茨の宝石箱
きれいにならされた馬車止めの整地の上に足を下ろした少女は、風になびく自慢の巻き毛を押さえながら目の前の建物に目を向けた。
お世辞にも華やかで豪華とは言い難かったが、そこには積み重ねてきた歴史と簡素ながらも質実な趣が感じられて意外にも少女は好ましく思った。まるでそこに住んでいる人を体現しているようだった。そして、この建物の中にあの令嬢もいるはずだった。
一方、マリアを探しにパーティー会場まで戻ってきたシャノンたちはそこで意外な光景を目にする。外へつながる玄関ホールには人が溢れ返り、大変な騒ぎになっていたのだ。一体何事かと目を白黒させている間に、肝心のマリアの方が先に彼らを見つけ駆け寄ってきた。
「アンネ……!みんな!」
「マリア!ごめん、みんな探すのに手間取っちゃって」
「ううん、大丈夫。さっきからずっと知らない人だらけで吐き気とめまいが凄かったんだけど、ずっと太ももをつねって耐えてたから平気」
「それ大丈夫って言うの?」
思わず微妙な顔で問い返したハリーだったが、極度の人見知りで、初対面の人間の中には5分といれないと言う特異体質のマリアの事なので、仕方がない。
と言うよりもまず、彼らは玄関ホールの騒ぎの方が気になっていた。
「ところで、あれは何の騒ぎ?」
「それが……よくわからないの。私は話しかけられないように耳を塞いでいたし、誰とも視線が合わないように目も瞑っていたから……」
「どう言う状況なんだ、それ。逆によく心配で声をかけられなかったな」
流石に呆れ眼になったブレンドンだったが、すかさずアンネが横合いからフォローしてくる。
「マリアはあんたと違って、繊細で優しいの。だから、人の目を気にしすぎて臆病になっちゃうのよ」
「なんだよ。それだとまるで、俺が鈍感って言われてるみたいじゃねぇか」
「あらそう言ったのよ。聞こえなかった?」
「まぁまぁ、二人共」
ともすると、すぐにゴングを鳴らしてしまう二人の間に立ちながら、ハリーはシャノンにも水を向けてみた。
「で、シャノンはこの騒ぎの原因何かわかるか?」
「さぁ……なんだろう」
「さぁ、ってお前自分ん家の事だろ!?」
「やめてよ!シャノンに八つ当たりしないで」
またすぐに喧嘩を始めようとする二人をマリアとハリーが両側からなだめすかしながら、シャノンに先を促した。
「親父さん、誰かすごい人呼ぶとか言ってなかったか?」
「招待客に?いや、特にそんなこと言ってなかったと思うけど……」
思案するように考え込んだシャノンだったが、むろん彼にわかるはずもない。
彼は周囲から可愛がられて育っているとは言え、所詮は末っ子の冷や飯食い。家の管理などは父や兄が取り仕切っているため、あまり公式の場に出る機会も少なく、社交界事情にも詳しくない。
とにかく、このままでは拉致があかないと踏んで真っ先に行動を起こしたのは、他でもないシャノンだった。
「じゃあ、もう何の騒ぎなのか行って確かめよう」
「え!?それはまずいって!」
この言葉に慌てたのは、先程まで騒ぎの原因を巡って争っていたはずの友人たち。
「シャノンは、一応ホスト側の人間なんだから、他の人たちと同じように野次馬してたら品を疑われるわよ!」
「そうだ!それに仮にも招待側の家の人間が、客を認知してないと思われたらお前ん家の沽券にも関わるぞ!」
口々に反対意見を唱える友人たちだったが、思わぬ場面で強い行動力を発揮するシャノンの前では無意味だった。
友人たちの制止を振り切り、騒ぎの渦中へ向かうシャノンに彼らも仕方なくついていく。その間も、アンネとブレンドンは懲りずに言い争いを続けていた。
「元はと言えば、あんたが待ち合わせの場所にいなかったから、こうして全員揃うのに時間がかかったんじゃない!」
「なんで俺のせいなんだよ!俺たちは先についたけど、シャノンの姿が見えないから探しにいってたんだろうが!」
「だから、そのせいでまた私が探しにいかなくちゃいけなくなって二度手間になったのよ!大人しく待って、みんな揃ってから探しに行けばよかったでしょ!?」
「おい、いい加減にしろよお前ら。そんなこと今更言い争ったって仕方ないだろ」
「ごめん、俺がちゃんと待ち合わせ場所に行かなかったのが悪いんだ。ほんとごめん、考え事しててつい時間を忘れて」
「いや、別にシャノンに謝らせたいわけじゃない」
