書籍化記念番外編・はじまりの星(中)
そもそも、平民のアステルが次期国王である王太子の婚約者に選ばれたのは、彼女が精霊に好かれる性質を持っていたからだ。
ミッドガルドでは、人々の生活は精霊の恩恵によって支えられていると言っても過言ではない。
精霊がいるからこそ、川は綺麗に保たれ魚が泳ぎ、豊かな森には動物たちが住み着き、大地には作物が実る。
生活に必要な水も火も、人々は精霊のチカラを借りて生み出しているのだ。
そんな存在に、ことさら愛されているのがアステルである。
彼女がこの世に生まれおちたその時から、精霊は彼女のそばにいた。彼女の望みを精霊たちが断ったことはないし、彼女の言葉を精霊は常に優先した。
アステルが楽しければ精霊は嬉しい。
アステルが幸せなら精霊も幸せ。
そんな存在が、もしも何かに害されるようなことがあったらどうなる?
当然、精霊は怒るだろう。
それが人に対して向けられでもしたら、ひとたまりもない。彼らがその気になれば、国ひとつを消してしまうことだって造作もないのだから。
そんなアステルを守るためにもと、組まれた婚約のはずだった。
平民という出自も、精霊に愛されし者という肩書きの前では些細なものでしかなかった。
「それらの話も最初にきちんとされてたはずなんですが……」
「どうせろくに聞いてなかったんでしょ。だから婚約破棄はおろか、私を国から追い出す、なんてことができたんじゃない」
「バカだバカだとは思ってましたが、ここまでとは……」
はあぁぁぁ〜〜……。
アランの口から再びため息が漏れた。やたら深くて重っ苦しいそれには、隠しきれないほどの呆れが滲んでいる。
毎度毎度、バカ兄が何かやらかすたびに、その尻拭いにまわるのはアランの役目だった。
後始末に走り、事態の収拾をし、周囲へのフォローをし、と。とにかくバカによるしわ寄せは酷かった。そりゃ疲れもするし、呆れもする。
バカの後始末に走り回るまともな第二王子の姿はあちこちで見られた。
ミッドガルドが“家は長男が継ぐもの”という慣習を持つ国でさえなければ、絶対にアランが王位を継いだだろうな、というのはアステルはじめ、国に住む多くの者たちの考えであった。
「今、国のほうはどうなってます?」
疑問を問いかける、というよりも端から分かっている答えを確かめるかのように、アランは精霊たちに聞いた。
『みんな怒ってるよー』
『アステルいじめたってプンプンー』
『もうこの国キライってー』
『もう力貸してあげないってー』
『無視なのー』
『国の偉い人みんなわたわたー』
『いい気味』
『ざまぁ』
「はぁあぁぁあぁぁ〜〜……」
やっぱり最後だけはっきり。
そしてアランの口からは今までで一番長く深く重いため息が漏れた。
「こんな事態をさけるための婚約だったのにねぇ」
「バカ兄が……っ」
「王様が外交で国内にいない時にっていう悪知恵だけは働くのにねぇ」
『バカー』
『バカー』
『やっぱ殺す』
『殺る』
「正直全力で後押ししたいですが、精霊にそんなことさせられませんよ。バカの始末は父上にまかせましょう」
「いいの?」
「僕もいい加減キレました」
そういうアランの顔は素晴らしい笑顔だ。
彼は意外と笑顔でキレるタイプである。背後では冷たい雪が吹雪いているような幻覚すら見えるが気のせいだろうか。この手のタイプは怒らせると怖い。
「そもそも、僕は精霊ありきの今の現状そのものに問題があると思ってます。何をするにも精霊だよりで、自分たちで何かしようという意識が極めて低い。そのくせ、そうして生きることをあたりまえにしすぎていて、精霊に対する感謝を忘れつつある。彼らの好物がはちみつ入りの甘いミルクだということすら、知っている人は少ない」
生活の隣には常に精霊がいる。
そんな暮らしを何十年も何百年も続けたことで、人々の中では、彼らの恩恵を受けて生きることが“ありがたいこと”ではなく、“あたりまえのこと”になってしまった。
『昔はよくもらったのにねー』
『仕事のお礼にくれたのにねー』
『一緒に飲んだのにねー』
ねー、ねー、と互いに笑い合いながらミルクの入った蓋をすする精霊たち。
そんな彼らの姿を横目に、アランは言葉を続ける。
「そんなだから、いざ精霊の力が借りられなくなった時に慌てるんです。自分たちの力で何もできないから……」
「自給自足が当たり前の平民はともかく、お貴族様はそうよね」
「正直、今回のことがなかったとしても、ミッドガルドは長くは持たなかったでしょう……。精霊への感謝を忘れた国など、遅かれ早かれ見限られていたはずです」
「それを避けるための婚約だったのにねぇ」
くすくすと楽しげに笑いながら発された言葉に、アランは驚いたようにぎょっ、と目を見開いて、次いで苦しそうに表情を歪めた。
「……さすがです。気づいてたんですね」
「当然。お偉いさんがた、わりと開けすけだったしね」
国のため、アステルの安全のため。
周りが納得しそうな、いかにもな理由をもっともらしく述べているが、彼らの狙いは最初から自らの利益だけだった。
十数年前まで、ミッドガルドは精霊と人との距離が今ほど近くはなかった。むしろ年々離れつつあるような状態だった。
精霊への感謝を忘れ、その恩恵を便利なものとして扱う者が増えたことが原因だろう。
それを覆したのがアステルの誕生だった。
彼女を愛し、常にそばに在ることを望む精霊たちは、それまでが嘘のようにあっという間に国中で溢れ返った。
アステルが心豊かに過ごせるよう、川の水は常に綺麗に保たれていたし、大地には豊かな作物が実り、国は年中心地いい気候が続いた。
離れかけていたはずの距離は、たった一人の人間の存在によってあっさりと埋められたのだ。
精霊がミッドガルドに恩恵をもたらすのは、それが結果的にアステルのためになるから。
アステルがいれば、国は精霊の恩恵を受け続けることができる。
だが彼女も永遠に生きるわけではない。彼女が死んだ後はどうなる?
彼女の血を継ぐものならば、同じ力を持つのではないか?
彼女の産んだ子なら、精霊たちも大事にするのではないか?
あの娘を王族に嫁がせよう。そして王家の子を…………。
「目は口ほどに物を言うとも言うけど……、むしろ隠そうともしてなかったと思うわよ。私は後ろ盾も何もないただの平民だもの。国王にも貴族にも逆らえない。逃げ場なんてないって思われてたんでしょうね」
「すみません……」
「なんであなたが謝るのよ」
「父と国の貴族がしたことですから……」
「ふふっ。やっぱあのバカより、あなたのほうがよっぽど王様に向いてるわ」
そう言って、アステルはまた楽しそうに笑った。
理不尽に婚約を破棄され森に捨てられたというのに、彼女はさっきからずっと楽しそうだ。彼女の表情には落胆も動揺もなく、いたって平然と現状を受け入れている。
「でも、どうやら運は私に向いていたようね。どんな理由であれ、結果的に国から出ることができたんだもの。…………それも、王太子様自らのご命令で、ね」
それもそのはず。
だって“この状況”は、アステルにとってこれ以上ないほどに好都合なのだから。
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