第三章 陰謀

奪われたサファイヤ

シャノンが目を覚ますと、そこは見覚えのない部屋だった。照明は限界まで絞られていて、細部までは見渡せなかったが、普通の民家とは思えないとてもゴージャスな内装でまとめられている。部屋の広さは一般的な寝室とそれほど変わらないが、それにしては異様に大きめなベッドが一つと、その横に置かれたサイドテーブルが唯一家具と呼べるものだった。



「いっ、た……」


とりあえず身を起こそうとしたシャノンは、縛られている両腕と痛む脇腹に気付き、小さく呻いた。ここに至るまでの出来事を思い出そうとするも、異変を訴える体に思考を邪魔される。


とにかく、冷静になろうと横たえられていたベッドの上で呼吸を整えていると、不意に話し声が聞こえ部屋の扉が開けられた。

入室してきたのは、明らかに堅気ではない風体の30代くらいの細身の男と、派手な化粧をした若い女だった。



「あんた、本当に大丈夫なんだろうね?こっちだって危ない橋渡ってんだから、あまり大事はよしてくれよ」

「わかってるよ、うるせぇな。用が済んだらすぐ出て行くよ」


言い争いながら部屋の中ほどまで進入してきた二人は、ベッドに寝ているシャノンには目も暮れず、薄暗い部屋の中で声を潜めて向き合った。


「そいつ、本当に信用できるの?」

「ああ、安心していい。仲介に入ってるのは昔馴染みの奴だし、そいつは超がつくほど用心深い性格もしてる」


終始懐疑的な女とは反対に、男は自分の考えに絶対的な自信を持っているようだった。そんな男の様子に、とりあえず溜飲を下げたらしい女は強い口調で念押しした。


「言っておくけど、3日だけだよ。いくらあんたの顔が利くからって、ママの目を誤魔化しておけるのにも限度があるからね。それ以上は、ここに置いておけない」


その言葉に男は殊勝に頷いた。男に異論がない事を認めると、女はそれまでの雰囲気をガラリと変えて、鼻にかかった甘い声を出した。


「ここまで手を回してやったんだ。もちろん、分け前はもらえるんだろうね?」

「もちろんさ。ゆうに3年は遊んで暮らせる額だ。お前に少しばかりやったところで痛くもねぇ」


じきに転がり込んでくるであろう大金に思いを巡らせ、だらしなく相好を崩した男は、改めて自分の置かれている状況に気を良くしたように、しなだれかかってくる女を鷹揚に抱きとめた。

そこからはなし崩しに、どちらからともなくもつれ合うようにしてベッドに倒れ込む。

と、ここまでの成り行きを両腕を縛られた状態のまま窺っていたシャノンは、目の前で繰り広げられている痴態が信じられず、唖然とした。慌てて声を上げようとするも、縛られたまま長く放置さていたのか喉の奥が渇いて張り付き、思うように声が出なかった。

焦ったシャノンが不自由な体を動かし、必死に自分の存在をアピールしていると、男の下で官能の波にさらわれていた女と目があう。


あ、と思った次の瞬間には、髪の毛を掴まれ顔を覗き込まれていた。



「なんだ、こいつ目が覚めてんじゃないか」


先程までの甘ったるい響きとは違う冷めた声音に、シャノンの背筋を冷たいものが滑り落ちた。

同様に、女の上に覆いかぶさっていた男もシャノンの顔を覗き込み、狐のような細い目を三日月に歪ませて、ニヤリと笑った。


「よお、気分はどうだ?」


人を誘拐した張本人とは思えない気さくな態度に、シャノンは困惑を強くした。最初の衝撃が去り、次に思い出されてくるのはここに連れて来られる前の最後の記憶。その記憶の中では、目の前の男は数人の仲間と一緒に自分の乗る馬車を襲撃し、逃げ惑う人々に次々と強烈な一撃をお見舞いしていた。


