追い風と急転

時には、だいぶ年かさのご婦人や紳士からも話しかけられていて、例のあの赤毛娘を筆頭にした取り巻きメンバーも彼の側から離れないのを見る限り、随分周囲から愛されているなと感じた。

きっと、彼の周りには自然と人が集まるのだろう。それも一種の才能であるとメリルは思っていた。


「どうだ?あれでもまだシャノンの全てを否定するか」

「………まぁ、外面がいいのだけは認めましょう」

「結構だ」


渋々とは言え、言質を取った事に思わず口元を綻ばせたメリルだったが、メリオットは素早く釘を刺した。


「ですが、まだ彼の全てを見定めたわけではありません」

「お前の条件に見合う人間を探していたら、あと200年はかかるぞ」


嫌味のつもりで言ったのだが、何故かメリオットはぞっとするほど美しい微笑を浮かべ、妙に優しい声音で言った。


「でしたら、あと2年でその相手を見つけ出してみせます」


冗談、と笑い飛ばし座っていた椅子から腰を浮かしかけたメリルだったが、すぐにその肩を押さえ込まれる。振り払えないほどの力ではなかったが、見えないプレッシャーがのしかかってくるようだった。


「容姿端麗、文武両道、血筋は良いが親兄弟との縁も少なく秘密が漏れる心配はない、気遣いに溢れ内面が優れているのはもちろんのこと芝居の才にも長けていて、スパイ活動や諜報活動にはもってこいのハイスペックな人材などはいかがでしょうか」

「そんな化けもんみたいな奴、この世にいるのか?」


疑わしさ満載で率直な疑問を口にしたメリルに、メリオットはまるで幼子でも諭すようにゆっくりと言い聞かせた。


「ですから、あと2年で私がそんな人間を育てあげると言っているのです」

「………」


それは何とも恐ろしいセリフだった。メリオットは、自分の思い通りになる人間を探し出し、一から育てあげると言っているのだ。まるで洗脳である。


「お前の操り人形になった妃なんて願い下げだ」

「こちらの思惑通りに動かない妃など居ても意味がありません」


静かに睨み合い火花を散らした二人だったが、諦めたように嘆息し、先に視線を逸らしたのはメリルの方だった。



「お前があてがう妃など恐ろしくて、おちおち夜も寝ていられないな」


茶化すように言って首をすくめた後、給仕が運んできたグラスをひったくり、その中身を一気にあおる。喉を滑り落ちる炭酸の刺激が、幾らか気分もスッキリさせてくれるようだった。


自分が本当に嫌がる事を彼はしないとわかっているのだが、それでもやはり己の意思が無視されるのは気持ち良くなかった。それは、国王であるが故の弊害であり、一人の少女の意思と国の命運を天秤にかけた時に、後者に傾くのは必定でもあった。



「陛下、お楽しみ頂けておりますか?」


殺伐とした二人の空気に割って入ったのは、この家の主人であり、パーティーの主催者でもあるアドルフ=マグリットだった。


「ああ、ここは空気も美味しいし、人々も晴れやかな顔をしていて仲も良さそうだ。素晴らしいな」

「これは何とも嬉しいお言葉にございます」


てらいのない褒め言葉に、アドルフは低く腰を折った。そして、メリルの背後に粛々と控えているメリオットにも水を向けた。


「宰相様は、いかがでございますか?」

「ええ、まぁ……牧歌的と言いますか、こう言う何もない場所で何も考えず育つと、ああ言う節操のない人間たちが出来上がるものかといたく感心しておりました」

「メリオット!」


噛み付くように叫んで言葉を遮ると、メリルはすぐさま非礼を詫びた。


「すまない。今のは失言だ。宰相は、ここの人々の自然体な振る舞いに驚いているのだ。許してやってくれ」


苦しい釈明だったが、アドルフは苦笑を浮かべ頷いた。この宰相が、自分たち親子を心良く思っていないのはわかっていた。その原因が、息子の女装に端を発しているのも。

だが、成り行きはどうあれ、今こうして国王陛下と想いを交わし合うようになった息子をアドルフは素直に応援してやりたいと思っていた。



「ところで陛下、差し出がましいとは思いましたが、別室にお食事とお飲み物をご用意致しております。もし宜しければ、そちらで少しお休みになっていかれませんか?」

「これはこれは、丁重なおもてなしとお心遣いには感謝致しますが、何分予定が立て込んでおりましてね。こんなど田舎でピクニック気分よろしく呑気にティータイムなどしている暇はありませんので、早々に失礼させて頂きます」

