心の服を脱ぎ捨てて

「……こんな遠くまで来て大丈夫なんですか?」

「ああ、いつもダノンと釣りに来ている場所だから平気だ」

「ダノン……?」

「こーんな大きな図体をした男だ。見ればすぐわかる。こんなに二の腕が太い」


こんなに、と両手で輪っかを作ってみせたメリルの言う事が本当ならば、この城にはとんでもない上腕二頭筋を持った男が存在することになる。その恐ろしさに思わず身震いしたシャノンだったが、そう言えばさっきエリーを馬から投げ落とす際にそれらしき体格の男がメリオットの近くにいた気がするが、切羽詰まった状況だったのであまり覚えていない。


「陛下も釣りをなさるんですね」

「毎回ダノンに連れられて無理やりな。それにあの釣り餌の虫が気色悪くてどうにも……」


そう言って、小川のほとりに腰かけたメリルの隣にシャノンも腰を下ろした。二人でしばらく水面の流れを眺めていたが、しばらくするとメリルが独り言のように口火を切った。


「さっきは本当に助かった……ありがとう」

「いえ、勝手に体が動いただけですから……陛下の方こそ、お疲れではないですか?」


それでなくとも連日の見合い続きで、相当な心労がたまっているはずだった。


「私なら大丈夫だ。シャノンこそ、慣れないことばかりで疲れたろう。今なら誰も見ていない。リラックスして……って、まぁそのストレスの元凶が言っても説得力がないか」


自嘲するように笑ってゴロンとそのまま芝生の上に寝転がったメリルを見て、シャノンの口から思わず聞くはずのなかった疑問がこぼれでた。


「陛下は、嫌にならないんですか?」

「……嫌?」

「その、女の子なのに、男のフリを、する……のとか」

「さぁ、わからない。物心ついた時にはもうこの生活だったし、戦略結婚で嫌々嫁がされていく娘や女同士の足の引っ張り合いを見ていると、特別女でいるのが幸せそうだとも思えない」

「でも……同性の友達が欲しいって仰ってましたよね」


深夜に陛下の私室で交わされた会話を思い出してシャノンがそう言及すると、メリルはしばらく口をつぐんだ後、小さく頷いた。


「ああ、男として育てられてきたとしても所詮本物の男じゃない。少ししずつ誤魔化しきれない部分が多くなってきて……そこで初めて、自分は“女”なんだと再認識した。だが、それこそ女らしい事なんて何一つして来なかったから、本当の自分が何なのか、どうなりたいのか、正直わからない」

「…………」

「ただ一つ言えるのは、どうあがいても私は本当の“男”にはなれないと言う事実だ。この国の王であっても、男ではない。だけど、王であるためには男でいなくてはいけない」


矛盾している。だが、それが彼女が背負わされている宿命であり、この国とその国民が彼女に押し付けている責務だ。

シャノンは胃の奥がキュッと縮むような感覚を覚えた。


「……同性の友人が出来れば、少しでも陛下の憂さを取り払う助けになりますか?」

「どうかな。私のアイデンティティなんて、あってないようなものだし。それにシャノンにカウンセラーみたいな役割を求めてるわけじゃないよ。ただ私の話し相手になってくれればいい。厳しい面したおっさん共より、若い女の子と話した方が単純に楽しそうだし」


悪戯っぽい口調でそう言うと、メリルはそれまでの沈みかけていた空気を払拭するようにう軽い笑い声を立てた。


(——言わなければ)


ここまで彼女が率直に自分の気持ちをさらけ出してくれたのだ。ここで言わなければ、男が廃る。後先のことなんでどうでもいい。ただ、彼女には嘘のない自分のまま向き合っていたいと思った。

そして、シャノンは意を決して口を開く。




「陛下。俺、陛下に嘘を吐いてる事があります」




*******



「全く、とんだ災難だった……」


令嬢たちへの説明を終えた控え室からの帰り道、メリオットは盛大なため息をついた。エリー嬢のおかげで予定は大幅に遅れ、何故か自分が尻拭いする羽目になっている。これは損害賠償請求しても良いくらいなのではないだろうか。

だが、かの令嬢の実家は“善意”で王宮に多額の寄付をしてくれている大財閥。おいそれと大事にするわけにはいかない。金と実利の間で板挟みになり、思わず唸ったメリオットの前にまた新たな問題が姿を現した。


