白馬に乗った令嬢

シャノンの声が聞こえ、メリルは体ごと振り向いた。


「シャノン!?だめだ!危ないから室内に入るんだ!」


ドレスの裾をたくし上げ、ドロワーのかぼちゃパンツが見えるのにも構わず、全力疾走しているシャノンの姿にメリルは度肝を抜かれた。


「そんな格好で何やってる!?」

「ああ良かった!陛下、ご無事だったんですね!安心しました!」


心の底から安堵したように微笑まれ、返す言葉を失う。相当な遠くから走ってきたにも関わらず、息ひとつ乱していない。一体どんな肺活量を持った令嬢なのかと、思わず周りの人々がマジマジと姿を見返すが、いまや髪は振り乱れ、ドレスはシワだらけと見るも無残な状態だった。


だが、当の本人はそんなのちっとも気にしていないようで、何事もなかったように手早く身なりを整えると、息急いてメリルに詰め寄った。


「陛下、一体何があったんですか?」

「そ、それが……エリーが乗馬したいと言うから馬を用意したんだが……実は乗ったことが…」

「なかったんですね?」


メリルの言葉を引き継ぎ念押しするように確認すると、メリルはぎこちなく頷いた。


「あまりにも自信満々に言うものだから、まさか乗ったことがないとは思わなかったんだ。私としたことが軽率な行動を……」

「陛下のせいではないと思いますけど……これから、どうするおつもりですか?」

「それが、間の悪いことに本日騎乗訓練がありまして、ほとんどの馬が出払っているんですよ」


突然横合いから顔を出してきたメリオットに、シャノンがビクつく。ほんとにこの宰相は神出鬼没だ。


「エリー様が乗っておられるのは駿馬(しゅんめ)でして、あれに追いつけるのは今残っている中では陛下の馬しかいません」

「……では、陛下が追いかけるのですか?」

「それを今揉めていたのだ……」


げんなりした様子で声を潜めたメリルに合わせて視線を移せば、なるほど気難しそうな高官たちが雁首揃えて周囲を取り囲んでいた。


「陛下、わたくしは反対です。陛下本人が追いかけなくとも、他の者が対処すれば良いだけのはず」

「私も同意見ですな。おい!誰か適任者を連れてこい」

「時間が経てば、自然と馬も落ち着いてくるのでは?しばらく様子をみてはいかがでしょうか」


やんややんやと言いたいことばかり言う高官たちだったが、そのどれもが悠長すぎてシャノンは歯がゆく思った。そうしている間にも、エリー嬢が落馬して大怪我するかもしれないのだ。


「ここで机上の空論を言い合っていても仕方がない。適任者が見つからなければ私が行く」

「流石にそれには私も反対です」


メリオットにまで反対されては、メリルもそれ以上強硬な姿勢に出られない。論議の行き詰まりを感じたシャノンは、ひっそりと腹を決めた。


「では、このまま放っとけと言うのか?」

「そうは言っておりませんが……おい!そこの者!あの暴走馬を追えるか?」


高官の一人が近くにいた衛兵を適当に見繕って声をかける。急に白羽の矢を立てられた兵は動転した様子で首を左右に振った。


「と、とんでもございません……!もし陛下の愛馬に傷でもつけたら……それに、あの暴走馬に追いつける技量が自分にはありません!」


人命がかかった緊急事態だからこそ、おいそれと軽く了承する訳にはいかず、他の兵たちも同様に足踏みする。もちろん理由はそれだけでなく、もし仮にエリー嬢に何かあった場合、その責任をなすりつけられかねない不誠実さが、この高官たちの間には透けて見えていた。

だからと言って、もちろん陛下に行かせる訳にもいかないので、兵たちは顔を見合わせ逡巡する。


「ちっ、役立たず共が」


痺れを切らした高官が舌打ちをし、場の雰囲気を更に最悪なものにしたところで、甲高い馬のいななきと女性の悲鳴が彼らの耳に届いた。最早一刻の猶予もないと判断したメリルが声を張り上げる。


「馬はまだか!?」

「はい!ここに!!」


美しい毛並みの白馬を連れた兵が厩舎の方から小走りでやってくる。引き締まった体躯が陽の光に反射し、一目で良い馬だとわかった。


「シャノン、君は危ないから城に戻っていろ。メリオット、彼女を安全な場所へ」

「陛下、」

「私なら大丈夫。こう見えても、乗馬には自信があるんだ」


安心させるように片目を瞑って微笑むと、シャノンの肩に手を回し、城に戻るよう促す。背中を押され数歩進んだシャノンだったが、すぐに足を止め、勢いよく振り返った。


「シャ…」

「陛下、すみません」


抑えた声でそう言うと、鞍橋に手をかけていたメリルの腕を引き、芝生の上に引き倒す。慌てて受け止めたメリオットと周囲が騒然とする中、シャノンは鐙に足をかけ一気に馬上の人となった。


