トラブル
お見合い最終日の日程は、見合い相手それぞれが陛下と二人きりの時間を過ごせると言うもの。特に時間制限はないものの、20人を越す令嬢が参加しているため、大体ひとり30分から1時間と言ったところだろうか。
そう当たりをつけたシャノンは、唇に乗せた紅を指で馴染ませ、鏡に映るサファイヤブルーの瞳に言い聞かせた。
「今日こそ、絶対真実を話す。いいな、シャノン」
これ以上、陛下に嘘を積み重ねない。そう固く心に誓うと、意を決して振り返った。室内には、女、女、女、だらけ。ここはお見合い会場の前室であるらしく、順番に名前を呼ばれ、陛下の元へと案内される段取りらしい。
みんな思い思いに着飾り、入念に化粧を施し、あーだこーだとお互いに批評しあい、褒め合い、かしましい事、この上ない。
女装はし慣れているシャノンだったが、そのまま女の園にぶち込まれた経験はなかったので、この女同士の異様な空間に正直ちょっと戸惑っていた。
口では褒め称え合っていても、目の奥が笑っていない。牽制しあい、マウントを取り、優劣を競ってカーストを作りあげる。女にはいくつもの裏の顔があることを学んだシャノンであった。
すると、視界の端に映っていた女性が、突然服を脱ぎ上半身を露わにし始め、ギョッとして顔を背けるがその視線の先にも、これまたあられもない格好をさらす令嬢の姿があって、シャノンはもう目を瞑るしかなかった。
頭の中に兄4人のむさ苦しい裸を思い浮かべ、必死に邪念を追い払う。
おっぱい、おっぱいおっぱいおっぱい、どこを見てもおっぱい。少しでも陛下の目に留まろうと、必死に胸を寄せて上げて、涙ぐましい努力をする女たちの闘志を閉じた瞼越しに感じながら、シャノンは一秒でも早く自分の名前が呼ばれるのを願った。
「シャノン、様…?」
心許なさそうな声で名を呼ばれ、やっと順番が回って来たのかとホッとして瞼を開けると、そこにはお仕着せを着たメイドではなく、自分と同じようにドレスで着飾った見知らぬ令嬢がいた。
「あの、突然すみません……シャノン様、ですか?」
「……はぁ……ええと、あなたは…?」
「ああ、良かった。遠くから小耳に挟んだだけだったので、お名前合ってるかどうか不安でしたの。昨晩の晩餐会で、陛下と仲睦まじそうに踊っていらっしゃるのを拝見して……もしかして、陛下とは以前面識が?」
挨拶もおざなりに探るように問われ、シャノンは警戒しながら答えた。
「いいえ、初めてお会いしました」
「まぁ、そうでしたの……それは良かった。ところで、シャノン様は身長が高くていらっしゃいますよね?陛下はその事について何か仰ってました?背は高い方がいいとか低い方がいいとか」
「……さぁ、特には何も」
一体自分から何を聞き出そうと言うのか。矢継ぎ早に質問を浴びせてくる令嬢に、シャノンの足は自然と後ずさった。
そればかりか、シミひとつ見逃すまいと全身を舐め回すように観察され、このままでは身ぐるみ剥がされかねないと察知したシャノンが、逃げの体勢に転じる。
「失礼、私まだ準備が……」
「では!他に何か女性に関することで仰ってる事はありませんでしたか?例えば、胸の大きさとか、顔の好みとか」
「わ、私に聞かれましても……」
何としても陛下の好みを探り出そうと、しつこく食い下がってくる令嬢に辟易した。そんなの自分の方が聞きたいくらいだ。
邪険にあしらう訳にもいかず、どうしたものかと困惑していると、痺れを切らした令嬢が、おもむろにシャノンの胸を触った。
「なっ……!?ちょっ……!」
「あら、思ったより胸は小さいのね。それに他のところは意外とゴツゴツして……」
遠慮なしに体中をまさぐられ、シャノンは悲鳴をあげて飛び退いた。
「何をなさるんですか!?」