「メリオット……!」


日頃の毒舌っぷりを本領発揮して誘いを一蹴したメリオットに、メリルは頭を抱えた。流石に非難の色を隠せず睨め付けるも、メリオットは澄まし顔で軽く肩をすくめるだけだった。


「あー卿、申し訳ないがこの後の予定が詰まっているのは本当なんだ。慌ただしくてすまないが、このまま失礼させて頂く」


バツが悪そうに軽く咳払いをした後、メリルは会場内に設えられた貴賓スペースから立ち上がる。彼女が特別な存在とバレぬよう、だが他の賓客とは一線を画した存在であることもまた無視できなかったので、アドルフが苦肉の策で用意したものだった。

本来ならば、人前で陛下と呼ぶことさえ憚られる状況だったが、幸にもこの得体の知れない「上客」に近付こうとする強者はいなかったので、アドルフは人目を気にせず彼女を呼び止めた。



「陛下、愚息とは会いましたか?」

「ああ、さっき少しだけだが……」

「良ければ、別室に呼びつけましょうか?」


それはメリルにとって非常に魅力的な誘いだったが、険のある目つきでこちらの様子を伺っているメリオットに気付き、苦笑いで首を振った。


「いいや、今日はこれで失礼させて頂く。ご子息にもよろしく伝えておいてくれ」

「そうですか……あの子も、とても残念がると思います」


芝居とは思えない切実さで肩を落とすアドルフに、メリルは胸が痛むのを感じた。思わず、少しだけなら……と言う言葉がこぼれ出そうになるが、その前にメリオットに口を塞がれた。



