第二章 始まりの宴
密偵
風に流され、雲が散り散りになっていく。刈りそろえられた芝生の上に寝転んでそれを眺めていたシャノンは、その移ろいやすさはまるで人の心のようだと思った。時と共にすぐに形を変え、掴もうとすれば霧散してしまう。そんな不確かなものを雲に例えるなんて、全く自分も随分と詩人になったもんだな。
自嘲するようにそう唇をゆがめて、しかしそんなくさくさした気分を振り払うためにも、勢いよく起き上がった。
ここは、マグリット領———シャノンの生家である。
そして、あのお見合いから1ヶ月が経とうとしていた。あの後、メリオットからたっぷりと絞られたシャノンたち親子だったが、メリルの秘密を知られてしまった以上契約を白紙にする訳にもいかないと、あからさまに不満たらたらな態度のメリオットに改めて秘密の厳守を誓わされた。(ちなみに、真実を知ったアドルフは、衝撃でしばらくの間口がきけなかった)
そして、今後の身の振り方については、またこちらから連絡するのでそれまで大人しくしていろと言われたきり、何の音沙汰もない。
「——女心と秋の空、なんてのは誰が言ったんだっけ……」
だがこの場合、“女心”ではなく“宰相心”かもしれない。
どちらにしろ、人の心は移ろいやすい。メリルも今頃、自分に全てを打ち明けた事を後悔しているかもしれない。そんな疑念に取り憑かれる度に、シャノンは自己嫌悪に陥った。
わかっている。メリルは、一度言ったことを簡単に覆すような人間ではない。だけど、会えない時間が増えれば増える程、心に降り積もっていくこの澱のようなものは何だろう。それが、人を恋しく思うが故の“煩い”だとはつゆ知らず、シャノンは己の内に住み着く不安とこの1ヶ月間戦い続けてきた。
そして、その戦いも今日で決着を見せようとしていた。
「おーい、シャノンー!」
遠くの方から名前を呼び、駆け寄ってくる友人たちの姿にシャノンはげんなりした。
「あ、いたー!」
「ったく、お前どこ行ってたんだよォ!」
「痛っ……!ちょっ、やめろ!のしかかるな!」
飛びかかってくるなり、羽交い締めにしたりくすぐってきたりする友人たちの過剰なスキンシップには慣れているシャノンだが、今日ばかりはそっとしておいて欲しかった。
そんなつれない態度のシャノンに、友人たちは揃って口を尖らす。
「なんだよー、今日はお前の親父主催のパーティーだろ。息子がそんなんでどうすんだよ!」
「そうだぞ。せっかく昔懐かしいアカデミー時代の級友もたくさん集まってるってのに」
「なーにが昔懐かしいだよ。どうせアンネとかマリアとかいつもの面子だろ」
「まぁ、そう言うなって!ガキの頃から一緒につるんできた仲じゃねぇか!」
そう言って、気安くシャノンの肩に手を回す彼らもアンネやマリアと呼ばれた少女たちと同様、シャノンと共に幼年時代を過ごしてきた幼馴染だ。いや、腐れ縁と言ってもいいかもしれない。
家柄やビジネスの関係で親同士につながりがあると、自然と子供達の間にも交流が生まれる。そう言った必然性の中で育まれる関係は、そのまま大人になっても続けられ、結婚と言う形に繋がる事も社交界では決して珍しくない。
そして例に違わず、本人の預かり知らぬところでシャノンとアンネの間にもいつのまにかそんな縁談話が持ち上がっており、それがまたシャノンの憂鬱に拍車をかけていた。
「なんだよ。まさか、まだアンネとの婚約話の事でヘソ曲げてんのか?」
「…………」
「俺はいい話だと思うぞ。今はまだ子供の頃の感覚のままでいいとこ妹にしか見えないと思うが、その内きっと意識も変わるさ」
「お前ら……他人事だと思って楽しんでるだろ」
「まさか!だって、アンネは昔から……」
「あたしが何だって?」
突然背後からかけられた声に、三人は飛び上がって驚いた。
「アンネ!いるなら声かけろよ!」
「あら、三人でコソコソと何を企んでたのか知らないけど、人が近付いてくる気配にも気付かなかったあんた達が悪いんでしょ」
そう嘯くと、アンネは元よりつり目がちのその瞳をより一層つり上がらせて、三人を順番に見回した。
「で、あたしが何だって?」
「べ、別に、何も……」
「いやーこいつがアンネとの婚約を渋る理由を聞き出そうとしてたんだよ」
「お前……っ!」
「ブレンドン、流石にそれは……」
女心の読めなさで定評のあるブレンドンのデリカシーのなさすぎる発言に、シャノンとハリーは背筋を凍りつかせた。本人を目の前にして、いくら何でもそれは失礼すぎる。
「ああ、その事……」
「アンネ、ごめん違う。嫌とかそんなんじゃなくて……」
「別に、父様が言った事なら気にしなくていいわよ」
「え……?」
プライドが高く短気なアンネは、てっきり激昂するだろうと考えていたシャノン達は、予想を裏切られ拍子抜けする。
「あんなの、あなたのお父様が推しに弱いのを知ってて、お酒の勢いに任せて言った酔っ払いの戯言よ」
事もなげにそう言い放つと、アンネは無理やりブレンドンとシャノンの間に体をねじ込ませて座った。
「だから、シャノンは何も気にしなくていいわ。あとで、あたしから父様にちゃんと言っておくから」
「アンネ、でもいいのかよ?だってお前……」
「うるっさいわね!結婚ってのは、お互いの気持ちが通じあってないと意味ないの!て言うか、ブレンドン。あんたこれ以上余計なお喋りをしようものならそのベロ引っこ抜いてカラスの餌にするわよ」
