再会の宴は
今まさに階段を上ろうとしていたシャノンは、左右に割れた人波の間をゆっくりと歩いてくるその人の姿を見て、度肝を抜かれた。
光沢のある革張りのブーツに、糊のきいた白いシャツとパンツを着用し、頭には同じく白地に青ラインの入った帽子を被っている。一見するとどこかの水兵のように見えたが、顔半分を覆い隠すほどの大きなサングラスは少し異様だった。
そして、その"二人組"は人々の間を悠然とした足取りで歩いてくると、虚をつかれ固まっているシャノンたちの目の前で立ち止まった。
「失礼。マグリット家の方はどちらに?」
「あ、はい!わたくしですが」
思わず直立不動の姿勢になり答えたシャノンだったが、その泰然とした立ち振る舞いといい気品のある物腰といい、さぞかし身分のある人だと言うのが感じられた。それは近くにいた友人たちも同様だったようで、自然と皆背筋に力が入った。
「あの、父のお知り合いでしょうか?でしたら、父はもう会場内にいると思いますのでご案内致します」
「いいや、それには及ばない。ところで、あなた方は6人兄弟と聞いていたが妹君もいらっしゃるのか?先ほど、あなたによく似た少女をお見かけしたのだが………」
「まぁ本当ですの!?それはどこで!?」
その言葉に逸早く反応したのは、他でもない彼らの登場によってすっかり忘れられかけていたエリーだった。
「さて、どこだったかな……確か、門扉の近くだったかと……」
「何てこと、急がなくては!ごきげんようシャノン様。わたくしは、もう一人のあなたに会いに行ってきますわ!」
まさに一陣の風の如く、ドレスの裾を翻して去っていくエリーの後ろ姿を皆呆然と見送る。
「な、何だったの……」
「さぁ……」
「さて、これで良かったのかな?」
何はともあれ、嵐が過ぎ去りホッと肩の力を抜いた彼らに、その人は茶目っ気たっぷりに聞いてきた。もちろん、悪いはずがない。
「ありがとうございます。お恥ずかしながら、対応を図りかねておりましたもので……非常に助かりました。感謝致します」
「いいや、熱中すると周りが見えなくなる人間はどこにでもいるからな。だが力になれたのなら良かった。では、私はこれで」
と、颯爽と身を翻したその人の行く手を阻むようにシャノンが二人の前に踊り出た。
「あの、お名前をお教えて頂けないでしょうか。後ほど、改めてきちんとご挨拶したい……」
「シャノン、まだ気付かないのか?」
二人にしか聞こえない囁き声で叱責され、シャノンは瞠目した。
「やっぱり………メリル?」
「気付くのが遅い!ここまで接近して面と向かって話してるのに、気付かないとは何事だ」
「いや、声とか背格好がメリルに似てるなとは思ったけど、まさかここにいるとは……」
ヒソヒソと言い争う二人を遮るように、わざとらしく咳払いをしたもう一人の人物は、言わずもがなメリルと同じ変装をした宰相である。
実は今回の潜入において、一番乗り気だったのは他ならぬ彼であった。特に変装には何故か並々ならぬ熱意を燃やし、わざわざ人を呼びつけ一から縫製させると言う力の入れようだった。そのせいか、芝居にも熱がこもっている。
「大佐、この後の予定が詰まっておりますので、早く主催者様にお目通りを済ませてしまわねば」
「ああ、そうだったな。諸君、忙しなくてすまないが、そう言う事なので私は失礼する」
「メリオット様も、まさかこんな事をなさるなんて思ってもみませんでした」
「これは心外なお言葉。ろくに便りもよこさない薄情な婚約者に心を痛めている陛下のために、この身を砕いて渾身の演技をしている迄でございます」
後半のやり取りはもちろん小声で行われていたが、思いもよらぬ言葉にシャノンは衝撃を受けた。
薄情な婚約者……とは?