「婚約者の‘素性調査’は無事に終えたわけですから、速やかに帰還して、今後の対策を練りましょう」

「んーんー」

「それに、このために後回しにした仕事もたっぷり溜まっていますからね」

「んー………」


何とも抗い難い理由である。思わずジト目になったメリルだったが、そんな二人を見比べていたアドルフが不意に破顔した。


「宰相様は、息子にとって手強い舅となるようですな」

「しゅう、と……?」


耳にした単語の意味を測りかねたように、メリオットは目を瞬いた。


「宰相様は、陛下の後見人のような存在なのでしょう?まるで本当の父娘のように見えますよ」


ニコニコと人好きのする顔でそんな事を言われ、メリオットは絶句した。

彼は自分の容姿に並々ならぬ自信を持っていたし、女性にモテるとも自負していたので、よりにもよって父親に例えられた事に相当なショックを受けた。

そんなメリオットの様子がおかしくて、メリルは腹を抱えて笑った。


それから、猛然と抗議するメリオットをなだめすかして改めて辞去の礼を述べ、会場を出たあともメリルは収まりきらない笑いに涙をためていた。



「あーおかしい。聞いたか?お前が父親だとよ」

「全く、失敬にも程があります!この、若さと美しさのかたまりである私の一体どこを見て、そんな感想を抱くのでしょうか!?」

「別に、若くて美しい父親なんていっぱいいるだろ」

「メリル様は、私が所帯染みてるとでも言いたいんですか?こんなに洗練され、潔白で、誰のものでもないのは目に見えて明らかなのに、彼の目が腐ってるとしか思えません」


憤然とした様子で語気を強めたメリオットに、メリルは冷ややかな視線を向けた。


「よく言う。今朝だって、時間ギリギリまで一体どこにいたんだ」

「それにはお答えしかねます。何せ、お誘いの数が多すぎて、全てにお答え出来ないのが残念なのですから」


至って真面目な顔でそんな事を言うものだから、答えるメリルの声も自ずと低くなった。


「いつかおまえの隠し子が何人も出てこない事を祈るよ」


釘を刺すつもりで言ったのだが、逆にメリオットは我が意を得たりとばかりに微笑んだ。


「ご安心ください。お相手の身元と血筋はきちんと選別しておりますから。曲がりなりにも、次の王冠を携えて生まれてくる我が子かもわかりませんからね」

「………」


穏やかならぬ言葉に、メリルは眉間にシワを寄せた。


「私に子がなかったら、そいつが次の国王か?」

「そうならないように、是非努めてもらいたいと思います」


これ以上にはない嫌味だった。そもそも、メリルが性別を偽り妃候補を探し始めた時点で、子種は諦めていたのだ。生物学的に女同士に子供は出来ない。それを承知の上で、敢えて「妃」を探していたのに。と、メリオットのぼやきが聞こえてきそうだった。


だが、想定の範囲外だったのはメリルも同じである。



「どちらにせよ、シャノンの意見も聞いておかないと……」

「そんなの一も二もなく飛びつくに決まってます。初めて恋を知った男は、猿と同じで腰を振るしか能がないですからね」

「乱暴な意見すぎるだろ」


思わず白目になりかけたメリルであったが、メリオットはそんなのお構いなしに話を続ける。


「そうでもないですよ。ああ言う、澄まし顔で一見毒にも薬にもならなそうな優男が、実は一番危険なんです」

「どう危険なんですか?」


その問いに答えようと後ろを振り返ったメリオットは、ギョッとした。いつの間にか、当の本人であるシャノンがそこに立っていたからだ。何より、一番焦ったのはメリルだった。お世辞にも上品とは言えない今の会話が聞かれていたのかと思うと、居たたまれなさに消え入りたくなった。


「シ、シャノン、今の話どこから……」

「恋を知った男は腰を振るしか能がない、の辺りからです。ところで、

もうお帰りになられるんですか?」

「い、今の話は忘れてくれ……っ!」


全く話が噛み合っていないが、驚くことに二人の行動は一致していた。


「メリオット様、3分だけ時間をください!」

「メリオット、3分待ってくれ!」


同時に懇願され、メリオットは懐中時計を片手に渋々了承した。


「2分だけ待ちましょう」


さりげなく1分減らされていたが、この際そんなのどうでも良かった。それを指摘する時間さえ惜しかったのである。

一応、最低限の配慮で二人の会話が丸聞こえにならない場所まで下がると、メリオットは静かに控えの姿勢を取った。


それを横目で確認してから、メリルが口火を切った。



「今日は驚かせてしまったな。すまない」

「言ってくれれば良かったのに」

「言ったらきっと不必要に取り繕うと思ったんだ。私は、素のお前とそれを育んだ場所のありのままの姿を見たかった」


そう言われては、シャノンも返す言葉がない。何も言ってくれない寂しさから、少なからず渦巻いていた不満が、嘘のように消えていった。


「メリルはずるい」


思わず独り言のようにごちれば、メリルは苦笑をもらした。


「そうだな、確かに私はずるい。最初から騙してばかりだしな」

「そうじゃない」


自嘲するように緩く首を振ったメリルの手を、シャノンが優しく取った。それを見咎め、思わず二人の間に割って入りそうになった自分を、メリオットはなけなしの良心で留めた。ここで邪魔をするのは、さすがに無粋と言うものである。


玄関ホールの真ん中で手を取り合い見つめ合う二人に、会場で踊り合う人々は気付かなかった。ただ一人、二階の手すりに身を隠すようにしてしゃがんでいる赤毛の女を除いては。



「この1ヶ月間ずっと悩んだり迷ったりしていたのに、メリルに会った途端そんなの全部どうでもよくなった。だから、メリルはずるい。俺のこれまでの不安や悩みをあっという間に吹き飛ばしてくれた」

「不安……?」

「そう、俺はメリルの横にいる資格はないんじゃないかって自信がなくて、手紙も出す勇気がなかった……ごめん」


なんとも情けない話だったが、それが今のシャノンの掛け値なしの本音だった。嫌われるのが怖かった。幻滅されるのが嫌だった。全ては、自分自身の覚悟のなさから来るものだった。

