書籍化記念番外編・はじまりの星(後)



 しがない平民のアステルでは、国王に逆らうことなどできなかった。望まれるままに王太子の婚約者となることを受け入れるしかなかった。


 一万歩譲って、王太子が好ましいと思える人物であったのならばまだ良かっただろう。

 ところが、この国の未来を担うはずの王太子は頭に綿でも詰まってんのかと言いたくなるくらいのバカ男だった。


 傲慢で自分勝手で、何をするにも自分が一番。

 自分がすることは全て正しい、違うと思うほうがおかしいという思考。

 自分はみんなの人気者で、誰からも好かれる人徳者だという自負。

 周囲の注目はいつでも自分に集まってなければ気が済まない古典的な目立ちたがり。

 もはや脳に詰まっているのは綿ではなく、脳みそを養分に育った花かもしれない。


 そんなバカの後始末という名のフォローに追われていたのは弟のアランだが、婚約者という立場上、アステルも相当被害を被った。

 いったいどれだけ呪いの言葉を吐いただろう。ありすぎてもう覚えてない。

 そのたびに、アステルの心を察した優しい精霊たちから「殺っちゃう?」と問われ、思わず「殺ったれ」と言いたくなるのを涙を飲んで断ったのだ。実に辛い日々だった。


 だが、ここに来て、そんな日々は他でもないそのバカによって終止符を打たれた。


「王太子の命令とあらば、国の重鎮貴族といえど簡単には逆らえません。プライドだけはいっちょ前に高い兄は前言撤回などしないでしょうし。連中は今頃、大慌てで父上に手紙を出していることでしょうね」

「その間にさっさととんずらさせてもらうわ!」


 そう意気込んでアステルは立ち上がった。

 王太子の出した追放命令を撤回することができるとしたら、国王しかいない。

 アステルの追放を知った国王は、大慌てでアステルを連れ戻そうと兵を放つだろう。

 見つかれば連れ戻されてしまう。そうなる前に少しでも遠くへ行かなければ。


 甘いホットミルクのおかげで体もあったまったし、いい感じにリセット完了。

 今なら心地いいスタートが切れそうだ。


「焦ることはないと思いますよ。精霊の助けがなくなって、国自体が大変ですからね。しばらくは対応に追われてそれどころじゃなくなるでしょうし、時間の余裕はあります」


 ミルクを沸かしていた小鍋やカップを手際よく片付けながらアランが言った。


「その間に、こちらも何か対策を考えましょう。……一番手っ取り早いのは、やはり他国に籍を移してしまうことでしょうね。いくら国王であっても他国の民となってしまえば簡単に手出しはできません。戦争の引き金になりかねませんし」


 人と精霊の関係が良好な場所を選べば、アステルも心穏やかに過ごせるはずだ。


「確かに、一番安全な線かもしれないけど……」

「なんです?」

「私は旅がしたいわ。せっかくあの国を出られたんだもの、いろんなものを見て、いろんな体験がしてみたい! どこに行くかはその時その時の気分次第な自由気ままな旅! どう?」

「本気ですか⁉ ずっと逃亡生活を続けることになりますよ⁉」

「それこそ大丈夫じゃない? こっちには強い味方がついてるんだから」


 慌てて声をあげるアランに、アステルはにっこり笑いながら背後を指さす。


『たのしそー』

『それたのしいのー?』

『私たちも一緒にいくのー』

『心配なんてないないー』

『危険なんてないないー』

『アステル守るのー』

『邪魔するやつは殺す』

『骨も残さず燃やす』

『跡形もなく潰す』

「ね?」

「…………確かに最強のボディーガードですね」


 フヨフヨとおどけながら、可愛らしい姿と声でまったく可愛くないことを楽しげに語る精霊たち。

 気のせいか、だんだん殺意が強くなってる気がする。

 これなら道中も安全だろう、むしろ手を出そうとする奴らのほうが心配だ。果たして生きて帰れるだろうか。


 精霊はけして、優しく友好的なだけの存在ではない。

 そんな存在の怒りを買った連中には本気で同情を感じるが、同時にいい気味だとも思う。

 精霊や精霊に愛されるアステルをないがしろに扱うからそんな目に遭うのだ。全ては自業自得、身から出た錆。

 父や兄の今後を思うと、多少は心配な気がしないでもな…………いや、ないな。そんな気持ちみじんも湧いてこない。


(精霊の力を借りることのできない生活を、彼らはいったいどれだけ続けられますかね……)


