第26話 闇は蠢く

 


 不安はあった。もしかしてと、ずっと思っていた。

 けれど不安定に繋がったままの糸が気のせいじゃないかという気持ちを形にして、心にわずかな安心感を与えてくれる。


 ほんとうに?


 ならどうして彼女はこんなにも動揺しているの。

 どうしてこんなにも逃げ出してしまいたそうになってるの。

 どうして、こちらを見ようともしないのだろう。


「セシル。……突然訪ねてしまってごめんなさい、驚かせちゃったわね。……でも、もし、私が何かしてしまったのなら言って欲しいの。情けないけど、私には理由が思いつかなくて……。自分でも気づかないうちにあなたを傷つけてしまっていたのかしら……?」


 もしもそうならちゃんと謝りたい。話がしたかった。そのために来たのだもの。

 何がきっかけになったのかは分からない。それでもずっとこの距離のまま、セシルとの関係が続くのだけは嫌だった。


「ぴーーーーっ‼」


 ところが、セシルに近づこうとした瞬間、ピヒヨがまたもけたたましいほどの鳴き声を上げてその動きを制止する。


「ピピッ、ピィーッ!」

「わわっ」

「ピイィーーーーッ!」

「……っ」


 私とセシルの間を遮るように飛び回るピヒヨ。まるでこれ以上進むなとでも言うような、行く手を阻むかのようなその行為にはセシルも思わず一歩足を引いた。


(あー、もうっ)


「ピピッ、ピむぐっ……」

「ピヒヨ、めっ! おとなしくしててちょうだい!」

「ぴぐぐ……ぴっ」


 飛んでいた小さな体を両手で押さえて捕まえる。

 嘴も同時に覆ってしまったので鳴き声も抑えることに成功したが、それでも止まる気持ちはないのか、なんとか抜け出そうと手の中で止まずジタジタと暴れている。


「その鳥はどうしたんだ? 今日はいつも以上に騒がしいな?」

「分かりません……。ここに来るまでは普通だったのですが……」


 本当に一体どうしたというのだろう。この子がセシル相手にこんな反応を示すなんて初めてのことだ。

 いつもはマブダチかってくらいに仲がいいのに。


「セシルごめんね、びっくりさせちゃって……。ピヒヨってば、ほんとどうしちゃったのかしら……」

「……ぅして、」

「え?」

「……どうして、あなたがあやまるの…………」


 ぽつりと、小さく呟くように出されたその声は。

 必死で絞り出されたかのように、か細く震えていた。


「悪くないのに……、は何も悪くないのに、私が悪いのに……っ。いつも、いつも……、悪いのは私なのにっ、私が全部悪いのに……」


 まるで懺悔のような悲痛な叫び。自分自身を追い詰めるような、呪いをかけるかのような叫びだった。

 完全に恐怖の色に染め上げられた表情があまりにも痛々しい。


「セ、シル? どうし……」

「待て。……様子がおかしい」


 近づこうとした肩を隣にいるウェルジオに掴まれて止められた。

 眉間にシワがよっている。この状況をお膳立てした彼も、さすがにセシルのこの様子は予想外だったようだ。注意深く、探るようにセシルの様子を伺っている。


「セシル、落ち着け。……セシル?」

「……めんなさい、ごめんなさいっ、ごめんなさい……っ」


 怯えさせないようにできるだけ優しく呼びかけるウェルジオだったが、そんな兄の言葉さえ耳に入らないのか、セシルはひたすら謝罪の言葉を口にするだけだった。

 明らかにおかしい。今のセシルはどう見ても異常としか言えない。


 あまりのことに、ウェルジオさえも動くことができなくなったらしい。隠しきれない戸惑いがそばにいる私にも伝わってきた。


 だが、そんな緊迫した空気は突如破られる。

 勢いよく扉を開けて駆け込んできたメイドが焦ったように叫んだ。


「ウェルジオ様!」

「なんだ騒々しい! 来客中だぞ!」


 反射的に怒鳴りつけたウェルジオの声に一瞬びくりと体を揺らしたメイドだったが、すぐに持ち直してまた口を開いた。


「も、申し訳ございませんっ。……ですが、あの。今しがた、火急の知らせが入りまして……」

「何?」

「そばの通りで事故があったようです。馬車の横転です」

「⁉ それで、被害は?」

「幸い人通りの少ない時間帯でしたので周囲に大きな被害は出ていないようです。操縦していた方も大きな怪我はありませんでした。……ですが一人、馬車の下敷きになってしまった方がいらっしゃるようです。どうやら飛び出してしまった子供を助けようとしたらしく……、すぐに病院に運ばれましたが、その後の詳しい詳細はまだ入っていません」

