第37話 とある少女は光を見る 2

 


 それは、二度と聞くことはできないと思っていた言葉。あなたからの好意の言葉。

 本当なら、胸が熱くなるくらいに嬉しくて、いつもの私なら、声を大きくして自分もそうだと叫んでいた言葉だ。


 けれど今は、素直に受け止めることのできない言葉だった。


「……でも、私……、私のせいで……っ」

『それは違うわ。誰のせいでもないのよ。私は自分の意思で動いたんだから。……前にも言ったけど、危ないと思ったら、体が勝手に動いちゃったのよ。ほんと、私って考えなしに動いちゃうタイプよね』


 ふふ、と困ったような笑い声が耳をかすめる。

 きっと、口元に手を当てて小さく笑っているのだろう。彼女はよく、そんな笑い方をする。

 そんなささやかな仕草が、実は密かに好きだった。


『でも、そんな考えなしの行動が、セシルを苦しめているのね……。……ごめんね』

「……っ、アヴィが、謝ることなんて……」

『ううん、これは私が謝るべきところよ。後先考えずに行動して、その結果、あなたを苦しませたんだから。命なんて重いものをあなたに背負わせてしまった。……苦しかったでしょう?』


 その言葉に、胸がぎゅっと締めつけられる。


 うん、苦しかった。

 私のせいでと思う度に、お前のせいでと責める声を聞く度に、あの人を死なせたのは私なんだと、そう突きつけられて。

 そんな思いをどこにも吐き出せずに、ずっと押し隠し続けるのは、とても辛くて、苦しかった。


『セシルは私のことに気づいてたのね……。だからいつもそばにいて、助けてくれてたのね……』


 ありがとう、と呟くアヴィの声が、私の鼓膜を優しく撫でていく。

 そのことに、また涙が溢れた。


(……違う)


 違うよアヴィ。違うの、全然そんなんじゃないの。

 私はただ、あなたを守っていたかっただけ。


 この世界であなたと再会して、あなたがいずれ死んでしまうキャラに成ったと知って、守らなければと思った。その運命を変えなければと。

 そのために、あなたを守る存在になると決めた。

 あなたがそうしてくれたように、今度は私が、あなたを守るんだと。


 それは、あなたのために何かをしたかったから。

 あなたのために、何かをしていたかったから。



 そうすることで、ただ、自分を許せる理由を探してた。



「……っ」


 見ないふりをしていた、狡くて卑怯な、私の本心。


 本当に、なんて醜い。

 ねえ、どうして責めないの。どうしてそんなに優しいの。ありがとうなんて言えるの。


「私、あなたから未来あしたを奪ったのよ……っ!」


 当たり前に来るはずだった明日を奪った。

 家族や友人。大切な人たちと過ごす時間をあなたから奪った。

 寂しかったはずよ。辛かったはずよ。会いたかったはずよ。


 だって。


『それはセシルも同じでしょう?』


 だって私は、会いたかったわ。


『あなたにだって、大切な家族や友人がいたでしょう? 二度と会えないと思うのは、寂しかったでしょう?』


 今でも覚えてる。意識が消える直前、私の手を強く握りしめてくれていたお母さん。

 泣くのを必死でこらえていたお父さんの表情。

 私の名前を叫ぶように呼んでいた友人たちの声。


 忘れたことなんてない。忘れることなんかできない。

 会いたかった。逢いたかった。


 でもその度に思うの。それはあの人も同じはずだって。


 私が奪ったのに、寂しいなんて、そんなこと思っていいわけない。

 そうやって、ずっと誤魔化してきた。


『私もね、最初は確かに辛かった。わざと考えないようにしていたこともあったわ。でも最近は、向こうのことを思い出しても辛いと思わなくなったの。レグと、向こうの話ができる人とたくさん話をしたからだと思う。どこにもやれない心の内を吐き出して、知らないうちに心が軽くなってたわ』


 レグ。やっぱり、彼も人なのね。

 二人の会話から、そうだろうことは分かっても、その輪に入ることはずっとできずにいた。

 ……本当は、入りたかったけど。


『記憶を取り戻した時もね、戸惑いはあったけど、せっかくだから新しい人生を楽しんでみようって思ってからは、すんなりと受け入れられたわ。周りはみんないい人たちばかりだし、お店ができてからは、忙しいけどやりがいも感じてるし。おかげで毎日がすごく充実してるの。こんな生活、向こうの世界ではおくれなかったわ……」


 この世界での彼女は、いつも活き活きしてた。

 ハーブに触れる時、何かを作る時、それを誰かに振る舞う時。

 いつもいつも、楽しそうだった。


『もちろん、忘れることはできないし、今でも大切に思うけど。それでも、ようやく私の中で思い出にできるようになった……。今はもう、辛いとも苦しいとも思わずにあの世界を想うことができる』

「アヴィ……」

『だからね、セシル。もういいのよ?』

「え……」

『もう自分を責めたりしないでいいの。自分を許してあげて』


 どくん、と心臓が跳ねる。


『私は今の生活が好きよ。ハーブを育てて、新しい商品を考えて、ピヒヨと戯れたり、レグのめちゃくちゃに頭を痛めたり、ウェルジオ様の呆れた声を聞いたり。そんな日々が楽しいの。ずっと続けばいいなって思う。……そしてできれば、そこにセシルにもいてほしい』


 私は、夢でも見てるのかしら。

 もしかして、この通話の先にいる彼女は幻だったりするのかな。全ては自分の願望が生んだ幻聴で、本当はそこには、誰もいないのかしら。


 それほどに信じられない、夢のような言葉だった。


『それともセシルは、私といるのは苦しい?』

「……っ、そんなことない! 私は、私だって楽しかったわ!」

『うん』

「おしゃべりも楽しくて、一緒にお茶を飲んでるだけでも楽しくてっ……、いつだって、凄く、凄く楽しくて……っ!」

『うん、私もよ』


 楽しかった。楽しかった。

 だから壊したくなかった。駄目だ駄目だと思いながら、もうちょっと、もうちょっと、と言い訳をして引き伸ばしてた。


『セシル、帰ろう?』

「かえ、る……?」

『そう。みんな待ってるよ。ウェルジオ様も、レグも、お屋敷の人たちも。みんなセシルの帰りを待ってるわ。帰って、またお茶を飲みながら一緒におしゃべりをしましょう? あなたがずっと心の中に閉じ込めてたものを聞かせてほしいの』

「かえる……」


 帰る? どこに? あの楽しかった世界に?

 帰って、いいのだろうか。私に、そんな資格あるんだろうか。


『セシル、一緒に帰ろう』


 どうしたい? 私は。


「わたし……」


 私は、私はね、ほんとうは……。


「…………ぇり、たい、…………帰りたいっ!」


 戻りたい、あの場所に。

 まるで春の日差しのように暖かな、あの世界。

 あなたが笑っている世界、あなたと一緒に笑える世界に。


 ほんとうは、帰りたいの。



『「うん、帰ろう」』



 いままで端末越しに聞こえていたはずの声が、現実と二重になって聞こえた。

 反射的に自分の後ろを振り向く。手のひらを滑り落ちたトランシーバーが、カシャンと音を立てて闇の中を転がった。


 自分の姿だけがぼんやりと存在していた場所に、別の色彩が揺らめく。


「みーつけた!」


 まるで、いたずらが成功した子供のような、無邪気な笑顔で。




 ――――――アヴィリア・ヴィコットは微笑んだ。



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