「あら、ごめんなさい。陛下はあなたの事がお気に入りみたいだから、参考にしようかと思って」
悪びれもせず平然と宣った令嬢に、シャノンは目眩を感じた。そして、これ以上他の場所に手を伸ばされてはかなわぬと、その両手首を強く抑える。
「もう、おやめください。陛下の好みは、陛下ご自身に直接伺って下さい」
「あら、それじゃ意味がないからあなたに聞いたんじゃないの。相手の好みの把握は恋愛において大切な要素よ」
「だとしても、私では参考になりません」
そうきっぱりと宣言したのに、何故かパッと目を輝かせ更に距離を詰めてきた。
「なるほど!あなたのその気の強いところが陛下は気に入ったのね!力もとても強いし、きっとたくましい方がお好きなのだわ」
「…………」
今度こそ、シャノンは閉口した。もはや何を言っても無駄であると察し、大人しく拘束していた手首を解放する。すると、ますます調子づいた令嬢は大胆にもシャノンに抱きつき、その肉付きを確かめるようにさわさわと全身を撫で回してきた。
流石のシャノンもこの行為には全身の毛を粟立たせ、吸盤のように張り付いてくる腕を強引にひっぺがした。
「もう十分でしょう。これ以上は本当に迷惑なので、やめてください。本当に。やめてください」
重要な事なので、二度繰り返した。
それに、もうこれ以上は本当に男だとバレてしまう。ズレた胸の詰め物をさり気なく直しながら、シャノンは視線をそらした。
もう、無視だ。こうなったら無視しかない。
そのあからさまな態度がきいたのかどうか。ふん、と小さく鼻を鳴らし、令嬢はさっと身を翻して行ってしまった。
ホッと息をつき肩の力を抜いたシャノンは、また同じような目に遭わぬように、その後ずっと壁と向き合って過ごした。
**
一人、また一人と部屋の人数が減っていき、待ち時間を過ごすのにも流石に飽き始めてきた頃、なにやら外が騒がしいのに気付いた。
「どうしたんですか?」
「わたくしも、よくわからないんですけど……どうやら馬が暴走してるみたいですの」
「馬……?」
たまたま近くにいた女性に尋ねてみると、そんな返答が返ってきて、シャノンは窓の外に目を向けた。広い庭園の先に、一頭の黒馬を囲むようにしている大勢の人々の姿があった。遠目からは騎乗者の姿はよく見えなかったが、馬は興奮したように何度も脚を高く上げている。
あんなに大勢の人間が集まっていては、馬を興奮させるだけではないだろうか。そんな危惧を抱きつつ、シャノンは成り行きを見守る。
「……陛下、ではないですよね…?」
「まさか!やめてくださいな!陛下は乗馬もお上手だと聞くではありませんか」
「そ、そうですよね……」
思わずポツリと誰かがこぼした不安が次第にその場を占拠し始め、令嬢たち始めシャノンの心から徐々に落ち着きを取り払っていった。
メリルではない事を祈りながら、シャノンは窓に張り付き目を凝らすが、暴れ回る馬の揺れがひどく騎乗者の姿をうまく確認できない。もどかしさと戦いながらも、シャノンは冷静な思考を保とうと努めた。
「この中で、どなたかオペラグラスをお持ちの方はいませんか?」
「オペラグラス……?何故そんなものを?」
「あ、はい、持ってますわ!」
「わたくしも部屋に……ちょっと誰か取ってきて!」
「ねぇ、それ貸してくださらない!?」
シャノンの一声を皮切りに、みな手に手にオペラグラスを持って窓辺へ殺到する。かく言うシャノンも、近くにいた令嬢から借りて窓の外を眺めた。
望遠鏡のような役割をしている観賞用メガネであるそれは、遠くの物を拡大して見ることが出来る。そのレンズ越しに確認した馬上では、ひだのついたレースをふんだんにあしらったドレス姿の令嬢が、暴れる馬に振り落とされまいと必死にしがみついていた。
