第16話 森へ行きましょう
初夏――――。
鬱々とした梅雨も終わり、肌を刺す日差しもジリジリと焼け付くような熱さを帯び始める季節。
本日私は父と共に、森の民の住む集落を訪れていた。
「ようこそいらっしゃいました。ヴィコット伯爵様」
「お久しぶりですトマス村長。ご健勝そうで何より」
出迎えてくれた村長と握手を交わすお父様の姿を一歩下がった場所から眺める。
ハーブを始め、『ハーバル・ガーデン』で使われている調度品のほとんどはここから仕入れたものだ。その後もこうして定期的に交流を行い、お互いに利益となるような取引を続けている。
今回はその訪問に私も同行することが出来たのだ。
「紹介します。こちらが娘のアヴィリアです」
「お初にお目にかかりますトマス様。アヴィリア・ヴィコットと申します」
軽く背を押され前へと促される。スカートの端をちょこんとつかんで一礼すれば、村長は一度大きく目を見開き、慌てて頭を下げた。
「これはこれは、あなたが伯爵様の……。一度お会いしてみたいと思っておりました」
「私もです。お店を作る際には色々とお世話になりました」
「いやいや。わしらの作るものが貴族様の目に止まったとあれば、こちらとしても嬉しい限りですわい」
ニコニコとした笑顔を浮かべながら、トマス村長は村の中を案内してくれた。
初めて見る景色にキョロキョロと忙しなく視線を動かしている私に村長は恥ずかしそうに眉尻を下げる。
「見ての通り森の中なもので何もない村なんですよ、若い娘さんにはつまらない場所かもしれませんな」
「そんなことありませんわ。緑いっぱいで空気もおいしいですし、都会とは全然違う景色も見ているだけでとても楽しいです」
ちなみにお世辞ではなく心からの本心である。
だって考えて見て欲しい。森の民だよ? 森と共に生きる一族の集落だよ?
王都では見ることのない独特な民族衣装。レンガは勿論よくある木造建築とも違う、完全に自然と一体化しているようなツリーハウスの住宅。
まんまファンタジー映画やRPGゲームの画面で見たことある風景じゃないの!
これで気分が上がらないわけがない。本気で見てるだけでテンション上がるわ。
ああ、写メ撮りたい。SNSに上げて森の集落なう。ってやりたい。この気分を誰かと分かち合いたい。この前同じようなことを言ってたレグの気持ちがここに来て痛いほど分かった。うざいとか思ってごめんよ。また今度美味しいお菓子を差し入れするから許しておくれ。
とはいえ、それを正直に表に出すことは貴族のお嬢として大変よろしくないので、一人静かに心の中で熱く盛り上がっているだけである。心はわっしょい、あくまで表面は淑やかに。
そんな状態の私に気づくこともなく、トマス村長は私の言葉に嬉しそうに表情を緩め、父と一緒に自宅のあるツリーハウスへと招き入れた。
「伯爵様、お嬢様。お待ちしておりました」
「おじ様!」
村長の自宅では馴染みの顔であるルーカスが待っていた。
彼は父と軽く挨拶を交わすと私と向き合う。
「ようこそお嬢様、我が村へ。どうですかな、お気に召しましたか?」
「とっっても素敵です!!」
その一言に全てを込めた。やたら力が入った一言だったと思う。
私が以前からこの村に興味を持っていたことは彼も知っている。「いつか行ってみたい」と話したことだって一度や二度ではない。
心から楽しんでいる様子の私におじ様も嬉しそうに笑った。自分の村が褒められるのはやはり嬉しいらしい。
「ルーカス、頼まれていたものは準備できたのか?」
「もちろんですよ。伯爵様、こちらが今回ご注文の“コオヒ”です」
トマス村長に促され、ルーカスが取り出したもの。
それは両手いっぱいの籠に入れられたたんぽぽの根っこ。
今回の私たちの訪問の理由はここにある。
冬にこの村で討伐任務に同行したレグからお土産にといただいた“たんぽぽコーヒー”。
それを見た時の私のテンションの上がりようったらなかった。
そうよコーヒー豆はなくてもこれがあったんだわ! なぜ気づかなかった私。一人心の中で盛り上がっては落ち込んだ。
しかし気分はすぐに上昇。念願のコーヒー……もどきとの感動の対面だ。落ち込んでなんかいられない。その日のティータイムは甘いお菓子とコーヒーという数年ぶりに味わう奇跡のコラボだった。心の中でひっそり泣いた。
そしてその奇跡を永遠のものにすべく、『ハーバル・ガーデン』の新しい商品にする為にこうして買い付けに来たというわけだ。
しかしたんぽぽコーヒーを前に密かに心踊らせる私と違って、父の顔は困惑気味。
「根っこに見えるが……?」
「ええ、根っこです。たんぽぽの」
「…………」
お父様が困ったような、助けを求めるような眼差しでこちらを見る。
いたずらが見つかった大型犬みたいな顔だ……と思ったのは内緒。
「お父様、それがたんぽぽのコーヒーの素なんですよ。それを焙煎して、粉のようにすりつぶして使うんです」