 フッ、と小さく鼻で笑ったアランは片付けていた荷物をまとめ、最後に火の始末をして完全に消えたことを確認すると自らも立ち上がった。


「いまさらだけど、ほんとうに帰らなくていいのアラン?」

「ほんとうにいまさらですね。僕の答えなんて分かってるでしょう?」

「……もの好きね」

「沈むと分かってる船に好き好んで乗るバカはいませんよ」

「そりゃそうだけど……。あなたはあの国に残るかと思ったわ……」


 そう言葉にしたアステルは、一度だけ背後を振り返り、森の向こうに思いを馳せるかのように目を細めた。


「民のことが心配ですか?」

「……あの国の偉い奴らはみんな嫌いだけど、国で暮らしてる人まで嫌いなわけじゃないわ……」


 あ、もちろん両親は別だけど、としっかり付け加えるアステルの顔にはわずかばかりの陰りがあった。


 アステルは王太子も貴族の連中も嫌いだったが、あの国に暮らす者たちみんなを嫌っているわけではない。

 あの国が精霊の怒りに触れたのは王太子の愚行が原因だが、その引き金になったのはアステルだ。

 周りはそれに巻き込まれただけ。とくに平民は完全なとばっちりだろう。それを思うと、多少の罪悪感はある。


「僕だって心配がないわけじゃありませんよ。……けれど、あの国の民はとても強い。精霊の力がなければ何もできない貴族連中とは違って、自分の力で立ち上がることができる、たくましい人たちばかりです」

「上は残念なのに下は立派よね、あの国」

「上が残念だからこそ、下がしっかりするしかないんですよ」

「納得した」


 とんでもなく実感のこもった言葉だった。


 実際、アランの言うことは間違っていない。

 精霊の力を借りて楽することばかりを考えていたのは貴族ばかりで、それ以外の平民たちは皆、精霊の助けを借りながらでも自らの力で毎日を生きていた。

 上の連中が揃いも揃って頼りにならないから、自分たちの力で生きていこうという考えが彼らの根本にはあるのだ。

 人と精霊以上に、上と下の人間を繋ぐ糸のほうがやばい。

 無理もないだろう、なんせそんな上の連中のトップ、将来この国を背負うことになる王太子は、平民からも太鼓判を押されるほどの目も当てられないバカだ。

 ……うん。やっぱあの国、長くは持たなかったな。


「精霊の恩恵がなくても、彼らなら変わらず生きていけるはずです。だから、大丈夫ですよ」

「……そ。なら、良かった」


 アランの言葉にアステルはほっ、と胸を撫で下ろす。

 彼がそう言うのなら、本当に大丈夫なんだろう。

 お偉いさんがたの中で唯一、心から民に寄り添い、国の未来を真剣に考えていた、民からの信頼も厚い、そんな彼の言葉なら。

 彼がこのまま、自分と共に国を出るというのなら、きっと。


「ところでアステル」

「うん?」


 まだ何かあったか、と思いながらアランのほうを向くと、なぜか意地悪じみた色を浮かべる瞳と目が合った。


「僕も一応あの国の偉い人の一人なんですが……。僕のこともお嫌いですか?」

「……さあ、どうかしらね」

「おや、つれない」


 そう言いつつも、アランは答えなんて端から分かっていたという感じだった。

 楽しそうにくっくっと笑い声をもらしながら、愛しいものを見るような目を向けてくる。

 その眼差しにとうとう耐えきれなくなって、アステルはふいっとそっぽ向いて、視線を逸らしたまま歩き出した。





 ――――その後。

 アステルとアランは旅をしながら様々な土地を訪れる。


 予想通り、アステルの追放を知った国王は早々に兵を動かし、アステルを連れ戻そうとしたが、どういうわけかどれだけ多くの追っ手を差し向けようとアステルを見つけることは叶わなかった。