でもその全ての憂いは、こうして自ら足を運んでくれたメリルの行動が、勇気に変えてくれた。


「俺に何が出来るかわからないけど……メリルのその誠実さだけは信じることが出来るから、俺も逃げずに自分と向き合いたい」

「……シャノン、無理しなくてもいいんだぞ」

「大丈夫。今日は来てくれてありがとう」


それは、シャノンが久しぶりに見せた心からの笑顔だった。それこそ、メリルはずるいと思った。そんな風に、自分の弱さをさらけ出して、屈託無く心を預けて来るなんて、誰にも出来ることじゃない。彼のそんな裏のない正直な所が、きっと安心感を与え、人を寄せ付けるのだと思った。



「お前には勝てないな」

「………?」


思わず苦笑を漏らした自分の顔を不思議そうに眺めてくる彼の額に、メリルはそっと自分の額を押し付けた。思いがけず、急接近した距離にシャノンは慌てた。


「残り1分です」


漂い始めた雰囲気をぶち壊すように、メリオットが妙に大きい声で残り時間を告げるが、二人の耳には全く届いていなかった。今、お互いの瞳に映っているのは、目の前にある相手の姿だけだった。



「…メリル」

「もう少し待ってくれ。あと少しで準備が整う……そうしたら、すぐに迎えを寄越す」

「迎え?」

「そうだ。そしたら、一緒に城で暮らせる」


驚きに目を見開いたシャノンは、サングラス越しに見える榛色の瞳をもっとよく見たいと思った。


「……メリル、眼鏡を外して」

「だめだ、誰に見られるかわからない」


見つめ合う以上の事をしている自覚もなく、そんなやり取りをするものだから、聞き耳を立てていたメリオットは軽く舌打ちをした。いつまで、このバカップルの三文芝居を見せられなければいけないのか。

発狂しそうになるのを辛うじて堪えて、メリオットはせめてもの抵抗に悪意の込もった念を送った。もちろん、二人は気付いていない。それどころか、ますます二人だけの世界に入り出した。



「一緒に暮らせるって……本当?」

「ああ、城の重臣たちを説得するのに時間がかかった。待たせてすまない」

「ううん、まさか一緒に暮らせるなんて思ってもみなかったから嬉しいよ」

「私もだ。これで、シャノンの事をよく知れる」


うふふ、あはは、と辺り一面に花さえ咲かせそうなほのぼのとした雰囲気に、メリオットは全身に鳥肌をたてた。微笑ましい青春劇など、彼の最も嫌うところである。

それも相まって、そろそろ潮時かと二人の間に割って入りかけた時、彼よりも早く動いた者がいた。



「いっっ!!?」


スコーンと小気味良い音がして、シャノンの後頭部に何やら金色の物体がものすごいスピードで落下してきた。一同が慌てて上を見上げるも、そこに人の気配はない。訝しみながらも、落ちてきた物を確認すると、それは金の装飾がなされた女物の腕輪のようだった。

何故ここにこんな物が、と頭をさすりながら仕切りに首をひねるシャノンとは別に、メリルとメリオットの切り替えは早かった。


他の人間にこの決定的な場面を見られる前にと、そそくさと馬車留めの方へ足を向けた。気付いたシャノンが一緒に連れだとうとするも、メリオットが手を上げて静止する。



「見送りは、ここまでで結構です。詳しいことはまた後日ご連絡致しますので」


あの時と全く同じ台詞だったが、今のシャノンには何の不安もなかった。素直に頷いて、メリルに目配せをした。



「メリル、またね」

「じゃあな、シャノン。またすぐ会える」


お互いの気持ちを確認するように頷き合うと、白けた顔をしているメリオットを促し、メリルは早足で館から離れていく。その後ろ姿が見えなくなるまで見送ってから、シャノンは軽く深呼吸をし、それからまたいつもの人好きのする顔になってパーティー会場に戻って行った。