「なるほど……」
私の簡単な説明に父は納得したように頷いたが、おじ様と村長は驚いたように目を見開いた。
「詳しいですね、お嬢様」
「元々知識として知ってはいたんですが、冬の頃に友人からこちらで作られたものだとお土産にいただきまして」
「もしや、レグ殿のことですか?」
「ええ、私の友人なんです」
「おお、あのボーズか。なかなか癖のある若者じゃったな」
「村長! 貴族のご子息様ですよ!?」
不敬だと咎めるような声でおじ様が声を上げた。
「そうなのか? わしはてっきりどこぞの発明家かと思っとったわ」
「まぁ確かに。寝袋とかコンロとかポットとか……、次から次に取り出してましたが……」
「熊に怯えながら寒さをしのいでいたわしらにとってはありがたい限りじゃった」
「すっかり気が滅入っていた子供たちに雪遊びを教えたりしてましたよ。“かまくら”とか“ゆきだるま”とか」
「うん? わしは“ゆきがっせんだー”とか言ってガキ共に雪まみれにされていたのを見たぞ」
「はははっ。都会育ちの少年では村の子供たちのパワーにはかないませんでしょうな」
「なかなかのやんちゃ坊主じゃった。将来どんな発明家になるかのぅ」
「ですから彼は貴族ですよ」
すみませんその癖のあるやんちゃ坊主この国の王子様兼次期国王です。
隣でお父様が静かに天を仰いでいる。めっちゃ気持ち分かる。
言いたい。でも言えない。子供たちが揃って雪まみれにした奴が実は王子様でしたなんて言ったら二人が泡吹いて卒倒しかねないよ。
てか、そんなことやってたのかあいつ。相変わらずのドラ◯もんっぷり。
脳内で「あははははははー」と笑いながら奴が猛スピードで駆け抜けていった。やめて今入ってこないで。ステイ!
意識の柵の外に追い出そうと一人静かに奮闘。
恐ろしやレグ。この場におらずとも存在だけでこうも精神にダメージを与えるとは……。
「しかしながら、お嬢様の知識には本当に驚かされますな」
「うむ。“レモンバーベナ”と言ったか……。長年身近に使ってきたわしらでさえ、お茶になることもその効能さえも知らんかったというのに。お若いのにずいぶん博識でいらっしゃる」
村長とおじ様が揃って感心したように私を見る。脳内戦闘中に突然話題の中に招かれてびくりとしたがここはいつもの営業スマイルで笑って誤魔化した。
「そのような大層なものではありません。もともとこういうお茶が好きでしたので、それだけですわ」
そもそも9割方前世知識だしね。
「ほう、お嬢様は植物に興味がおありなのですか?」
「植物というより、ハーブと呼ばれる香草が好きなのです。強い香りを持つ草木の中にはそう呼ばれるものがありまして、それを食用などに加工して使うんです」
この世界で目覚めた時は主な飲み物が紅茶しかなくて愕然としたものだ。
それが今やハーブティーを始めコーヒー(もどき)まで味わうことができるというのだから、人生とは本当にどう転んでいくか分からないものである。
「香りのある……、ふむ。それなら森の中にもいくつかそれらしいものがあったと思うが……」
「本当ですか!?」
「アヴィリア」
はっ。村長の言葉に思わず我を忘れて前のめりに聞き返してしまった。
お父様からの咎めるような声に思わず顔が赤くなる。こほん、失敬。
「興味があるのならば、案内させましょうか」
「まぁ、ありがとうございます!」
「村長! 何言ってるんですか、お嬢様に森の中を歩かせるなんて!!」
「おじ様、私は構いませんわ」
ふっふっふ。こんなこともあろうかとちゃんと動きやすい服装で来たのよ。
実は新しく何かないかと森を散策できないものかと考えていた。だから村長の提案はまさに渡りに船なのよ。グッジョブ村長。ありがとう!
「しかしですね……」
困ったおじ様がちらりと助けを求めるような顔で父を見る。
「心配はいらないよルーカス殿。森歩きなら以前にもしたことがありますからね」
「そ、そうですか……?」
「それにこの辺りは比較的地形も安定しているし、村が見える場所までならば、大丈夫でしょう」
父がそう言うとおじ様も渋々といった様子ながらも引き下がった。
「どれ。では誰ぞ案内できるものを呼ぼうか」
そう言って一度席を外した村長が家の奥に消えていくと、戻ってきた時には隣に一人の女の子を連れていた。
「は、初めまして貴族様、フェリシナと申しますっ」
緊張にこわばった顔で大げさなくらいに腰を曲げて挨拶した彼女は村長のお孫さん。
私とあまり変わらないように見える彼女はふたつほど年上で、健康的な小麦色の肌がとても魅力的だった。
「よろしくお願いいたします、お嬢様」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
それではいざ行かん、森の散策へ。
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