「メ……」
「さぁ、大佐参りましょう」
言い募りたい事は他にも色々とあったが、状況を考えてシャノンは口をつぐんだ。もうこれ以上二人が注目を集めるのは、あまり得策とは言えないのは確かだったのだ。
仕方なく道を譲ったシャノンは、その色眼鏡越しに合った視線に心まで絡め取られた。メリルの瞳は、凪いだ海のように穏やかでとても深い色合いをしていた。
そして、その瞳の中心に自分が捉えられていると自覚した瞬間、先程までの悩みが嘘のように消え失せ、代わりにメリルに伝えたい事、二人で話したい事、聞きたい事などが泉のように溢れ出してきて、シャノンを困らせた。
許されるならば、今すぐにでもその手を取って二人きりになれる場所に行きたかった。その想いはメリルも同じだったようで、縫い付けられたようにその場から動けなくなってしまった彼女の背中をメリオットが軽く押す。
無言の催促を受けてハッとしたように踵を返した背中を後ろ髪引かれる思いで見つめていたシャノンは、すれ違いざま宰相に囁かれた言葉に一瞬呼吸を忘れた。
「あなたの陛下への気持ちは、そんなものだったんですね」
一体いつそんなものをはかられたのかと愕然としたが、それと同時に自分は試されていたのだと知る。
自分の真意は明確にシャノンに伝わったものと判断したメリオットは、極め付けとばかりに鋭い一瞥をくれた。その瞳が、全てを物語っていた。
自分は判断を間違えたのだ。
例え、大人しく待っていろと言われてもその言葉を額縁通りに受け取って、ただ向こうから連絡が来るのをじっと待っているだけではだめだったのだ。
きちんと自分の言葉で、今の想いやメリルへの気持ちを伝えるべきだったのだ。
「………手紙は…書きました……」
言い訳のように呟いた言葉は、もう遠ざかり小さくなった背中には届かなかった。
手紙は書いてみたのだが、出す勇気がでなかった。内容も、一体どんな言葉を書きつらねればいいかわからなかったし、メリルがどう反応するかも怖かった。自分でも何故そんな臆病になっているのか不思議だったが、メリルの事を真剣に考えれば考えるほど、どうしたらいいのかわからなくなる。
これが俗に言うマリッジブルーなのかもしれないな、などと自嘲気味に考えていると、いつの間にか横に並び立っていたアンネが不信感たっぷりの声音で二人を指した。
「あの銀髪の背が高い人……ずっと私の胸を見てた」
これには思わずひっくり返りそうになったシャノンだったが、出来るだけ真剣な表情を取り繕って聞き返した。
「……ずっと?」
「ずっと」
「気のせいじゃないのか?」
「私も最初はそう思ったんだけど、サングラスの奥からずっとチラチラ見てくるのよ!間違いないわ」
「…………」
ハリーの冷やかしにも首を振り断固として被害を訴えるアンネに、シャノンは頭を抱えたくなった。全く、あの宰相は何を考えているのかわからない。
「でもあの二人組、一体何者なんだろうな」
「あの背の低い人の方は、なんかミステリアスな感じだったよな」
「それで背が高い方はセクハラ野郎、と」
「ふむ」
正しくその通りだと激しく頷いたアンネは、もう自分の'ふくよかな'胸元を不埒な視線に晒すまいと自分自身をかたく抱き締めていた。見かねたシャノンが、周囲の視線からかばうようにアンネを引き寄せる。
「わかった。とりあえず、適当なショールを見つけてこよう」
「ありがとう……シャノン」
ポッと頬を赤らめ嬉しそうにはにかむアンネの反応は、どう見ても恋する少女のそれだった。
「あれで気付かないとは、シャノンも筋金入りだな」
「同感」
頷き合うハリーたちの後ろで、マリアは両手を合わせ祈るように呟いていた。
「アンネ、応援してるからね……」
****
「生で見ると迫力がありましたね」
「何の話だ?」
「赤毛の胸の話です」
あまりにも露骨な会話に、メリルは眉をひそめた。
「下品だぞ」
「男同士だと、こう言った話は多かれ少なかれ話題にのぼることがあります。下々からメリル様にこう言った話題を持ちかける事はないでしょうが、他国の方々をお招きした席などではお酒が入ると耳にする事があるかもしれません」
「………」
「その時に、そんな潔癖な態度を取っていては‘同じ男’として不審がられるかもしれませんよ」
「………どうしたらいい」