育ちの良い令嬢とは思えない苛烈な口撃をくらい、ブレンドンは命惜しさに黙り込むしかなかった。
「アンネ、ごめん……あとで俺がちゃんと、」
「いいのよ。あなた達お人好し親子は、こっちのワガママに振り回されただけなんだから気にしないで……て言うより、あたしはもっと別の事が心配になってきたわ」
「別の……?」
「ええ、そう。シャノンは周りの空気を読みすぎ。そんな風に人の気持ちを優先してばかりじゃ、いつか断り切れずにおかしな人と無理やり結婚する羽目になったりしないかしら」
「…………」
「まさか、いくらシャノンでもそこまで流されないだろ」
アンネの心配を一笑に付すハリーだったが、あながち否定しきれないものを感じてシャノンは閉口した。
いや、だからと言って決してメリルがおかしな人と言う訳ではない。身元もハッキリしているし、と言うかこの国の国王だし。
ともあれ、油断するとまたすぐにメリルの事を考えて思考の深みにハマってしまいそうなので、シャノンは思い切って話題を変えた。
「……ところで、マリアは?」
「あ、しまった。あんた達探してくるからってホールに残してきたままだ」
「はぁ?マジかよ。あの極度の人見知りが10分以上ひとりで放置されたら死ぬぞ」
「じゃあ、早く戻らないと」
「ブレンドン!あんたのせいよ!」
「んー!んー!」
「あーはいはい、喋ってよし」
「オイ!そりゃいくら何でも横暴すぎんだろ!」
姦しい友人達に囲まれながら、パーティー会場に戻ろうとするシャノンの姿を追いかける二つの双眼鏡の存在があった。
一つは真珠色の髪を持つ小柄な人物が、そしてもう一つは銀髪長身の男が手にしている。忍にしては目立ち過ぎる風貌のその二人組は、マグリット領内に立ち並ぶ木々の間に隠すように馬車を止め、うっすらと開けた窓の隙間から双眼鏡だけを覗かせて一部始終を観察していた。
「なるほど。あの赤毛の女性が彼ら三人の間を渡り歩いて翻弄しているんですね」
「メリオット、勝手に話を作るな」
不謹慎な妄想を膨らませる男に鋭い一瞥をくれた後、メリルは双眼鏡の中のシャノンをまた食い入るように見つめた。
当然のことだが、今日の彼は女装姿ではない。栗色の長い髪は邪魔にならないように軽くまとめられており、収まり切らなかった毛先はそのまま背中に流してある。いかにも貴族の青年らしい白いシフォンシャツと黒のスラックス姿。気の置けない友人たちと語らい合うリラックスしたその表情からは、先のお見合いと同一人物だとは思えない男らしさがあった。
メリルの双眼鏡を持つ手に知らず知らずに力が入る。
「獲物を前に今にも襲いかかりそうな、コヨーテみたいな顔をしてますから気をつけてくださいね」
「コ……っ!?」
メリオットにそんな意地の悪い指摘をされて、メリルは慌てて手で顔を覆った。国王陛下ともあろう者が、そんながっついた顔をしていたのかと不安になる彼女を更にいじめ抜くように、メリオットは妄言に拍車をかけた。
「あの様子だと、赤毛とシャノン様は絶対デキてますね」
「シャノンはそんな軽い男じゃない」
間髪入れずに強い口調で言い返してきたメリルを面白がるように眺めて、しかし同時にその純情さを嘲笑うように肩をすくめた。
「頭の中がそんな乙女の花畑だと、あとで痛い目みますよ」
「シャノンとお前を一緒にするな」
「どうでしょう。男だからわかる事もありますよ。例えば、1ヶ月も音信不通の離れた婚約者より、身近にいる手を出しやすい巨乳の女の方がいいに決まってます」
「いい加減にしろメリオット。シャノンはお前とは違う!勝手に決めつけるな」
「これはこれは、大変失礼致しました」
メリルの剣幕に押されたように慇懃無礼に謝ってみせるが、その実全く悪びれていない様子がその澄ました表情からありありと見て取れた。
そして、もう偵察は飽きたとばかりに、メモ帳を取り出しスケジュールチェックを始めた宰相に、メリルも怒りを抑え込む。感情的になればなるほど相手の思うツボだ。その手には乗るまいとこちらも無視を決め込む事にし、シャノン達の観察に戻る。
しばらく無言の時が過ぎ、耐えきれなくなったメリルがおずおずと口を開いた。
「………お前から見て、本当にあの二人は良い感じなのか?」
「少なくとも、赤毛の方はシャノン様に気がありますね。まぁ、本人がそれに気付いてるかどうかはわかりませんが」
「………」
それは、言われずともメリルも感じていた。先程から、あの赤毛の女性はやたらとシャノンの隣にいたがり、隙あらば触ったりもたれかかったりしている。あんなの、誰がどう見ても気があるようにしか見えないし、まるで自分のものだとアピールしているようで、メリルは心の奥がざわめいた。
「どうです?勝てそうですか?メリル様にあんなオープンな愛情表現が出来るとは思えませんが」
「勝つとか負けるとかの問題ではない。シャノンはもう私の嫁だ」
「嫁を陰からこっそり偵察する夫ですか。うーん、束縛タイプですかね」
「くだらないこと言ってないで、そろそろ行くぞ」
「承知しました」
頃合いと見てとったメリルが双眼鏡の代わりに白い軍帽を手に取ると、メリオットも用意していた黒縁の色眼鏡を装着する。
お互いの姿を確認し頷きあうと、戦場に赴く兵士のような顔つきで二人は馬車の扉を開けた。
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