「……そうか。分かった。詳細が分かったら知らせてくれ。場合によっては出ることになる」

「かしこまりました」


 一礼して出ていくメイドの姿を見送りながら、私は知らず詰めていた息を吐き出した。


「どうした?」

「あ、すみません……、この手の話は少し、苦手でして……」


 横転事故。下敷きになった被害者。それらの言葉は思った以上に私の心に深く突き刺さった。

 やはり自分はこの手の話題が地雷だ。前世の死因はしっかりトラウマになってしまっている。


「そうだったのか? それは、すまない……」

「いえ、お気になさらず」


 別に彼が謝るようなことではない。私だって最近まで自覚していなかった症状だ。

 少しばかり早くなった呼吸を整えていると、不意にウェルジオが言った。


「しかし、君たちにはそんな共通点があるのか」

「え?」

「セシルもだ。この手の話は昔から好きじゃな……」


 ――――ガタン……ッ。


「セシル……っ⁉」

「セシル⁉ どうしたの⁉」


 何かが倒れたような音に慌てて振り向けば、セシルが床にうずくまっていた。

 ウェルジオとともに慌てて駆け寄り、その肩に手を伸ばす――――――……震えている?


「セシル大丈夫か⁉ 急にどうした⁉」

「事故の話のせい、では?」

「苦手ではあるが、さすがにここまでひどくなるほどじゃない!」


 そりゃそうだ。仮にそうであったのなら、ウェルジオだってさっきのメイドだってこの場で話を続けたりしなかったはずだ。

 じゃあ何故? 彼女は一体何にこんなに衝撃を受けてしまったというの。


「……め、……さいっ」

「セシル?」


「ごめんなさい……、ごめんなさい……、ごめんなさいっ」


「セシル……」


 一体どうしたの? 何があなたをここまで苦しめているの?

 “ごめんなさい”って何? 何をそんなに謝っているの?

 “私が悪い”? 何が? 何が悪いの?


「……めん、なさいっ、私が……、私のせいで、あなたまで……」


 それでもひとつだけ、はっきりと分かること。

 セシルのこの言葉は、に向けられたものなんだと。


「セシル、聞いて」


 怯えるように震えるセシルの肩にそっと手を置いた。ぽんぽん、と少しでも落ち着くように一定のリズムを刻みながら。


「大丈夫よ、ここには何も怖いものなんてないわ。私はほら、見ての通りピンピンしているわ。今日も元気いっぱいよ?」


 こんな時、どんな言葉をかけてあげるのが正解なのかよく分からない。もっとうまい言葉が言えればいいのにと思う。

 でも、ここで何も言わないなんて選択肢は私にはなかった。その原因が私にあるのならなおさら。

 こんな言葉ひとつで解決するとは思わない。

 それでも、あなたが少しでも楽になれるように、今できることをしたかった。


「ちがう、ちがうの……っ」

「セシル? どうした、何が違う?」

「私が悪いのよ! 私のせいであなたは車にっ」


 それでも、セシルの悲痛な声は止まらない。

 なだめるように声をかけるウェルジオを遮り、とうとうセシルは叫びだす。


「――――――――くる、ま……?」


 その単語に、思考が停止したのは私のほうだった。

 私のつぶやきを拾ったのか、セシルが慌てたように口を両手で覆う。その反応が失言だったのだと物語っていて。


「どうして、セシルが……それを……?」


 だってそれは、セシルが知るはずのないコトバだ。この世界には存在しないものなのだから。この世界の住人であるセシルが知ってるはずがないのよ。

 なのに、じゃあどうして……。



 “――――他にもいたんだよ、あの世界を知っている人間がね……。”



 不意によみがえる、いつかのレグの言葉。


(まさか、セシルも?)


 そう思った時、私の胸に湧き上がってきたのは確かな歓喜だった。

 あの世界を知っている人がいた。レグの他にも、同じ立場の人がいた。

 ただただ、そんな存在に逢えたということが嬉しかった。

 前に感じた小さなしこり。あれはきっと、気のせいじゃなかった。


「やっぱり、私たち……、前にも何処かで……!」


 “やっと逢えた”。そんな気持ちでいっぱいだった。



 ――――だから気づかなかった。

 私の言葉を聞いたセシルが、みるみるうちに顔色を失っていったことに。


「……ち、がう、ちがうちがうっ、ちがう‼」

「セシル……?」

「嫌だ、思い出さないで! 気づかなくていいっ、知らなくていい! 思い出したりしないでっ‼」

「セシル、どう……」




「やだあああぁぁーーーーーーっ!!!」

「ピイイィィーーーーーーーーッ!!」




 セシルのつんざくような叫び声と、ピヒヨの激しい鳴き声。

 セシルの影が、意識を持っているかのようにずるりと蠢いたのは同時だった。


 ピヒヨの体が朱い光に包まれ、その姿を小さな小鳥ではなく大きな霊鳥へと変える。

 私を守るように大きな翼を広げるその向こうで、セシルの体にまとわりつく靄のような影を見た。


 包み込むようにセシルを覆った影は、やがて霧のように霧散し。

 まるで糸が切れた操り人形のように、セシルは意識を失った――――――――。


「セシル……っ!」


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