第29話 君の考えることなんて

 


 ――――……バサリッ。


 暗く染まった空に白い月が浮かぶ頃、大きな羽音を響かせて朱い霊鳥が一羽、バードルディ邸のベランダに降り立った。


「ありがとう、ピヒヨ」

「ぴ」


 その背中に乗っていた私は一言礼を言って頭をひとなですると、滑るように背中から降りてベランダに足をつける。

 その足はかすかに震えていた。


(さ、さすがに空路は怖かった……!)


 安全ベルトもなにもない状況で向かい風にさらされながら空を飛ぶことの恐怖。紐なしバンジーと大差ない。

 他に方法が思いつかなかったとはいえできれば二度とやりたくないもんだ。おかげで心臓バックバク。


 何度か深呼吸して呼吸を落ち着けると、ピヒヨが小さな小鳥のサイズに戻ったことを確認して私はそっと窓を開いて部屋の中に足を踏み入れた。


「セシル……」


 部屋の中では数刻前に出た時と変わらずセシルが寝台に横たわっていた。

 月明かりに照らされるその姿はただ普通に眠っているようにしか見えない。今にも眠い目を擦りながらセシルが起き上がってきそうだ。


「……待ってて。必ず助けるから」


 私は決意を示すようにつぶやくと、寝台に歩み寄り、セシルの枕元に緑の葉を揺らすローズマリーの枝をそっと置いた。

 ここに来る前、一度ヴィコット邸に戻り摘んできたものだ。

 美容目的では散々使ってきたローズマリーだが、実は悪魔から守ってくれる聖木としても有名で宗教の儀式にも使われることがある魔除けのハーブでもある。

 こうして枕元に置くだけでも悪夢から守ってくれるという効果があるのだ。

 気休めにしかならないかもしれないが、ないよりはマシだろう。


「ピヒヨ……」

「ピィ?」

「ごめんね、お前の力をこんな風に利用して」


 一度は必要ないと突っぱねておきながらなんとも調子がいいと自分でも思う。

 けれど、今回ばかりはどうしてもピヒヨの力が必要だった。


「ピ? ぴーちゅっ!」


 ピヒヨは私の謝罪を聞くとこてんと首を傾げた後、誇らしげに胸を張った。

 そんなことないよ、頼ってくれて嬉しいよ。

 そう伝えてくれてるみたいで、じんわりと胸が熱くなる。


「……ありがとう、ピヒヨ」


 その小さな体を抱きしめるように頬をすり寄せると、ピヒヨもすりすりとすり返してくれた。


「じゃあピヒヨ。お願いできる?」

「……ぴ。ぴぃ……」


 目線を合わせて頼み込むとピヒヨの表情は一変。不満げな鳴き声を漏らしぶすっとむくれだした。


「お願いピヒヨ。今はこれしか方法がないの」


 明らかに気乗りしない様子のピヒヨに重ねて懇願するも、ピヒヨはびー、ぢゅー……と唸りながらしばらく逡巡した。

 そもそも何でわざわざこんなコソ泥みたいな真似をしてセシルの部屋に侵入しのたかと言うと、正面から堂々と訪ねてしまえば確実にウェルジオにバレてしまうからだ。


 これからしようとしていることを止められるわけにはいかない。


「大丈夫、無茶なことはしないって約束するわ。それに私一人で行くわけじゃない、ピヒヨも一緒に来てくれるんでしょう?」

「ピチュ」


 ふてくされた子供のような目で私を見てくるピヒヨは明らかに納得はしていない感じではあるが、それでも私の頼みだからか最後は渋々ながらも頷いてくれた。


 こんな形でピヒヨの力に頼る日が来るとは思ってもいなかった。

 過ぎた力は便利な反面、恐ろしくもあって。よく知りもせずに誤って間違った使い方をしてしまうくらいならいっそ使わずにいようと、以前と変わらぬままでいようと思っていた。