「そうよ!常日頃の行いが悪いせいで信用がないブレンドンが悪いだけなんだから」
「お前ら、ほんと変なとこで気が合うな」
強い脱力感に襲われつつぼやいたハリーだったが、そうこうしている内に一同は玄関ホールへ辿り着いた。人々は押し合いへし合いながら、我先に馬車留めの方角に身を乗り出していた。その光景を不思議に思いながらも、招待客に顔見知りが多かったことも幸いして、シャノンの姿を見ると主催者の親族という事で皆道を譲ってくれた。
そして、視界に飛び込んできたのは、目を疑うほど派手で豪華な装飾がされた馬車だった。ふんだんに金があしらわれ、それが太陽に反射して見るも眩しい。至る所にルビーやエメラルドなど本物の宝石もはめ込まれており、さながら動く宝石箱だ。
シャノンたちは呆気に取られて、顔を見合わせた。
「確かに……これは目立つな」
「ああ、ここまで派手だといっそ下品と言っても良いくらいだ」
そう言うブレンドンも普段の立ち振る舞いこそあまり褒められたものではないが、まがりなりにも由緒ある家柄の子息なのでそれなりの教養と知識は携えている。
そんな彼らの目からして見ると、その馬車は到底自分たちと同じ立場の人間が乗るものとは思えなかった。
「お前ん家、新興貴族の知り合いなんていたっけ?」
「いや……今まで見たことなかったけど」
「ああ言うのは、シャノンのお父様が一番嫌うタイプよ」
「ここまでわかりやすく成金だと逆に清々しいな」
「じゃあ呼ばれてもないのに、勝手に来たって事か?」
「ねぇ……シャノン、見て。あの人、ずっとこっちを見てるわ」
額を寄せ合いヒソヒソと会話をしていた彼らだったが、馬車から降り立った人物が真真っ直ぐにこちらに向かってくるのをマリアが見とがめた。
「なぁ、やっぱりお前の知り合いなんじゃねえの?」
「だから、知らな……」
三度否定しようとして、シャノンは言葉を詰まらせた。脇目も振らず迫ってくるその顔に、見覚えがあったからだ。
「エ、リー……?」
蚊の鳴くような声で絞り出されたその言葉は、辛うじて周りには聞き取られなかったが、まさに青天の霹靂である。
何故、エリーがここにいるのか。
絶句するシャノンの目の前で立ち止まったエリーは、その豊かな巻き毛をゆっくりと背中にはらうと不遜な態度でこう言った。
「あなたが、シャノン=マグリット?」
これには、周りにいた友人たちの方が顔色を変えた。出会い頭に敬称もつけず名前を呼び捨てにするなど失礼極まりない。あまりの無礼に、自分たちが野次馬していたのも忘れてアンネは噛み付いた。
「ちょっと貴女。どこのどなたか存じませんが、挨拶もなしにいきなり名前を呼びつけるなんてどう言うおつもり?」
「待って、アンネ。あの、シャノンは俺ですけど何か?」
鼻息の荒いアンネを抑えて、泰然とした態度で答えたシャノンを見て4人はギョッとした。
「……シャノン、どうした?」
「何が?」
「…顔が、変だぞ……」
「顔?」
唖然とする友人たちを尻目に、目を細め口を捻じ曲げたいわゆるひょっとこ顔をしたシャノンは白々しく首をひねった。
「そうかな?俺はいつもこんな感じだけど……」
「いや、そんなわけないだろ」
「ねぇ、どうしたの……大丈夫?」
「どこか痛むのか?」
口々に疑問を訴え出た友人たちだったが、シャノンは取り合わず至って平静を装うので、ここに来てやっと彼らも何かがおかしいと気付き始めた。
そして、どうやらシャノンは少女に正体をバレたくないらしいと言う事だけは敏感に察知して、咄嗟に口裏を合わせにかかった。幼い頃より共に育った彼らの以心伝心がなせる技だった。
「そうだった。シャノンの寝起きは、どんな不細工な犬の顔よりも酷かったんだった」
「ところで貴女、お名前は?マグリット家からのご招待は初めて?」
「もし知り合いを探してるなら、この家は他にあと5人も兄弟がいるからな。見つけ出すのに一苦労だぞ」
食い入るようにシャノンの顔を凝視している少女の気を引こうとするも、どれも空振りに終わる。唯一、その人見知りぶりを遺憾なく発揮してアンネの背中に隠れていたマリアが、少女の反応が少しおかしいことに気付く。
「……男……?」
訝しむように呟かれた言葉に、マリアは目を丸くした。確かにシャノンは一般的な男性に比べると少し‘小さめ’ではあったが、それでも傍目にはちゃんと立派な青年に見える。