それから、1週間後待ちに待った報せが届き、シャノンは意気揚々とマグリット邸を出発した。


そして、3日後。

シャノン=マグリットが行方不明になったと言う報がメリルの元に届いた。



時には、だいぶ年かさのご婦人や紳士からも話しかけられていて、例のあの赤毛娘を筆頭にした取り巻きメンバーも彼の側から離れないのを見る限り、随分周囲から愛されているなと感じた。

きっと、彼の周りには自然と人が集まるのだろう。それも一種の才能であるとメリルは思っていた。


「どうだ?あれでもまだシャノンの全てを否定するか」

「………まぁ、外面がいいのだけは認めましょう」

「結構だ」


渋々とは言え、言質を取った事に思わず口元を綻ばせたメリルだったが、メリオットは素早く釘を刺した。


「ですが、まだ彼の全てを見定めたわけではありません」

「お前の条件に見合う人間を探していたら、あと200年はかかるぞ」


嫌味のつもりで言ったのだが、何故かメリオットはぞっとするほど美しい微笑を浮かべ、妙に優しい声音で言った。


「でしたら、あと2年でその相手を見つけ出してみせます」


冗談、と笑い飛ばし座っていた椅子から腰を浮かしかけたメリルだったが、すぐにその肩を押さえ込まれる。振り払えないほどの力ではなかったが、見えないプレッシャーがのしかかってくるようだった。


「容姿端麗、文武両道、血筋は良いが親兄弟との縁も少なく秘密が漏れる心配はない、気遣いに溢れ内面が優れているのはもちろんのこと芝居の才にも長けていて、スパイ活動や諜報活動にはもってこいのハイスペックな人材などはいかがでしょうか」

「そんな化けもんみたいな奴、この世にいるのか?」


疑わしさ満載で率直な疑問を口にしたメリルに、メリオットはまるで幼子でも諭すようにゆっくりと言い聞かせた。


「ですから、あと2年で私がそんな人間を育てあげると言っているのです」

「………」


それは何とも恐ろしいセリフだった。メリオットは、自分の思い通りになる人間を探し出し、一から育てあげると言っているのだ。まるで洗脳である。


「お前の操り人形になった妃なんて願い下げだ」

「こちらの思惑通りに動かない妃など居ても意味がありません」


静かに睨み合い火花を散らした二人だったが、諦めたように嘆息し、先に視線を逸らしたのはメリルの方だった。



「お前があてがう妃など恐ろしくて、おちおち夜も寝ていられないな」


茶化すように言って首をすくめた後、給仕が運んできたグラスをひったくり、その中身を一気にあおる。喉を滑り落ちる炭酸の刺激が、幾らか気分もスッキリさせてくれるようだった。


自分が本当に嫌がる事を彼はしないとわかっているのだが、それでもやはり己の意思が無視されるのは気持ち良くなかった。それは、国王であるが故の弊害であり、一人の少女の意思と国の命運を天秤にかけた時に、後者に傾くのは必定でもあった。



「陛下、お楽しみ頂けておりますか?」


殺伐とした二人の空気に割って入ったのは、この家の主人であり、パーティーの主催者でもあるアドルフ=マグリットだった。


「ああ、ここは空気も美味しいし、人々も晴れやかな顔をしていて仲も良さそうだ。素晴らしいな」

「これは何とも嬉しいお言葉にございます」


てらいのない褒め言葉に、アドルフは低く腰を折った。そして、メリルの背後に粛々と控えているメリオットにも水を向けた。


「宰相様は、いかがでございますか?」

「ええ、まぁ……牧歌的と言いますか、こう言う何もない場所で何も考えず育つと、ああ言う節操のない人間たちが出来上がるものかといたく感心しておりました」

「メリオット!」


噛み付くように叫んで言葉を遮ると、メリルはすぐさま非礼を詫びた。


「すまない。今のは失言だ。宰相は、ここの人々の自然体な振る舞いに驚いているのだ。許してやってくれ」


苦しい釈明だったが、アドルフは苦笑を浮かべ頷いた。この宰相が、自分たち親子を心良く思っていないのはわかっていた。その原因が、息子の女装に端を発しているのも。

だが、成り行きはどうあれ、今こうして国王陛下と想いを交わし合うようになった息子をアドルフは素直に応援してやりたいと思っていた。



「ところで陛下、差し出がましいとは思いましたが、別室にお食事とお飲み物をご用意致しております。もし宜しければ、そちらで少しお休みになっていかれませんか?」

「これはこれは、丁重なおもてなしとお心遣いには感謝致しますが、何分予定が立て込んでおりましてね。こんなど田舎でピクニック気分よろしく呑気にティータイムなどしている暇はありませんので、早々に失礼させて頂きます」

