を見守っていた女も忍耐の限界を感じ始めた頃、不意に扉がノックされた。

さしもの三人も、思わず顔を見合わせた。


そして、扉越しにかかった声に女が飛び上がる。



「失礼。先ほどのお嬢さんは、こちらにいらっしゃいますか?個人的にちょっとお話がしたくて……不躾とは承知で参りました」


取り用によっては、色っぽい用件に思われる内容に女は目の色を変えた。ただでさえ、一目見ただけで、あんなにも興奮していたのだ。これに鼻息を荒くしないはずがない。


思わずドアノブに手をかけようとした女を慌てて舌打ちをして制止させると、男は牽制の意味を込めて女を睨みつけた。だが、男にのぼせあがっている女には、そんなの全く通用しない。



「大丈夫!何も言わない!ちょっと話をしてくるだけ」

「だめだバカ!罠かもしれねぇだろ!」

「そんな事ない!とりあえず、ちょっと用件を聞くだけ!ね、いいだろう!?」


声を潜めたまま口論しあうも、一向に聞く耳を持たない女に痺れを切らし、男は強い剣幕で詰め寄った。

急に解放されたシャノンは、外の気配に意識を集中させ、今が“その時”かを冷静に見極めようとした。


「頭を冷やせ!大金が水の泡になってもいいのか!?」

「いいわけないよ!だから、そんなんじゃないって!ちょっと話を聞いてくるだけで、ヘマはしないってば!」

「だめだ!!」


業を煮やした男が力技で女の体を扉の前から押し退ける。制御を失った体が自分の上に傾いでくるのを避けられず、シャノンは柔らかい女の裸体に押しつぶされた。

こんな状況で赤面などしてはいられなかったが、それでもその生々しい感触には冷や汗が出た。


すると、流石に部屋の中の物々しさに気付いたのか、廊下の人物が気遣うように声をかけてくる。


「どうなさいました?大丈夫ですか?」


男が慌てて、身振りで女に追い払うように伝えるも、女はまだえらく不満そうにしていた。それもそのはずである。目の前に自分好みのいい男がいるのにそれを指をくわえて見ているだけなんて、彼女の職業柄を考えてもあり得ない事だった。


とは言え、やはりお金の魅力には逆らえなかったのか。幾ばくか硬い声で扉の向こうに答えた。


「えーと……ごめんなさい、今接客中なんでまた後にしてもらえますかね」


一応、一抹のチャンスを残しておく辺りは、やはりしたたかと言っていいかもしれないが。

女の対応に小さく頷いた男は、早くこの状況を変えなければと気が焦いたのかもしれない。極め付けとばかりに、自分も客を演じて話しかけたのがいけなかった。


「おい、こちとらお楽しみ中なんだよ。邪魔すんな。早く失せろ」


これで潔く身を引くかと思っていたのに、そこに割り込んできた新たな声に驚く。



「だ、そうだ。メリオット、これ以上お邪魔しては悪い。他を当たろう」


他の誰の声を聞いても決して間違えるはずがない、鈴を転がしたような、透き通った声音。


シャノンは一気に全身の毛が粟立つのを感じた。そして同時に、その時は今しかないとも確信した。




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