最もらしい事を言われ、メリルは不承不承ながらも助言を求めた。
「そうですね……あまり話が広がっても困るでしょうから、適当に相槌を打って“自分は胸の大きさにはこだわらない”とかなんとか言って、当たり障りなくかわすのが最良でしょうね」
「だが、それでは“じゃあ一体女性のどこがお好みなんですか?”とも更に突っ込まれそうだな」
「よくお分かりで」
「………全く、男とはつくづく愚かな生き物だな」
手に余ると言ったように首を振り深々とため息をこぼしたメリルに、メリオットは顔に貼り付けた笑みを崩さぬまま、鋭く指摘した。
「ですが、今メリル様は、その愚かな生き物でいらっしゃるはずです」
「……何が言いたい」
「いいえ、別に。ですが、くれぐれもご自分のお立場をお忘れにならないようにだけは気を付けて下さい」
刺々しさの塊でしかないその物言いに、メリルは険しい視線を返した。回りくどい言い方であったが、暗にシャノンとの事を言及しているのは明白だった。
「言われずとも、お前が心配するような事にはならん」
「そうだといいんですがね」
「私を信用していないのか」
「メリル様ではなくて、向こうの問題です」
「は?」
「恋を知ったばかりの男は、歯止めがきかないものですから」
いけしゃあいけしゃあとそんな事を宣った宰相に、メリルは一瞬言葉を失った。
「………シャノンは、お前と違って分別のある人物だと私は見ている」
「これは失敬な。これでも私は、ちゃんと時と相手と場所を選んで異性交遊をしています」
心外とばかりに胸を張り鼻を鳴らしたメリオットに、メリルは呆れ眼を送った。
「別に威張るような事ではないだろう」
「いいえ。見境なくメスを追いかけ回すのと、慎み深く情を交わすのとでは雲泥の差があります」
「慎しみ深く、ね」
この宰相の行状を知っているだけに、セリフの白々しさに失笑してしまう。
「お前の手にかかると、慎みも随分軽薄なものに成りかわるんだな」
「私のあまりの思慮深さに慎みの方が遠慮するんでしょう」
「その減らず口はどうやったら塞げるんだ?」
面の皮もここまで厚いと見事である。いい加減、屁理屈だらけのその口先にうんざりしたメリルは、背後に控えるメリオットを振り返った。
「そんなにシャノンが気に入らないか?」
「私が気に入る気に入らないの話ではなく、一国の妃の座に就くには彼は素朴すぎます」
「素朴なのは良い事ではないか」
「時と場合に寄ります。この広大な自然の中でのびのびと育った彼には、金と権力で足の引っ張り合いばかりする魑魅魍魎共の住処は肌に合わぬと感じます」
「よく、そこまで自国の人臣たちのことを悪し様に言えるものだな」
遠慮の欠片もない言い草に流石のメリルも苦笑を禁じ得なかったが、実際本当の事だったので否定はしなかった。その上で、メリルはシャノンの器をそれ以上に高く買っていた。
「不要な気遣いをしなくとも、シャノンはあれでうまくやっていくと思うぞ」
「メリル様は彼の事を買い被りすぎです」
「そうか?実際に肝が据わっていなければ、あの歳で女装を続けたりしていないだろうし、何だかんだでそのスリルを楽しんでいる節があるのが面白い」
「何も考えていないだけかもしれません」
「それにいざという時に行動が先に立つのも好ましい。そのせいで厄介な人間には目をつけられたが……」
「エリー嬢の事でしたら、ご心配なく。原因の一旦はこちらにもありますので、責任を持って対処致します」
「頼んだぞ。何より、人望がある」
そう言ってメリルが目を向けた先には、パーティー開始と同時に華やかに踊り出す人々と、その中で一際多くの人に囲まれているシャノンの姿があった。
都市部から遠く離れた地方では、その土地独自のルールが作られる事がよくある。このマグリット領もそれに漏れぬようで、普通ダンスの誘いは男性側がつとめるものなのだが、ここでは男女の垣根なく女性からも積極的に誘っていいものとされているらしい。
そのせいで、シャノンの周りにはたくさんの人が集まる結果となっている。
元々、顔見知りも多いのか同じ歳くらいの男女を中心に話を弾ませ、笑顔を振りまいている様子は、彼の如才なさと人当たりの良さを表していた。
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