第19話 悪意の言葉

 


 ぱらぱら……。

 紙のページをめくる音が人気のない広い書庫の中に響く。ここ最近一気に慣れ親しんだ音だった。


「ん……」


 不意に目で追っていた文字がぼやけた気がして目を擦る。


「どうした?」


 そんな様子を少し離れた場所で見ていたウェルジオが私が顔を上げたタイミングを見計らって声をかけてきた。


「いえ、少しばかり目が疲れまして」

「そりゃずっと読んでいればな……。少し休憩でもしろ。中庭でも歩いてきたらどうだ?」

「え、ですが……」

「許可は取ってある。どのみちその状態で無理に文字を追っても頭に入らないだろう。僕もちょうど兵士たちの訓練に顔を出そうと思っていたからちょうどいい」


 いいから行ってこいと流れるような仕草で私は反論する間もなく書庫から追い出された。




 ***




(うーん、気を遣わせちゃったかしら……?)


 繊細な細工の施された柱の並ぶ白い回廊を歩きながら先ほどの彼とのやり取りを思い出す。


 彼の気遣いはいつも微妙に遠回しだ。そのせいで分からない時も多いが、今回のは明らかに気遣われていると思う。

 城で書物を読ませてもらう間はいつも彼が付き添ってくれるが、私が読み終わるまで彼がその場を離れることは決してない。

 真面目な彼のことだから、そのあたりはちゃんと自分の都合を調節しているはずだ。


(あまり気に病んで欲しくはないのだけど……)


 私とピヒヨの契約は彼の心に確かな傷をつけている。

 彼に責任があるとは思っていないし、彼が気にするようなことではないとも思う。

 前にも言ったように、いずれはこうなっていただろうことだから。

 それでも彼は決して納得しない。あれからもずっと、さり気なくこちらを気遣い、心を配ってくれている。

 けれどその話題を二度と口にすることはない。

 彼が何も言わずにいる以上、こちらからわざわざ掘り返すことも憚られる。

 そんな状況がいたたまれないというか、罪悪感を感じるというか……。彼といる間、最近はずっとそんな複雑な心境だ。


「ふぅ……」


 思わずため息も出るというものよ。



「――――……」

「――――……っ!」



(うん……?)


 ふと、どこからか聞こえてくる微かな話し声に気付いて足を止める。

 どうやら廊下の向こう側の庭の方からのようだった。

 そっと近づいて覗いてみると、きらびやかなドレスをまとった数人の令嬢たちが集まって何事かを話している。


(お城の招待客かしら?)


 明らかにどこぞの格式ある名家の令嬢たちだろうその姿に首を傾げる。

 たしかに城には他国の王族が滞在することもあるし、有力貴族が挨拶に来ることもある。


(一応挨拶くらいはすべき、よね?)


 残念ながらどれもこれも見覚えのない顔ばかりで、どの家の令嬢なのかもよく分からない。かといってこのままスルーするのも良くはないだろう。


 そう思って足を進めた私は、ついで聞こえてきたその言葉にピタリと足を止めた。



「まぁ! それではセシル様、最近ヴィコット邸に通っていらっしゃらないの?」




 ***




「そうらしいわ。仕立屋のマダムからお聞きしたの。少し前まではよく通っていたらしいけれど、最近はずっと屋敷の中にいるとか」

「あらやだ、とうとう愛想つかされたのね」

「ここ数年は大人しくしていたけれど、どうせかぶっていた猫が剥がれたんでしょう? 手のつけられない傲慢娘だったって話だもの」

「最近はウェルジオ様とも親しいらしいじゃない。身の程知らずにもパーティーではパートナーになったとか」

「ああ、兄の方を手に入れたから妹はもう用無しってことね」

「お可哀想にセシル様、ウェルジオ様に近づくだしにされたのね……、それでお心を痛められたのだわ」

「聞きしに勝るに悪役っぷりね」

「父親が陛下の信頼も厚い騎士団の将軍だからと言って、たかが伯爵令嬢の分際で……」

「おかわいそうに……、ウェルジオ様もきっとたぶらかされたのですわ」




 まるでメデューサに睨まれた生贄みたいに、体が石にでもなったかのように動くことを忘れた。

 ひどい言葉の羅列に何も言えずに、ただその場で立ち尽くしていた。


 最初こそ何を勝手なと怒りを感じもしたけれど、彼女たちの言葉を聞いていくたびに徐々にその怒りは小さくなり、胸にのしかかる暗くて重い鉛へと姿を変えていってしまった。


 アヴィリア・ヴィコットの評判の悪さは分かっていた。

 両親でさえ手を焼いていたほどの傲慢わがまま癇癪娘。

 それが以前のアヴィリア、ほんの数年前までの自分の姿。

 周りの人間との関係も改善され、ハーブをきっかけに知名度も上がり、以前は全くなかった茶会への招待も増えて、そんなものはすっかり過去の姿へと変えていたつもりだったけど。


 でも、そんな人たちばかりじゃないんだ。


 あるのは自分に友好的な人たちからだけ。そもそも悪意のある人からの接触なんてあるわけなかったのだ。少し考えてみれば分かることだった。

 なのに、何を楽観的になっていたのだろう。私は。


 これもまた周囲の人たちからの自分への評価なのだ。


 改めて突きつけられる悪意は思った以上に痛くて、重かった。

 さすがに悪口を言われたくらいで泣きはしないが、それでも心にくるものはある。


(……しっかりしなさいアヴィリア!)


 ふるりと強く頭を振って暗い思考を飛ばした。


 落ち込んでる暇はないわ。そんなことしてる暇があるなら汚名返上のためにより一層頑張るべきよ。


 むん、と心の中で自分に喝を入れ、彼女たちに見つかる前にここから離れようと踵を返そうとした。



 その時だった。




「――――面白い話をしているね」




 耳に馴染むその声は自分もよく知っている人物のもの。

 けれど自分の知るものとはまるで違い、穏やかな口調ながらも氷のようなを冷ややかさを含んでいた。


(ウェルジオ様……?)


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