第35話 伝えるべき言葉

 

「恨むって、なんで?」

「巻き込まれたとは思わないの?」


 思わず顔を上げた。

 だってそれは、あまりにも思ってもみない言葉だったから。


「そんなこと……、思わないわ。あの子を助けたのは私が勝手にしたことよ。恨むなんて筋違いだわ」

「思いださないようにされてたのは?」

「それだって、あの子がわざとしたわけじゃないでしょう? 私があの子の立場だったら、きっと同じように思ってたもの。だから恨むとか、そんなのありえないわよ」


 そうだ、ありえない。

 誰に言われたわけでもない、自分で決めて勝手にやったことだ。その結果がどうであれ、セシルに責任なんてない。それを恨むなんて見当違いもいいところだ。

 なんでそんな風に思われたのか、少しの苛立ちを感じながら言い返すと、彼は気を悪くするどころか、ふふっと声を立てて笑った。


「君は優しいね。精霊に好かれるのも分かるな」


 満足気な表情は、私の答えを最初から分かっていたかのよう。

 ……もしかして、試された?

 思わずそんな考えが浮かんだ。だとしたら、それはそれでなんとなく癪に障るが。


 彼の真意は分からない。けれど、重くなっていたはずの足は少しだけ軽くなったような気がした。


「ねえ、君は今の世界が好きかい?」


 そのまま足を進めていると、彼が突然そんなことを聞いてきた。

 前触れもなくいきなり問われた質問に少しだけ戸惑ったが、私は素直に頷く。


「もちろんよ」

「君の、本当の世界じゃなくても?」

「関係ないわ。今はここが私にとっての本当の世界だもの」

「……うん。そうだね」


 彼はそういうと、前を向いていた視線を少しだけ上げて、遠くに思いを馳せるかのように言葉を紡いだ。


「……俺もね、自分の本当の世界は別にあるんだよ。でも、今生きている世界もとても好きなんだ。血は繋がってなくても、本当の子供のように愛してくれる両親がいて、放っておけない幼馴染がいて、大好きな友達もいて……。もちろん嫌なこともいっぱいあるけど、嬉しいことや楽しいことだっていっぱいあった。……ずっとこのまま、こっちの世界で生きていたいって思う。…………でも、そのために、本当なら俺が背負わなきゃいけなかったものを、弟に押し付けちゃったんだ……」


 最初は楽しそうだった声が徐々に沈んでいって、優しげな風貌に影を落とす。そんな彼の様子に、周りの光たちが慰めるように寄り添った。


「このままでいたかったから、戻りたくなかったから……、そのために弟の運命をねじ曲げた。その結果、弟は元気になったけど……、それが弟のためになったのかどうかは分からない、結局は、俺の我儘に巻き込んだだけだから……」

「弟さん、病気か何かだったの?」

「昔ね。今はすっかり元気さ。直接会ったことはないけど、なかなかに愉快なやつだよ」


 どういうことだろう。会ったことがないと言うわりにやたら詳しいが……。


(……いや、それよりも)


 そもそもこの少年は誰なんだろう。どうしてここにいるんだろう。

 ここはセシルの精神世界だ。今まで見てきた人たちは、こちらに気付くことも、触れることもできなかったというのに。何故彼だけ、こうして会話をして、触れることができているのだろう。

 私やセシルのことを知っていて、現状を理解しているようなのは、何故。


(…………あれ? もしかして私、今すごく危険なことしてない?)


 どこの誰かも分からない相手に手を引かれて、大人しくついて行ってるなんて、危ないのではなかろうか。

 どうした私の危機感。さすがに仕事しなさすぎだろう。ウェルジオあたりに知られたら、また鬼の形相でお叱りの言葉をぶつけられそうだ。

 今更ながら背中にヒヤリと冷たい汗が流れる。精神世界でも汗はかくのね。


 なのに。そう思うのに。

 それでもこの少年に少しも危険を感じないのは何故なんだろう。

 彼といることに一切の不安を感じない。むしろ安心感すらある。


「あなたは……、どうしてここに?」


 それが何よりも不思議で、私は知らず知らずのうちに、彼に向かって問いかけていた。


「頼まれたから。“守ってくれ”って」


 彼は、笑って答える。


「巻き込んだ罪滅ぼしってわけじゃないけどさ……、もしあいつが困ってたら、助けてあげようって決めてたんだ」

「守るって……」


 彼が言っているのが弟さんのことだというのは分かったが、何故それが質問の答えになるのかは分からなかった。

 気になってもう一度問いかけようとするも、その瞬間、彼が突然足を止めたので、つられて私も足を止める。

 見れば、彼の周りを漂っていた光たちが忙しなく動き回っていた。


 “――――――”

「……残念。俺が付き添えるのはここまでみたいだ」

「え……」

「あんまり長くここにいられないんだ。ちょっと無理言って連れてきてもらったから、こいつらがずっと心配しててさ……」

 “――――! ――――――!”