それは、涙と鼻水にまみれたぐじゅぐじゅの顔で廊下の隅に膝を抱えて蹲っていた見目麗しい紳士だった。


「さ、宰相様……っ!シャノンが……あの子がトラブルに巻き込まれたと聞きました!!うちの子は無事なんですか!?」


襟首を引きちぎられる勢いで掴まれ、メリオットは小さく呻き声を漏らした。


「……ああ、シャノン様のお父上でしたか。ご安心下さい。シャノン様はご無事ですよ」

「よ……良かった……」


その言葉を聞いて安心したのか、ヘナヘナと力なくその場に座り込み今度は安堵の涙で頬を濡らしているアドルフ候の姿に、メリオットは軽い頭痛を覚えた。


全く、これから説明に向かおうと思っていたところなのに誰が先に漏らしたのか。不確かな情報は、余計な混乱と不安を招くだけに決まっている。全く危機管理のなっていない状況に、メリオットは舌打ちしたくなった。



ともかく、改めてきちんと説明しようと彼を別室へと案内した。





「——かくかくしかじか、と言う訳でして、シャノン様のおかげで無事に問題解決しました」

「…………」


それまで大人しく話を聞いていたアドルフだったが、話の幕切れと同時に先程にも負けないくらいの涙の洪水を降らせ、感極まった様子で手を叩いた。


「さすが……っ、母さんの子だ……!」


そこは自分の子とでも言うべきところではないのか。と思いつつ、メリオットは乾いた喉を潤すために卓上にある水差しを手に取った。グラスに水を注ぎつつ、興奮した様子で「いやあの子は昔から……」とか「6人兄弟の末っ子で……」などと言っているアドルフを視界の端に捉えつつ、頭の中はもう次の予定でいっぱいだった。


「それでシャノンはみんなが止めたにも関わらず、そのウサギを助けに……」

「申し訳ございません、アドルフ様。時間が差し迫っておりまして、そのお話はまた今度」

「ああ……そうですね!いや、お忙しい中わざわざありがとうございました」

「いいえ、こちらこそ。では失礼致します」


口早に礼を述べ退出しようとしたメリオットは、しかし妙な言葉が耳に引っかかり、思ず足を止めた。



「ああ見えても、シャノンはやっぱり男の子なんだなぁ……」


最初は聞き間違いかとも思ったが、続く言葉でそれは決定的なものとなった。


「見た目は母さんそっくりなのに、やっぱり生まれてくる性別を間違えたのかもしれないな」


うんうん、と一人で勝手に納得しているアドルフとは対照的に、メリオットは全身を雷にでも打たれたような衝撃を受けた。


性別を間違えた……?

男……?

誰が……?



「…………今の話は」

「え?……あ、いや、そっか。いや、あの何でもないです!すみません!いやーこの口ったら勝手に喋り出す癖が、あって…………大変申し訳ございません」


誤魔化し切るのが無理だと判断したアドルフは開き直るが早いか、目に止まらぬ早さで床に額を擦りつけた。


「すみません!!決して悪気があった訳では……」

「そのお話、詳しくお聞かせ願います」


いつも以上に目を据わらせたメリオットが、静かにアドルフに歩み寄った。





*******



「………シャノン?」


常ならざる緊迫した様子のシャノンに、メリルは慌てて体を起こした。


「どうかしたのか……?それに、その声……」

「これが俺の地声です」


オレ、とまた言った。聞き間違えではなかった事に驚き、そしてまたその真意がわからず、メリルは困惑した。



「ど、どうしたんだ、シャノン……何か変……」

「まだわかりませんか?」


焦れたように距離を詰めてくるサファイヤブルーの瞳には、からかったりふざけたりしている色はなく、極めて真剣である事が伺えた。


そして、一呼吸の間をおいて、シャノンはおもむろにドレスのスリーブから腕を引き抜くと、その白くきめ細やかな肌を惜しげもなく露わにした。ドレスの上からではわからなかった、程よく鍛え上げられた胸筋と硬く引き締められた腹筋が白日の下に晒されて、メリルはやっと真実を悟った。