それなのに、一体何をそんなに不審がる必要があるのだろうと首を傾げたマリアだったが、それを隣で聞いていたシャノンはもうすっかり肝を冷やしていた。
やはり、エリーはあの見合いの場にいた令嬢が『シャノン=マグリット』だと知っている。どうやって参加者を調べ上げたのかはわからないが、ここまで踏み込まれた以上本人ではないとシラを切るのは難しそうだ。
ただし、「“その”シャノン=マグリットではない」と嘘をつくことはまだ可能であると踏んだ。
要は、『同姓同名の別人』を演じるのだ。
「俺に何か用ですか?」
「………シャノン=マグリットは、男……?」
‘シャノン令嬢’とは似ても似つかないドスのきいた声を出し、苦しい演技で別人のふりをするが、彼女もそれなりの確証があってこの場に現れたには違いないので、そう簡単には騙されてくれなかった。
頭のてっぺんから足のつま先まで舐め回すようにシャノンを観察するエリーに、最初に痺れを切らしたのはやはりアンネだった。どこの世界に、初対面の人間をこうも不躾にジロジロと眺める無礼者がいるだろうかと、あまりの非常識さに非難することも忘れて、シャノンの腕を引っ張った。
「失礼。彼はホスト側の人間なので、何かと忙しいの。パーティーが始まったら、また見つけて声をかけて下さいな」
暗にお前とかかずらっている暇はない、と言う意味合いを込めて冷たく言い捨てたのだが、エリーはやっと探し当てたその人物が男である事にいたく動揺していて、アンネの牽制など全く耳に入っていなかった。
「シャノン、行きましょう」
「う、うん」
もうこれ以上、シャノンを不躾な視線に晒しておくわけにはいかないとホールへ連れ戻そうとしたアンネなど目に入っていないかのように、エリーはシャノンの腕にしがみついて必死な声で訴えた。
「あなたのご親戚に、あなたによく似た女性はいらっしゃいませんか!?」
ここまでくると、エリーの言っている事は友人たちにとって支離滅裂だった。
「おい、大丈夫かこの人。ちょっと錯乱してるんじゃ」
「しゅ、守衛さん呼んでくる……?」
マリアでさえそんな事を言い出すものだから、大事にしたくないシャノンは慌てた。
「だ、大丈夫…!多分何か勘違いしてるんだと、」
「いいえ!勘違いなどではありません!あなたは私の救世主様と非常に似通っていらっしゃるのですが、一体どう言う訳か男性なのです!あまつさえ、名前まで一緒なんて……これが偶然の一言で片付けられましょうか!?」
「あ…いや、えと、あの、」
「きっとあなたの名前を語った何者かが、あなたのフリをしていたに違いありませんわ!でもここまで似ているとなると、きっとご親族の誰かの可能性がありますわね……」
名探偵さながらの推理を披露するエリーに一同は唖然とした。ここまでくると、もうすごいの一言だ。並の想像力と胆力では、こうまで衆目のもと一人相撲は取れまい。完全にお手上げ状態になった友人たちは、さじを投げたようにシャノンを見つめた。
あとは自分でどうにかしろと言う意味だ。
「事情はよくわかんないけど、とりあえずこの場は何とか収められないか。あとでちゃんと助けてやるから」
「………そうだな、わかった。ごめん」
ハリーに耳打ちされ深いため息をこぼしながらも、シャノンは頷いた。仕方ない、彼女が一筋縄でいかない事はもうすでに身に染みている。
腹づもりを決め顔を上げると、慎重に言葉を選んで話しかけた。
「もし宜しければ、その、別室でゆっくりお話を伺いたいのですが……」
そのセリフが言い終わらない内に、爛々と目を輝かせたエリーが顔を近付けてきた。
「ええ、もちろん!わたくしもじっくりお話したいですわ!」
「………」
貼り付けた笑みを崩さぬよう努めて、シャノンはエリーの手を取りエスコートを開始する。玄関ホールまでの短いアプローチを歩き、会場のある中央ホールへは向かわずにその横にある階段に誘った。その間、人々の視線を一身に受けたエリーはすっかりヒロイン気取りで胸をそらしていた。
出来るだけ人目につきたくはなかったが、もうすでにこれだけの野次馬がいる以上無理な相談だった。
後に続く友人たちも、怪訝な顔つきで目配せしあっていたが、シャノンの靴底が階段から踊り場にかけて敷かれた赤絨毯を踏みつける前に、また新たな登場人物が姿を現した。
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