「メリオット……!」


日頃の毒舌っぷりを本領発揮して誘いを一蹴したメリオットに、メリルは頭を抱えた。流石に非難の色を隠せず睨め付けるも、メリオットは澄まし顔で軽く肩をすくめるだけだった。


「あー卿、申し訳ないがこの後の予定が詰まっているのは本当なんだ。慌ただしくてすまないが、このまま失礼させて頂く」


バツが悪そうに軽く咳払いをした後、メリルは会場内に設えられた貴賓スペースから立ち上がる。彼女が特別な存在とバレぬよう、だが他の賓客とは一線を画した存在であることもまた無視できなかったので、アドルフが苦肉の策で用意したものだった。

本来ならば、人前で陛下と呼ぶことさえ憚られる状況だったが、幸にもこの得体の知れない「上客」に近付こうとする強者はいなかったので、アドルフは人目を気にせず彼女を呼び止めた。



「陛下、愚息とは会いましたか?」

「ああ、さっき少しだけだが……」

「良ければ、別室に呼びつけましょうか?」


それはメリルにとって非常に魅力的な誘いだったが、険のある目つきでこちらの様子を伺っているメリオットに気付き、苦笑いで首を振った。


「いいや、今日はこれで失礼させて頂く。ご子息にもよろしく伝えておいてくれ」

「そうですか……あの子も、とても残念がると思います」


芝居とは思えない切実さで肩を落とすアドルフに、メリルは胸が痛むのを感じた。思わず、少しだけなら……と言う言葉がこぼれ出そうになるが、その前にメリオットに口を塞がれた。



