書籍化記念番外編・はじまりの星(前)

 

「……あ」


 その日、精霊に関する知識を得るために城を訪れていたアヴィリアは、文献をめくっていた指をふいに止めた。


 視線の先には、古ぼけた紙の上に描かれた多くの精霊たちと戯れる女性の絵――――……。

 初代アースガルド女王、『アステル・フォーマルハウト』だ。


 はるか遠い昔。

 異国の地より現れて、土地を潤し、緑を芽吹かせ、人の住む国を……、アースガルドを創った人物。

 数多の精霊に愛された、精霊の愛し子……。


「どんな人だったんだろう……」


 ポツリとつぶやいたアヴィリアの声は、離れた場所にいるウェルジオの耳にも届かず、そのまま消えていった――――。




 ***




 精霊とは。

 この世に存在する、ありとあらゆるものに宿る魂である。

 水には水の精霊、風には風の精霊、大地には地の精霊。花にも緑にも、精霊は宿っている。

 遥か昔より、人々の生活の隣には精霊の助けがあった。

 それ故に、精霊を何よりもありがたい存在として大切にする国も多い。


 ここ、『ミッドガルド王国』もそのひとつである。



 しかし、その王国で今、波乱が起きようとしていた――――――……。



「アステル・フォーマルハウト! 口やかましいばかりで可愛げのない女め! 貴様との婚約はこの場で破棄してやる!」

「はあ」

「そもそも俺は元からお前など愛してなどいないんだ! 父の命令だから仕方なく、国のためだから仕方なく、了承してやったんだ!」

「はあ」

「精霊に好かれているからと図に乗りやがって、平民ふぜいが! その才能がなければ王太子の俺と婚約などできもしなかったのに、やれ素行が悪いだの、下のものを見下すなだの、他人の迷惑を考えろだのと偉そうに口答えばかり……っ」

「はあ」


 当然のことじゃないのか?


 アステルはじめ、二人の様子を伺っていた周囲の者たちみんなの心がひとつになった瞬間だった。


 勢いづいたように喋り出す王太子殿下は周りの「こいつ頭おかしいんじゃね?」的な視線に全く気付いていなかった。

 もっともそれに気づくような頭なら、自分の目の前に立つ婚約者(元?)が、さっきからはあ、と生返事しか返していないことにも、その眼差しが完全にゴミを見るようなそれであることにも気づいただろうが。


「いい加減うざったいんだ! お前など国外追放だ! とっととこの国から出て行け!」

「はあ⁉ いきなりすぎる! あんた頭おかしいんじゃないの⁉」


 あ、言っちゃた。

 周囲の心が再度ひとつになった。


「〜〜っ、王太子に向かってなんて不敬な! おい、さっさとこの女を連れて行け!」

「「はっ!」」

「あ、ちょ……っ。待っ………!」


 王太子の命により動いた兵によって、アステルは文句を言う間もなく動きを封じられて馬車に積まれ、そのまま国の外まで連れて行かれて近くの森にペイっと捨てられた。


 ある晴れた日の午後。一時間にも満たない間の出来事であった。




 ***




「あぁあああぁぁあぁ〜〜〜〜っ!!! ざけんなよあのクソ野郎が! クソ腹立つ! クソはどうあがいてもクソでしかないんだ、クソが!」

「落ち着いてくださいアステル。言葉が汚いです。レディがそのようなことを言うものではありませんよ」

「親の命令だから仕方なく? 国のために了承してやった? こっちのセリフだわ! 平民が国王命令断れると思ってんのか死ぬわ! 私だってお前みたいなクソに好意を感じた瞬間なんざ1秒たりともなかったわぁぁーーーーっ‼」


 わぁー、わぁー……、わぁー…………。


 静かな森の中にアステルの叫び声がこだまする。

 その声に驚いて、木の枝で休んでいた小鳥たちがパタパタと慌てて飛び立って行った。


「…………ふぅぅ〜〜……。ちょっとすっきりした」

「それはよかった。ホットミルクを入れましたが、飲みますか?」

「もらうわ」


 最後に深〜く息を吐くと、アステルは少し離れた所で集めた小枝を使って火を焚いていた少年と向き合う。

 溜まりに溜まった鬱憤を大声で叫びまくっていたことなど、これっぽっちも気に留めた様子もない少年は慣れた仕草で湯気のたつカップを差し出した。

 アステルはそれを受け取ると、ふう、ふう、と数回息を吹きかけてから口を付ける。はちみつの入ったそれはほんのり甘く、全身にじんわりと染み渡るようだった。


『アステルー、アステルー』

『これあったかいのー』

『私たちが火をつけたのー』

『アランが作ってくれたのー』


 そんなアステルの周りに、先程までは少年、アランのそばをフヨフヨしていた小さな光たちが近付いてきて言葉をかける。

 ぼんやりと仄かに発光しているそれは、小人のように小さな体躯に透きとおる羽を持った、絵本に描かれる妖精のような姿をしていた。

 しかし、彼らは妖精ではない。


『おいしー』

『おいしー』

『アランありがとうー』

「火をおこしてくれたお礼ですよ」

「ミルクは精霊の大好物だからね」


 瓶の蓋と思わしきものをカップ代わりに、各々満足そうに味わっている。その様子にアステルは思わず微笑み、アランも口元を緩めた。

 ちなみにその瓶の蓋もアランが用意したものらしい。できる男は違うね。


「ご家族への連絡はついたんですか?」

「風の精霊が手紙を運んでくれたんだけど、『お前など勘当だ! 家に帰ることは許さん!』って返事がきたわ」

「……平然としてますね」

「王太子との婚約に舞い上がって本人の意思丸無視で話受けて、明らかに玉の輿目的に娘を嬉々として差し出したような親よ? 愛想なんてとうに尽きたわ」

「納得しました」

『バカー』

『バカー』

『アステルの親はバカー』

『アステル見捨てたー』

『殺す』


 最後だけやけにハッキリだな。


「私と一緒にいていいのアラン?」

「かまいません。バカ兄のフォローなんざ、僕もいいかげん、うんざりなので」

「第二王子が追放した婚約者と一緒に森の中にいるなんて、あのバカが知ったらなんて言うかしらね」

「自分から婚約破棄して追い出したことも忘れて浮気だなんだと大騒ぎするのでは?」

「ほんとバカよね、あの男」

「ええ、同じ血が流れていることに絶望を感じるほどのバカです」

『バカー』

『バカー』

『アステルバカにしたー』

『お前がバカー』

『死ね』


 だから最後。


 さっきから小人のように愛らしい見た目の姿から発せられる言葉が、とんでもなく殺意に満ち満ちていてウケる、とアステルは他人事のように思いながらカップをすすった。


「……国の繁栄と他国への牽制、そして民への安心感。なにより、精霊に愛されるあなたを守るため……。そういう意味を持って組まれた婚約のはずだったんですがね……」


 はぁ、と重いため息がアランの口から漏れた。







―――――――――――――


アステル

 皆さんご存知。初代女王にして精霊の愛し子。

 まさかの婚約破棄〜追放系のヒロイン。


アラン

 ミッドガルド王国第二王子。心優しく真面目な好青年。

 第一王子である兄とは、血が繋がっていることが恥。


精霊ズ

 見た目は羽のはえた小人。そのへんフヨフヨしてる。

 精霊にも階級があり、この子たちは下級精霊。

 上級になると人と同じような姿だったり、大型の動物のような姿だったりとほんとうに種々雑多。


王太子

 名前はない。ただのバカ。

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