その決死の形相を見て、シャノンが「あ」と小さく呟く。それは先程、自分の体を好き放題にまさぐっていたあの少女であった。
「あの子、さっきの……」
「いやだわ、あれエリー嬢じゃないかしら……!?」
「うそ!やだ……本当ですわ。あの方ったら、何であんなところに……」
「また何かやらかしたのかしら……」
どうやら先程の令嬢と面識があったらしい人々が口々に驚きをこぼし、顔を見合わせる。呆れたようにため息を吐く者までいて、彼女が事あるごとに問題を起こしているトラブルメーカーだと言うことが伺えた。
とは言え、今すぐどうする事も出来ず、シャノンはとりあえずメリルではなかったことに少しだけ胸を撫で下ろす。
だが、この状況は決して楽観視できるものではなく、落馬は命を落としかねない危険な事故だ。一刻も早く彼女を救出しないと取り返しのつかない事になる。
今更ながら、何故あんなことになっているのか不思議でならなかった。
一つだけ思い当たるとすれば、『陛下はきっとたくましい方がお好きなのね』と言った彼女が何か曲解していないと良いと言うことだけだった。
ともあれ、為す術のないシャノンたちは事の推移を見守る他なく、窓辺で静かに身を寄せ合っていた。
「ねぇ……あの馬、何だかこっちへ来ない!?」
「やだ、本当だわ!どうしよう!」
「大変……!みんな早く逃げて!!」
オペラグラスを覗いていた令嬢がそう言うや否や、皆一斉にパニックになり、テーブルやイスを倒し逃げ回る。シャノンも窓から目を離さないままジリジリと後ずさった。
まさか、そのまま飛び込んでくるとも思えなかったが、エリー嬢を乗せた馬は脇目も振らず真っ直ぐにこちらに向かってくる。何せ正気を失っている馬だ。今なら、何をしでかすかわからない。
最悪の事態に備え、いくつかの対処法を頭に思い描いていると、少女がひとり逃げ遅れ窓際で固まっているのが目に入った。恐怖で動けなくなったのだろう。
咄嗟の判断で駆け寄ったシャノンは、身を低くして少女をかばうように覆いかぶさった。同時に、シャノンの頭上の窓から馬の太く長い足が飛び出してきて、あわや頭を掠めそうになる。令嬢たちの悲鳴が響き渡り、その声にまた驚いた馬が方向転換をして別の方角へ駆けていく。
馬が去ったあと、令嬢たちがシャノンたちの元へ駆け寄り、口々に無事を確かめる。それらに軽く返答しつつ、シャノンは自分の体の下にいた少女を気遣うように覗き込んだ。
「大丈夫ですか?」
「………あ…あの……え、いえ………は……」
顔面蒼白になりながら、辛うじて声だけは出せると言った状態で少女は頷いた。可哀想に、余程怖かったのか震えが止まらぬ体を自分で抱きしめていた。
その少女の体に怪我がない事を確認すると、シャノンは窓から身を乗り出し馬が去って行った方角を確かめる。だが、もうそこに馬の姿はなく、ただ慌てて走り回る衛兵たちの姿だけがあった。
「すみません!もし私の居場所を聞かれたら、すぐに戻ると伝えて下さい!」
一瞬の逡巡のあと、令嬢たちにそう言い残すとシャノンは軽々と窓の枠を飛び越えた。驚きで固まる令嬢たちを横目に、馬の後を追う。ドレスの裾をつまみ、上品さをかなぐり捨てて全力疾走すれば、すれ違う衛兵たちが一様に驚いた顔で振り返った。しかし、一刻を争う一大事なので、そんなのに構っている余裕はない。
もちろん人の足で馬に追いつけるとは思っていないので、どこかに良い「足」はないかと視線を忙しなく動かす。
植え込みの間をすり抜け、少し開けた場所に出ると人だかりを見つけ、その中に一際目を引く薄紅が混じった真珠色があった。
「ーー陛下!」
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