「婚約者の‘素性調査’は無事に終えたわけですから、速やかに帰還して、今後の対策を練りましょう」

「んーんー」

「それに、このために後回しにした仕事もたっぷり溜まっていますからね」

「んー………」


何とも抗い難い理由である。思わずジト目になったメリルだったが、そんな二人を見比べていたアドルフが不意に破顔した。


「宰相様は、息子にとって手強い舅となるようですな」

「しゅう、と……?」


耳にした単語の意味を測りかねたように、メリオットは目を瞬いた。


「宰相様は、陛下の後見人のような存在なのでしょう?まるで本当の父娘のように見えますよ」


ニコニコと人好きのする顔でそんな事を言われ、メリオットは絶句した。

彼は自分の容姿に並々ならぬ自信を持っていたし、女性にモテるとも自負していたので、よりにもよって父親に例えられた事に相当なショックを受けた。

そんなメリオットの様子がおかしくて、メリルは腹を抱えて笑った。


それから、猛然と抗議するメリオットをなだめすかして改めて辞去の礼を述べ、会場を出たあともメリルは収まりきらない笑いに涙をためていた。



「あーおかしい。聞いたか?お前が父親だとよ」

「全く、失敬にも程があります!この、若さと美しさのかたまりである私の一体どこを見て、そんな感想を抱くのでしょうか!?」

「別に、若くて美しい父親なんていっぱいいるだろ」

「メリル様は、私が所帯染みてるとでも言いたいんですか?こんなに洗練され、潔白で、誰のものでもないのは目に見えて明らかなのに、彼の目が腐ってるとしか思えません」


憤然とした様子で語気を強めたメリオットに、メリルは冷ややかな視線を向けた。


「よく言う。今朝だって、時間ギリギリまで一体どこにいたんだ」

「それにはお答えしかねます。何せ、お誘いの数が多すぎて、全てにお答え出来ないのが残念なのですから」


至って真面目な顔でそんな事を言うものだから、答えるメリルの声も自ずと低くなった。


「いつかおまえの隠し子が何人も出てこない事を祈るよ」


釘を刺すつもりで言ったのだが、逆にメリオットは我が意を得たりとばかりに微笑んだ。


「ご安心ください。お相手の身元と血筋はきちんと選別しておりますから。曲がりなりにも、次の王冠を携えて生まれてくる我が子かもわかりませんからね」

「………」


穏やかならぬ言葉に、メリルは眉間にシワを寄せた。


「私に子がなかったら、そいつが次の国王か?」

「そうならないように、是非努めてもらいたいと思います」


これ以上にはない嫌味だった。そもそも、メリルが性別を偽り妃候補を探し始めた時点で、子種は諦めていたのだ。生物学的に女同士に子供は出来ない。それを承知の上で、敢えて「妃」を探していたのに。と、メリオットのぼやきが聞こえてきそうだった。


だが、想定の範囲外だったのはメリルも同じである。



「どちらにせよ、シャノンの意見も聞いておかないと……」

「そんなの一も二もなく飛びつくに決まってます。初めて恋を知った男は、猿と同じで腰を振るしか能がないですからね」

「乱暴な意見すぎるだろ」


思わず白目になりかけたメリルであったが、メリオットはそんなのお構いなしに話を続ける。


「そうでもないですよ。ああ言う、澄まし顔で一見毒にも薬にもならなそうな優男が、実は一番危険なんです」

「どう危険なんですか?」


その問いに答えようと後ろを振り返ったメリオットは、ギョッとした。いつの間にか、当の本人であるシャノンがそこに立っていたからだ。何より、一番焦ったのはメリルだった。お世辞にも上品とは言えない今の会話が聞かれていたのかと思うと、居たたまれなさに消え入りたくなった。


「シ、シャノン、今の話どこから……」

「恋を知った男は腰を振るしか能がない、の辺りからです。ところで、

もうお帰りになられるんですか?」

「い、今の話は忘れてくれ……っ!」


全く話が噛み合っていないが、驚くことに二人の行動は一致していた。


「メリオット様、3分だけ時間をください!」

「メリオット、3分待ってくれ!」


同時に懇願され、メリオットは懐中時計を片手に渋々了承した。


「2分だけ待ちましょう」


さりげなく1分減らされていたが、この際そんなのどうでも良かった。それを指摘する時間さえ惜しかったのである。

一応、最低限の配慮で二人の会話が丸聞こえにならない場所まで下がると、メリオットは静かに控えの姿勢を取った。


それを横目で確認してから、メリルが口火を切った。



「今日は驚かせてしまったな。すまない」

「言ってくれれば良かったのに」

「言ったらきっと不必要に取り繕うと思ったんだ。私は、素のお前とそれを育んだ場所のありのままの姿を見たかった」


そう言われては、シャノンも返す言葉がない。何も言ってくれない寂しさから、少なからず渦巻いていた不満が、嘘のように消えていった。


「メリルはずるい」


思わず独り言のようにごちれば、メリルは苦笑をもらした。


「そうだな、確かに私はずるい。最初から騙してばかりだしな」

「そうじゃない」


自嘲するように緩く首を振ったメリルの手を、シャノンが優しく取った。それを見咎め、思わず二人の間に割って入りそうになった自分を、メリオットはなけなしの良心で留めた。ここで邪魔をするのは、さすがに無粋と言うものである。


玄関ホールの真ん中で手を取り合い見つめ合う二人に、会場で踊り合う人々は気付かなかった。ただ一人、二階の手すりに身を隠すようにしてしゃがんでいる赤毛の女を除いては。



「この1ヶ月間ずっと悩んだり迷ったりしていたのに、メリルに会った途端そんなの全部どうでもよくなった。だから、メリルはずるい。俺のこれまでの不安や悩みをあっという間に吹き飛ばしてくれた」

「不安……?」

「そう、俺はメリルの横にいる資格はないんじゃないかって自信がなくて、手紙も出す勇気がなかった……ごめん」


なんとも情けない話だったが、それが今のシャノンの掛け値なしの本音だった。嫌われるのが怖かった。幻滅されるのが嫌だった。全ては、自分自身の覚悟のなさから来るものだった。