「ごめんごめんっ」


 彼が困ったように肩を竦めると、光が非難するかのように彼の周りをさらに激しく飛び回った。

 声は聞こえないが、何やら文句を言われているようだ。


「ここから先は君が自分の足で行ったほうがいい。このまま、まっすぐ行けば友達に会えるはずだから」

「でも……」


 そう言われても、私はなかなか踏み出せなかった。ここまで来て、怖気ついてる場合じゃないのに。

 自分が迎えに行って本当に大丈夫なのか、まだ自信がなくて……。


 そんな私の心を見透かしたのか、彼がまた口を開く。


「ねぇ、君にとって、この子はどんな存在?」

「どんなって……親友よ。とても大切な」

「なら、それをただ伝えてあげればいいよ」

「そんな簡単な……」

「簡単なことだよ。とても」


 ともすれば、適当に受け流しているとも思われそうな返しだが、彼の表情はいたって真面目だった。


「大切な人から自分がどう思われてるのか、気にならない人はいないよ。どんなに仲が良くっても、やっぱり気になる。それをきちんと伝えるには結局言葉しかないんだよ。でも、それってすごく難しいんだよね。好意を素直に口にするって、結構恥ずかしいしさ」


 簡単だけど難しい。だけど忘れちゃいけない、とても大切なこと。

 “伝える”ということ。


「ちゃんと伝えてあげてよ。この子にはきっと、それが一番だと思うから」


 不思議と、彼の言葉は胸の奥にすとんと落ちた。

 迷いもなく、まっすぐに落ちてきて、不安に満ちていた胸の隙間を綺麗に埋めてくれる。


「秘密ってね、誰にも知られたくないってものも多いけど、その裏で本当は気づいてほしいって思ってるものも多いんだよ。……この子も、本当はそうだったんじゃないかな。君に真実を知られることは怖かったけど、心のずっとずっと底のほうでは、気づいてほしいって気持ちがあったんだと思うよ」


 どうして、欲しい言葉をくれるんだろう。


「ほら、友達が待ってる。早く行ってあげて」


 そう言って、彼は私の背中をそっと押した。

 優しい力だったが、踏みとどまっていたのが嘘のように、私の体は前へ進むことを望み、足を動かす。


 その後ろで、彼もまた踵を返したのを感じて、私は慌てて振り返り、「あの!」と声を上げた。

「なに?」と同様にこちらを振り向く彼に、私は一瞬迷ったあと、思いきって口を開く。


「あの……、弟さんは、あなたに感謝してると思うわ。私の友人にも昔、体が弱かった人がいるんだけど……。元気になってよかったって、毎日とても楽しそうにしてるの。そのきっかけに感謝してるって言ってたわ。弟さんもきっとそうよ」


 無神経だと思われるだろうか。相手のことをよく知りもしないくせに、こんなことを言うのは。

 けれど、どうしても伝えたかった。彼の言葉に、向こうで私たちの帰りを待っていてくれるはずの友人を思い出してしまって。


「……そっ、か。……そっかぁ」


 ああ、良かった。間違ってなかった。

 くしゃりとゆがんだ彼の顔を見て、私はそう思った。

 まるで泣きそうになるのを必死で耐えるみたいな、嬉しさを噛みしめるみたいな顔だった。


「助けてくれてありがとう……。私はアヴィリア。あなたの名前を聞いてもいい?」


 きっとこれが最後になる。そう思ったから、私は姿勢を正し、笑顔で問いかけた。






「――――――俺は秋尋。白崎秋尋だよ」


 優しく微笑むその姿に、友人の影が重なったような気がした。






 ***




 少年が消えた空間で、私はまた一人で暗闇に立っていた。

 けれど、今はもう不安はない。


「ピヒヨ、セシルの居場所は分かる?」

「ぴ!」


 前に飛び立つピヒヨのあとについて、私はゆっくりと、けれど確かな足取りで前へと歩き出した。


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