 同時期に行方不明となった第二王子の捜索も同様に行われたがこちらも結果は同じで、多くのものが首を傾げたが、二人が一緒にいるとは、誰も思っていないようだった。


 精霊の恩恵がなくなり、ミッドガルドの上層部は荒れに荒れた。

 それら全ての事後処理に追われることとなった国王は、心労が祟ったのか早々にこの世を去り、その後をあの王太子が継いだのだが、即位から間をおかずして、民が一丸となってクーデターを引き起こし、牢屋に入れられたとか。


 そんな話を、アステルとアランは旅の途中で耳にした。

 一体あのバカは何をやらかしたのか、というのが正直な感想だった。


 無能な王を引きずり降ろしたあと、ミッドガルドは王政を持たない国として、新しい道を歩み始めたらしい。

 アランの言った通り、精霊の手を借りずとも、彼らは自分たちの力だけで立派に道を切り開いたのだ。



 そうして旅を始めてそれなりの年月が経つ頃、二人は大陸の外れで寂しげな荒野を見つける。

 草木も生えず死にかけていたその土地を二人は旅の終着点と決め、精霊の力を借りながら、人が住むことのできる豊かな土地へと変えていった。

 緑が増えて水が潤い、土が作物を育み、生命が芽吹き、住み着く人もだんだんと増えていった。


 やがて村となり、街となり、国へと姿を変えていく。


 その中心となったアステルがいつの間にか女王を名乗ることになったりするのだが…………。


 それはまた、別のお話。






 今を生きるアースガルドの人たちが知らない。

 はるか遠い、むかしむかしのお話――――――――――……。







――――――――――――



アステル

 自由を満喫したい追放ヒロイン。

 アランとは気苦労仲間としてめっちゃ気が合うので早々に打ち解けてた。最初はもちろん丁寧な対応をしてたが、親交を深めるうちに素で話すようになった。

 土地の開拓は「そろそろ腰落ち着けるとこ探さなきゃ。いっそ自分たちで作るか!」的な軽いノリで始めた。

 最初は小さな村くらいでいいかなと思ってたのに、気づけば国が出来てた。ついつい張り切ってあれこれやっちゃった。

 ちなみに女王という立場は周囲の押しと多数決で決まった。


 この人を主役に話を書くとしたら多分こんなタイトルになる↓

 『婚約破棄? 喜んでお受けしますが、私が精霊の愛し子だと知ってのことですか?』(よくあるラノベ風)



アラン

 行方不明扱いの第二王子。丁寧な口調や物腰がデフォな絵に描いたような王子様。アステルからは「もっと気楽にしてよ」と言われたことがある。自分だけがくだけた態度でいるのが不満だったようだが、すみません癖なんです……。

 アステルは一応兄の婚約者だったので人目のあるところで親しくはしていなかった。そのため二人が親しかったことを知っているものは非常に少ない。

 ちなみに民からは「とうとうブチ切れて出奔したんだろう」と思われてる。

 おそらくこの後アースガルドの初代国王になるんじゃないかな。



精霊ズ

 アステル大好き。

 アステルが喜ぶなら何でもする。国だって作っちゃう。

 アステルバカにするやつはヌッ殺。

 アステル苦しめるやつもヌッ殺。

 アステル邪魔するやつもヌッ殺。

 国から追っ手? えーなんのことー?



王太子

 神に愛されしおバカ。

 何やらかしたんだろうね?



ミッドガルド国民ズ

 キレた。

 今こそ立ち上がれ皆のものー!

 おおーー!

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