でもその全ての憂いは、こうして自ら足を運んでくれたメリルの行動が、勇気に変えてくれた。


「俺に何が出来るかわからないけど……メリルのその誠実さだけは信じることが出来るから、俺も逃げずに自分と向き合いたい」

「……シャノン、無理しなくてもいいんだぞ」

「大丈夫。今日は来てくれてありがとう」


それは、シャノンが久しぶりに見せた心からの笑顔だった。それこそ、メリルはずるいと思った。そんな風に、自分の弱さをさらけ出して、屈託無く心を預けて来るなんて、誰にも出来ることじゃない。彼のそんな裏のない正直な所が、きっと安心感を与え、人を寄せ付けるのだと思った。



「お前には勝てないな」

「………?」


思わず苦笑を漏らした自分の顔を不思議そうに眺めてくる彼の額に、メリルはそっと自分の額を押し付けた。思いがけず、急接近した距離にシャノンは慌てた。


「残り1分です」


漂い始めた雰囲気をぶち壊すように、メリオットが妙に大きい声で残り時間を告げるが、二人の耳には全く届いていなかった。今、お互いの瞳に映っているのは、目の前にある相手の姿だけだった。



「…メリル」

「もう少し待ってくれ。あと少しで準備が整う……そうしたら、すぐに迎えを寄越す」

「迎え?」

「そうだ。そしたら、一緒に城で暮らせる」


驚きに目を見開いたシャノンは、サングラス越しに見える榛色の瞳をもっとよく見たいと思った。


「……メリル、眼鏡を外して」

「だめだ、誰に見られるかわからない」


見つめ合う以上の事をしている自覚もなく、そんなやり取りをするものだから、聞き耳を立てていたメリオットは軽く舌打ちをした。いつまで、このバカップルの三文芝居を見せられなければいけないのか。

発狂しそうになるのを辛うじて堪えて、メリオットはせめてもの抵抗に悪意の込もった念を送った。もちろん、二人は気付いていない。それどころか、ますます二人だけの世界に入り出した。



「一緒に暮らせるって……本当?」

「ああ、城の重臣たちを説得するのに時間がかかった。待たせてすまない」

「ううん、まさか一緒に暮らせるなんて思ってもみなかったから嬉しいよ」

「私もだ。これで、シャノンの事をよく知れる」


うふふ、あはは、と辺り一面に花さえ咲かせそうなほのぼのとした雰囲気に、メリオットは全身に鳥肌をたてた。微笑ましい青春劇など、彼の最も嫌うところである。

それも相まって、そろそろ潮時かと二人の間に割って入りかけた時、彼よりも早く動いた者がいた。



「いっっ!!?」


スコーンと小気味良い音がして、シャノンの後頭部に何やら金色の物体がものすごいスピードで落下してきた。一同が慌てて上を見上げるも、そこに人の気配はない。訝しみながらも、落ちてきた物を確認すると、それは金の装飾がなされた女物の腕輪のようだった。

何故ここにこんな物が、と頭をさすりながら仕切りに首をひねるシャノンとは別に、メリルとメリオットの切り替えは早かった。


他の人間にこの決定的な場面を見られる前にと、そそくさと馬車留めの方へ足を向けた。気付いたシャノンが一緒に連れだとうとするも、メリオットが手を上げて静止する。



「見送りは、ここまでで結構です。詳しいことはまた後日ご連絡致しますので」


あの時と全く同じ台詞だったが、今のシャノンには何の不安もなかった。素直に頷いて、メリルに目配せをした。



「メリル、またね」

「じゃあな、シャノン。またすぐ会える」


お互いの気持ちを確認するように頷き合うと、白けた顔をしているメリオットを促し、メリルは早足で館から離れていく。その後ろ姿が見えなくなるまで見送ってから、シャノンは軽く深呼吸をし、それからまたいつもの人好きのする顔になってパーティー会場に戻って行った。



それから、1週間後待ちに待った報せが届き、シャノンは意気揚々とマグリット邸を出発した。


そして、3日後。

シャノン=マグリットが行方不明になったと言う報がメリルの元に届いた。



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