第33話 真相

 

 ポツリと呟いた私の言葉に反応するように、脳内の声がひときわ大きく響いた。



 “――――――――――止めて!”



 まるで悲痛の叫びのような声。

 その声に呼応するかのように、足元の影が生き物の如くゾロリと蠢きながら、私たちを飲み込もうとするかのように絡みついてきた。


「ひぃっ」


 ホラーじみた光景に思わず引きつった声をあげる。


「ピィイィーーーーーーッ‼」

「闇の精霊かっ⁉」


 威嚇するようなピヒヨの甲高い鳴き声が辺りに響く。ウェルジオがとっさに腰に下げていた剣を抜くと、片腕で私を強く抱きかかえたまま、闇に向かって鋭い切っ先を突き立てた。

 けれど、闇はうごうごと蠢くだけでとくに応えた様子もない。


(剣が効かない……?)


 闇の精霊は実体を持たない意識だけの存在……。実体がないから物理攻撃が効かないということなのか。

 ならば。


「ピヒヨ、お願い!」


 私はとっさにドレスに忍ばせておいた小さな小袋を取り出すと、それを宙に勢いよく放り投げた。


「ピィ!」


 ピヒヨが一声鳴くと、小袋は空中で突然炎をあげて燃え始めた。独特の焦げ臭さと一緒に香草のような匂いが鼻腔をくすぐる。

 すると闇の精霊は私たちから距離を取るように後ずさり、やがてすぅっ、と空気に溶けるようにして消えてしまった。


「な、なんだ……? 何をした……?」

「これです」


 何が起きたのか全く分からないといった顔をしたウェルジオに、私はドレスの内側から先ほど投げたものと同じ小袋を取り出して彼の前に差し出した。


「乾燥させたホワイトセージを詰めた小袋です。ホワイトセージには浄化の効能があるので」


 セシルの枕元に置いたローズマリーと一緒に我が家から持ってきたものだ。


「ピヒヨの力を借りれば、その効果を何倍にも跳ね上げることができますからね。自衛になるかと思い、持ってきておりました。役に立って良かったです!」


 ピヒヨの手にかかればただのハーブもウルトラスーパーデラックスハーブへとミラクルメガ進化だ。私の予想は当たったようである。

 しかし喜ぶ私とは逆に、ウェルジオは何とも複雑そうな顔で抜いていた剣を静かに鞘へと戻した。


「……それは、たくましい限りだな……」

「ぴっ」


 その姿にピヒヨがまるで鼻で笑うかのような鳴き声をあげる。

 私からは見えなかったが、その時のピヒヨの視線はあきらかに「おめえ役に立たねぇな」と言っていた、と後にウェルジオは語った。


「これで退治できたでしょうか?」

「……いや、そうは見えなかった。一端退いただけだろう、まだ近くにいる可能性もある。とにかくここを移動しよう」


 注意深くあたりを見回しながら言う彼に、そうですねと返そうと口を開こうとした、瞬間。


 突然二人の足元に亀裂のような大きな穴が空いた。


「……っ‼」

「……なっ!」


 バランスを失った体は重力に従うように下へと落ちていく。


「……っ、捕まれ!」


 目の前のウェルジオがこちらに向かって必死に手を伸ばしているのが見えた。

 私は咄嗟に、その手を掴もうと手を伸ばし……。



 けれど、指先がかすることすらなく、そのまま空を切った――――――――。



「アヴィリアッ!」



 叫ぶような彼の声を遠くに聞きながら、私の意識は闇の底へと落ちていった――――――……。




 ***




 ――――――ピッ、ピッ、ピッ。


 テンポよくリズムを刻む電子音に、私は遠のいていた意識を呼び戻される。

 気づけばまた周りの景色が変わっていた。

 白いカーテンが揺れる床も壁も真っ白な部屋は、鼻につく独特の匂いから、ここが病院だということが知れた。



『手は尽くしましたが……』

『もう一人のほうは……?』

『残念ですが、そちらはもう…………』



 知らない人の話し声がしてそちらへと視線を向ければ、白衣を着たお医者様とたくさんの人たちがベッドを囲むように立っていた。

 たくさんの機械とコードにつながれたベッドの上、その向こうに、あの女の子がいた。

 これはさっきの、あの事故の後の光景なのだろうか。


(……じゃあ、もう一人って、私か。分かってはいたけど、やっぱりあそこで私は死んだんだな…………)