改めて鳩尾の鈍い痛みに顔をしかめながら、シャノンは慎重に口を開いた。


「…目的は…なん、ですか……?」


ひどく掠れ、不明瞭な声音ながらも、ハッキリとした意思を感じさせるそれに男は驚いたように目を見開いた。


「へーえ。お嬢ちゃん、肝が据わってんな」


その言葉に、シャノンは自分が女装姿のままだったのを思い出す。婚約の準備が内々に進み、やっと正式に城に招待され、意気揚々とマグリット邸を出発した矢先の事だったのだ。

久しぶりにメリルに会えると浮き足立っていたとは言え、いつ何時強盗に襲われるかわからない身の上なのを忘れ、警戒を怠ったことをひどく後悔した。


きっと今頃、家には身代金要求の手紙が届き、上へ下への大騒ぎになっているに違いない。何よりも、約束の時間に姿を現さない自分を心配するメリルの姿が思い浮かび、シャノンは居ても立っても居られなくなった。



「いくら…要求したんですか……?」

「残念だが、俺が欲しいのは金じゃねぇ。お前のここに詰まってるもんさ」


そう言って、硬く節ばった指で額を小突かれ、シャノンは意味がわからずに男の顔を見返した。


「……何……?」

「情報だよ、情報。男の弱味、とかそう言う…あー、とにかく何でもいい!人様に知られちゃ困るような事を何でもいいから教えてくれや」

「は……?」


それで真意が伝わったとばかり思っていた男は、肝心のシャノンの反応が思いのほか鈍い事に苛立ち大きく舌打ちをした。


「とぼけるのはよせ。お前、最近婚約したんだってな?」


今度はハッキリと顔色を変えたシャノンに確信を得た男は、獲物を狙う肉食動物のような鋭い瞳で、見据えてきた。


「そう。俺が知りたいのは、そいつの情報だ。もちろん、素直に言えば悪いようにはしねぇ」

「………」


そんな安い誘い文句に乗るほどシャノンは臆病でも単純でもなかったが、シラを切るにしてはあまりにも聞き捨てならない内容だったので、シャノンは咄嗟に不安と恐怖で動揺している女を演じつつも、内心は冷静に男の目的を見極めようとした。



「わ、わかりました……私の知っている事ならなんでもお話しします…でも、あの……具体的にどんな事をお聞きになりたいのですか?」

「そうさなぁ……例えば、ギャンブルで失敗して多額の借金があるとか。不倫してるとか……ああ!一番いいのは、その間に子供とかいてくれたら最高だな!」

「なるほど!隠し子なんて清い身の上にとっちゃあ、これ以上ない醜聞になるだろうね」


妙案とばかりにはしゃぐ二人の会話を、シャノンは釈然としない思いで聞いていた。

借金?不倫?隠し子?そのどれもが国王たる彼女には似つかわしくない単語だった。そもそも、それら全ての事象を合法的に納める力さえ持っているのが国王と言う存在である。

いよいよもって疑念を深くしたシャノンは、せいぜい怯えたふりをしながらも、更に探りを入れる。


「……ですが、そんなのをお知りになってどうなさるんですか?」

「さぁな、そんなのは俺の知ったこっちゃねぇ。いいから、さっさとお前の知ってる事を教えろ」


そのあまりにも‘軽薄’な様子に、シャノンは他に黒幕がいる事を確信した。

でなければ、自国の国王の醜聞に対してここまで呑気に構えていられるはずがないのである。一歩間違えれば、国家存亡の危機になるどころか、自分自身も国家転覆を狙う逆賊として重刑に課せられよう。しかし、目の前の二人が、その恐ろしさを理解しているようには、到底みえなかった。


恐らく、シャノンから婚約者の情報を聞き出してくるように言われているのだろうが、肝心その相手が誰なのかまでは知らされていないのだろう。

そもそも婚約の話だってオフレコでまだ限られた人しか知らないはずなのに、一体どこから漏れたのか、それも気がかりだった。

メリルの弱みを知りたがる人物に心当たりはなかったし、その目的も想像がつかなかったが、ごく普通の一般庶民がこんな事を企むとは思えなかったので、シャノンは先程とはまた違う意味で冷や汗が背中を伝うのを感じた。


