第39話 ただいま

 


「遅い! どうして戻ってこないんだ!」

「ジオ落ち着いて。大丈夫だよ、ピヒヨもついてるし」

「もうだいぶ時間が経過してるんだぞ⁉ なんとかもう一度行く方法は……」

「無理だよ、ピヒヨはアヴィと一緒だし」

「ああぁあぁぁ〜〜っ⁉⁉」


(面白いくらいに慌ててるな……)


 バードルディ家のセシルの自室。

 そこにはベッドに横たわるこの部屋の主と、それに寄り添うように意識を失ったままのアヴィリアとピヒヨ。その様子を伺いながら頭を抱えて叫び続けるウェルジオと、それを呆れた眼差しで見つめるレグの姿があった。


 二人と一匹。一緒に行ったはずなのに、ウェルジオだけが飛び起きるように目を覚ましてから、既に一時間以上が立っていた。

 本人は「意味不明な場所で穴に落ちたら目を覚ました」と言っていたが、全く意味が分からない。もっと詳しい説明をくれ。

 闇の精霊は語彙力でも奪っていったのかと友人の頭を本気で心配した。闇の精霊は冤罪である。

 無論、レグとて心配していないわけではない。ただ自分以上に慌ててる奴がいるもんだから、変に落ち着いているだけだ。


(無理もないけど……)


 大事な妹と想い人が一向に目を覚まさないのだ。慌てるのも当然だろう。


「く……っ、なんとか鳥を叩き起こして……」

「君の死亡フラグが立つだけだよ」


 友人の焼死体は勘弁である。

 なんかいつもと立場が逆だなぁ、と感じながら友人の珍しい一面を眺めていると、ベッドのほうから「……んぅ、」と微かに身じろぐ音が聞こえてきて、二人揃って勢いよくそちらをふり向いた。




 ***




「ん……。ウェルジオさま……? レグ……?」


 ゆっくり瞼を開くと、最初に視界に映ったのは、こちらを凝視するウェルジオとレグの姿だった。


「アヴィ! よかった、起きたんだね!」


 少しばかり大げさな仕草で胸を撫で下ろしたレグは、そう言いながらこちらに歩み寄ろうとして足を動かす。


 しかし、その途中でピタリと止まった。


 眉間に深いシワを刻み、唇をへの字にきつく噛みしめながら、普段の優雅さなど一切感じさせない足取りでずんずんとこちらに近づいてきたウェルジオが、鋭い眼光で見下ろすように私の前に立ったからだ。


(……ひぇ……っ)


 ………………これは。

 ものすっっっごく、怒っていらっしゃる……!⁉


 無言の圧が強い。得も言われぬ恐怖感が全身を駆け抜け、体が自然と震えだした。

 怖くてとても顔が見れない。そんな私に気づいてもいないのか、同様に目を覚ましたばかりのピヒヨがベッドの上でのんきに毛繕いを始めているのが視界の端に映る。

 ご主人様のピンチだ。今こそ助けてほしい。


「……そ、その、ウェルジオ様……。先に、戻られていたのですね! ご無事で何よりで……」


 何か言われる前にこちらが何か言ってしまおう、と慌てて話題を探った。咄嗟に出てきたのは、はぐれた彼を案じる言葉だった。


 だが、その言葉は最後まで紡がれることなく、途中で途切れてしまう。


 気づけば、私はウェルジオの腕の中にいた。


 優しく包み込むような抱擁に、恐怖とは別の意味で体が固まり、必死に動かしていた思考は完全に停止した。

 見れば、ウェルジオの肩越しに見えるレグも同じような顔をしている。


 まさかの行動に驚いて声を出すこともできず、しばらくそのまま抱きしめられていると、私の肩口に顔を埋めたまま、ウェルジオがふいに、ぽつりと言葉を漏らした。


「………………った」


 囁くように呟かれたそれは、ともすれば、聞き逃してしまいそうなほど小さくか細かったが、私の鼓膜を確かに震わせた。


 “――――……よかった。”


 その言葉が、私の胸をぎゅっと締め付ける。

 彼の背中にそっと腕を回せば、伝わってくる微かな震え……。


 ああ、そうか。

 ここの人は、怒っていたんじゃない。心から心配して、安心してくれているんだ。


 護衛のつもりでついていったのに、一人だけ先に戻されて、どれだけヤキモキしただろう。

 呆れるくらいに真面目な人だもの。「自分がついていながら」とか、そんなことを考えたんじゃないかな。

 また一人で、こっそり自分を責めたりしたのかもしれない。

 優しい人だから。


 ……バカな人ね。


「……ウェルジオ様」


 そっと名を呼べば、ゆるゆると顔を上げた彼と視線が交わる。

 氷のように冷ややかな、けれど本当はとても優しくて暖かい、アイスブルーの瞳。

 その色がわずかに潤んでいるのには、気付かないふりをして。


「ご心配をおかけしました。ただいま戻りました」

「……ああ」


 短く答えた彼の表情に、安堵の色が混じったのを見て、私も釣られるように笑みをこぼした。



 あの時、落ちていく私に向かって必死に伸ばされた手。

 あの時は取ることのできなかった、その手のぬくもりを感じながら。

 帰ってきたんだな、と、改めて実感した。


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