 そりゃあの状況じゃ生きてるわけないよね……。


 私はどこか他人ごとのように、静かにその結末を受け入れていた。

 はなから分かっていたことだったからかもしれない。不思議と悲しくはなかった。

 結局、この子を助けることもできなかったんだな。それだけが残念だった。



 “――――……さぃ”



 ふと、空間に響くようにあの子の声がした。


 “ごめんなさい、ごめんなさい”

 “私のせいだ、ごめんなさい、ごめんなさい……”


 聞いているこちらのほうが苦しくなるような、そんな声。


「……違うよ」


 あなたが自分を責めることはないの。私が勝手にやったんだから。私が勝手に動いたんだから。

 あなたのせいだなんて思ってない。だから謝ることなんてないのよ。


 届かないと分かっていても、告げずにはいられなかった。

 あれは不幸な事故だったのだ。あなただって被害者だ。


 “ごめんなさい……、ごめんなさい、ごめんなさい……っ”


 そう思う間も、自分を責める少女の声はずっと響き続けていた。



 ――――……ずっと。

 ずっとそんな風に、自分を責めていたんだろうか。

 自分のせいでと、自分を苦しめていたんだろうか。


 一緒にお茶を飲んでいる時も?

 冗談を言い合っている時も?

 笑っている時も?


 その見ているものをみんな明るくしてしまうような、太陽のような笑顔の裏で、ずっとずっと、自分を責めていたの?


 ねえ。



「…………



 確信を持ってその名をつぶやいた途端、ピシリ、と音を立てて空間にヒビがはいった。

 上下左右関係なく景色が割れ、壊れた瓦礫のようにガラガラと崩れていく。


 そして後には最初と同じ、何もない真っ暗な闇だけが残っていた。

 その光景が、あの子の心そのものを表しているようで……。胸が締め付けられているみたいに、苦しくなった。


「ピィ……?」


 パタパタと飛んできたピヒヨが肩にとまり、気遣うようにうつむいた私の顔を覗き込む。


「……」


 やっと分かった。セシルが何に苦しんでいたのか。

 どうして私と距離を取ろうとしたのか。

 何を、思い出すなと言ったのか。

 何を、謝っていたのか……。


 以前、建国祭の時に飛んできた矢からあの子をかばったことがあった。

 あの時もあの子は酷く取り乱した。どうしてかばったりしたんだと言って、泣き出してしまうのを必死でこらえるように顔を歪めていた。


 そうだよね。自分を庇って死んだ女がまた同じようなことをしようとしたんだもんね。


 セシルはずっと抱えていたんだ。広沢咲良の、人一人分の命を。

 高校生くらいの女の子が、そんな重いものをずっと、ずっと抱え続けてきた。

 私の浅はかな行動が、それを背負わせた。助けるつもりが余計に苦しめた。良かれと思ってやったことが、余計にあの子を追い詰めた。

 闇に囚われてしまうほどに。


(なによ、全然助けられてなんかないじゃない……)


 そう思ってしまったからだろうか。

 さっきから一歩も足が動かないのは。セシルを助けに来たのに、迎えに来たのに、行かなきゃいけないのに。


 それは本当に正しいことなの?


 私が迎えに行って、それが本当にセシルのためになるの?

 また、苦しめることになるんじゃないの?


 …………怖い。


 足が動かない。見えない力でこの場に縫い付けられているみたいに。

 行かなきゃいけないと分かっているのに、こんなことしている場合じゃないと分かっているのに……。


 怖い。


 私はそのまま、その場にしゃがみ込んでしまった。






 どれだけそうしていただろう。


 ほんの数分だったような気もするし、随分長いことそうしていたような気もする。


「…………どうしたの? 行かないの?」


 不意に、後ろからかけられた聞き覚えのない誰かの声に、私は慌てて顔を上げた。


「やあ」


 振り向けば。

 穏やかに微笑む見知らぬ男の子が一人、そこに立っていた。

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