「………胸……」

「本当は男なんです」


今度こそ本当に、簡潔に事実のみを告げたが、メリルは何の反応も寄越さなかった。ただ、シャノンのその白く平らな胸を穴があくほど凝視している。

シャノンは、メリルの理解が追いつくまで辛抱強く待つ事にした。奇妙な時が流れ、剥き出しにした上半身に流石に肌寒さを感じてきた頃、やっとメリルの時間が動き出す。


確かめるように指先でそっと胸をなぞられ、シャノンはうなじが粟立った。その後も、胸の硬さを確認するように手のひらを押し付けられ、体の線に沿って手を這わされ、まさかそんな風に触れられるとは思っていなかったのですぐに音をあげた。



「……おわかり頂けましたか?」

「………あ……」


自分の体の上を動き回っていたメリルの手を取り、少し気恥ずかしそうに問うてきたシャノンに、メリルは自分の行動を自覚して赤面した。突然の事に頭がついていかず、とにかく信じられない気持ちでいっぱいで、ドレスの下に隠されていた明らかに女性と違うそれに、縋るように女の片鱗を探していた。


そして、その行為が無意味だと悟った今、メリルは至極シンプルな疑問を口にした。



「………何故、女装を?」

「そうですよね……まずそこからですよね」


深々とため息を吐いたシャノンは、今までの経緯を訥々と語り出す。女装を始めるきっかけとなった父の願い、母の死、それに応えた自分。そして今回、お見合いに参加するに至った流れなど……

本来ならば言わなくていい事まで、シャノンはメリルに誤解して欲しくない一心で言い募った。


最初は大人しく聞いていたメリルだったが、話が核心に近付くにつれ、自分が女だと言う秘密がバレてしまった時の状況を思い出し、ただでさえ赤い顔を更に紅潮させた。


「あ、あれは、違うっ!あれは、シャノンが、男だ……っ…なん、て思わなくて……だな!」

「あっ、はい……」


突然興奮したように捲し立てられ、シャノンもメリルにつられて頬を赤くした。



「……ですから、俺もまさか陛下が本当は女の子だったなんて思わなくて……それで、気持ちを整理するのに時間がかかってしまって、つい自分も本当のことを言うタイミングを逃してしまい……すみません、もっと早く言うつもりだったんです」


騙すつもりはなかった意図をやっと自分の口から説明できてホッとしたシャノンだったが、肝心のメリルの反応が怖くて、顔を上げることが出来ない。


だが、予想に反してメリルはそれ以上取り乱す事もなく、冷静に受け答えた。



「いや……騙していたのはこっちも同じだ。それに私の方が分が悪い。何せ相手は国民全員だ」


おどけるように自虐してみせたあと、メリルは臆する事なく真っ直ぐにシャノンの目を見つめてきた。


「だが、これだけは言っておく。今更、求婚を取り消せと言っても無理だからな。私の秘密を知ってしまった以上、お前は私の妃になるしか道は残されていないんだ」


熱烈なプロポーズとも取れる言葉だったが、その裏に二人の甘い感情のやり取りなどなく、極めて合理的で、国家の繁栄と安寧のための契約的宣言だった。



「………でも、いいんですか?陛下は、俺が男で……」

「国王が実は女なんだぞ。妃が実は男でもおかしくない」

「………そうですかね」

「そうだ」


奇妙なほど力強く肯定したメリルに、シャノンは項垂れた頭を上げることが出来なかった。


「本当に、陛下はすごいです……どんな事でも、そうやって真っ直ぐに……」

「それに、私は男とか女とか関係なく、シャノンを一人の人間として気に入っている」

「陛下……」

「メリルだ」

「…………メリル様」

「メ、リ、ル」

「……メリル…」

「それでよし」


自分のことを名前で呼ばせると満足そうに笑って、メリルは改めてシャノンの姿を見下ろし、困ったように視線を逸らした。



「え、と……という事で申し訳ないが…早く、服を着てくれないか……いつまでもそんな格好だと風邪をひきそうだ」

「あ、すみません……」


いまだ自分が上半身裸だった事に気付き、慌ててドレスに袖を通すが、如何せん胸の詰め物だけは丁寧にやらないとすぐに偽物だとバレてしまうので、その作業だけは怠れなかった。