「この馬、お借りします!」

「ま、待て!シャノン!!」


メリルの制止を聞かず、思い切り馬の腹を蹴った。あっという間にシャノンは風となり、人々が後ろに遠ざかる。次々と通り過ぎて行く景色を横目に、自分の些細な動作や重心移動を感じ取ってそれに合わせて走る馬に、やはり最高の良馬だと実感した。


しばらく走らせていると、城の庭園と地続きになっている森が見え、手綱を引いてスピードを緩める。一体どこまでが城の領域なのかわからないが、一旦森に入ると視界も狭くなり捜索が困難になる。あまり奥に入り込まれる前にと、シャノンは再びスピードを上げた。


森に突入すると、急に道幅が狭くなり、重なり合った小枝がシャノンの体に擦り傷を作った。悲鳴が聞こえたおおよその方角を目指して当てずっぽうできてしてまったが、馬の蹄の跡や草が踏み荒らされた場所など、些細な痕跡を見逃さぬように神経を配りながら探索する。

その甲斐あってか、ほどなくして前方にあてどもなく歩を進める馬の後ろ姿を見つけた。先程よりはスピードが落ちているものの、それでも十分な脚力を感じさせる走りに、この城には良い駿馬が揃っているなと再確認した。



「エリー様!ご無事ですか!?」


狭い木立の間をすり抜けながら、何とか馬を横づける。声を張り上げ反応を伺うが、エリーは周囲を見る余裕がないのか、低く身を伏せ馬のたてがみに力任せにしがみついていた。あれでは、馬がスピードを緩めないのも当然だ。


「今からそちらに飛び移ります!そのまま、じっとしていて下さい!」


エリーの馬の手綱を掴み、馬同士をギリギリまで引き寄せてタイミングを見計らい、鞍橋に置いた手で体重を支え飛び乗った。

また急に人に乗っかられ驚いた馬は、脚を高く上げ二人を振り落とそうとするが、エリーの腹部に腕を回したシャノンは、近くの幹に手をついて落馬を避けた。


「エリー様、もう少し力を抜けますか!?」


どっちみち、こんな風にしがみついた状態では、いつまで経っても馬も落ち着くはずがない。耳元をごうごと掠める風圧に負けないように、シャノンはエリーの耳元で叫んだ。


「………っ、り……で……」

「え!?」

「……む………ぃ、りっ……で………っ」

「わかりました!じゃあ、せめて俺の腕を握ってて下さい!!」


青白むほど強い力で握りしめられている手綱から無理やり指を引き剥がし、代わりに自分の腕にしがみつかせる。爪が食い込むほど強く握られるが、この際それはどうだっていい。


首回りの不快な圧迫が減って馬もだいぶ楽になったようで、こちらの指示に従うまでとはいかないが、ある程度の方向転換は可能になった。馬を落ち着かせるように優しく声をかけ、首元をさすりながら、シャノンは馬首を巡らせた。

とりあえず、これ以上森の奥深くに迷い込みたくない。油断すると脇道へ逸れそうになる馬を御しながら、庭園へ戻る道を探った。


「お前は賢いな」


いまだ従順に後をつけてくるメリルの愛馬に、シャノンは心の底から感服した。躾が行き届いているのか、人間に全幅の信頼を寄せているのが伝わってくる。きっとメリルからも深い愛情を注がれているのだろう。

その白馬のたてがみをそっと撫で、先に戻るよう伝えると、軽く尻を叩いて合図した。すると、白馬はシャノンの意図を確かに受け取ったように、一度高い声で鳴くと真っ直ぐに森の中を駆け抜けていく。


その後を追随するように馬を走らせながら、シャノンは改めてメリルの人柄の良さに思い当たった。きっと彼女の性根が真っ直ぐで純粋だからこそ、あの愛馬もあんなに素直で聞き分けが良いのだろう。馬と人との間には密接な関係性があり、パートナー同士の相性も問われる。そして何より、それが馬の性格にも如実に反映されるのだ。



程なくして、無事に庭園内に戻ってくることが出来たシャノンは、先程よりも人の密集率が激しい庭内を駆け抜け、めぼしい人物を探した。


「メリオット様!」

「シャノン様!無事でしたか!?」


屈強な体躯を持った大柄な人物と話し込んでいたメリオットが、シャノンの姿を見つけ駆け寄ってくる。

だが、まだ平静さを取り戻しきれていない馬が、人の集まりにより、またも興奮し始める素振りを見せたので、慌てて周りを制した。


「怪我は!?」

「ありません!先にエリー様をお願いします!!」

「はっ!?えっ!?おい!ちょっ、ダノン!!」

「はい!お任せを!!」


馬上から放り投げられたエリーの体を、ダノンと呼ばれた大男が難なく受け止める。多少荒療治になってしまったが、こうして早々とエリーと馬を引き離した方がお互いのためでもある。

長い間、慣れない馬上で揺られていたエリーの疲労はひとしおだろうし、馬の方も相当ストレスが溜まっているはずだった。



「私は、もう少し馬を落ち着かせたら戻りますので!!」

「あ、こら!ちょっ、待っ……」


再度メリオットの制止を振り切り、シャノンは人気のない方へ馬の足を向けた。





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