 だけど。この使い方は、間違ってないよね。


「じゃ、行くわよピヒヨ」

「ピ!」


 そう言うと、私は覚悟を決めて再びセシルに向き合った。



「――――――……何処にだ」



 次の瞬間、私とピヒヨの声だけが響いていた空間に突然別の声が混じった。

 とても聞き覚えのある。今一番聞きたくない人の声が。


「ウェルジオ様⁉」


 慌てて声がしたほうを振り向けば、夜闇の向こう側から出口を塞ぐように扉を背にして寄りかかるウェルジオが姿を現した。

 人が入ってきた気配はなかった。ずっとそこにいたのか。全然気づかなかったことにヒヤリとした冷たい汗が背中をつたった。


「やっぱりな……」


 彼の口から放たれる声はとても静かで、ともすれば闇に溶けてしまいそうなものだったが、深々と吐かれたため息は重く、眉間に刻まれた皺がそのまま彼の苛立ちを如実に現していた。


「君なら戻ってくるだろうと思っていた。君にはこの状況下でもなんとかできそうな強力な味方がそばにいるからな」

「……ピィ……」


 氷のような目で責めるように睨まれ、さすがのピヒヨも気まずそうに目をそらす。


「何をする気が知らないが、君はかえ……」

「帰りません!」


 ウェルジオの言葉を遮り、私はきっぱりとした拒絶の声をあげた。

 ぴき、と彼の眉間に青筋が立つ。


「おい……」

「なんと言われようと! 私は帰りません。私はセシルを迎えに行きます。私が行かなきゃいけないんです……。いいえ、行きたいんです!」


 何を言われようとこの意志は揺るがない。ここまで来て、止まるつもりは微塵もない。

 今ここで彼に押し負けてしまえば終わりだ。

 それが分かっていたから私は負けじと言い返す。


「できる対策はしてきました。ピヒヨも一緒です。危険なことはしません。だから、お願いです……行かせてくださいっ」


 けれど、そんな強い意志とは裏腹に言葉の最後は絞り出すかのように震えていた。

 じわりと目尻に涙が浮かぶ。ここで泣くつもりなんかないのに、泣いてる場合じゃないのに。

 祈るような気持ちで頭を下げる。

 その態度に驚いたのか、気迫に押されたのか、彼が一瞬口ごもった。

 お互いに次の言葉を放つことができず静寂が暗闇を満たす中、響いたのは別の声だった。


「は〜い、ジオの負けー」


 場違いなほどに呑気な声に驚いて思わず顔を上げると、ウェルジオが背にした扉の向こうからひょっこりとレグが顔を覗かせた。


「レグ!」

「やあアヴィ、こんばんは。妹ちゃんがピンチと聞いてね。ジオと一緒に戻ってきたんだよ」


 にんまりとした笑みを浮かべつつひらひらと手を振りながら部屋の中へと入ってきたレグは、繊細な刺繍の施されたやたら高級感あふれるハンカチを差し出しながら楽しげに言葉を重ねる。


「ふふ、心配いらないよアヴィ。君が来ることも大人しく帰らないだろうこともジオは端から承知の上さ。だからこうして人払いまでして待ってたんじゃないかー」

「え」

「おい!」


 しれっと暴露するレグの口をウェルジオが慌てて抑えようとするも時は既に遅し。


(言われてみれば……)


 受け取ったハンカチで涙を拭いながら部屋の中を見回して改めて違和感に気づく。

 屋敷のお嬢様が倒れたばかりだというのに部屋に誰もいないなんて不自然だ。それに、先程から声を潜めているわけでもないのに誰もここに近付いてくる気配もない。

 慌ててウェルジオの顔を見上げれば、彼はわざとらしくため息を吐きながら言った。


「友人の危機に黙って待ってられるような大人しい女じゃないだろう」


 まったく君もセシルもいらん共通点ばかり持って、と。ぶつくさ文句を言いながらふいと視線を逸らす。

 そんな彼の耳元は暗闇でも分かるくらいにほんのりと色づいていた。


「……っ!」


 最初から、全部バレバレだった。

 私の考えることなんて、彼には手に取るように分かっていたんだ。

 羞恥によるものなのか何なのか、何故だか顔が燃えるように熱い。今だニヤニヤした顔でこちらを見てくるレグの視線がたまらなく恥ずかしい。

 そんな顔を見られたくなくて、私は隠すように下を向いてうつむいた。








―――――――――――


アヴィリア

 なんかもう……。何て言うかめっちゃはずい!


ウェルジオ

 お兄ちゃんは全てをお見通し。

 それだけよく見てるってことさ。


レグ

 かすかに漂う空気にニヨニヨ。

 妹ちゃん早く起きて〜。現実はめっちゃ楽しいことになってるよ〜。

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