「すごいな……そうやってたのか」

「………あまり見ないでください。恥ずかしいです」

「そ、そうか、すまない」


感心したように覗き込んでくるメリルの視線から逃れるように背中を向ける。何が悲しくて、国王陛下の前で胸を盛らなければいけないのか。



「でも、すごいな。本当の事を知った後でも、そうしていると本当に男には見えない」

「………嬉しくないです」

「そうか……そうだな。ごめん、言葉を間違えた」

「……でも、俺も」

「え?」

「俺も、本当の事を知ったあとからでは、メリルが女の子にしか見えない」


その言葉の意味を咀嚼するのに、メリルはたっぷりと数十秒使った。そして、理解した後に待っていたのは、爆発的な衝撃と、体の至る所から火を噴き出しそうな程の熱い何かだった。



「そ、そそそそんなの言われたことないぞ!!」

「でしょうね。秘密を知ってるのは俺だけなんで」

「………!!シャノン……っ、開き直ったな……!」

「そうするしかないでしょう!?俺だっていっぱいいっぱいなんです!この国の国王陛下は本当は女の子だし、自分が実は女装した男だなんてバレて死ぬほど恥ずかしいし、その上妃になる事が約束されたなんて!!」


両手で顔を覆いながら嘆くその姿は、悲劇のヒロインそのものだった。

先程まで二人とも冷静さを欠く事なく対峙してきたにも関わらず、突然タガが外れたようにお互いの感情的な面を見せ始める。



「だから、別にお前には妃の役を演じる以外に何も求めてないって言ってるだろう!?秘密さえきちんと遵守してくれれば、自由に遊んだっていい!!」

「あなたの側にいながら、他に女を作ったり、子供を作ったりしてもいいって事ですか!?」

「そうだ!だから、さっきから何度も……」

「出来るはずないじゃないですか!じゃあ、あなたはその間どうするんですか!?」

「私は国王の責務をきちんとこなしていれば、それでい——」

「いいわけないじゃないですか!だったら、女の子としてのメリルはどうなるんですか!?一個人としてのあなたは、どこにいるんですか?!」

「……………」


そんな事を今まで言われたことがなかったメリルは、驚きに目を見開き固まった。


「どう……」

「俺は、不測の流れとは言え、妃をやる事になったからにはちゃんとそれと向き合って、メリルの事も知って、国の事も知って、出来れば手助けにもなりたいし、とにかく後々後悔するような中途半端な事はしたくないんです………って、くそっ、これじゃあ全然格好つかない」


小さな声で毒づくと、シャノンは気恥ずかしさを誤魔化すように手を差し伸べてきた。


「とりあえず……戻りましょう。そろそろ時間ですよね」

「……ああ」


差し出された手を握り立ち上がったメリルは、どこか足元が覚束ないような、ふわふわした感覚に支配されていた。その原因はよくわからなかったが、目の前にいるシャノンが先程まではちゃんと女装らしく見えていたのに、突然全くそう見えなくなったのが不思議だった。

この数分の間で彼が変化した様子はないので、きっと自分の方に何かあったのだろう。かと言って、それが何なのかはちっともわからなかったが。



「シャノン………ありがとう」


繋がれたままの右手に少しだけ力を込めて、前を歩くシャノンに伝えると、彼もまた同じように手を握り返してきた。

意識してみると、自分の手よりも少し大きく厚ぼったい温もりが何だか急にこそばゆくなって、メリルは知らず知らず頬が熱くなった。


そんな春の風に誘われて蕾が花開くような、清々しい香りに包まれた二人の元に、花園の終わりを告げる使者がやってくる。




「随分と親密になられたご様子で」


木々の間からぬっと姿を現したメリオットに、シャノンとメリルは同時に手を離した。


「ちょ、ちょうど良かった!今、戻ろうとしてたんだ」


気まずさを誤魔化すように取り繕ったメリルに不気味なほど優しい笑みを浮かべたあと、メリオットゆっくりとシャノンの前に立ちはだかった。

細身とはいえ、長身のメリオットに至近距離から見下ろされるとなかなかの迫力である。


「メ、メリオット様……?」

「………シャノン様。いえ、“シャノン殿”とお呼びしましょうか。お父上がお待ちですので、私と一緒に執務室までいらっしゃって下さい」


その言葉にザッと全身の血の気が引き、シャノンは己の父の失態も含めて、全てを悟った。



———そうして辛くも、3日間のお見合い日程が終了した。



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