一つ僥倖だったのは、シャノンがメリルに会いに行く途中だったと言う事だろう。お陰でメリルに情報が伝わるのが早く、捜索隊を編成し派遣するのも国王号令の下ならば迅速だと予想したシャノンは、少しだけ肩の力を抜いた。こんな状況なのに思ったよりも冷静でいられる自分に驚きつつ、警吏隊に勤める次兄が日頃から聞かせてくれる防犯知識の賜物だと感謝した。次兄にはあとでたっぷりお礼を言うとして、今はとにかく助けが来るまでどうやって時間稼ぎをするかが重要だった。


これまたラッキーな事に、相手は自分のことを女だと思い込んでくれているようで助かる。もし、最初から男だとバレていたらもっと直接的な酷い目に遭わされていたかもしれない。その分バレた時が怖いが、それは今は考えないようにした。

ここがどこかはわからないが、丸一日気絶していたわけではないだろうから、そんなに遠くへは連れて来られていないはずである。どんなに遅くとも1週間以内には捜索の手が入ると信じて、シャノンはその間を無事に乗り切る方法を必死に考えた。



「あ、あの……突然、そんなことを言われても…急には思いつかなくて……す、少しだけ、時間を…ください……」


さめざめと泣き始めた少女に興ざめしたように、男は盛大に舌打ちをした。


「おい、嬢ちゃんよう。この状況わかってんのか?必要なこと喋りゃあとっととそれで自由になれんだぜ?」


嘘つき。最初から解放する気なんてないくせに。…とは、もちろん言わない。

人を誘拐して監禁するような奴が、顔を見られたまま人質を無事に返すとは思えない。

流石に涙は出てこなかったが、薄暗い室内が功を奏し、それっぽくしゃくり上げればちゃんと泣いてるように見えたらしい。



「待ちなよ。怖がってるじゃないか。ほら、安心しな。別にあんたの事を取って食おうって訳じゃないんだよ。ただ、あんたの婚約者の事をちょーっとだけ教えてくれればいいのさ」


怯える‘少女’を見て与みやすしと踏んだのか、女はせいぜい人の良さそうな笑みを浮かべて猫なで声で取り繕った。



「その婚約者とは長い付き合いなのかい?」

「……まだ2ヶ月です」

「そう、じゃあまだ初々しい関係だね。その人のことは好きかい?」

「……はい」

「だったら、その人のこと悲しませたくないだろ?」

「………」

「無事に結婚だってしたいだろ?その代わりに何か一つ、人に言えないような事を教えておくれよ」

「………」


もはや言ってることが支離滅裂である。



「おい、勝手な事すんなよ。用が済んだら、始末しとけって言われてんだ」

「バカだねぇ。この娘の顔よく見てごらんよ。なかなかの上玉じゃないか。こんなのうっちゃっておくなんて勿体無いよ!」

「お前、まさか店で働かせようってのか?」

「ちょうど二人飛んで、困ってたところさ。ママもこの娘なら絶対に気に入る」


話が思わぬ方向に進み始め、シャノンは状況の整理が追いつかず混乱した。


「何言ってやがんだ!それで足がついたらどうすんだよ!?」

「でも、こんな金になりそうなものみすみす逃す手はないよ!」

「勘弁しろよ…金ならたんまり入るだろうが」

「金はいくらあったって困るもんでもないだろうに。それにまだ付き合って2ヶ月なんて、ようよう掘り下げないと貴重な情報なんて出てこないかもしれないよ」

「………身体に聞けってか?」

「こんな小娘にはそれが一番手っ取り早いだろうさ。ついでに手練手管も仕込める。一石二鳥じゃないか」

「まぁな……」

「とにかく、急に問い詰めて錯乱でもされたら困るから、ここは少しずつ追い詰めていかないと」


それで話はまとまったようだったが、なんとも物騒な会話である。哀れ、それを目の前で繰り広げられていたシャノンは、流石に背筋が薄ら寒くなった。


どうやら自分は、命の危機だけではなく貞操の危機でもあるらしい。


何やら値踏みするような二人の視線に縮こまりながらも、シャノンはただひたすら早く助けが来るのを願った。



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