第32話 あの日の出来事
息をするのも忘れるほど、その姿から目を離せずにいた。
「……」
そのまま、しばらくの間呆然と咲良の歩く姿を眺めていると、突然背後からがしり、と強い力で肩を掴まれた。
びっくりして思わず振り返ると、そこにはウェルジオが……。
そう、まるで鬼のような形相をしたウェルジオが肩で息をしながらこちらを睨んでいた。
「きみは……っ! こんな場所で勝手に動き回るやつがあるかぁーーーーっ‼」
「ひぃっ! すみませんっ!」
「ピィ! ピッピィーッ‼」
「ご、ごめんねピヒヨ」
思いっきり怒鳴られた。さらにはピヒヨにまでたしなめられるように鳴かれ、私は素直に謝った。
「まったく……、突然かつて知ったる場所のように走り出すから、何事かと思ったぞ……」
(かつて知ったる場所なんです)
声には出せないので心の中で突っ込んでおく。
最近の彼は本当に鋭い。本当に読心術使ってんじゃないの……? それとも単に私が分かりやすいだけか?
「おい、ここが目的の場所でいいのか?」
「ぴ!」
ピヒヨに確認を取ったウェルジオが注意深くあたりを見回す。その表情には隠しきれない困惑と、それを表すかのように眉間にシワが刻まれている。
私からすればかつて知ったる場所でも、異世界人の彼にとっては、ここの景色は何から何まで全くの未知のものだ。そりゃこんな顔もするだろう。
そんなことを他人事のように心の隅で思いながらも、私は咲良の姿から視線を外せないでいた。
「…………」
肩にかけた黒いバッグは所々が傷んでいて古さがめだつ。
あれは就職祝いに友達とおそろいで買ったものだ。そろそろ買い替え時だと思いながらも、愛着があってなかなかできずにいたっけ……。
顔には申し訳程度のナチュラルメイクをほどこして、髪はいつも後ろでひとつにまとめて、その日の気分でシュシュの柄を変える、それがささやかなおしゃれだった。
今はもう、懐かしい姿だ。
なぜだろう。懐かしいという気持ちの他に別人を見ているような、第三者のような気分がある。
あれも確かに私なのに。私じゃない、別の誰かを見ているような、そんな気持ちがあった。
(こんなふうに自分の姿を見るなんて……)
あたたかくて、くすぐったくて。けれど心の端っこでかすかな痛みを感じる。
不思議な気持ちだった。
「くうぅっ……。ヒロくんってばほんっと良い奴!」
するとそこに、甲高い少女の声が響いた。
引き寄せられるように視線を動かせば、咲良の歩く歩道の先、交差点を挟んだ向こう側から学校帰りだろう高校生の女の子が携帯を見ながら歩いているのが見えた。
見覚えのある制服は、私の母校のものだ。
きっと咲良も同じように思ったんだろう、気づけば私と同じようにその女の子を見ていた。
「もうもうっ! ヒロくんたらほんとに優しい……。さすが私の推し! でもそこが好きっ!!」
携帯片手に歩くその子は、何がそんなに楽しいのか、そんな周りの様子にも気づかない様子だった。
前世でよく見た、ありふれた姿。
(あれ、この声……)
懐かしささえ感じるその姿を見ながらも、私はふと、その女の子に既視感を感じていた。
知らない子だ。なのになぜか不思議と感じる。
(前にもどこかで、聞いたような…………)
そんな感情に内心で首を傾げながら、その子の姿を追った。
すると、その世界に突如、別のものが飛び込んでくる。
二人が歩く歩道と交差するもうひとつの道から、大型のトラックが不自然にふらふらしながら進んできたのだ。
なんか様子がおかしいな、とフロントガラスの向こうの運転手の姿を見れば、その人物は下を向いてうつむいていて……って。
(居眠り運転⁉)
同じように見ていたのだろう咲良もぎょっと慌てた様子だった。
でも、視線を携帯に向けているあの女の子は、気づいていない。
女の子が交差点に差し掛かる。
女の子とトラックが、徐々に近づいていって……。
「「危ない!」」
私と、
いきなりの大声に驚いたウェルジオとピヒヨが視線を向ける。
同時に、咲良が走りだすのが見えた――――……。
そこからは、一瞬の出来事だった。
重いタイヤが奏でるブレーキの音。
何かがぶつかるような嫌な音。
広がる紅。
辺りをつんざく、たくさんの悲鳴……。
「キャアァーーーーッ!」
「事故だ!」
「誰か轢かれたぞ‼」
「誰か救急車を! 早く!」
そんな声を聞きながら、私は腹の底から込み上げてくる吐き気に口を押さえてうずくまった。
「……うっ」
(……え、え? 何これ……、何だこれ。え? 死んだ? 私、死んだ……?)
バクバクと、これ以上ないくらいにうるさく、心臓が音を立てる。
「見るな!」
突然、力強い腕に抱き抱えられるようにして、視界を奪われた。
ウェルジオの身に纏う、落ち着いたブルーのスーツが目の前いっぱいに広がる。
きっと今の私はこの人の目に、人死を見てうろたえている令嬢にしか見えないのだろう。
私が視線を上げないように、しっかりと頭を抑えてくれている。
いつもは安心するはずのそのぬくもりの中でも、私は体の震えが止まらなかった。
(……え、何これ。知らない。私、こんなの知らない。事故って、私の死因てこれ? 事故ってこれ? あの子をかばって死んだの……?)
なにそれ、知らない。そんなの私知らない。
どうして覚えてないの。どうして忘れてたの。
“――――……やめて”
そこでまた、脳裏によぎる声がした。
“――――……やめて、思い出さないで”
また、この声。
事故のことを思い出すたびに頭をよぎる誰かの声。
いつもはっきりとは聞こえないその声は、不思議と今ははっきり聞くことができた。
“――――……思い出したりしないで”
聞こえるたびにセシルだと思った声。だけどセシルとは違う声。
知っているようで知らない声。
だけど今は、はっきりと分かる。
これはさっきの……、あの女の子の声だ。
どうしてこの子の声がするんだろう。
どうしてこの声を、セシルだと思ったんだろう。
声も姿も年齢も、何もかもあの子とセシルは違うのに。違うと、分かっているのに。
どうして。
あの子の声が、言葉が。
セシルと重なるの――――……?
セシルは私と同じ、この世界のことを知っている関係者。
私と一緒に、世界を渡った人物。
アヴィリアではなく、咲良と関わりがあったかもしれない、人物。
(……まさか)
「――――――――――……セシル……?」
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